大阪市の北区をグルグル巡るブログ | 大阪市の北区メインでいろいろ仕事をしてます。仕事場も住んでるところも大阪市北区なので、北区をグルグル巡って、目にしたもん耳にしたもん感じたもんを、つらつらと書いています。

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天満立ち飲みツアー note.002 「天平」 - 幸せになるということはこういうこと。
天平


この界隈で三本の指に入ると、テーブルをどんと叩いて断言したいお店が、「天平」です。

JR天満駅からマクドの東側にある路地を北に向かっていき、路地を抜けて、そのまま北へ少し歩いたところにある、天ぷら&魚の美味いお店。

立ち飲み屋さんの新店ラッシュで陰に隠れてしまいがちやけど、半世紀、続けてこられたこのお店の実力は、ダテではありまへん。


詳しくは、以前のエントリーでも書いたんで、繰り返しませんが。
前回のエントリーは、こちら。

「絶品の天ぷらと接客の神さま女将がいるお店」



むかし、まだ社会に出たばっかりのとんがってるだけで若かったころ。
行動の動機のほとんどは、怒りでしたわ。
怒りとか初期衝動とか、ばっかやろう!とかぶっ殺してやる!とか、そういうもんを抱えながら、行く手を遮るやつらに突っかかっていって、一歩でも二歩でも前進するのが、動機になってました。

でもね、
ある日、
とれたてのピチピチの真鰯を口にして、あまりの美味さに破顔一笑なって、それで悟ったことがありましてん。
怒りや初期衝動をモチベーションにしてるかぎり、続かんわ。それはいつか、火が消える。
でも、
とれたてのピチピチの真鰯を口にしたときの破顔一笑とか、わけもなく高笑いしたくなるような、そんな感覚や感情をモチベーションにしてたら、しなやかで、火は消えそうにないなあ、と。
愛に包まれた生活を送っていたときなので(笑)きっとそんなことを思ったんでしょうが、天平で天ぷらを食べてると、そういう感覚を思い出すのですよ。

つまり、幸せになるってこと。





刺身盛り(1人前半)
天平


フキの天ぷら
天平


蓮根の天ぷら
天平


どんこの天ぷら
天平


オクラの天ぷら
天平


下仁田ネギの天ぷら。どれも美味いけど、下仁田ネギの天ぷらは初体験☆
ネギの白いところの中心がとろっとろです〜。
天平


〆に、かぶらのお漬けもん
天平


臭いがつくといけないので、上着はビニール袋に入れてくれます☆
天平


天ぷら名人にして、接客の神さまの女将さんです〜。
天平


いつもは注文したもんを暗記してる女将さんだけど、この日は満席状態でさすがに暗記の限界を超えた?
天平




【過去の天満立ち飲みツアー】
■天満立ち飲みツアー note.001「天満酒蔵」



天ぷら・季節料理 天平
大阪市北区天神橋5丁目1-14
tel. 06-6353-4714
11:30-14:30 17:30-21:30
日祝休み

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天満立ち飲みツアー note.001 「天満酒蔵」- 僕の舌が間違ってるのか?
天満界隈は今、立ち飲みがブームになってるというか、その手の新店がウジャウジャと増えてきてます。
もともとが古くからの立ち飲み屋さんもたーくさんあるし、新旧入り乱れて、カオス状態を醸し出しておりまする。

まあ、僕は飲まないんであんまり関係ないんですが、酒のアテはそのまんまご飯の友になるし、周囲には大酒飲みがバカみたいにいるので、ここはいっちょう、ツアーをやってやろう!と。

年末の忘年会シーズンからはじまったこの企画だけれども、こうしてブログにアップするのは、年をまたいでます(笑)
まあ、まだヨイヨイの内なので、オッケーでしょう☆

そんなわけで、第1弾、行きます☆




まずは、天満酒蔵。

天満酒蔵


天神橋筋の商店街にありまして、「七福神」「天満酒蔵」と、立ち飲み屋2軒が軒を連ねております。

こんときのメンバーが全員集合するまで、このあたりで時間をつぶそう!ってことになって、そんときにいてるメンバーで入ったんですよね。
七福神じゃなくて天満酒蔵を選んだのは、暖簾のかんじがよかったのと、人がたくさん入ってそうだったから。

ほれ。
天満酒蔵

貼ってあるメニューの紙がいい味を出してます。
天満酒蔵

昭和44年から営業しているというから、僕の年齢とそう変わらない古くから続いているお店で、立ち飲み屋さんのなかの立ち飲み屋さんらしい、それなりの風格がありますわ。

長大なカウンターの真ん中に席が空いてたのでそこに座り、僕はウーロン茶だけど、他の人は大ビン。

ビール大ビン 350円。
安っ!

寒波襲来で鬼のように寒かったので、ここはオデンを。

じゃがいも×2
たまご×2
スジ
大根
厚揚げ
あと、大根おろしのシラス和え。
天満酒蔵


オデンの大根もジャガイモもビックリするほど、でかい☆
僕は大食いですから、でかいのは無条件でいいことですわ(笑)

で、パクつくとですな…。




ん〜んん。
ん?

オデンのジャガイモと大根、ダシがしみてない!
なんじゃこら?
ダシをすすってみると、あんま美味くない!
40年近く営業してるってことは、オデンのダシは、継ぎ足し継ぎ足しで40年モノになってるのがこの手のお店の常のはずなのに、これは、昨日今日つくったダシではないか?(笑)

あかん!
ダメだこりゃ。

というわけで、
これにて退散(笑)
もともと長居をするつもりはなかったけれども、これ以上、ここでなにかを注文する気にもならず。。。
3人で1500円くらいだっけ?

朝っぱらから営業してるし、ビール安いし、アル中さんには天国みたいな店かもしれんが、アテを楽しみたい僕には、ここはあきまへんわ。

まあ、安かろうマズかろう、の、部類。
とにかく安く酒が飲みたい人向け、かな?
お客はバカみたいに入ってます。


天神祭ギャルみこしの絵なんかも飾ってあって、雰囲気はいいんだけどなぁ。。。
天満酒蔵







天満酒蔵
大阪市北区天神橋5-7-28
tel. 06-6353-3792
月〜土 / 8:45-23:30
日・祝 / 9:45-23:30
月4回不定休

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呉服店のビルを住処にするお地蔵さん
大阪市の北区をぐるぐるとまわっていて気がついたことがひとつありまして、それは、意外な場所に意外なほどお地蔵さんが祀られていることですね。

道路の三叉路の真ん中に祀られているなんていうすごいのもありますが、ファッションビルのたもとだったり、ラブホ街の一角、工場脇、商店街の一角、とある店舗のなか、歩道の路傍、橋のたもとに川原、公園の片隅…、なにげなしに見やっている景色のなかに、じつはたくさんのお地蔵さんが祀られていることに、気がついたのでした。

たとえば、奈良に行くと、路傍のお地蔵さんがたくさんいて、さすが奈良!という気にもなるのだけれども、大阪の都会のど真ん中でも、じつはたくさんのお地蔵さんがいらっしゃるということは、なかなか新線な驚きでした。

そして北区というところは、商売人というか、地の人がたくさん住んでいる土地柄のせいもあって、代々にわたって、お地蔵さんのお世話をちゃんとしている人たちも多いように思います。

少しまえに見つけてちょっと気になっていたのが、天神橋筋商店街の6丁目、ちょうど天六駅の一番南側の東出口の階段を上がってすぐのところに、松井呉服店というお店があって、そのお店はビルになっているのですが、そのビルの壁面の一部をわざわざくり抜いて、お地蔵さんが祠ごと収められているところがあるのですよ。

こんなのです。

松井呉服店のお地蔵さん

松井呉服店のお地蔵さん


どーみても、かつてこの場所で祀られていて、松井呉服店さんがビルを建てるときに、お地蔵さんを移すのは忍びないから、ビル建築にあたって設計段階から祠を壁面にしつらえたのだろう、と、想像することができます。

ビルといってもでっかい法人じゃなくて個人のビルだからこそ、こうした融通も利くのだと思いますが、裏を返せば、個人の方が、そこまでやっちゃうすごさも、ここからは見てとれると思うのですね。

町会や地元の保存会が面倒を見ているだけじゃなくて、公共のものなのに個人で面倒を見てらっしゃる、その心意気がね、大阪商人の誇りを感じますわ。

で、よくある話なのだけれども、ここのお地蔵さんも、おおむかし、盗まれているそうです。
もともとの出自は今となってはサッパリわからないのですが、松井呉服店さんの先々代のころにはすでにこの場所で祀られていて、先々代のころ、一度、盗まれたそうです。
でも、すぐに代わりのお地蔵さんを見つけてみてお祀りするあたりは、これまた大阪商人らしいもんをかんじます。なにが大阪商人らしいのかわかんないけれども(笑)

ちなみに、こちらのお地蔵さんは、ちゃんと北を向いているのだけれども、じつは北を向いているお地蔵さんは、珍しいです。
古来、仏像は尊い存在だから、南に向けて安置します。中国にある、王者は南、という考えから来てます。でも、お地蔵さんだけは、民衆とともにあって民衆を救済する存在なので、自ら、北を向くのだ!と言い張るんですね。なので、お地蔵さんだけは、北向きが本筋。でも、そのことを知らないケースが多くて、お地蔵さんも他の仏像と同様、南向けに安置する例が多いんですね。そのせいで、本筋であるはずの北を向いているお地蔵さんがかえって珍しい存在になっていて、ありがたられますね。

松井呉服店の今の店主も、そのことをご存知で、だからここのお地蔵さんはご利益があるのよ〜、と、おっしゃってます(笑)

さてさて、呉服店がお世話しているお地蔵さんなので、お召し物がすごいはず!と、じつは秘かに思っていたのですが、ちょこちょこ着替えてらっしゃるのですね、ここのお地蔵さんは。

松井呉服店のお地蔵さん


ほいでやっぱり、ときどき、すんごい蒔絵の刺繍が施されたお召し物を着ていたりするのを見て、やっぱりな!とひとり悦に入っていたのですが、聞いてみると、いろんな人が、ここのお地蔵さんのお召し物を命名につくって持ってきて、着せていくんだとか。

う〜ん、大阪商人って、やっぱ、世話好き、お地蔵さん好きが多いです。




松井呉服店のお地蔵さん
大阪市北区天神橋5丁目8-19

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絶品の天ぷらと接客の神さま女将がいるお店
ここ1年くらいでJR天満駅の北側、天神橋筋商店街からひとつふたつ東の通りが、えらいことになってきてます。
立ち呑みというか、路面店が増えてきて、ちょっとした立ち呑みの賑わいスポットになってますな。
いち時期、この界隈のお店が軒並み撤退して寂しいことになっていたので、上手いこと再生した感があります。

立ち呑みワインやら、立ち呑み焼肉、立ち呑み炭焼き、立ち呑みおでん…、いろいろ趣向を凝らしたお店が乱立していて、なかなか楽しいです。

景気が悪いからこそこういうお店が増えるんでしょうが、お店も町も栄枯盛衰だし、激しく入れ替わっていくのを目の当たりにしているので、いつまでもつのかなあ、なんて、少し醒めた目で見ているところも、なきにしもあらず。

そんななか、もちろん古くから頑張ってらっしゃるお店もありまして、僕としては、どーしても、そういうお店をひいきにしちゃいます。

入れ替わりの激しいこの界隈では特にそうだけれども、長く続いているお店は、それだけお客さんに必要とされてきたということだし、味だったり価格だったり接客だったり内装だったり、なんかしらのストロング・ポイントがあるということですね。
なので、長く続いている、というだけで、僕は敬意を払います。
昨日今日できた新しいスタイルのお店ももちろん好きだけれども、敬意を払うのは、やっぱ、長く続いているお店。

で、この界隈で、古くから営業されているお店に、「天平」という天ぷら屋さんがあります。天ぷらだけじゃなくて、魚中心の居酒屋さんでもあるのですが、メニューの半分以上は、天ぷら。

天ぷら・季節料理 天平


天ぷらって、それなりのちゃんとした座敷で食べると1万円前後してくると思うんですが、ここは、全然そんなことないです。3人でたらふく飲んで食って、勘定が7,000円と言われたときには、思わず耳を疑いましたです☆

天ぷらだけで、
マツタケ、
フキ、
蓮根、
栗、
キス、
アナゴ、
かき揚げ、

そっから先が思い出せないんですが、これの倍くらいは食べてるかと。もちろん3人で3人前ずつ。さらに飲んで、刺身盛りやらなんやら注文して、その値段だったような…。マツタケはカナダ産ね。

とにかく、安っ!と、叫んだような記憶がありますわ。

ほいで、安かろうマズかろうでは全然なくて、相当美味いです。そもそも、栗の天ぷらなんて、渋皮剥くのが面倒なので、滅多にないですよ。あっても、手間賃がかかるので、高い。
そういうところを、キチンと押さえたうえで、安いです。
フキの天ぷらとか、ビックリするくらい美味いですから☆
魚介を揚げ続けてると天ぷら油が悪くなってきて、ときどき油臭さを感じるような経験をすることがあるけれども、このお店で、そういう経験をしたことは、まずありません。

天満界隈だと、美味いものが安くないと生き残っていけないですが、このお店は、まさにそういうお店ですわ。

老夫婦お二人で切り盛りされていて、最近、とみに感じるんですが、それこそ老夫婦だけで長いこと営業されてるお店って、どういうわけか、ネット上に登場しないことが多いですね。意外な盲点かもしれないけれども、ネットに縁遠い経営者のお店というのは、お客さんがどうであれ、ネット上ではごく少量の情報量しかアップされていないように思います。



天平には、じつはまだまだアピール・ポイントがありまして、それは、ここの女将さん。

僕ねえ、かれこれ5年くらいはこのお店を利用してますけど、閉店時間が早いこともあって、通っているわけではないんですね。むしろ、稀にしか行かない。
最初に行って、次に行ったのが半年後なのですが、それでも、女将さんは、ちゃんと僕の顔を覚えていてくれてました。最初に行ったとき、それほど会話を交わした覚えもないのですが、連れていた人がどういう人で、僕はどんな服を着ていて、と、ちゃーんと、当てずっぽうでもなんでもなくて、覚えてくれていました。もうね、その記憶力にビックリですわ。

カウンター7〜8席、テーブルが5脚くらいだから、30人弱で満席になるお店だけれども、女将さん、伝票をつけてないんですよ。お勘定をお願いすると、女将さんが、こちらの注文したものをすらすらと暗唱していって、横でご主人がソロバンをはじいて計算してはります。
30人で満席になってるときでも、おんなじことをしてはります。なーんで、全席の注文を同時に空で覚えられるのか!
すごすぎます☆
商売人、というか、接客業の神さまみたいな女将さんです。気取りがなくて明るしい、でも押し付けがましくないし。


人の顔と名前が全然覚えられない僕には、来世になってもできそうにもない芸当ですわ。




これは、お昼の天丼。
赤出し、お漬けもんがついて、580円也。

天ぷら・季節料理 天平



もちろん、昼間でもソロバン登場です☆

天ぷら・季節料理 天平






天ぷら・季節料理 天平
大阪市北区天神橋5丁目1-14
tel. 06-6353-4714
11:30-14:30 17:30-21:30
日祝休み

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天5のミヤコ屋、閉店セール→閉店セール延長戦→別の場所でひっそり復活(笑)
ミヤコ屋

おそらく天神橋筋商店街の一番の一等地、寿司激戦区があるところの角ですが、2年まえの10月、その場所で長きにわたって店を構えていた食品雑貨の「ミヤコ屋」が、大往生というか、お店の灯を消したのでした。
関西テレビの街頭インタビューとか、ほとんどこのあたりで毎日やってこともあって、。商店街を代表するお店でしたな。

なんちゅーか、インスタントものから酒から乾物から梅干しとかお菓子とかパンとか、冷凍ものから贈答品、加工品…、まあ、生鮮品以外はなんでもあるんちゃうか!と言わんばかりの品揃えで、しかも安くてですね、重宝してたんですよ。

ベトナム麺のフォーとか、ずいぶんむかしから置いてくれてたしね。
森永プリンミックスなんて、天満のどこを探しても、ここでしか売ってませんから。

ミヤコ屋

ミヤコ屋

ミヤコ屋

ミヤコ屋

ミヤコ屋



店員さんが、オバァばっかりで誰が店主なんかわからんほどで、しかも愛想が悪くてね(笑)
ニコリともしないけれども、でも、話しかけたらちゃんと普通に応対してくれて、なんちゅーか、気持ち悪い笑顔は一切ないお店ですわ。ちなみに、バイトくんは、どいつもこいつも覇気がないです(笑)

そのお店がね、なくなっちゃったのが2年前です。
近くに業務スーパーは2軒もあるし、普通のスーパーだってあるし、そりゃ、売り上げに影響も受けただろうけれども、ここのファンも多かったんだけれどもな。もう、でも、疲れちゃったんだろうな。
これからは、賃貸しして、リタイア生活を楽しむんだろうな。

閉店の日、慌てて行ってみたら、なんと、終戦の年に営業を開始して、操業62年!
古いとは思ってましたが、そこまでだったとは!
でも、むかしは、こういうお店がたくさんありましたよね。
たしか、ダイエーも、こんなかんじのお店からスタートしたんじゃなかったかな。

ミヤコ屋


最後の日には、べつのブログのために写真を撮りにいったんですね。


甘栗 38円
UCCカップコーヒー 105円
パイの実 138円
味ごのみ 88円
カツオだしパック 184円
チキンラーメン3食入り 114円
永谷園お茶漬け海苔 210円
海藻サラダ 100円
トン汁 156円
ママスパゲティ 93円
マルハの中華丼 100円
ゲキレンジャーカレー 74円
しいたけ70g 200円
味付け海苔10枚 79円
おーいお茶350ml 93円
みかん水 79円
レーズンパン 68円
ところてん(黒蜜付き) 63円
缶詰どれでも 84円
ウーロン茶500ml 100園
卵M10個入り 135円
マルサンの豆乳 200円
うめぼし 313円
うめぼし(南高梅) 1029円
つぶれ梅500g 628円
ペプシコーラ 147円
かき餅 105円
えびせん 105円
ミニラーメン5食入り 105円
ヤマザキダブルソフト6枚切り 156円
ヤマザキ食パン新食感6枚切り 124円
ヤマザキドーナツ 82円
マルハのフルーツゼリー 79円
雪印コーヒー1000ml 100円
明治牛乳1000ml 177円
酪農物語1000ml 105円
ポテチのり塩 92円
爽健美茶 177円
黄桃缶詰2個 100円
スープビーフン 79円
ケロッグ玄米フレーク 344円
オールブランチ 328円
ナビスコリッツ(小) 135円
ふわふわせんべい 111円

全部、税込み価格。



で、笑ったのが、めでたく最終日の大円団を迎えた翌日から、閉店セールの延長戦がはじまったことでしたわ(笑)

ミヤコ屋

ミヤコ屋

ミヤコ屋

ミヤコ屋


さすがは大阪の商売人というかなんちゅーか…(笑)


ま、なんにせよ、閉店セールも延長戦も終わり、しばらくして、ミヤコ屋跡地にはミヤコ屋ビルが建ち、ぺ・ヨンジュンをキャラクターに据えた眼鏡市場がオープンし、このあたりの景色もすっかり変わってしまったなあ、と、感慨にふけること2年。。。。

商店街から1本東の路地に、「ミヤコ屋」の看板が!!!
店、復活してますやん!(笑) おいっ!

これ!

ミヤコ屋



えらいこと、ちっこうなったけれども、なんでまた!(笑)
もうたっぷり儲けてビル建てて家賃収入でご隠居やったんやと思ったんですが、余ってる在庫の吐き出しでもやってるんでしょうか?????

謎です(笑)








新・ミヤコ屋
大阪市北区天神橋5丁目-5

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鐘をチン!と鳴らして太鼓をドン!と叩くから、チンドン
今日、天神橋筋の商店街、5丁目あたりを歩いていたら、チンドン集団に出くわしたのでした。
ここ数年、お店の宣伝手段としてチンドンが見直されているのは知っていたのですが、見かけることも多くなってきたし、そのことを実感するようにもなりました。

どこのチンドン? と、聞いてみたら、やっぱり、華乃家ケイさんのところでした。

ケイさんは、大阪のチンドン屋の親方みたいな人でして、今、大阪でチンドンが復活しつつあるのは、これはもう、ひとえにケイさんが頑張ってらっしゃるから。

飲み屋もやってはりましてね。むかしはそこでケイさんの昭和懐メロをカラオケでよく聴いたもんです。今はお店をリニューアルしはって、カラオケは撤去してライブ中心のお店になってます。
サイトもありますです。

チンドンは、原始的な広告手段でして、お店の新装なんかを宣伝するときに、お願いしたりします。
いっとき完全に廃れましたけれども、この10年ほどで復活しまして、その立役者がケイさん。

路上練り歩きで、全編ライブなんで、若いミュージシャンが度胸付けのために、チンドンのバイトすることも増えてきました。

そのむかし、大阪は千日前に「飴勝」という飴売りがいてましてな、そこが、不振の寄せ小屋に頼まれて、口上のおもしろさでお客を惹きつけたんが、ちんどんのはじまり。
鐘をチン!と鳴らして太鼓をドン!と叩くから、チンドンです。

音楽として、表現形態としてのチンドンの魅力は、異形にあるんだと思います。その圧倒的な非日常性や祝祭の香りが、とても素敵です。素敵のみならず、音楽の原点を思い出させてくれるものでもあります。
結婚式や祭に楽団を呼ぶっていうのは、非日常性や祝祭の香りを求めるからでしょ。音楽の、実生活での役割や実効的な要素って、そういうもんです。それを色濃く残しているから、チンドンには魅力があるんですよね。

それと、通信としての役割。

チンドンはそもそもが広告の媒体として成り立ってますから、そこには某かの情報が含まれているわけです。どこそこで歳末大売り出しやってます〜!とかね。

音楽には、そうした通信の役割を担っているものがありましてね。
大むかし、ブルーズがマーチング・バンド形態をとっていたころ、そうやって街中を練り歩いて、「○○の家のオジイが亡くなった〜」とかニュースを触れてまわってたんですよ。トーキング・ブルーズという言葉は、そっから来てます。

沖縄民謡も、そんなかんじですな。

演歌もね、大正時代に成立した壮士演歌は、モロにそれですわ。
関東大震災があって、○○地区は全滅〜、とか、それこそテレビが伝えるニュースを、壮士演歌の歌い手さんが、触れてまわってました。
壮士演歌というのは、もともとは、政治活動や大衆運動をする人たちが、演説するのに節をつけるようになって、そこにバイオリンの伴奏が入るようになって出来たもんです。
だから、演歌というのは、元来は、「演説する歌」というほどの意味で、今のいわゆる演歌は、もともとは艶歌と呼ばれてました。
ま、これ以上話をすると、とめどなく横道に逸れていきそうですが、そういう、通信としての役割を担った音楽はたくさんあって、チンドンもその系譜にある、と。

横道に逸れていくのを承知で話を続けると、チンドン繋がりで、今日は、ソルウフラワーのチンドン別働隊、ソウルフラワー・モノノケ・サミットを聞きながら仕事をしてました。『竹田の子守唄』が入ってるアルバム。

『竹田の子守唄』は、1960年代の終わりに、赤い鳥というフォーク・グループがヒットさせた美しい歌です。しかし、奇妙なことに、歌の出身が被差別部落であるがゆえに、また歌にそのような内容が織り込められているがゆえに、放送などのメディアでは疎外されてきたという歴史を持っています。

70年代初頭、『竹田の子守唄』、はギターを抱えた青年たちがよく取り上げた歌でした。と同時に、『イムジン河』や『チューリップのアップリケ』などとおなじように、公然とうたってはいけない歌だという風評も、ありました。
全国的にヒットした歌が表舞台では消え、しかし広く根強く一般の人たちは覚えている。『竹田の子守唄』は、そのような、一種独特のシコリを抱えながら現在にまで至っています。

いわゆる、放送禁止歌ですね。
放送禁止歌について、少し書いてみます。

ソウルフラワー・モノノケ・サミットが歌っている『復興節』がそうです。
『復興節』は、もともとが関東大震災のときにつくられた歌です。作詞は、演歌師として有名な添田唖蝉坊(そえだ・あぜんぼう)の息子の添田さつき。メロディは中国の『沙窓』という曲をもじったものです。家なんか焼けちまっても、オレたち江戸っ子の気持ちは塞いじゃいないぜ!という、なかなか勇ましくて感動的な歌ですわ。
これを、ソウルフラワー・モノノケ・サミットが、阪神大震災の直後に蘇らせました。
添田さつきのオリジナルから、リーダーの中川クンがつくった阪神淡路復興へのメッセージへと歌い繋がれるのが、新しい『復興節』の素敵なところです。
この曲が入ったCDは、今、リスペクト・レコードという独立系のレコード会社から出ています。しかし、本来、この歌は、大手のレコード会社から出る予定でした。
中川クンによると、はっきりとレコード会社から言われたわけではないが、やめてくれ、らしきお声がかかって、結局出すことが出来なかったらしい、とのこと。
「東京の永田にゃ金がある、神戸の長田にゃ唄がある〜♪」という部分が問題らしいですね。それと、「ナガタ ちんどん エーゾエーゾ」、このあたりもダメらしいのです。
震災でも一番に深刻な被害を受けた地域のひとつである長田には、被差別部落があったり、たくさんの在日コリアンが住んでます。そういう地域が歌い込まれている歌は、平たくいえば、どんな抗議を受けるかわからないから発売したくない、というのがレコード会社の本音ですね。
歌のラストには、「阪神復興 エーゾエーゾ 淡路復興 エーゾエーゾ 日本解散 エーゾエーゾ」とあります。
僕には、まったくそのとおりの立派な歌だと思えるのですが、これもマズい部分に触れているらしいです。
ただ、どこがどのように悪いのかは、はっきりと指摘さることはない。
そして結果として、歌を評価してくれた小さなレコード会社からCDが出ました。この歌が入ったアルバムは、思いのほか、よく売れましたね。評価も高く、あたりまえのことですが、抗議など一切来てないとのこと。

この、『復興節』のゴタゴタは、『竹田の子守唄』の背景とも密接につながっています。
『竹田の子守唄』は、かつて日本三大民謡のひとつとまでいわれた歌です。それが、次第に放送では流れなくなった。やめておいたほうがいいよという状態になっていきました。
歌の出身地が被差別部落であったからです。
言論・表現の規制というのは、初めから目に見えるかたちで、暴力的に、やめろ!などとはなりません。もっと巧妙ですよ。
この歌は市場に出さないほうがいいみたいだとか、歌わないほうがいいみたいだとか、本心を明らかにせずに遠まわしにゆっくりと締めあげていく。歌は徐々に隅のほうにおいやられていく。その典型が、『復興節』であったり、『竹田の子守唄』であったりします。

さらに、放送禁止扱いを受けた歌をもう少し。
今ではエア・プレイ出来るようになってきましたが、『ヨイトマケの唄』がそうです。
美輪明宏、当時は丸山明宏と名乗ってましたが、その美輪明宏が1960年代に歌っていた歌です。胸に迫る、すごい歌です。
ヨイトマケというのは、建築現場で地ならしをするための重労働、あるいはその人、掛け声をいい、多くは女性が従事する仕事、のことです。
肉体労働を厭うことのなかったお母さんの歌ですね。
ヨイトマケのお母さんが自分を育ててくれた、自分が今あるのはヨイトマケをやってくれたお母さんのおかげだという素晴らしい歌なんですが、そういう職種の人たちを歌っているからダメだと、放送ではかからなくなりました。
僕には、それがなぜダメなのかまったく理解出来ないのですが、しかし、自主規制というか、組織として、やめておいたほうがいいようだ、という、暗黙の規約にひっかかった代表的な曲です。
「父ちゃんのためなら、エンヤコーラ、母ちゃんのためなら、エンヤコーラ〜♪」ではじまるこの歌を、40代より上の方であれば、一度は聴かれたことがあるかと思います。美輪明宏はシャンソンの人ですね。シャンソンは、日本では、おフランス趣味みたいに成金を競いあうような音楽だと思われがちですが、本来は、大衆の苦しみや笑いをストレートに描き出す音楽です。美輪明宏はホンモノのシャンソン歌手なので、『ヨイトマケの唄』が書けて、今でも歌っている、というわけです。

『ヨイトマケの唄』では、土方、という言葉が問題になるらしいんですね。
でも、この歌は、土方を卑下しているのではない。誇らしいものとして描いているんですね。額に汗して働く土方の姿は、どこも悪くないはずです。でも、土方とは汚らしい呼びかただとか、働いている人から抗議が来るんではないかという身勝手な思惑が、じゃあやめといたほうがいいな、という判断につながるらしい。『復興節』や『竹田の子守唄』とおなじですね。
『ヨイトマケの唄』というのは、日本を代表する60年代の大名曲だと思うのですが、これも放送という舞台から消されていく歌となりました。最近、ようやく放送でもかかるようになりつつありますが。

60年代は、政治の季節でもありました。
フォーク・ミュージックがその代表的ですが、大衆のための音楽を、ときに政治的に、前向きに意識的に歌っていこうという時代でした。
体制側と、学生たちなり活動家なりが、厳しく対立しました。後者の立場にあった多くのシンガーたちは、自分たちには、それまでの規制や常識を取り壊して歌うべきだ!と、主張しはじめます。当然のように体制側との衝突が起きます。60年代に、いわゆる放送禁止歌がずいぶんと現れたのは、こういう時代背景も無視するわけにはいきません。

美輪明宏の『ヨイトマケの唄』の少しあとに、岡林信康の作品である『手紙』と『チューリップのアップリケ』も放送禁止になりました。 
どちらも、ある程度の年代の方であったらご存知だと思いますけが、部落差別をテーマとした歌です。
『手紙』は、深い仲となった「みつるさん」と「私」が結婚の約束をし、「みつるさん」はおじいさんから店を譲られることになります。でも、妻となる「私」が部落の娘であったことがわかり、「みつるさん」は店を継ぐことが出来なくなった。だから「私」は、身を引きます。
という歌。
岡林信康というミュージシャンは、デビュー当時から、わかりやすいメロディと歌詞で歌をつくるのが、じつに上手な人でした。団結歌『友よ』などは、その代表例です。
しんみりと歌われる『手紙』にも、彼の個性がよく出ていると思います。
『手紙』の歌詞は、部落の女性が差別と直面し、身を引いてしまう歌です。この点については、解放運動を進める側から批判された歌でもありました。歌は、歌詞の内容を追うだけでは理解出来ないはずなのですが、それよりも先に、歴史的に意義ある歌にちゃんとスポットライトが当たるようにしてから、批判なり評価なりをすべきでしょう。部落の結婚問題にしても未だに解決しているとは言いがたいので、『手紙』の文面は、今も生きているはずです。

もうひとつだけ。
『涙の王将』という、語りものがあります。
河内音頭の五月家一若という、今、一番上手い音頭取りのひとりですが、その一若が1997年に発表した音曲です。
『涙の王将』は、将棋の天才と言われた坂田三吉をテーマにしています。
通天閣の下の貧しい長屋で育って、無学で、将棋しか頭にない男。かつて北條秀司という高名な劇作家が、『王将』という物語のなかで、坂田三吉をこのように描きました。北條秀司の『王将』は、新国劇の舞台にはじまり、同名の映画シリーズになり、村田英雄も歌にし、これらのことごとくが大当たりとなりました。一若の『涙の王将』は、こういった一連の「王将もの」の最新作です。
しかし、この、『涙の王将』は、これまでに知られてきた「王将もの」とは、ずいぶんと違います。生まれからして違う。なにしろ、堺なので。

 坂田三吉 生まれた家は傾く軒の屋根瓦
 四畳一間の板敷に子共6人枕を並べ
 眠る夜さ夜さ母親は
 草履おもての手内職
 喰わんがための夜なべする

坂田三吉は、1870年、堺の、かつて舳松と呼ばれていた村に生まれます。
将棋が好きで、近所の賭け将棋で負け知らずの存在になって、それだけに留まらず棋界へ乗り込み、自力で天才棋士という栄誉を勝ち取った人物です。
『涙の王将』のなかの坂田三吉は、学校へはほとんど行けなかったかもしれないが、苦悩しながらも将棋だけで人の道を切り開いた人物であると語られます。
北條秀司が描いた新国劇の『坂田三吉』も素晴らしいのですが、もはや時代が違います。史実を改めて調査し直し、実像を捻じ曲げないで語られる新しい物語、その典型的な一例が、『涙の王将』です。

河内音頭では、「王将もの」は、かつてから語られてきました。
鉄砲光三郎という、昭和30年代に大変な人気だった音頭取りも『王将物語』をやってます。
鉄砲さんの名唱でもある『王将物語』は、おそらく1960年代初頭の録音だと思うのですが、当時の全国区的な人気者としては、ある意味で画期的な内容を盛り込んでいます。
坂田三吉は、宿敵であり一生の友でもある関東の関根金次郎が日本一となった祝いの席で、彼は草履の鼻緒を贈るのです。自分で編んできた鼻緒を、おめでとうございます!と、手わたす。鉄砲光三郎の声も、このシーンでは特に燃え上がっています。
坂田三吉は、堺の被差別部落の出身です。それを暗示するのが鼻緒なのです。草履おもてなどの仕事の多くは、部落の人たちが担ったものでした。
部落、といった言葉は使ってはいないものの、わかる人にはわかる、わかってもらいたいというメッセージが、鉄砲光三郎の熱唱に出ているのです。
ヒトはカネじゃない、心だ、と考える坂田三吉が、自分が出来うるかぎりの心づくしを畏友である関根金次郎へ贈ろうとしたとき、そこには彼のこれまでの人生が映し出されます。もちろん部落民であることも。
『王将物語』を書き下ろした鉄砲光三郎は、坂田三吉を単なる将棋の上手な男ではなく、差別をも乗り越えて将棋に生きようとした男として描こうとしています。だからこそ、鼻緒が必要だった。

しかし、『ヨイトマケの唄』が土方をテーマとしているというだけで放送されないのが、日本です。『王将物語』を録音した60年代初め頃のことを考えると、発売禁止、放送禁止のギリギリ手前を鉄砲光三郎は狙ったのだろうなと思います。
五月家一若の『涙の王将』は、そういった事実を踏まえながら、物語を編みなおしているわけです。
『涙の王将』には、故郷へ帰ってきた老境の主人公に向かって、幼なじみが、あなたは私たちの星である、輝き続けてほしい、そして一緒に闘おうではないか、と、挫けそうになっている坂田三吉に勇気を与えるシーンも出てきます。
河内音頭は、河内家菊水丸が今もやっているように、もともとは新聞詠み(しんもんよみ)とも呼ばれていました。つまり新聞でありジャーナリスティックな批判精神を備えた音曲です。だから、歴史的にいろいろなメッセージを盛り込んできたという特色があります。


話を、竹田の子守唄に戻します。
『竹田の子守唄』は、非常にヒットしながら、ヒットしたのちにラジオ、テレビでかからなくなったという、不思議な名曲です。
赤い鳥が歌う『竹田の子守唄』は、こんな歌詞です

 守りもいやがる 盆から先にゃ
 雪もちらつくし 子も泣くし

 盆がきたとて なに嬉しかろ
 帷子はなし 帯はなし

 この子よう泣く 守りをばいじる
 守りも一日 やせるやら

 はよも行きたや この在所こえて
 むこうに見えるは 親の家

京都に、竹田という地区があります。その竹田のなかに被差別部落があります。
『竹田の子守唄』は、そこに生まれた子守唄です。
正しくは、守り子唄ですね。子守りをする子どもが赤ちゃんを抱きながら、あるいは背負いながら歌っていた歌。これが、いわゆる原曲です。
竹田の守り子唄が、村を出ることになったのは、次のようなことがきっかけでした。
関西を中心に活躍されているクラシックの作曲家で尾上和彦(当時は、多泉和人)が、青年時代、うたごえ運動が盛んだった60年代に、竹田地区の隣保館へ合唱団を連れ出かけました。そこで知り合ったのが地域の「はだしの子グループ」という一団で、尾上和彦は彼らと一緒に地域の歌をつくろうということになりました。
彼はこの交流のなかから、竹田に伝わる古い歌をよく知っている女性と知り合いになります。彼女は「はだしの子グループ」のメンバーのお母さんでした。
彼女はたくさんの歌を尾上和彦に教え、そのなかのひとつが、『竹田の子守唄』だったのです。
尾上和彦はすぐにテープを家に持ち帰って、一晩で楽譜に移し変えました。
当時の尾上和彦は、『橋のない川』という東京芸術座の舞台の音楽の依頼を受けており、すぐに『竹田の子守唄』を舞台に上げます。舞台のための音楽なので、メロディだけ。これが、この歌が村を出た第一歩です。
そしてその後、尾上和彦は、件のお母さんにもうたごえ運動のサークルに入ってもらい、歌ってもらいました。
これを聴いたフォーク・シンガーの大塚孝彦が高田恭子と一緒に歌いはじめます。さらに、この2人の歌を聴いた赤い鳥のメンバーが、素晴らしい歌だからと、自分たちのレパートリーにも加えました。
そして、赤い鳥の『竹田の子守唄』が入ったシングル盤は1969年に出て、大ヒットになったわけです。

『竹田の子守唄』は、ヒットするにつれて、歌のルーツがそれなりに知られるようにもなっていきました。
たとえば、在所、という言葉が出てきます。在所とは、京都地方では被差別部落を指します。
『竹田の子守唄』は、『復興節』や『ヨイトマケの唄』とおなじように、歌の出身が京都の被差別部落の歌らしいぞというところから、テレビ・ラジオでは流さないほうがいいみたいだと、そういうような風潮になっていきました。人間を貶めるような歌ならいざ知らず、『竹田の子守唄』は、差別を告発する歌でもあるのにもかかわらず。

ところで、『竹田の子守唄』には、もうひとつあります。
いわゆる原曲のひとつなのですが、これは、かつて件のお母さんが尾上和彦のために披露した歌とは、違うものです。
明治から大正、昭和の初めにかけて、守り子に出された少女は、竹田にかぎらずたくさんいました。彼女たちは、それぞれが『〜の子守唄』の作者だったわけです。
そんな、生き証人のひとりの肉声を録音したものが、存在していたのですね。
その曲は、赤い鳥の『竹田の子守唄』とはずいぶん違います。
歌詞は、こんなのです。

 こんな泣くぅ子よ 守りしぇと言うたか
 泣かぬ子でさい(さえ) 守りゃいやにゃ
 どうしたいこーりゃ きーこえたーか

 この子よう泣く 守りをばいじる
 守りは一日 やせるやら
 どうしたいこーりゃ きーこえたーか

 来いや来いやと 小間物売りに
 来たら見もする 買いもする
 どうしたいこーりゃ きーこえたーか
 寺の坊んさん 根性が悪い
 守り子いなして 門しめる
 どうしたいこーりゃ きーこえたーか

 久世の大根飯 吉祥の菜飯
 またも竹田のもん葉飯
 どうしたいこーりゃ きーこえたーか

 盆がきたぁかて 正月がきぃたて
 なんぎな親もちゃ うれしない
 どうしたいこーりゃ きーこえたーか

特に、赤い鳥の歌には出てこない「どうしたいこーりゃ、きーこえたーか」というフレーズは、なかなか説得力溢れる文句です。彼女たちは赤ん坊を背負ってますから、このくだりは、赤子の顔でも見ながら、私のメッセージが聞こえたか?というようにも受け取れるし、あるいは、当て歌というのか、守り子をさせる主に向かって、ツラ憎い!私をこんなふうにこの寒空で!と、訴えているようにも聞こえます。

これが竹田に伝わる元歌です。
かつての守り子唄なり、その周辺の歌というのはずいぶんリアリティのある歌が多いです。そして、悲しいことも、楽しいことも、怒っていることも、即興的にどんどん歌のなかへ盛り込んでいきました。
現在のような、歌といえばCDとかテレビの音楽番組、あるいはカラオケのように、メディアが発信している情報を享受するのが大半という生活と、かつての生活の現場とは、おなじ歌といっても、まるで違うのです。
「寺の坊んさん、根性が悪い、守り子いなして、門しめる〜♪」という文句が出てきますが、これもリアリティのある内容です。
この歌の主であるオバァは、
「子ども、背中で泣くやろ、泣いたらやっぱしぬくいとこへ連れていて、ほんでお寺のとこへ連れていて、手をこうやってゆすくって寝やそ思てお寺のかどへ遊びに行くね。そしたら、お寺のぼんさんが怒ってお寺の門閉めてしまうね。それを歌にしたんや」
と。
机の上で想像で書いた歌ではなくて、本当に現実として自らが体験したものを少女が歌にしているわけですね。若くちっちゃい女の子がこれをつくっているんです。こんな歌をつくり、歌ったのが、明治、大正の若い小さな子どもたちだったということです。

そういうふうにイメージを膨らませてみると、『竹田の子守唄』は、一見、寂しい歌のようでいて、ずいぶん違う景色が見えてきます。
たしかに、赤い鳥の『竹田の子守唄』にしても、風景は寒々としています。でもそれを歌うという行為は、凍えてしまいたい、死にたいと訴えることと、おなじではないですね。
寒空に向かって声を出すことで、身体にエネルギーを復活させる、あるいは、笑ってしまうやん!みたいな皮肉めいた力、密かに、バカヤロウ!と叫ぶエネルギー、そういうようなものも裏に秘めているからこそ、歌となります。
オレは自殺したい!といった曲を歌うロック・バンドがたまにいます。これを言葉どおりに捉えることはナンセンスなんです。歌を歌うという行為は、オレは生きたい!という感情の発露でしかないですから。
こんな状況を打ち破ってオレは生きたい、私は生を求めている、という心の叫びが、歌の原点ですから。




などと、たまたま天神橋筋の商店街でチンドンと遭遇したばっかりに、こんなところにまで考えを巡らせてしまいました(笑) 最後までご覧いただいた方、ありがとさん☆

そして、チンドンの写真は…、そのとき、たまたまデジカメを持ってなかったので、ないのでした。あしからず〜。




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