大阪市の北区をグルグル巡るブログ | 大阪市の北区メインでいろいろ仕事をしてます。仕事場も住んでるところも大阪市北区なので、北区をグルグル巡って、目にしたもん耳にしたもん感じたもんを、つらつらと書いています。

大阪市の北区をグルグル巡るブログ
大阪市の北区をグルグル巡るブログ
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています


宇宙戦艦ヤマト、茶屋町に出現☆
ゴリモンさんのブログ「ゴリモンな日々」を見て、しまった!と思いました。
盆踊り、地蔵尊の追っかけにかまけて、宇宙戦艦ヤマトが大阪に来てるとは、完全にノーマークでした。。。


実写版「宇宙戦艦ヤマト」のプロモーションで、こないだまで阪急梅田のBIGMAN前に展示されていて、8/23〜8/27までは、茶屋町の毎日放送1Fで展示されてます。

僕が行ってきたのは、毎日放送のほう。


早速、古代進がお出迎えです(笑)
快く撮影に応じてくれて、かつ顔出しオッケーの快諾もいただいたけれども、あなたはいったい誰だ?(笑)

宇宙戦艦ヤマト


そして、なかに入ってみると、じゃーん! ヤマトです☆

宇宙戦艦ヤマト


正面から眺めると、かっこいい☆
波動砲が発車される寸前です。

宇宙戦艦ヤマト



甲板はこんなかんじ。
主砲はまだ取りつけられていないのかな。

宇宙戦艦ヤマト


僕は、年代的に、エヴァにもガンダムにもまったく思い入れがなく、やっぱ、ヤマトや銀河鉄道999などの松本アニメに思い入れてしまいます。

まあ、ヤマトの場合は、映画の製作の実権を握っていた連中が、戦争と戦闘にロマンを求める軍事オタク、軍人フェチみたいなもんだから、冷静に考えるとキライなんですが、なーんかね、抗えない魅力があるんですよね。幼少のころに刷り込まれたものがデカいんだろうな、きっと(笑)


さて、映画の公式サイトでキャスティングを見てみると、敵方、ガミラスの一群のキャスティングが発表されていないようです。僕の好きなドメル将軍は、誰がやるんだろうか?

個人的には、市川海老蔵が希望(笑)






映画「宇宙戦艦ヤマト」プロモーション展示
大阪市北区茶屋町町17-1 毎日放送1F アナリウム
展示期間 8/23〜8/27
HP http://yamato-movie.net/
mapを見る



毎日放送が現社屋横に新館建設を発表☆
毎日放送



茶屋町の毎日放送が、現在の社屋の北側に新館を建設する計画を発表しました。
新館の敷地面積は2,119.12屐

地上15階建て地下1階で、新館と本館は3ヶ所の渡り廊下で直結するみたいです。
上記のようになるみたいです。

2011年4月、着工
2013年9月末、竣工
2013年10月〜 本館側の改修工事
2014年春、グランドオープン

というスケジュール。

千里丘に残している機能は、新館にすべて持ってくるらしいです。ということは、千里は完全撤退かな?
USJにあるサテライト・スタジオも完全に新館に集約させるとのことです。

茶屋町の現在の場所に新社屋を建てて、堂島の本社機能と千里丘あった報道局などの部署、テレビ・ラジオ番組の制作現場を集約させたのが1990年のことなので、そっから2年、いよいよ手狭になってきたってことですかね。

ちなみに現在の社屋は、大阪市と阪急電鉄が茶屋町の再開発計画に沿ったかたちで、阪急百貨店の流通センターの跡地に建てられました。


2013年に現在建設がはじまっている北ヤードの先行地域が完成するから、新館のオープンはその1年後ということになりますね。
北ヤードのオープンで茶屋町から芝田、大深町にかけての人の流れが変わるだろうから、毎日放送の新館がオープンしたとき、どうなっているのかさっぱり見当もつきません。
つきませんが、北ヤードがオープンすると阪急梅田駅以東の地域、つまり茶屋町周辺は人が流れなくなるのでは?との危惧も出ているので、上手いことまちづくりしていってほしいなと思います。

このニュースが発表された日、ちょうど茶屋町の長老から、40年前のお話をうかがってました。
むかしはこのあたりにスケートリンクがあって(覚えてる!)、スケート靴を売るお店があって(今は、阪急のガードの反対側に移転)、長屋がズラッと並んでいて、長屋と長屋のあいだにはタコ焼き屋さんがあって…、なんて話。
阪急に土地を売却する話がまとまって明け渡したあとに敷地内から古銭がわんさと出てきて、しまったー!なんて話もあって、なかなか楽しいひとときを過ごしていたのでした。

そういう方たちから見れば、茶屋町の変貌ぶりってスゴい!のひとことに尽きると思うんだけれども、まだまだ街の景色は変わっていくようです。

現在、新館が建設される予定地は、広大な駐車場です。
現社屋の手前、北側の駐車場が、そうです。

毎日放送






毎日放送
大阪市北区茶屋町17-1
mapを見る


もう曲がり角にきてると思った、今回の「1,000,000人のキャンドルナイト@茶屋町」
 このブログをはじめてから、3度目の「1,000,000人のキャンドルナイト@茶屋町」
これまでのは、こちら。

「1,000,000人のキャンドルナイト@茶屋町(キャンドル画像28枚付き)」

「1,000,000人のキャンドルナイト@茶屋町(キャンドル画像20枚付き)」


今年は、6月3日に行われたのでした。
夕方直前、通り雨というか、思い返してみるとあれは今年最初の夕立だったのだな、と、まだ梅雨もはじまってないうちからの季節外れの夕立にあって、今年のキャンドルナイトは大丈夫かいな、と、やきもきしながら行ったのでした。



グラスのなかで煌めくロウソクの灯りは、蜻蛉のようにゆらめいて、ぼんやりと眺めていると、夢か現か、というかんじになってきます。

彼岸と此岸の境界線って、ロウソクの灯りのなかにあるんではなかろうか、と、そんな気にすらさせられますね。





ただ、このキャンドルナイトは、もう完全に曲がり角にきてるな、と思ったのも事実で。

何年前だったか覚えてないけれども、たぶん、このイベントがはじまった当初から、見にきてます。
でも、年々、趣向を凝らすようになって、もはや、文化祭のような様相を呈してます。

そりゃ、主催者サイドに立てば、前回よりももっといいものを、前回とは違った趣向で新鮮味を、と、考えるのは、よーくわかります。

でも、もう、静かにロウソクの灯りを楽しむという趣ではなくなってしまいました。


あえて言うけれども、ロウソクの灯りを味わっている人は、もはや、どこにもいません。
みーんな、写真を撮ってる。写真を撮ることに熱中してる。写真を撮るだけ撮って、五感のすべてでロウソクの灯りを楽しむといったことは、誰もしていません。
かくいう僕だって、このブログのために写真を撮り倒しています。

そして、出展者は、自らの表現を達成するだけのための作品を出し、ロウソクよりも「私」を全面に出してくる…。

そもそも、このイベントは、電気を消してロウソクの灯りを味わい、エコについて考えよう、というものではなかったのですか?

でもその目的はもはやどこにも感じられず、会場となっている商業施設は安全上の理由から電気を消すこともままならず、単に集客のためのイベントになってしまったように思います。


そのように強く感じるようになったのは、昨年冬に、旧済美小学校跡地で行われた中崎町のキャンドルナイトを見たからです。
あのキャンドルナイトは、資本の匂いをまったく感じさせない、純粋に手づくりのキャンドルナイトで、シンプルにシンプルに行われたもので、とーってもあったかいものでした。

そんときのブログは、こちら。

「手づくり感+エコがちゃんとちゃんと伝わる中崎町のキャンドルナイト(キャンドル画像13枚付き)」




場所も含めて、今後のキャンドルナイトは、どこに向かうのかを再考すべきところにきています。
次回、再考したあとが感じられるキャンドルナイトになってたらいいなあ、と思いながら、会場をあとにしたのでした。



茶屋町キャンドルナイト 2010 夏

茶屋町キャンドルナイト 2010 夏

茶屋町キャンドルナイト 2010 夏

茶屋町キャンドルナイト 2010 夏

茶屋町キャンドルナイト 2010 夏

茶屋町キャンドルナイト 2010 夏

茶屋町キャンドルナイト 2010 夏

茶屋町キャンドルナイト 2010 夏

茶屋町キャンドルナイト 2010 夏

茶屋町キャンドルナイト 2010 夏

茶屋町キャンドルナイト 2010 夏

茶屋町キャンドルナイト 2010 夏

茶屋町キャンドルナイト 2010 夏

茶屋町キャンドルナイト 2010 夏

茶屋町キャンドルナイト 2010 夏

茶屋町キャンドルナイト 2010 夏

茶屋町キャンドルナイト 2010 夏





キャンドルナイト@茶屋町

大阪市の北区をグルグル巡るブログのためのmap




茶屋町レコード大賞がおもしろくなかったので、今年のmyベスト3をつくってみた
12月の初旬あたりだったと思うのだけれども、MBSの深夜番組「ミュージック・エッジ」で『茶屋町レコード大賞』なるものをやっていて、どういう企画かというと、MBSのある茶屋町のあっちゃこっちゃに出向いていって、今年を振り返って思い出に残る1曲を聞いてまわって茶屋町レコード大賞を決めようという企画で、なんとなく、ものすごく茶屋町ローカルな曲やらミュージシャンやらが出てくるのかな〜、なんて思ってつらつらとテレビを眺めていたら、

3位 「LOVE FOREVER」加藤ミリヤ+清水翔太
2位 「Butterfly」木村カエラ

と、世間とたいして変わらんランキングが発表されて、

1位 「明日がくるなら」JUJU with JAY'ED

にいたっては、来年早々に4回目のぞろ目の年齢になろうかという僕にとってはまったくどうでもいい結果となり、見るだけ時間のムダだったわい、と、ため息をついた次第なのだけれど、今年を振り返って思い出に残る1曲を聞いてまわった先がMBSの社内の人間、そこに出入りしている芸人、スニーカーのstepの店員さん、Nuに入ってるタワレコの邦楽バイヤーさん、美容院の店員さん、道行くカップル…、基本的に10代20代が圧倒的に多く、今どきの若いもんは!となじるつもりはまったくもってないのだけれども、10代20代ってこんなにも流行りものに手を出してばっかりの保守的な人間が多いのか?と少し心配しつつも、浜村淳が香西かおりの「女の帰郷」について切々と語る姿に涙し、宝くじ売り場のオバちゃんが「まねきねこダックの歌」(たつやくんとマユミーヌ)をご自身の物語とともに語りまくって大プッシュしていた姿に大爆笑し、まあ、茶屋町ローカルの色はまったくなかったけれども、そこだけは見てよかったなと思った次第で、でも、せっかくブログ用にこの放送をメモりながら見ていたので(その成果がここまでのテキストね♥)、思った次第で終わってしまうのもバカらしいから、僕もまったく個人的に、今年思い出に残った曲を3つ挙げることにします。北区は全然関係ないけれども(笑)




ほな、いきます☆


まず、
4位(おまけ) 「スマトラ警備隊」相対性理論
これはねー、ハマりました(笑) 太平洋〜大西洋〜なに西洋よ〜♪のフレーズが頭から離れてくれん。。。フリッパーズ・ギター meet じゃがたら + 面影ラッキーホールとでもいえばいいですかね。違うか(笑)エモ+ツンデレですな(笑)この手のやつはボーカルが素人同然なのは定番なのでストライクなのだけれども、演奏が超ど級に上手かったら、3位にしてただろうな。外すのは惜しいので、オマケで4位発表☆







3位 「Can You Feel It」The Voices of East Harlem
今年はなぜかレア・グルーヴが突如マイブーム再び!ってなかんじになりまして(笑)というのも、ソウル芝田(町)のよしひきさんが悪いんですけどね(笑)彼と出会って、久しぶりにCDラックの奥のほうを引っくり返してたら、脈絡なしにレア・グルーヴ熱再燃(笑)で、The Voices of East Harlemとか聴きながら仕事してました。「Cashing on」なんかもよく聴いたけれども、それ以前の、ちょっとゴリッとした感触の残るこっちのほうが好きってことで。







続いて、
2位 「いいことばかりはありゃしない」仲井戸"CHABO"麗市
僕がブログをはじめたその日、キヨシローの訃報が飛び込んできて、「大阪市の北区をグルグル巡るブログ」なのに、第1回目はキヨシローについて書いたのでした。しばらくはキヨシローを聴くなんてことはできなかったんだけれども、そうこうするうちにYouTubeにアップされて、最上位にランクされたのは、この映像でした。チャボさんが歌ったRC時代のカバー「いいことばかりはありゃしない」。僕にとって、RCといえばキヨシローとチャボさんで、そして、正直に白状しておくと、ここ20年くらいはもっぱらチャボさんのソロがバイブルで、でももちろキヨシローも最高に大好きで、そのチャボさんがこの曲を歌っていて、キヨシローの訃報とともにこの映像がYouTubeの最上位に来るというのは、そんなことを感じている人がたくさんいて…、なんか日本語がむちゃくちゃになってきたけれども、とにかく、今年はこの映像をよく見て、いろんな感情に襲われていました。







そして、じゃーん(笑)

1位 「ビリージーン」カエターノ・ヴェローゾ
今年はマイケルが天逝した年として記憶されるわけですが、一方で、3年ぶりにカエターノの新作が出たことも、全人類が記憶しておかねばならないマスト・エポックかと思います。60歳半ばを過ぎて、今なお、実験とPOPを融合させて、音楽の最先端をさらに一歩先に推し進めてますわ。空恐ろしいです。というか、ブラジル政府は、カエターノとジョビンを、とっとと世界遺産に登録せんとアカンのでは?と思いますが。
それはそれとして、カエターノがおおむかしにカバーした、マイケルの「ビリージーン」がありまして、しばらくはマイケルを偲んで、そればっか聴いてました。世界で一番美しく、脳髄と下半身が同時にとろけるような「ビリージーン」です。
カエターノは20年くらいまえに、やはりマイケルの「Black or White」もカバーしていて、これまた絶品で、YouTubeにも映像があるのだけれども、映像の音質が悪すぎるので、泣く泣く外しました。








ほな、来年もよろしゅーに☆











梅田東防犯の夜警に参加して感じた、ミーツ的まちづくり論とは対極の、もうひとつの「まちづくり」ネットワーク
年末夜警 茶屋町


むかし、小さなころ、年末のこの時期になると、「火の用心〜!」の夜まわりの声が外から聞こえてきたもんですが、いつの間にかそんな声を意識することもなく、すっかり忘れておりました。

でも最近、このブログをはじめるようになって、北区内のあちこちの町会の人たちとお付き合いするようになり、じつは、北区のような都心のど真ん中でも、今でも、年末の火の用心〜!が行なわれているのを知ったのでした。さらに、今回、参加するハメに(笑) や、僕はどこの町会にも属していないんですけどね。いろいろと、なりゆきで(笑)

僕が今回お邪魔したのは、曽根崎防犯協会の梅田東支部というところです。
茶屋町、鶴野町、芝田の3つの町にまたがって結成されている支部です。防犯協会といっても、特別な組織でもなんでもなくて、地元の商店の経営者だとか、たとえば自治会に属している人だとか、そんな人たちです。あと、その地区に根付いている企業参加らも、参加されてます。名前を出していいのかどうかわかんないのですが、新御堂筋沿いにある結婚式場だとか、黄色の袋で有名な雑貨屋さんとか、茶色の電車を走らせている百貨店だとか、そういうところも、参加されています。

もちろん、ボランティア。
この界隈は、住んでいる人が少ないので、どうしてもそこで働いている人が中心になるみたいなのですが、それでも、地域の防犯活動のために、なんやかんやと時間を割いて、汗を流されています。

交番と連絡をとりあって、最近はこんな犯罪が多いので気をつけてほしいという交番からの要望を地域におろしたり、逆に、あそこの道は暗くて夜は人通りが少ないから重点的にパトロールしてほしいといった地域からの要望を上げたり、そういう情報交換の場を設けて、コミュニケーションを密にしています。

僕の天敵でもある、放置自転車対策にも、取り組んではります(笑)

日常、ほとんど意識することはないですが、こういう人たちとお付き合いするようになり、梅田のような都心であっても、じつは目に見えないネットワークが網の目のように張り巡らされていて、まちづくりの一端を担っています。それがボランティアの手弁当だというところにね、ちょっと頭が下がります。

町会、振興町会、防犯協会、社会福祉協会、自治会、PTA、商店会、民生、講…、じつは地域にはネットワークがたくさんあるのですが、都心の場合、ほとんどの人は、そんなものには目をくれません。
それは、都心に住む人が、代々そこに住んでいるわけではなく、また代々そこで商売を営んでいるわけでもない人がほとんどなので、土地にたいする思いが薄いからなんだと、僕は思っています。
そこで代々生活を営んできた人にとっては、そこが都心のど真ん中であっても、思い入れがあって、問題があれば解決に動き、自分の家を掃除するのがあたりまえであるように、たとえば公園を掃除されたりしています。ゆえにしがらみもあり、場合によっては利益誘導的なこともあり、まあ、そこにはかつての自民党的な政治の現場もあったりもするのですが、そうした有象無象のわけのわからんゴチャゴチャを差っ引いても、こうしたネットワークの存在は、街の根っこのようなところを支えているように、僕は思います。

ミーツ的な切り口語り口が陽のあたる「まちづくり」だとしたら、こうした地域の人たちがつくっているネットワークは目立たない日陰の「まちづくり」を担っていますが、ここが崩壊したら、ミーツ的なまちづくり論もへったくれもなにもないと、僕は今、思っています。



梅田東の夜警は、旧大阪市立梅田東小学校に詰所を設置し(これだって、使用許可をとるのに役所的煩雑な手続きが必要になります)、12月28日〜30日の3日間、毎晩19時〜24時まで行なわれました。
参加される防犯委員の方々は、延べ人数で約45人。
茶屋町のおしゃれスポットを練り歩き、新御堂筋を超えてJRのガード下を北へ進み、豊崎の手前で西へ進路を変えて阪急電車の線路を目指し、線路の下を超えて済生会病院の横を歩き、WINSの裏を歩いて、阪急バスターミナルに出、再び茶屋町に帰ってきます。30分は歩きますかね。

詰所に戻ったらお茶を飲んで、少し休憩して、またもう一回。
あいだに、曽根崎警察や大阪北区役所、消防署、防犯協会などの担当役所、関係団体の方が、陣中見舞いに訪れます。この人たちも、評判の悪い役所の方々ですが、年末の夜のこんな時間に、陣中見舞いに来られているという現実もあります。夜警をやっているのはもちろん梅田東だけじゃなくて、ひと晩で8ヶ所くらい、陣中見舞いされている。
こういう現実を目の当たりにすると、評判の悪さを横に置いて、やっぱ、頭が下がりますよ。

とまあ、真面目に書いてますが、もちろん真面目に取り組んでる一方で、そこは商店街のオジィ連中なので、アホウな話に花を咲かせながら、ワイワイやるわけです。
そこでのコミュニケーションが楽しくて、僕は、わざわざ参加しているような気もします。



年末夜警、出発の図。旧梅田東小学校に詰所を設置してます。

年末夜警 茶屋町


ここは、芝田2丁目。ヨドバシカメラの北側です。

年末夜警 茶屋町


詰所に、曽根崎署、エラいさんが陣中見舞いに。役所の人たちも、年末の深夜に、何軒もこうして陣中見舞いされてます。

年末夜警 茶屋町






梅田東年末夜警
詰所:大阪市北区茶屋町1-40(旧大阪市立梅田東小学校)
12/28〜12/30 実施

大阪市の北区をグルグル巡るブログのためのmap




「マルシェジャポン」は既存のシステムと差別化できるか?
水都大阪のとき、中之島に「大阪マルシェ」というのがあって、さまざまな産地直送の食材を使った屋台がたくさん出てましたが、そんときはチラッと覗いただけで、あんまりそそられることなく、スタスタと退散したのでした(そーいえば、OSAKA光のルネサンスでも出展してましたが…)。

ま、記憶の片隅にそんなひとコマがあったんですが、先日、とある忘年会で相席したオジィに、梅田で産地直送の食材を売る市が立って、終わる寸前に覗いたら、但馬牛のしゃぶしゃぶセット2人前10,000円が3,000円くらいで投げ売りされてたんで買ってきた!と、エラいこと自慢され、どうやったらそんなラッキーにありつけるねん!と、憤慨していたのですよ。

そしたらだ、また今度もやるみたいやで〜、と、教えてもらい、12/20に、行ってきたのでした。
場所は茶屋町の毎日放送の1階のロビーみたいなところ。
事前にサイトで調べてみると、「マルシェ・ジャポン」なる団体がありまして、どーやら、ぐるなびやら魔法のレストランやらが一枚噛んでるみたいなんですが、産地と消費者をダイレクトに結びつけて、食を中心に据えた場をつくっていこう、と。
農家の直営店は今、どこも盛況で新しいビジネスモデルとして注目を浴びてますから、それを都会に持ってこよ、というアイデアですな。

サイトはこちらです。

http://www.marche-japon.org

中之島の大阪マルシェが調理品を売ってるのに対して、マルシェジャポンは、食材を中心に売る場みたいです。どっちも、運営はおんなじですが、企画が違う。

で、行ってきました。

マルシェジャポン


どこで告知されてるんか全然わからんかったんですが、かなり盛況です。

マルシェジャポン


今回は肉は見かけんかったですけど、野菜がたくさん並んでます。

マルシェジャポン


珍しいところでは辛み大根なんてのもあって、これはなかなか手に入らんので、即ゲット☆

マルシェジャポン


安いんか?と問われたら、スーパーで買うよりは安いし、品物も良質です。でも、スーパーを基準にしたらそうなるけど、普段、天満市場で買いものしてる僕にとっては、ビックリするような安さでもないかんじですかね。
キャベツ、大根。だいたい、100円前後。タマネギ、ジャガイモなどの袋に入ってるのは、200円前後。
市場で買いもんしてると、似たような値段で似たような品物は、毎日でも手に入ります。
なので、ビックリするくらいの新鮮味は、ナシ。

地の市場で手に入らんところというと、
ミシュランの京都・大阪版で☆☆☆の菊乃井のシェフがつくったという万能ダシとか、嵐山吉兆のチリメン山椒とか、そっち系。

マルシェジャポン

マルシェジャポン




考えてみたら、生協の配達とか、似たような企画って、むかしからあることはありますね。それこそ、地の市場もあるし。
なので、普段からそういう場を利用している人にとっては、マルシェジャポンが差別化されているとは言いがたく、もちょっと、手に入りにくいもんを増やしてくれたら、と、思わんでもなかったです。ほいで、単発のイベントやと意味はないわけで、場を決めて定期的にやらんことには、「交流の場」にはなっていかんでしょうな。

全国展開してますが、大阪でもあっちこっちでちょこちょこやってるみたいです。






マルシェジャポン
http://www.marche-japon.org/

MBS内1F
大阪市北区茶屋町17-1

大阪市の北区をグルグル巡るブログのためのmap



1,000,000人のキャンドルナイト@茶屋町(キャンドル画像20枚付き)
本来なら12/3に開催予定だった茶屋町ナイトは、あいにくの雨で、でも天気予報だと夕方にはあがるから!ってことで、12/3はギリギリまで開催を模索していたようです。

お昼の3時くらいの段階で、スタッフブログに、やる気満々のテキストがポストされてましたから、1日順延が決まってからの仕切り直しは、結構、しんどかったでしょうな。屋外イベントは、これがあるので、大変です。

でも、12/4は前日と打って変わっての晴天。キャンドルナイト日和(?)となったのでした。

キャンドルナイトも数々見てきましたが、年々、趣向を凝らす方向に進んでいて、なにやら文化祭的な様相を呈してきたような…。

キャンドルの灯りのいいところは、電気でつくる光と違って、柔らかいところです。
その柔らかさが、その周囲の闇を、やはり柔らかくしていて、そこがいいな、と、思うのですね。

電気がつくり出す闇は、やっぱ、どこか刺々しい。その刺々しさが、若いころはヒリヒリとした痛みを伴って、若さゆえの自身を突き動かしていく原動力となったけれども、酸いも甘いも噛みしめてきた年齢になってみると、柔らかい闇の心地よさのほうが、断然好きです。

電気のつくり出す光はやたらとはっきりしているし、そのはっきりさは正しさにも繋がっているんだと思うのだけれども、正しすぎるような気がします。正しすぎて、目を背けたくなるときが、あります。

それが一番いいんだけれども、なかなかそうはいかないし、これはこれでいいんじゃないか、くらいの正しさが、なんやかんやと正に負に経験を積むと、いい着地点のような気がするのですね。

キャンドルの灯す光と、その周辺にできる闇は、そうした、いい塩梅の正しさが漂っていて、心地いいです。

なので、できれば、文化祭チックに趣向を凝らすのではなく、奈良の燈花会がそうであるように、もちょっとひっそりとやってもらってもいいんだけどな、と、ちょっと思ったりして。。。


来週の木曜、12/10は、西梅田と、今回は非公式だけれども中崎町でキャンドルナイトやってます。



1,000,000人のキャンドルナイト@茶屋町

1,000,000人のキャンドルナイト@茶屋町

1,000,000人のキャンドルナイト@茶屋町

1,000,000人のキャンドルナイト@茶屋町

1,000,000人のキャンドルナイト@茶屋町

1,000,000人のキャンドルナイト@茶屋町

1,000,000人のキャンドルナイト@茶屋町

1,000,000人のキャンドルナイト@茶屋町

1,000,000人のキャンドルナイト@茶屋町

1,000,000人のキャンドルナイト@茶屋町

1,000,000人のキャンドルナイト@茶屋町

1,000,000人のキャンドルナイト@茶屋町

1,000,000人のキャンドルナイト@茶屋町

1,000,000人のキャンドルナイト@茶屋町

1,000,000人のキャンドルナイト@茶屋町

1,000,000人のキャンドルナイト@茶屋町

1,000,000人のキャンドルナイト@茶屋町

1,000,000人のキャンドルナイト@茶屋町

1,000,000人のキャンドルナイト@茶屋町

1,000,000人のキャンドルナイト@茶屋町


そうそう、春のキャンドルナイトのときのエントリーはこちら。

「1,000,000人のキャンドルナイト@茶屋町(キャンドル画像28枚付き)」



キャンドルナイト@茶屋町

大阪市の北区をグルグル巡るブログのためのmap







茶屋町遺跡発掘調査結果発表! 茶屋町は2,000年前にはすでに陸地で貝塚が見つかりました。
北区の茶屋町が再開発されるにあたり、まあ、茶屋町にかぎらず再開発等で地面を掘り返す際には必ずやることですが、発掘調査が行われたのでした。NUの西側にある、塀で囲っていた空き地のあるあたりです(マクドの向かいの塀で囲まれた場所です)。
調査自体は、2008年12月15日〜2009年1月7日。

で、この調査に先立ち、大阪市の教育委員会によって、小さな試掘調査が敷地内で行なわれたのですが、現在の地表から約70cm下で、今から約800年前(平安時代から鎌倉時代)の地層と土器が発見されたのでした。

大阪も古くから都の置かれていたところだけれども、飛鳥時代前後の難波宮や四天王寺が造営された時代はともかくとして、それ以降は、室町末期に石山本願寺が大坂城のある場所に建築されるまでは、歴史的にはあまりよく記載のない、暗黒の時代でもあります。

なので、平安時代から鎌倉時代にかけての考古学的な資料が出てくることは、そうした暗黒に光を射す、なかなかに貴重な出来事でもあります。

この試掘をきっかけに本格的な調査が行われ、今回、教育委員会から報告がなされたのでした。
ブログにアップしていいか?と尋ねたところ、写真が使えないんですよね。。。pdfでいただいた資料に埋め込まれてある小さな画像は使用許可をもらったものの、まともなサイズの画像ファイルを要求したら、著作権がどーの、と。その著作権も、教育委員会が採掘と資料作成を委託した先の外部の団体が保有しているらしく、権利関係をクリアするのが困難なんですと。
なので、僕のブログ云々はともかくとして、市民の財産である写真の著作権をどっかの団体に握られてるって、どーゆーこと? 採掘調査自体、税金で行なわれているものなのに…。

閑話休題。
本題に行きます。

発掘の結果、
江戸時代から明治・大正時代の生活跡が発見されました。井戸、建物の礎石・柱穴、ゴミ穴、大きな溝など、100点余が見つかったそうです。
江戸時代でもっとも古い証拠品は、18世紀後半の複数のゴミ穴で、今回の調査で見るかぎり、茶屋町の形成は、今から250年前にはじまったみたいです。
その後、19世紀、幕末、明治〜昭和と連綿と続いていることは、折々の茶碗や生活用具の発見から辿ることができるそうです。なかでも、幕末の時代のものの資料が多数発見され、街の発展が加速したのがこの時代だということを記していると見ることもできますね。

調査区の北半分に6基の井戸と多数のゴミ穴がまとまり、調査区中央の東西方向の耕作溝を隔てて、南側にはあまり生活跡が見られないことから、当時の街は西を走る中国街道近くに中心があり、今回の調査区は街の端で、南側は耕作地として利用されていただろうことがわかりましたな。これ、平安から鎌倉時代にかけての様子です。

その後、おそらく、明治・大正時代と推定されるのだけれども、東側に南北方向の小さなドブ川が掘られています。梅田方面から伸びているみたいなのだけれども、今回の調査の範囲外だったために、これに関しては想像の域を出ないみたいです。

さらに掘り下げていくと、古墳時代から鎌倉時代にかけての地層が出てきます。
そこから、約800年まえの瓦器(がき)と呼ばれる当時の茶碗が出てきて、この瓦器の出土が今回の調査のきっかけとなった、と。

そこからずっと遡っていくと、約1,550年まえの、5世紀中頃の須恵器が発見され、この時期こそが、茶屋町の地が陸化して人々が本格的に活動をはじめる最初の時期になると推測できるみたいです。
今回の調査では建物跡が見つからなかったのでムラの実態はわからんのですが、文献によると、鎌倉時代にはこの地は耕作地として利用されているのは間違いないので、古墳時代から鎌倉時代までのどこかで、近隣に集落が存在したことは、きっと、間違いないんでしょうな。

さて、現在の茶屋町が陸地になったのはいつごろなのか。
このことを明らかにするために、調査の最終段階で2m×4mの範囲を深さ3mまでの深掘を行なったところ、黒い砂の地層を発見しました。
その地層からは、多量のハマグリ、シオフキなどの貝類が見つかり、当時の干潟があることがわかりました。同時に出土した葉の化石を用いて科学的な年代測定を行なったところ、1世紀、今から2,000年前のものだということがわかって、そのころには茶屋町はすでに陸地だったことが、今回の調査でわかりました。

その砂浜の上に厚く堆積した粗い砂の層の観察結果と併せると、1世紀に干潟があったこの地には、淀川の度重なる氾濫によって土砂が運ばれ、そのときにできた自然堤防(現在の中国街道)の周辺に5世紀中頃になって本格的に人が活動を開始した、と、景観の変遷を復元することができます。


調査風景です。茶屋町のマクドの向かいの塀のなかです。
茶屋町の発掘調査


18世紀後半のゴミ穴を発掘。
茶屋町の発掘調査


北半分に6基の井戸と多数のゴミ穴がまとまり、調査区中央の東西方向に耕作溝、南側は耕作地として利用されていたようです。
茶屋町の発掘調査


800年まえの瓦器、1,500年まえの須恵器が出土。
茶屋町の発掘調査


3m掘り進んで、分厚い砂の層を抜け、約2,000年まえの層が出てきました。
茶屋町の発掘調査


約2,000年まえの貝塚から発見された貝類。
茶屋町の発掘調査





茶屋町の発掘調査
大阪市北区茶屋町8

大阪市の北区をグルグル巡るブログのためのmap



茶屋町のカフェでジャパニーズ・ソウル・ミュージック、河内音頭に酔う
鉄砲三丸


NU茶屋町の真正面にまるでNU茶屋町の地下フロアのようにして存在している「ラピーヌ」は、NU茶屋町がオープンするはるかむかしの35年前から、この場所で美味しいピザやパスタを提供してきた老舗のカフェなのでした。

おされカフェのひとつに数えられることもあるけれども、もちろん、昨今のカフェブームとは1万光年くらい離れた地点で存在しているお店で、ある種、気高き孤高のお店ですな。

やっぱねえ、食べるものとか接客とかから、数多のおされカフェとは根本的に志が違うんだな、ということを、感じるもん。

さて、ラピーヌは普段はゆったりとしたリズムのジャズが流れる落ち着いた空間なのですが、今日はですな、そこで、なんと河内音頭のライブが行われたのでした。
ま、夏祭り・盆踊りの季節ですからね。カフェで河内音頭、いいじゃないですか☆

それに、僕は河内音頭が大好きですからなっ!

僕は、おおむかしに初代鉄砲光三郎さんの「涙の王将」を聴いて以来の河内音頭のファンで、叙事詩的な詩世界もさることながら、ソウル・ミュージック!と呼びたくなるほどの歌声、太鼓と三味線が生み出すリズムのグルービーなうねりと、モード奏法としか言いようのない各パートのアドリブがね、ビックリするほど純音楽的です。

河内音頭自体は、明治から大正にかけて歌われていた江州音頭(滋賀の盆踊りに用いられる音頭ですな)をルーツとするので、じつは歴史はそれほど古くはありません。でも、河内音頭のルーツとされている江州音頭は、それこそワンコードで延々と続いていくブルーズに近いかんじで、完全にループ・ミュージックの範疇に入ります。クラブでこれ聴いてると、きっと、トリップします(笑)

で、江州音頭のルーツを辿っていくと、仏教の声明に辿り着きます。声明にルーツを持つ江州音頭が滋賀で発生したのは、考えてみればあたりまえのことで、ここには、比叡山の延暦寺がありますからな。延暦寺とそこから派生した宗派は、軒並み、声明が得意です。

宗教上の修業の一環であった、というか読経でしかない声明が、布教の過程でエンタテイメント性を獲得し、遊芸となり、江州音頭に発展し、それが河内に伝播する過程で河内音頭が誕生します。

その河内音頭を一躍有名にしたのが、昭和30年代に一斉を風靡した、鉄砲光三郎さん。鉄砲節河内音頭こそが河内音頭のメインストリームで、僕は残念ながら鉄砲光三郎さんの音頭による鉄砲節河内音頭を生で聴いたことはないのですが、今日はですな、その光三郎さんの一番弟子である光丸さんの音頭による鉄砲節河内音頭がね、披露されたのですよ。茶屋町のオシャレカフェで!(笑)

ニューオリンズと河内に片足ずつ突っ込んでるドラマー永田充康、BLACK BOTTOM BRASS BANDの結成メンバーでもあったトランぺッター河洲虎丸(BBBBんときは、違う名前だったよね、ミチ!)らが太鼓を叩き音頭をとり、フラッグシンガーはもちろん、鉄砲光丸さん。


物語「瞼の母」あり、阪神タイガース音頭あり、そしてもちろん鉄砲節河内音頭ありで、そこらへんのファンクバンドが逃げ出すぶっといグルーブとソウル・ミュージックに包まれた夜なのでした。




Lapine
大阪市北区茶屋町10-5
tel. 06-6373-2682
(平日)11:00-23:00
(日曜)11:00-22:00
月休


大阪市の北区をグルグル巡るブログのためのmap



ビルのてっぺんに船が乗っかってるのかと…。
安藤忠雄設計の「CHASKA茶屋町」の建設が進んでます。

東急ホテルの跡地利用に端を発して、最初は「アーバン茶屋町プロジェクト」だったのが、事業主体がメリルリンチが運用する投資ファンドに売却され、そのメリルリンチも昨年秋のサブプライム・ショックでバンカメに買収され(買収経緯でもめてますが…)、世界経済に翻弄されまくってるプロジェクトとなっとります。

工事現場に掲げられているプロジェクト名のところ、上からシールが貼られていて、これひとつをとってみてもいろいろあったのだなということが、わかります。

CHASKA茶屋町



高層階には結婚式やイベントが可能なスカイチャペル、中層階は賃貸マンション(サービスアパートメント)、低層階には、グルメスーパー、オーガニックレストラン、フィットネススタジオ等のテナントが予定されていて、2009年3月の竣工、同6月オープン予定らしいです。

7月の中旬に、安藤忠雄の講演を聞きにいくのですが、このプロジェクトの話も聞けるのでしょうか?





それにしても、高層階の切り込みというか、先っちょが尖ってるのが、とにかく興味深い形状をしてますね。

CHASKA茶屋町



船が乗っかってるのか?と、最初、マジで思いました(笑)
早く完成した姿を見たいです☆


CHASKA茶屋町


鉄骨をクレーンで吊り上げている様子なんざ、なかなかスリリングです。



完成、オープンは、来春。
でかでかと告知されてます☆

CHASKA茶屋町






CHASKA茶屋町
大阪市北区茶屋町18番
大阪市の北区をグルグル巡るブログのためのmap


<< 2/3PAGES >>
▲page top

pagetop
Copy Right(c)2009-2011 Joe's Garage inc. Asakaho Luis Ryuta All Rights Reserved.