大阪市の北区をグルグル巡るブログ | 大阪市の北区メインでいろいろ仕事をしてます。仕事場も住んでるところも大阪市北区なので、北区をグルグル巡って、目にしたもん耳にしたもん感じたもんを、つらつらと書いています。

大阪市の北区をグルグル巡るブログ
大阪市の北区をグルグル巡るブログ
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています


浪速八百八橋 北区の橋シリーズ - 天神橋 〜 南北大阪を繋ぐ古くからの要衝
北区の橋シリーズ第9弾です☆

今回は、天神橋。天神橋筋と松屋町筋を結ぶ、古くからの大阪の要衝にして、歴史上の交通路の最重要拠点ですな。

天神橋



過去エントリーはこちら。

第1回の難波橋(ライオン橋)
第2回の川崎橋
第3回の船津橋
第4回の堂島大橋
第5回の上船津橋
第6回の鉾流橋
第7回の桜宮橋(銀橋)
第8回の大江橋

ちなみに、大阪市北区の中之島に架かる橋は、東から、
毛馬橋(城北公園通)
飛翔橋
都島橋(都島通)
源八橋(扇町通)
桜宮橋(銀橋)(国道1号線)
川崎橋
天満橋(谷町筋)
こっから西は、中之島に架かってます。
天神橋(天神橋筋 - 松屋町筋)
難波橋(ライオン橋)(堺筋)
鉾流橋
水晶橋
大江橋(御堂筋)
中之島ガーデンブリッジ
渡辺橋(四ツ橋筋)
田蓑橋
玉江橋(なにわ筋)
堂島大橋(あみだ池筋)
上船津橋(新なにわ筋)
船津橋


大阪市北区の橋



浪速三大橋(天満橋、天神橋、難波橋)のなかで、一番古くから架けられている橋が天神橋で、正確にはいつから架けられていたのか、わからんほどです。

伝承によると、天満宮会所支配人の大村由己(おおむらゆうこ)が豊臣秀吉の御伽衆となって謡曲「吉野詣」をつくり、その恩賞として大川に橋を架けることを許されたのが最初といわれてます。そんときは、もちろん新しい橋やったんで、新橋と呼ばれてたとか。のちに、天満宮が管理するようになって、天神橋と呼ばれるようになったらしいです。ま、でも、あくまで伝承であって、真偽のほどはわからんのだとか。

江戸時代の文禄3年(1594年)に公儀橋として新しく架けられ、上町台地と大坂の北部方面を結ぶという重要な要衝となり、特に、のちに天満組となる現在の北区の一部の発展は、このときに約束されていたみたいなもんですな。
今は、天神橋筋1丁目から中之島を経て、京橋3丁目にかけてを結び、天神橋から北が天神橋筋で、南が松屋町筋になってます。天神橋が、南北の基点になってるというわけですが、この、現在に通じる都市計画は、江戸の文禄時代にまで遡れるわけです。

貞享元年(1684年)に河村瑞賢が大川(当時は淀川ですな)の治水工事を行なった際に、橋が延長されて、長さ233mの長大橋となりました。このとき、天満宮の神主によって祈祷が行われていたことが「摂津名所図会大成」に載ってます。この時代の橋は、デザイン的に最先端を行っていたようで、もっとも厳かにして、他に類を見ない一奇、と、評判だったみたいです。

ところで、公儀橋というのは、その名のとおり、官費を充てるものだけれども、天神橋は例外で、当時の豪商だった塚口屋七兵衛が自費で架けてます。このへん、官に頼らない大阪の気質がよく表れてますな。
ただ、安永4年(1775年)の天神橋架け替えの際には、この塚口屋が仮橋を設け、通行人から通行料を徴収する許可が町奉行所から出され、これはかなり評判が悪かったとか。

さて、天神橋が大阪の南北を結ぶ要衝としていかに重要な存在だったのかを知るエピソードが、いくつかあります。

天保8年(1837年)に起きた大塩の乱のとき、大塩隊の上町侵入を防ぐために、まず天神橋など三大橋が幕府側によって切断されます。
さらに幕末には大塩平八郎捕縛に功のあった内山彦次郎が、賄賂をむさぼり政道を乱したということで、元治元年(1864年)、天神橋の橋上で暗殺されました。これ、偶然にしてはできすぎた話ですな。


何度も流されたり切断されたりした天神橋だけれども、近代に入ってからだと、明治18年(1885年)の大川の大洪水で多くの橋が流され、天神橋もまた流失しました。
そんとき、明治21年(1888年)に3年の歳月をかけて、ドイツ製の鉄橋として再生されました。よくわからんですが、長大スパンのボーストリングトラスが用いられた、と。

この後、明治の末に、中之島の剣先が天神橋の上流まで伸び、昭和9年の大阪第一次都市計画で、今の橋ができます。
これは、昭和6年に着工して、3年かけて完成。シャコタン気味のアーチは剣先の風景によくマッチし、大阪の代表的な景観をかたちづくってますな。
主要部の形式は三連の鋼ヒンジアーチ。両端にはコンクリートのアーチを置き、軽快さと重厚さが同居する、バランスのとれたデザインやと思いますわ。

全長 210.70m
幅 22.00m

剣先側に螺旋状のスロープが設けられたのは、昭和62年。ふもとには、遣唐使船の陶板ブロックや天満宮所蔵の天神祭絵巻を模写した絵陶板などが飾られてます。


橋の入口には、南北ともに、コンクリート製のアーチが置かれています。
天神橋


北詰には、こんなプレートもあります。
天神橋


5車線と両サイドに歩道。
天神橋


中之島に降りて、下から見上げるとカッコいいです☆
天神橋


鉄骨の醸し出す美☆
天神橋


ちょっと見にくいですが、上流側には天満橋が見えます。
天神橋


下流側には、阪神高速が走っていて、その向こうにライオン橋があります。
天神橋


橋の真ん中から、中之島に下りる階段があります。
天神橋


中之島の剣先側に下りるスロープも設置されてます。
天神橋


スロープの下から橋を見上げると、船のマストを思わせる景観が現れます。
天神橋






天神橋

大阪市北区菅原町2

大阪市の北区をグルグル巡るブログのためのmap
大阪市北区の主な橋




浪速八百八橋 北区の橋シリーズ - 大江橋
北区の橋シリーズ第8弾です☆

今回は、大江橋。御堂筋が通る、北区最重要の要衝ですな。
過去エントリーはこちら。

第1回の難波橋(ライオン橋)
第2回の川崎橋
第3回の船津橋
第4回の堂島大橋
第5回の上船津橋
第6回の鉾流橋
第7回の桜宮橋(銀橋)

ちなみに、大阪市北区の中之島に架かる橋は、東から、
毛馬橋(城北公園通)
飛翔橋
都島橋(都島通)
源八橋(扇町通)
桜宮橋(銀橋)(国道1号線)
川崎橋
天満橋(谷町筋)
こっから西は、中之島に架かってます。
天神橋(天神橋筋 - 松屋町筋)
難波橋(ライオン橋)(堺筋)
鉾流橋
水晶橋
大江橋(御堂筋)
中之島ガーデンブリッジ
渡辺橋(四ツ橋筋)
田蓑橋
玉江橋(なにわ筋)
堂島大橋(あみだ池筋)
上船津橋(新なにわ筋)
船津橋


大阪市北区の橋




さあ、いよいよ大阪の大動脈、御堂筋が通っている、大江橋です。
この橋を境に北詰の東側が西天満、西側が堂島浜です。で、南詰が中之島で、そのまま南へ走ると淀屋橋に続いてます。

大江橋は、江戸時代の元禄年間、堂島の開発に伴って架けられた5つの橋(大江橋、渡辺橋、田蓑橋、堀江橋、船津橋)のうちのひとつで、北詰の場所が、そのとき、大江の岸と呼ばれていたので、大江橋です。

大伴家持が、「玉藻刈る 大江の浦の 浦風に つつじの花は 散りぬべらなり」と詠んでますから、ここら一帯は、つつじの花が咲き乱れてたんでしょうな。

江戸時代、大江橋の北詰の下流川、つまり今の堂島浜には堂島米市場があり、日本中の米の価格がここで決められていた場所なので、当時から重要な場所やったわけです。堂島新地が開発されたのに伴って、米市が淀屋橋の南詰から移ってきたわけですが、その後、明治に至るまで繁盛しました。

明治18年の洪水で流失後、鉄骨、鉄柱に改造され、そんときは、人道と馬車道に区分けされました。
その後、明治42年(1909年)の北の大火で焼失したのだけれども、陸軍工兵隊の手ですぐに架設の橋が建てられたところを見ると、当時から交通の要衝となってたんでしょうな。

翌明治43年(1910年)には、復興と市電の開通に伴い、鉄橋に架け替えれてます。こんときに、梅田新道が開通して、大阪駅と大江橋が一直線で結ばれるようになってます。

ほいで、現在の橋になったのが、昭和5年(1930年)、地下鉄の工事と同時に着工ですわ。
ここは、付近に大阪市役所、日本銀行、図書館、中之島公会堂とクラシック建築が建ち並ぶんで、それなりに調和させた都市美の構成に万全を期すため、デザインが公募されたそうです。

鉄筋コンクリート造りのアーチ橋ながら、パリのセーヌ川を参考に景観に配慮したデザインは、一部補修された以外は懸架された当時のままで、市の第1次都市計画事業の目指すところを現代に伝えてますな。このことが評価されて、コンクリートの橋としては珍しく、2008年、重要文化財に指定されてます。

そんときのデザインは大谷龍雄氏のデザインで、原案では、橋脚の上に橋頭堡のような石造りの塔が描かれていたのだけれども、設計段階で変更されて、バルコニーを設けるよう修正されてます。

全長 81.5m
幅 37.0m
鉄筋コンクリート造 アーチ橋



コンクリートとは思えない重厚な造りです。
大江橋


橋の上を、大阪の大動脈、御堂筋が走ります。6車線☆
大江橋


橋に近づくと、重厚さがより一層わかります。
大江橋


歩道も広くて立派です。向こうに見えるのは、日本銀行。クラシックな建物と橋のデザインが、上手くマッチしています。
大江橋


原案は橋頭堡だったけれども、設計段階でバルコニーに変更されました。
大江橋


堂島川下流川(西側)を臨んでいます。向こうに見えるのは、中之島ガーデンブリッジ。
大江橋







大江橋

大阪市北区堂島浜1

大阪市の北区をグルグル巡るブログのためのmap
大阪市北区の主な橋




浪速八百八橋 北区の橋シリーズ - 桜宮橋(銀橋) 〜 新旧銀橋が並ぶ美しい風景
北区の橋シリーズ第7弾です☆

今回は、桜宮橋。銀橋のほうが通りがいいですね。

過去エントリーはこちら。

第1回の難波橋(ライオン橋)
第2回の川崎橋
第3回の船津橋
第4回の堂島大橋
第5回の上船津橋
第6回の鉾流橋


ちなみに、大阪市北区の中之島に架かる橋は、東から、
毛馬橋(城北公園通)
飛翔橋
都島橋(都島通)
源八橋(扇町通)
桜宮橋(銀橋)(国道1号線)
川崎橋
天満橋(谷町筋)
こっから西は、中之島に架かってます。
天神橋(天神橋筋 - 松屋町筋)
難波橋(ライオン橋)(堺筋)
鉾流橋
水晶橋
大江橋(御堂筋)
中之島ガーデンブリッジ
渡辺橋(四ツ橋筋)
田蓑橋
玉江橋(なにわ筋)
堂島大橋(あみだ池筋)
上船津橋(新なにわ筋)
船津橋


大阪市北区の橋



国道1号線が走っている橋で、西詰には、造幣局があります。春の桜の通り抜けのときは、通り抜けてきた人たちが、この橋を渡って、JR桜宮駅に向かって行列を成してます。そういう利用があるからか、歩道がかなり広めにとってありますな。

シブい銀色を放っているので、銀橋の愛称で呼ばれていて、桜宮橋というよりもむしろ銀橋のほうが通りがいいですね。僕、大川に架かっている橋やと、この橋が一番好きです。無骨ななかにスタイリッシュなフォルムがあって、かっこいいですわ。

銀橋は、新旧2本の橋で構成されていて、3車線ずつの6車線と歩道があります。

古いほうは、昭和5年(1930年)、大阪市の第一次都市計画事業に基づいて建設されました。

桜宮橋(銀橋)

桜宮橋(銀橋)

そもそも天満橋から上流は、明治18年の洪水以来、橋がなくてですね、今の毛馬橋、源八橋に船の渡しがあって、毛馬渡し、源八渡しと呼ばれてました。明治の後半になって、今の銀橋の上流に澱川橋という木造橋が架けられたのだけれども、昭和5年の都市計画事業で銀橋にバトンタッチした、という経緯があります。ちなみに、戦前では日本最大のアーチ橋です。

ほいで、このあたりは造幣局や泉布館、桜ノ宮公園なんかがある大阪でも有数の景勝地なので、景観に馴染む設計が完成するのには、かなり苦心したらしいですな。

関西建築界の父ともいわれた武田五一氏の設計です。武田氏は建築だけでなく、アール・ヌーボーを日本に紹介したり、テキスタイルデザインを手がけたり、京都工繊大の設立にかかわったり、法隆寺や平等院の修復にかかわったりと、デザイン全般にでっかい足跡を残した巨人で、僕なんか、まともに顔を直視できないほどのお人です。

工法のことは例によって僕に聞かれても困るんですが、この場所はもともと地盤が軟弱で、ある程度の不等沈下はやむを得んそうです。なので、ヒンジを3点にして、橋の支持力を分散させているらしいです。まあ、この説明だけでも、僕にはすでにお手上げですが(笑)

全長 108m
幅 22m
形式 鋼アーチ(3ヒンジアーチ)



さて、この銀橋が、よく混むんですよね。国道1号線の東野田交差点から東天満交差点までの慢性的な渋滞を解消するために、新桜橋というか、新銀橋が、銀橋のすぐ上流側に、銀橋に寄り添うようして建設されたのでした。平成18年(2006年)完成。今は、この2本の橋を一緒くたにして銀橋と呼んでいいと思います。


こっちが新銀橋。銀橋のすぐ上流に架かってます。
桜宮橋(銀橋)


こちらの新銀橋は安藤忠雄氏の設計で、新旧双子であるかのような共通したデザインでつくられているのが特徴ですな。
最新工法を使ってアーチの高さを揃えるためにアーチの長さが長くなり、そのせいもあって、このアーチは地面に貼り付くようなフォルムになっていて、フェラーリかカウンタックにでも乗っているようなかんじで、かっこいいです☆

桜宮橋(銀橋)


桜宮橋(銀橋)

桜宮橋(銀橋)

桜宮橋(銀橋)

旧銀橋はアーチ中央にヒンジがあって、全体にボルトがこれでもかと打ち込まれているのに対して、新銀橋は、ボルトなどによる連結を一切行なっておらず、すべての断面は現場で溶接されました。ぜんぶ現場で溶接って、すごすぎますな…。

全長 150m
幅 40m
形式 鋼アーチ(単純ローゼ桁)


銀橋から北を眺めると、こんなかんじです。左手に、帝国ホテルが見えます。
川の上流に見えているのは、源八橋。
桜宮橋(銀橋)



下流側(南側)です。右手は、造幣局の桜の通り抜けです。春のお花見の時期は、ここら一帯は、見物客で溢れかえります。
桜宮橋(銀橋)



桜宮橋(銀橋)
大阪市北区天満橋1丁目

大阪市の北区をグルグル巡るブログのためのmap


浪速八百八橋 北区の橋シリーズ - 鉾流橋 〜 橋に歴史はなくとも、行けばいろいろ歴史が見えてくる
橋シリーズ第6弾です☆

今回は、鉾流橋。

過去エントリーはこちら。

第1回の難波橋(ライオン橋)
第2回の川崎橋
第3回の船津橋
第4回の堂島大橋
第5回の上船津橋


ちなみに、大阪市北区の中之島に架かる橋は、東から、
毛馬橋(城北公園通)
飛翔橋
都島橋(都島通)
源八橋(扇町通)
桜宮橋(銀橋)(国道1号線)
川崎橋
天満橋(谷町筋)
こっから西は、中之島に架かってます。
天神橋(天神橋筋 - 松屋町筋)
難波橋(ライオン橋)(堺筋)
鉾流橋
水晶橋
大江橋(御堂筋)
中之島ガーデンブリッジ
渡辺橋(四ツ橋筋)
田蓑橋
玉江橋(なにわ筋)
堂島大橋(あみだ池筋)
上船津橋(新なにわ筋)
船津橋


大阪市北区の橋




天神祭は初日早朝の鉾流神事ではじまるわけですが、この神事は、鉾流橋のたもとで行なわれます。

といっても、鉾流橋自体は古いものではなく、大正7年(1918年)に初めて架けられ、その後、昭和4年(1929年)に、都市計画事業の一環で鋼げたに改築され、それが現在の橋ですな。

鉾流橋


天神祭の鉾流神事が行われることを考慮して、高欄、照明灯、親柱など、日本調のクラシックなデザインが採用されるなど、いろいろと配慮されていることもあって、小さいながらもなかなか風格のある橋ですわ。


ご覧の通り、そんなに大きな橋ではありません。
鉾流橋


高欄やら照明灯やらは、戦争のときに金属供出で軍に持っていかれてるんですが、昭和55年(1980年)、復活。そんときに、レンガ敷きの歩道も整備されてます。

全長 96m
幅 11m

中之島に架かる橋としては小さいほうで、西側に水晶橋、東に難波橋とでっかい橋に挟まれた小さい橋なのだけれども、そのクラシカルな佇まいゆえ、こうして見ると、なかなかの存在感を放ってます。

ほら、高欄と照明灯が凝ってます。
鉾流橋


すぐ西に、水晶橋が見えます。
鉾流橋


むかーし、難波橋の下手には、大川の中州潟、通称鉾流島がありまして、天神祭の鉾流神事はそこで行なわれていたんですが、その縁があって、この橋の名は、鉾流橋となってます。今、神事は、この橋のたもとで行なわれていて、そんときは、橋の歩道に、早朝から見物客が鈴なりになります。


さて、鉾流橋の北側のたもと、つまり天満警察署の真正面ですが、そこには、でっかい鳥居と石灯籠が鎮座してます。
鳥居は、それこそ天神祭の鉾流神事が行なわれる場所としての印なんでしょうが、同時に、大阪天満宮の川からの参道の船着場でもあったことの印でしょうな。このあたりは、元来、社頭の浜と呼ばれてました。

これが、鳥居と石灯籠です。
鉾流橋

鉾流橋



で、この船着き場から天満宮にかけての道に、乾物商が軒を連ねていて、それはそれは賑わったそうですわ。大阪乾物商誌によると「大阪は全国乾物商の発祥地であり、天満は大阪乾物商の発祥地」で、天神橋筋界隈はかつて乾物問屋が軒を連ね、江戸から戦後にかけて全国から昆布や椎茸なんかの乾物の集積場やったそうです。
その乾物商たちが明治34年(1901年)に寄贈したのが、この石灯籠です。
船着き場でもあったことだし、きっと、夜でも目印になるような、常夜燈としての役割を担ってたんでしょうな。

そうそう、乾物といえば、神代の時代、神功皇后が朝鮮半島から夕顔の種を持ち帰って、それが大阪の地に根付いたのがカンピョウのはじまり、という伝説があるほどで、大阪はもともと乾物とは縁が深い場所なのでした。

橋の歴史はそれほどなくとも、この場所に来れば、いろいろと歴史を見渡すことができる場所です。

今でも、なんでこんなところに高級鰻屋さんが?みたいな疑問も湧くのですが、乾物商で賑わった時代から商売されているのだな、と、想像すれば、得心もいきます。
そうそう、いち時期、この橋のたもとに、大阪商工会議所の初代会頭にして大阪経済の父、五代友厚の自宅があったとか。彼の銅像は、難波橋の南詰めにある大阪証券取引所の前に建ってますな。









鉾流橋
大阪市北区西天満1丁目

大阪市の北区をグルグル巡るブログのためのmap
大阪市北区の主な橋



浪速八百八橋 北区の橋シリーズ - 上船津橋
橋シリーズ第5弾です☆

今回は、上船津橋。

過去エントリーはこちら。

第1回の難波橋(ライオン橋)
第2回の川崎橋
第3回の船津橋
第4回の堂島大橋

ちなみに、大阪市北区の中之島に架かる橋は、東から、
毛馬橋(城北公園通)
飛翔橋
都島橋(都島通)
源八橋(扇町通)
桜宮橋(銀橋)(国道1号線)
川崎橋
天満橋(谷町筋)
こっから西は、中之島に架かってます。
天神橋(天神橋筋 - 松屋町筋)
難波橋(ライオン橋)(堺筋)
鉾流橋
水晶橋
大江橋(御堂筋)
中之島ガーデンブリッジ
渡辺橋(四ツ橋筋)
田蓑橋
玉江橋(なにわ筋)
堂島大橋(あみだ池筋)
上船津橋(新なにわ筋)
船津橋

大阪市北区の橋


堂島川に架かる橋としては、船津橋がもっとも川下に架かっていて、そのすぐ川上に架かっているのが、上船津橋。船津橋と上船津橋の距離は、数十メートルしか離れていないのだけれども、上船津橋には新なにわ筋が走っているので、はずせませんな。

阪神高速神戸線が橋の上を走っていて、橋からは青空は見えません。
昭和11年(1936年)に、架設。
昭和56年(1981年)に、阪神高速神戸線が建設されたのを機に、橋が架け替えられてます。

現在、
全長 78m
幅 17m×2車線
となっとります。


上が阪神高速で、下が上船津橋です。
上船津橋


橋を歩いていると、ご覧のように、上に阪神高速が走っているので、青空を見ることはできません。
上船津橋


このあたり、高速が複雑に交錯していて、なかなかアーバンな風景をつくり出してて、上手いことやれば、観光スポットになりそうな気がします。橋の南側、つまり中之島ですが、川沿いにずーっと遊歩道になっていて、ゆっくりと歩いて散策する環境も整ってます。

上船津橋



そういえば、宮本輝の小説は、このあたりが舞台になってるものも多いので、あの店はひょっとして、なんてふうに散策するのも楽しいかもしれませんな。

ただですな、堂島川左岸線の堂島大橋から上船津橋までの区間では、護岸上に大阪市所管の中之島遊歩道がつくられ、護岸の外(河川内)に大阪府所管の遊歩道がつくられてますねん。
つまり、5mほどのあいだに、遊歩道が2本、並行して走ってるんですね。行政機関のセクショナリズムの悪しき見本のようなものを、ここで確認することもできます(笑)


ほら、この遊歩道。これは大阪市所管の遊歩道で、写真の右にチラッと見えるのが、この遊歩道と並行して走っている大阪府所管の遊歩道です。
上船津橋





上船津橋
大阪市北区中之島6丁目

大阪市の北区をグルグル巡るブログのためのmap
大阪市北区の主な橋




浪速八百八橋 北区の橋シリーズ - 堂島大橋
北区の橋シリーズ第4弾です☆

今回は、堂島大橋。

過去エントリーはこちら。

第1回の難波橋(ライオン橋)
第2回の川崎橋
第3回の船津橋


ちなみに、大阪市北区の中之島に架かる橋は、東から、
毛馬橋(城北公園通)
飛翔橋
都島橋(都島通)
源八橋(扇町通)
桜宮橋(銀橋)(国道1号線)
川崎橋
天満橋(谷町筋)
こっから西は、中之島に架かってます。
天神橋(天神橋筋 - 松屋町筋)
難波橋(ライオン橋)(堺筋)
鉾流橋
水晶橋
大江橋(御堂筋)
中之島ガーデンブリッジ
渡辺橋(四ツ橋筋)
田蓑橋
玉江橋(なにわ筋)
堂島大橋(あみだ池筋)
上船津橋(新なにわ筋)
船津橋


大阪市北区の橋



堂島大橋は、あみだ池筋から堂島川をまたいで中之島に架かる橋ですな。南詰には、国際会議場があります(行ったことないけれども)。あみだ池筋が北区だとは信じられませんが、もちろん、橋の北側は福島区でして、北区ではありません。あくまで、南詰の中之島が北区なのであって、そのせいで、橋の管轄が北区になっとります。

堂島大橋は、明治16年(1883年)に架設。こんときは、木造です。
で、これが明治18年(1885年)の大洪水で流される、と。わずか2年の命でした(笑)

北区の歴史を調べていると、明治の大洪水で被害に遭った、という話は、いくらでも転がってますな。

これは、明治18年(1885年)に台風による強雨で、淀川が増水し、枚方から淀川南岸の堤防が次々と決壊して、北区を中心に約1万5,100ヘクタールのエリアが最大4m浸水、家屋流失1,631戸、家屋損壊1万5,491戸という、空前のスケールの災害です。

北区は、天満宮付近を除く全域がスッポリと濁流に浸かり、大阪駅では切符売りの窓口から水が出入りしていたといいますから、とんでもないです。
天満橋、天神橋などをはじめ、大川、土佐堀川、堂島川の橋はことごとく流失。そんときの建野郷三知事がですな、この事態を受けて、永久橋化に執念を見せ、府会の反対を押し切って、天満橋、天神橋、肥後橋、木津川橋の5橋を鉄橋に架け替えたとのことです。

ただ、堂島大橋は、こんときは鉄橋にならずにですな、明治42年(1909年)、もっかい木造の橋が架けられます。

その後、大正10年(1921年)に市電橋となって復活したあと、昭和2年(1927年)に、都市計画事業の一環で、市電の中之島線十三線が整備されたのに伴い、現在の鉄橋が架けられてます。

ちなみにこのあたりは地盤が軟弱で、きっとそのせいで鉄橋化が遅れていたように思うんですが、そのせいで、基礎工事には地下25mまで掘り下げ、900本の基礎杭を打ち込む難工事やったとのことです。まあ、これがどの程度の難工事やったんかは、建築の専門家ではない僕にはわからんのですが、とにかく、難しい工事やったそうですわ。

そんなわけで、現在の鉄橋は、

全長 75.80m
幅 22.55m

アーチ型のラーメン構造やそうです。ラーメン構造がどのような構造なんかは僕にはわからんのですが、一応知ってるウンチクを延べておくと、麺のラーメンじゃなくて、ドイツ語で「接合」って意味から来てる、と。

構造はともかくとして、こうして見ると、景観にマッチした、なかなか美しい橋やと思いますな。
中之島に架かってる橋は、この堂島大橋にかぎらず、美しい橋が多いですわ。





北詰から眺めた堂島大橋。向こう側が中之島で、国際会議場がデーンと鎮座してます。
堂島大橋


近づいてみて、かろうじて、「どうじまおおはし」と読めます。
堂島大橋


この骨組みが、アーチ型ラーメン構造?
堂島大橋


橋から東を臨むと、中之島の街並がひろがっています。
堂島大橋


西側は、ちょっと寂しいですな。向こうに見える橋は、上船津橋。
堂島大橋




堂島大橋
大阪市北区中之島5丁目〜6丁目

大阪市の北区をグルグル巡るブログのためのmap
大阪市北区の主な橋





浪速八百八橋 北区の橋シリーズ - 船津橋 〜 中之島の西端を臨む
北区の橋シリーズ第3弾です☆

今回は、船津橋。

過去エントリーはこちら。

第1回の難波橋(ライオン橋)
第2回の川崎橋


ちなみに、大阪市北区の中之島に架かる橋は、東から、
毛馬橋(城北公園通)
飛翔橋
都島橋(都島通)
源八橋(扇町通)
桜宮橋(銀橋)(国道1号線)
川崎橋
天満橋(谷町筋)
こっから西は、中之島に架かってます。
天神橋(天神橋筋 - 松屋町筋)
難波橋(ライオン橋)(堺筋)
鉾流橋
水晶橋
大江橋(御堂筋)
中之島ガーデンブリッジ
渡辺橋(四ツ橋筋)
田蓑橋
玉江橋(なにわ筋)
堂島大橋(あみだ池筋)
上船津橋(新なにわ筋)
船津橋


大阪市北区の橋



中之島の東側って、バラ園があったり舳先の噴水(まだ近寄れない…)があったり、図書館やら公会堂やらがあったりで、かつ、仕事でウロウロする範囲もそっちに集中しているので、まあ、馴染みがあります。
が、しかし、西側、特に御堂筋から西側は、滅多に行くことがなく、個人的には馴染みがないのですね。

で、ちょっくら行ってみようか、と。

天候もよかったのでチャリを走らせて中之島を西へ西へと向かっていたのですが、中之島って、東西約3kmあるんですね。そんなに距離があると思ってなかっただけに、なかなかデカいな!と思った次第。
西側は知らない風景も多く、大阪じゃない、知らない土地に迷い込んだような感覚になりましたわ。

ほいで、東の端の大噴水は知ってるけれども、西の端はどうなってるんだろうと思って、行ってみました。

新なにわ筋を超えますね。にわかには大阪市の北区だと信じられないのですが、一応、中之島は中州全体が大阪市北区のエリアになっているので、ここだけ北区が西に伸びてます。

そしてやって来たのが、ここ。これが、中之島の西の端です。
写真は、南側から北を向いています。この、出っ張ったところが西の端で、西突堤と呼ぶそうですわ。初めて見たし、初めて来ました。
江戸の貞享年間(1684-1688年)に、中之島の西端に築地が造成されて、新たに湊橋町という町ができ、これが明治5年の町名変更で中之島7丁目となり、今は、中之島6丁目になってます。

船津橋



今度は、中之島の中心を背にして、西を臨んでみました。

船津橋


中之島の東、淀川から流れてきた大川が中之島を挟んで堂島川と土佐堀川になり、中之島が終わる西端で合流して安治川になります。

で、堂島川のもっとも川下に架かっている橋が、船津橋。この端が、中之島の最西端に架かる橋ですな。

船津橋

船津橋


ほいで、西突堤を挟んで、中之島の南、土佐堀川に架かっている橋は、端建蔵橋。写真の右奥に映っている、色が違う橋が、端建蔵橋です。ほとんど、船津橋と繋がってます(笑)
この船津橋については、調べてみたのだけれどもほとんど資料がなくて、わかっていることは、

全長 76.50m
幅 24m
大正5年竣工、昭和38年改築

これくらいです。。。。

ただ、堂島川に架かる橋のうち、元禄五橋というのがありまして、文字通り江戸の元禄時代にできた橋なのですが、大江橋、渡辺橋、田蓑橋、堀江橋と並んで、船津橋が入っているのですね。ちなみに、船津橋は、このとき、元禄元年(1688年)に竣工されてます。築地が造成されたことに伴って、架けられたんでしょうな。

なので、現在、大阪市の資料に載っている大正5年竣工というのは、鉄筋になった新橋で、それ以前の元禄時代から、船津橋は存在したことになります。

このあたりを執念で調べていたら、在日コリアンの方が綴っている記録に、明治18年(1885年)の大洪水で、安治川が溢れかえり、船津橋が流されていることがわかりました。

元禄に架けられた船津橋は、たぶん、このときに一度姿を消してるんでしょうな。で、大正5年、竣工。

さらに、詳しいことはよくわからんのですが、明治の時代から昭和40年くらいにかけて、船津橋と渡辺橋を結ぶあいだには、大阪市電九条中之島線が走っていたそうですわ。渡辺橋は四ツ橋筋に架かっている橋ですから、中之島の西側の大動脈だった可能性が…。

今は、船津橋の北詰に大阪中央卸市場がありますから、そこを出入りするトラックが多いですな。

船津橋


この写真は、船津橋の北詰から臨んだ風景。この写真の右側に、大阪中央卸市場があります。
きっと、深夜は、大阪でももっとも賑わってる橋になっているのかもしれません。今度、深夜にチャリを走らせて行ってみよう☆




船津橋
大阪市北区中之島6丁目

大阪市の北区をグルグル巡るブログのためのmap
大阪市北区の主な橋



浪速八百八橋 北区の橋シリーズ - 川崎橋
大阪市の北区といえば、大川があるので、橋がたくさんあります。
江戸の八百八橋に比べると少ないかもですけど、それでも大阪の橋は国家予算を投じてつくった公儀橋よりも、地元の人たちがお金を出して自力でつくった橋のほうがはるかに多いのは、思いっきり自慢していいことやと思います。


ちなみに、大阪市北区の架かる橋は、東から、
毛馬橋(城北公園通)
飛翔橋
都島橋(都島通)
源八橋(扇町通)
桜宮橋(銀橋)(国道1号線)
川崎橋
天満橋(谷町筋)
こっから西は、中之島に架かってます。
天神橋(天神橋筋 - 松屋町筋)
難波橋(ライオン橋)(堺筋)
鉾流橋
水晶橋
大江橋(御堂筋)
中之島ガーデンブリッジ
渡辺橋(四ツ橋筋)
田蓑橋
玉江橋(なにわ筋)
堂島大橋(あみだ池筋)
上船津橋(新なにわ筋)
船津橋

大阪市北区の橋



玉江橋から西は大阪市の北区のエリア外のように見えるんですが、中之島がじつは大阪市の北区に属していて、そこに架かってる橋は、一応、大阪市北区ということになってるんですね。地図でも、そうなってますわ。
もちろん、中之島の北側、つまり堂島川に架かる橋だけで、南側の土佐堀川に架かる橋は、北区のエリア外ですな。



さて、以前に難波橋、通称ライオン橋を書いたので、今回は、川崎橋を。

ライオン橋のエントリーはこちら。
http://kita-ku.jugem.jp/?day=20090514


天満橋と桜宮橋のあいだに架かる川崎橋は、大川と寝屋川が合流する手前の都島区網島町と右岸の北区天満1丁目を結ぶ歩行者とチャリ専用の橋で、それにしては立派な橋ですわ。国交省が全国的に進めている大規模自転車道のひとつらしいです。

ここは景色がよくて、浪速の名橋50選にも選ばれております。
よくは知らんのですが、技術的にも優れている橋らしく、土木学会田中賞というものを受賞しているとのことです。

左右両岸に由緒ある建築物が目白押しで、右岸には造幣局や公会堂、左岸には藤田美術館に大阪城が見えます。大川のゆったりとした流れとあいまって、ここはなかなか風情がありますよ。はっきりいって、渡るためだけに利用するのが惜しい橋です。

橋の姿そのものも、高い塔からケーブルを出して、橋を吊ってる形状で、なかなか美しいです。
この、橋を吊ってる塔が、船の航行を考えて、川の真ん中には建てられておらず、天満側に寄ってるのがね、なんともいえない美しさを演出してますな。
ほら、日本人は、左右対象の美よりも破調の美を好むので、これは日本的な美的感覚に適ってるんです。

橋の真ん中あたりから左右を見渡すと、大川と寝屋川の合流する様が見え、OMMビルが見え、銀橋がチラッと見えます。

資料的なことを書いておくと、
長さ129.15m
幅3m
二径間連続斜張橋(←どういう工法かは、僕が知るはずもない。笑)
橋脚には高さ30m(水面からは35m)のタワーを建て、左岸側:右岸側=6:4、計20本のワイヤーで橋台を吊る仕掛け
昭和51年1月着工
昭和53年4月完成
総工費3億7,000万円

古い地図を見ると、「川崎渡」との記述があり、もともとは、渡し船が運航していたそうです。
天満側には蔵屋敷が建ち並んでいたし、都島側は京街道やら大和街道やらの入口ですから、通行需要は相当にあったでしょうな。
元禄時代ころには、なんらかのかたちで橋が架けられていたみたいです。

何度か焼失したり川の増水で流されたりしたのち、明治10年に、橋が再建。
でもそんときは、私設の橋で、通行料を徴収したことから、「ぜにとり橋」と呼ばれたそうです。まあ、その橋も明治18年の大洪水で流され、昭和53年に現在の橋が架けられるまでは、橋はなかったそうです。

川崎の渡し自体は長いこと続いていて、昭和20年までは運航していたらしいです。



天満側(西詰)から見た川崎橋。ロープで吊られている様が美しいです。
川崎橋


幅3mの歩行者とチャリ専用です。
川崎橋


天満側から渡っていると、大阪城が見えるんですよね〜。
いい景色です。
川崎橋


今にも雨が降りそうな空が不気味ですが(笑)
橋を吊るしている塔の頂上。工学的な美がありますな。



橋の南側を見ると、OMMビルと天満橋が見えます。これまたなかなかいい景色です。



北側からは、造幣局の通り抜けが見えますね。向こうにチラッと見えるのは、桜宮橋、通称銀橋です。



都島側(東詰)から橋を眺めると、こんなかんじです。
川崎橋


都島側の橋のたもとに、川崎地蔵尊がいらっしゃいました。このお地蔵さんの由来などは、今回の宿題(笑)
川崎橋





川崎橋

大阪市北区天満1丁目

大阪市の北区をグルグル巡るブログのためのmap
大阪市北区の主な橋




浪速八百八橋 北区の橋シリーズ - 難波橋(ライオン橋) 〜 4匹のライオン
大阪は、水都と呼ばれるだけあって(というか、市、府ともに、そう呼びたがっている節がプンプンするんですが…)、橋の数は多いです。
特に、中之島があるせいで、北区と中央区を結ぶ橋が、たくさんありますな。

数だけでいったら、東京のほうが多いです。
ただ、東京の場合、江戸幕府が予算を組んでつくった広儀橋が多いけれども、大阪のそれは、そのほとんどが、有力商人やら地元の町の人々が私の金を集めてつくった「町橋」であるという点は、誇りに思っていいんだと思います。

官を頼らないのは、大阪のむかしっからの伝統ですな。
淀川の平成花火大会も、市や府からの助成金を一銭ももらってないといいますし。そのへん、大阪の心意気を感じます。

さて、僕が週に1、2回は通る橋に、北浜のライオン橋。や、ライオン橋というのは通称で、正式には、難波橋です。
橋詰4ヶ所ともに、なぜかライオン像が設置されているので、そういう名前になってます。

難波橋(ライオン橋)


中之島を挟んで堺筋を南北に繋いでいる場所にあるのに、なーんで、「難波」なのか。
後半、橋を見ていくことでその謎は解明するのですが、まずこれは、「なんば」ではなくて「なにわ」と読みます。
古代、大阪の大半は湿地というか泥地というか、要するに海だったわけで、上町台地あたりが陸地と海の分かれ目で、半島状の陸地を形成していました。つまり大阪のもともとの場所ですが、その場所を、難波といったり、浪花、浪華といったり、あるいは浪速(なみはや)といったりしたわけです。
だから、難波橋というのは、その名残ですわ。

今でこそ、堺筋に架かってますが、もともとは、堺筋のひと筋西にあった難波橋通(今の藤中橋通)に架かっていた橋で、難波橋筋は、そのまま上町台地に向かっているので、そういう名前になったんでしょうな。

さて、この難波橋は、奈良時代に行基がつくったとされているのですが、もうね、大阪にかぎらず、奈良や京都、神戸を巡っていて、行基の名を目にしないことはない!というくらい、彼は、あっちこっちでお寺さんやら橋やら溜め池やら港やら道路やらを造りまくってます。
もう、人間ブルドーザーというか、奈良時代の田中角栄というか…。
鑑真と並ぶ、奈良時代を代表する二大高僧ですな。近鉄電車の奈良駅前に銅像が建ってます。教科書にも載ってます(たぶん)。

行基さんは、そもそも、東大寺の大仏建立プロジェクトの総責任者で、全国をまわって資金集めをしてました。ただ、民衆もそうそう金持ちであるわけもないですから、そう簡単にカネは出てきません。

なので、橋やら溜め池やら港やら道路やら、その地にニーズのありそうなものを自ら進んでつくり、人々に崇め奉られ、地の人々がこぞって寄付をしたくなるように仕向けたんですな。
なかなかの策士です。


えーっと、その行基さんがですな、704年、難波橋を架けてくれました。

当時、というか、明治時代くらいまではそうみたいですが、中之島の東端は、この難波橋の真下くらいまでしかなくて、そのために、橋そのものは、200mを越す、雄大な木橋でした。
行基さんも朝鮮半島からやって来た渡来人の家系ですが、さすが、ものすごい土木技術を持っていたことが、これひとつをとってみてもわかります。

明治5年の地図を見ると、よくわかります。(「大阪圓」より)

難波橋(ライオン橋) 大阪圓


で、難波橋は、江戸時代には公儀橋となり、天神橋、天満橋と並んで、浪花三大橋と呼ばれる、大阪を代表する橋だったわけです。

そんときの橋は反りがあって、眺望がよくて、花火見物やら夕涼みなどの一等桟敷で、上方文化を育む絶好の行楽地やったそうです。

こんなかんじ。賑やかで楽しそうです☆

難波橋(ライオン橋)



大川も堂島川もよく氾濫したので、何度か架け替えがあったと思うんですが、明治9年(1876)の架け替えの際に、北側部分が鉄橋化されてます。これが、近代鉄橋の幕開け。

大正4年(1915)には、市電の開業に伴って、堺筋に移転されることになり、現在の地にやってきました。当時、堺筋が、大阪で一番重要な筋やったので、そこへ持ってこようという計画が持ち上がったんでしょうな。
そんときに、重厚なアーチ式の橋となり、名物のライオン像が橋詰4ヶ所に設置されました。
欄干やら豪華な照明灯やら橋塔やらの意匠も、そんときにできてます。


ほいで、なーんでライオンが設置されたのかは、なんぼ調べても謎なんですが、このライオン、南北とも、東のライオンは口を閉じていて、西のライオンは口を開けてます。
ということは、阿吽の様式になってるということです。
ということは、狛犬か?

まあ、ライオンは狛犬の祖先(阿吽の様式は日本独自だけれども)ですから、これは、狛犬だと考えて間違いないと思います。
じゃ、なんでこんなところに、狛犬の祖先であるところのライオンが、という話になりますが、これはもう、近所に天神さんがあるから、くらいしか説明がつかんのですが、それやったら天神橋こそが相応しいやろうし…。誰か、教えてください。


(北西詰のライオン)
難波橋(ライオン橋) 北東



(北東詰のライオン)
難波橋(ライオン橋) 北西



(南西詰のライオン)
難波橋(ライオン橋) 南東



(北東詰のライオン)
難波橋(ライオン橋) 南西




しょっちゅう見ている4匹のライオンについて調べていたら、橋の歴史そのものにまで風呂敷をひろげてしまいました。。。

それにしても、近づいてみると、なかなか勇壮なライオンです。

難波橋(ライオン橋)



ちなみに、橋の欄干には、大阪市の市章である「みおつくし」があしらわれていました。
浅瀬に立てられていた水路標識ですな。やっぱ、大阪は水の都か。。。

難波橋(ライオン橋)



そして、案の定というかやっぱりというか、こんなんも見つけました。
今の橋は、大林組が請け負ってます。現代の行基(笑)

難波橋(ライオン橋) 大林組




ところで、昨年、京阪電車の中之島線が開通して、難波橋の真下、中之島に「なにわ橋」という駅ができました。でも、難波橋の南詰には「北浜」駅があって、両者は歩いて1分くらいの距離しか離れてません。しかも、両者は、それぞれ中之島線と本線に属しているので、乗り入れているわけでもなければ繋がっているわけでもありません。
なんでこんなところにわざわざ駅を新設したのか、僕には今もって謎です。。





難波橋(ライオン橋)
北区西天満-中央区北浜間

大阪市の北区をグルグル巡るブログのためのmap


浪速八百八橋 北区の橋シリーズ - まとめ
大阪市北区の橋




浪速八百八橋 北区の橋シリーズ - 毛馬橋 〜 大川最上流に架かる橋

浪速八百八橋 北区の橋シリーズ - 飛翔橋 〜 天神祭の船渡御のとき、奉拝船はここから出ます

浪速八百八橋 北区の橋シリーズ - 都島橋 〜 かつてこの橋の上を市電が走ってました

浪速八百八橋 北区の橋シリーズ - 源八橋 〜 橋に受け継がれた渡しの歴史

浪速八百八橋 北区の橋シリーズ - 桜宮橋(銀橋) 〜 新旧銀橋が並ぶ美しい風景

浪速八百八橋 北区の橋シリーズ - 川崎橋

浪速八百八橋 北区の橋シリーズ - 天満橋 〜 世にも珍しい重ね橋

浪速八百八橋 北区の橋シリーズ - 天神橋 〜 南北大阪を繋ぐ古くからの要衝

浪速八百八橋 北区の橋シリーズ - 難波橋(ライオン橋) 〜 4匹のライオン

浪速八百八橋 北区の橋シリーズ - 鉾流橋 〜 橋に歴史はなくとも、行けばいろいろ歴史が見えてくる

浪速八百八橋 北区の橋シリーズ - 水晶橋 〜 この橋は、女性だ

浪速八百八橋 北区の橋シリーズ - 大江橋

浪速八百八橋 北区の橋シリーズ - 中之島ガーデンブリッジ 〜 バブルの遺物、か?

浪速八百八橋 北区の橋シリーズ - 渡辺橋 〜 渡辺橋から渡辺の地と渡辺の姓を見渡す

浪速八百八橋 北区の橋シリーズ - 田蓑橋 〜 北詰の「蛸の松」は元禄時代の名残

浪速八百八橋 北区の橋シリーズ - 玉江橋 〜 かつてはこの橋から四天王寺が見えました

浪速八百八橋 北区の橋シリーズ - 堂島大橋

浪速八百八橋 北区の橋シリーズ - 上船津橋

浪速八百八橋 北区の橋シリーズ - 船津橋 〜 中之島の西端を臨む







大阪市北区の主な橋







<< 2/2PAGES
▲page top

pagetop
Copy Right(c)2009-2011 Joe's Garage inc. Asakaho Luis Ryuta All Rights Reserved.