大阪市の北区をグルグル巡るブログ | 大阪市の北区メインでいろいろ仕事をしてます。仕事場も住んでるところも大阪市北区なので、北区をグルグル巡って、目にしたもん耳にしたもん感じたもんを、つらつらと書いています。

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なぜか風俗店に愛されている天満の大神宮(夕日の神明)
天満の大神宮(夕日の神明)


天照大神を祀る神社を神明社といいますが、大阪には、かつて、天満の大神宮(夕日の神明)、神崎町の大神宮(朝日の神明)、平野の神明宮(日中の神明)の3社がありまして、天満大神宮が夕日の神明と呼ばれるのは、社殿が西を向いていたからなのでした。

ということは、話としては知っていたのだけれども、具体的な場所を調べたこともなく、たまたまチャリを走らせていたら、曽根崎でそれらしきものを見つけて、これか!と。

曽根崎1丁目町会さんが熱心にお世話されているようで、きわめていいかんじで保存されてます。
ただ、石の柵のところに刻まれた寄付された方々のお名前を眺めていると、風俗店ばっかりで、ちょっと笑ってしまいました(笑)

天満の大神宮(夕日の神明)


老舗の風俗店ばっかりですやん(笑)

このお宮さん、太融寺で有名な、というよりも、源氏物語の主人公である光源氏のモデルといったほうが通りがいい、左大臣・源融によって821年(弘仁12年)に建てられてるんで、やっぱ、風俗店には人気があるんですかね? 

源融の勧請で建てられはしたけれども、活躍したのは鎌倉時代直前の源平合戦の頃のことで、源義経が平氏を追って西国に向かうとき、風波の平穏を祈ったのが、この神社だった、ということらしいです。

その後、後醍醐天皇の勅願所となり、広大な土地を与えられて大社となり、それこそ、東京の芝神明宮、金沢神明宮、京都の松原神明宮などとともに、日本の七神明宮のひとつに数えられるほどで、室町の終わりの南北朝時代には戦災で半焼し衰退したものの、やっぱ、由緒正しいということで、大坂城代や東西町奉行が交代するときには必ず参拝した記録もあります。

曽根崎村、北野村、老松にわたっていたので、「北野の神明」「曽根崎の神明」「天満の神明」とさまざまに呼ばれていたものの、前述した室町末期の戦災、1834年(享保5年)の火災で、焼失し、そっからは衰退の一途を辿ったみたいです。

で、1907年(明治40年)には、お初天神に合祀され、現在も、お初天神の境外社として登録されとりますな。

ただ、現在の社には、でっかい碑が祀られていて、この碑の迫力から、往時の凄さを窺い知ることはできます。

天満の大神宮(夕日の神明)

天満の大神宮(夕日の神明)





天満の大神宮(夕日の神明)
大阪市北区曽根崎1-6

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金本アニキ、店出してる場合ですか!
金本知憲プロデュース 鉄人の店

金本知憲プロデュース 鉄人の店



お初天神通りのドン突き、マクドを左に曲がったところに、阪神タイガースの金本アニキがプロデュースしたという鉄板焼きの店がオープンしてますな。工事中のときにチラと見て、オープンの日もそのときに確認したんですが、すっかり忘れていて、ニュースで気づかされました(笑)
10/29にオープンしてます。

店名も、ずばり、「金本知憲プロデュース 鉄人の店」。

金本自身が内装からメニューまで監修しているのがウリのお店みたいです。
サイトもありますわ。

http://tetsujinnomise.jp/

監修にしろプロデュースにしろ、どの程度までタッチしているのか知らないですけど、今年の金本は成績がさんざんだったんで、ちょっとタイミングが悪かったような…。。。

そりゃ金本が阪神タイガースに与えた影響や、彼がチームにもたらす有形無形の財産は計り知れないもんがあるのは承知してますが、今年は、開幕数試合でド派手な打ち上げ花火を打ち上げたきりで、シーズン終わってみれば打率.261、21本塁打、91打点ですからね。しかも、CS出場をかけて臨んだ最後の対スワローズ2連戦は8打数1安打の打点0ですからね。
連続フルイニング試合出場が足枷になっているとしか思えんのですが、誰も彼をラインナップから外せない状況になっちゃってるし、それでいて、年俸は球界最高額の5億5,000万円ですからね。

そこへ、一般店開業。タイミング、マジで悪すぎですわ〜。

広島でもビルをたくさん持ってるっていうし、副業が盛んと思われても仕方がないっしょ。

さて、お店のほうですが、年内は予約が殺到しまくってるらしいのですが、まずはHPをチェック。

「日本を元気に!」
が、お店のコンセプトというかキャッチフレーズみたいですが、日本よりも来年の金本こそ元気にやってほしいもんです!と、きっと、大阪中の虎キチがツッコミを入れてるかと(笑)

メニューを見てみると、野球選手らしいカロリー高めのメニューがズラッと並んでるんですが、予想通り、どのメニューも、相場より1割増くらいの価格。
有名人プロデュースのお店って、どっこも値段がちょい高の印象があって、結局のところ、話のネタに1回行って終わり〜、ってかんじです。

ま、僕も、気が向けば1回くらいは行ってみるかも、くらいのかんじです。






金本知憲プロデュース 鉄人の店
大阪市北区曽根崎2-8-12 サンプラザ曽根崎1階~3階
tel. 06-4709-0006
月-土 / 17:00-翌5:00
日・祝 / 17:00-24:00
無休
HP http://tetsujinnomise.jp/


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お初天神通り商店街がHPでお初天神を舞台にした恋愛小説を募集して発表している件について
曾根崎お初天神通り商店街


梅田のお初天神から北側、東通り商店街に至るまでの通りに、曾根崎お初天神通り商店街があります。

個人的には、お多福さんみたいな顔したオバちゃんと、なぜかフランス料理あがりコックさんらしくビシッとコックさんのユニフォームを着こなすご主人が切り盛りしている、ホルモン屋さんに、たまに行きます。

予約しようがしまいが、ぎゅうぎゅうに席に押し込んでしまう荒技はともかくとして、てっちゃんが美味くて…。

鉄板に、あらかじめ下味をつけてあるてっちゃんを並べて、10分くらい焼かんとあかんのですが、焼きかたにいろいろとシキタリがあって、ちょいちょい引っくり返すときに、おなじところに置いたらあかんのです。火力が鉄板に均等に行きわたるわけではないので、引っくり返すときに位置を変えて、まんべんなく焼いてくれ、と。むかし懐かしの、おかきを焼く要領ですわ。

亡くなったお好み焼きの菊水の名物オヤジさんほどじゃないけど、ここのオヤジさんも、まあまあうるさいです。あーしろこーしろ、と、いちいち焼きかたに注文が入るし、ちゃんと焼いてるかどうか、かーなりシビアに目を光らせてます。

でも、美味いし、カルピなんかステーキみたいなでっかいのが出てくるし、焼きかた注文というかお客さんとの絡みかたも、ここのオヤジさんの場合、僕はなぜか相性がよくて、イヤな気分になったことはありません。個人差は思いっきりあると思うけれども、僕は大丈夫。

えーっと、そういえば店の名前を書いてなかったですが、この店を紹介するエントリーじゃなかったので、そこ、割愛します(笑) またいつか、ちゃんと紹介する機会があると思うんで。


そういう、ちょっとクセがあるけれども、それを差っ引いても行かねばならんお店がぎょうさんあるのが、曾根崎お初天神通りの商店街やと思うのですね。東通りもむかしは好きでしたが、あそこは、今、チェーン店にやられすぎです。色のあるお店がどんどん減っていってる気がしますわ。

その曾根崎お初天神通りの商店街のお店でつくってる団体は、曾根崎お初天神通り商店会なのですが、そこが、商店街のホームページをつくってはります。

http://www.ohatendori.com/

このブログの右側にもずらずらと並べてますが、大阪市の北区にある商店街で、ホームページを開設して自前で情報発信してるところがいくつかあります。

でも、どこも判で押したように、お役所の広報で使うようなひたすら爽やかなイラストをちりばめて、商店街にあるお店の紹介と、アクセスと、あとはなにかイベントがあればそれの紹介と、そんなもんですね。

もちょっとおもしろくすればいいのに、と、いつも思います。

そのホームページを見る人にとって有益な情報、たとえばクーポンのような金銭的に有益なものだけじゃなくて、見てよかった!ちょっと得した気分!これは行ってみんとアカンな!と思わせるような、そういうなにかを発信していかないと、ただ、型通りのホームページをつくりました、では、ちとさびしい。さびしいし、費用対効果がよろしくないです。

つくり手が発信したい情報と受け手が手に入れたい情報がね、乖離しちゃってます。そこのマッチングを、ちょっとだけでも考えたら、どこの商店街のホームページも、もっともっと素敵なものになると思うんですけどね。

商店会の会費を使ったり、特別会計を切り崩したり、役所に事業申請してホームページをつくる費用の半分を助成金でまかなったり、お金の出所はさまざまでしょうが、会費であれ助成金であれ、元をただせば自分たちのお金なので、もちょっとね、費用対効果を考えて事業を展開すると、かなり違ってくると思います。

で、お初天神通りの商店街のホームページなのですが、歴史的モニュメントのお初天神を抱えているだけあって、それをサイト運営の経営資源の中核に据えて、最大限に活用してますな。

お初天神にまつわる歴史的なストーリーは誰でも考えつくでしょうが、おもしろいのは、お初天神を舞台にした恋愛小説を募集して、それをホームページにアップしてるところです。

だいたいが、お初天神自体、もともとの名称は「露天神社」やし、それこそお初と徳兵衛の悲恋物語を近松門左衛門が「曾根崎心中」に仕立て上げた瞬間から「お初天神」のサブネームがついて、今や、サブネームのほうが通りがいいくらいですから、恋愛小説の舞台としてはうってつけですわな。

なので、そこを舞台にした恋愛小説を公募するというのは、なかなかいいアイデアやと思います。
ケータイ小説やらライトノベルやらの世界だと、ほぼ100%恋愛小説やし、書き手は、思ってるほど少なくないと思いますよ。

この企画、まだはじまったばっかりで、最初は小説家ではないけれどもプロのライターさんが挑戦されてはりますが、上手いこといけば、そっからヒット作が生まれて、先々では「お初天神文学賞」なんてものができる日が来るかもしれません。

大阪文化を担う人材を対象とした賞としては、大阪市が「咲くやこの花賞」を主催してます。文芸部門やと、若い書き手の柴崎友香が「その街は今」で受賞してますが、この素晴らしい小説は舞台が大阪のミナミに限定されていて、僕の住むキタではない点が惜しい!(笑)

でも、お初天神を舞台にしたら、必然的に北区が舞台になってきますから、先々で、「お初天神文学賞」なんてのができたらいいなあ、と、思うのです。
それに、「咲くやこの花賞」って、なんか、園芸関係の賞と勘違いされそうなネーミングで、ひそかにプロフィールの受賞歴から削除している作家を、僕は知ってます(笑)




曾根崎お初天神通り商店街
北区曽根崎2-5から2-15近辺

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キタはお初天神からはじまった
露天神社(お初天神)



大阪には、キタとミナミという呼称があります。

北区はもちろんキタと重なるのですが、北区も狭いようで広いようで、たとえば南森町や長柄周辺は、北区ではあっても、キタの範疇には入らんと思うのですよ。

じゃ、どっからどこまでがキタなのかという疑問にぶちあたるわけで、ならば、と、大阪の歴史を語らせればこの人をおいて他に並ぶ人はいない宮本又次センセ著作をあたってみたのでした。

すると、

キタは行政区画ではなくセンスの問題である、と(笑)
オイ! それはアリなのですか?(笑) 禅問答をやってるんじゃないんだから。。

ただ、この禅問答のような回答に続いて、

時代的な移り行きがあって、江戸時代の北、明治の北、昭和の北、そして戦後の北、堂島新地より曽根崎新地へ、そして梅田界隈へ、無限にひろがり、無定形の定形ともいえる形で北へ少しずつ移っていることは事実だ。だがキタはがやっぱりもとの北の新地と曾根崎村(新地ではない)にその焦点があることは動かせない。

と、あります。

どうやら、キタの中心は、阪急梅田駅周辺が現在だとすると、もともとは、も少し南にあったようです。

年表を繰ってみます。


昭和44年(1969) 阪急三番街開業。
昭和42年(1967) 地下鉄「東梅田」駅開業。
昭和40年(1965) 地下鉄「西梅田」駅開業。
昭和38年(1963) 「ウメダ地下センター」が開業。

この「ウメチカ」は、開業10年で東洋一と称される地下街になったといいますから、この時分に、キタは、大阪一の繁華街になったのかもしれません。それまでは、どう考えても、ミナミこそが、大阪の中心地だったように思います。

も少し遡っていくと、

昭和8年(1933) 地下鉄梅田駅開業。
昭和4年(1929) 阪急百貨店開業。
明治38年(1905) 阪急電鉄「梅田」駅開業。
明治34年(1901) 国鉄「梅田」駅(のちに「大阪」駅に改称)改築。

とありますから、明治の終盤から大正、昭和の初期に、現在のキタの中心地である阪急エリアの基盤ができはじめています。

ちなみに、その間には、「北の大火」と呼ばれる、現在の北区から福島に至る一帯を猛火が町を舐め尽くした大火事がありました。一昼夜燃え続けて、11,365戸を焼失させ、そのせいで曾根崎川が埋め立てられたといいます。これが、明治42年(1909)のこと。


ぐんぐん時代を遡ります。

明治30年(1897) 江戸時代からの西成郡曾根崎村付近一帯が、大阪市に編入される。このとき、梅田町、北梅田町、東梅田町、西梅田町、曾根崎上、曾根崎中などの町名ができました。

明治20年(1887) 江戸時代を通じて存在していた梅田墓地が、付近の開発によって消失し、各所に移転されます。今、阪急三番街紀伊国屋書店横の北向地蔵は、梅田墓地の名残ですな。

明治7年(1874) 西成郡曾根崎村に「梅田」駅ができます。これが初代梅田駅で、現在の大阪駅の西側、中央郵便局の位置にありました。

宝永元年(1704) 曽根崎新地が公許となる。それをきっかけに、茶屋、風呂屋などの営業が盛んになる。

年表を繰ってみると、曾根崎の発展は、どうやらこの頃ではないか、ということが、朧げながら、見えてきます。

前年の出来事を見ると、蒙昧だった視界は、一気にクリアになります。
やっぱ、このへんが、キタ隆盛の発端家と。

元禄16年(1703) 露天神社(お初天神)の森で、堂島新地の遊女お初と醤油屋の手代徳兵衛が心中し、近松門左衛門の「曾根崎心中」が生まれました。

浄瑠璃の世界では、こうした人情沙汰ものを扱ったものはなく、これが大ヒットしたんですな。で、その舞台となった露天神社は、いつしかお初天神と呼ばれるようになり、今では、露天神社の名前よりも、お初天神の名のほうが、全然通りがいいですね。

露天神社(お初天神)




念のために、年表をもっと遡ってみます。


貞享年間(1684〜) 曾根崎村の低地を埋め立てて、墓地とする。
これが、埋田(梅田)の墓地、または、曾根崎の墓地と呼ばれるものです。

元和8年(1622)には、大阪夏の陣で焼失した露天神社の社殿が再建。
以来、曾根崎村の鎮守となって、今に至っています。

曽根崎一帯は、もともと原野だったところを、室町時代に、渡辺氏(何者?)が開発した、とあります。

そのむかし、大阪の大半は海だったのだけれども、曾根崎は、曾根洲といわれた孤島で、この洲に小さな祠が建てられ、平安時代、その祠のもとで、天皇即位後の儀礼が行なわれていたといいます。
その祠こそが、現在の露天神社のルーツなんだそうです。


こうやって通史を眺めてみると、キタのルーツは、お初天神だったんだなあ、ということが、わかります。


お初天神は、ご存知の通り、飲食ビルやらオフィスビルが建ち並ぶなかに、そこだけは真空地帯であるかのようにして、彼の地にあります。
ミナミにある生国魂神社もそうですが、周辺には風俗産業関係の建物も多く、ここに来るたび、日本古来の宗教って、聖俗一体で渾然となって、それで成り立ってるんだなあ、と、いつも思うのです。

北側の入口は両サイドの際までビルが迫ってます。

露天神社(お初天神)




そうそう、露天神社は、つゆのてんじんしゃ、と、読みます。







露天神社(お初天神)
北区曽根崎2-5-4
公式サイト→http://www.tuyutenjin.com/

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