大阪市の北区をグルグル巡るブログ | 大阪市の北区メインでいろいろ仕事をしてます。仕事場も住んでるところも大阪市北区なので、北区をグルグル巡って、目にしたもん耳にしたもん感じたもんを、つらつらと書いています。

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【TJWK】新作のお披露目&販売会を西天満のトルコ・キリム専門店「SUFi」さんで行いました。そして、このプロジェクトの「販売」というステップの素敵さについて考えたこと
今年最初のTJWKです。
ニットで被災地を支援する、Think of JAPAN While Knittingです。
毎度毎度申し訳ないが、サイトはこちらです。

http://atricot.jp/tjwk/

今年最初のTJWKは、西天満にあるトルコ・キリム専門店「SUFi(スーフィ)」さんのところで、新作のお披露目&販売会の実施です。

TJWK@SUFi

TJWK@SUFi


「SUFi(スーフィ)」さんとは普段から仲よくさせてもらっていて、本当は、夏のモチーフ・サーキットの会場をお願いしたいと当初から考えていたのだけれども、モチーフ・サーキットの予定があれよあれよという間に決まってしまい、夏は見送ることとなって、ずーっと、そのことが気にかかっていたのでした。

そして今回、ついに、お披露目&販売会の会場として使わせていただくことになりました。
個人的には、「SUFi(スーフィ)」オーナーであるオスマン&トモエさんご夫妻と一緒になにかができることはとても嬉しいことで、本当にこの日を心待ちにしていました。

遊牧民の絨毯であるトルコ・キリムは、嫁入り道具として、母から娘へ代々使い継がれていくものです。そうした長い伝統を持ちながらも、遊牧民文化ならではの軽妙さがあって、伝統の重みよりも生活道具としての潔い軽やかさが色濃いところが、僕は好きです。
そんなトルコ・キリムもまた、織られてから長い時間を経て、オスマンのような修理職人の手によって多くの人の手や思いをたっぷりと湛えていて、どこか、TJWKのブランケットと似ています。
だから、今回の、トルコ・キリムとTJWKのブランケットやショールのコラボが実現して、本当に嬉しかった!

さらに、せっかくのトルコだからと、ムリを言って、簡単なトルコ料理をお願いもしていたのでした。

そんな話をしながら、打ち合わせを重ねていたのが、昨年の11月か12月だったころです。
そっから先のSUFiさんの奮闘ぶりは、もう、どれほど感謝してもしきれないほどのもので…。

僕が真っ先に用意しなければならない告知フライヤーを独自で作成して配ってくれたり、イベントで紹介してくれたり、HPやブログで紹介してくれたり、極めつけは、SUFiさんが全国のお得意さまに出す年賀状1300枚のすべてに、TJWKのイベント告知を載せてくれたりもしたのでした。これ、イベント告知を記したシールをつくって、年賀状に無理矢理スペースをつくって、1枚ずつ、貼ってくれたのでした。
それ以外にも、きっと、僕たちの眼に触れないところで、奔走してくれたのだと思っています。
今回、年末から年始にかけての大切な時期、僕はほとんど身体を動かせなかったのだけれども、そんなことはおかまいなしに、もう、僕がやらなければならないことの大半を肩代わりしてくれて、頭を垂れるしかありません。

このプロジェクトは本当に魅力的なプロジェクトなのだな、と思うときは、じつはそんなときです。
あしなが育英会に販売総額の全額を寄付すると決めたために、このプロジェクトは、活動のための資金を1円も持っていません。
そのこともあって、これまでにもさまざまな団体や人に協力をお願いして、人件や経費をお願いしてきたのだけれども、すべての団体、人は、そのことを快く引き受けてくださり、惜しみない協力をいただいてきました。
すべての人たちが、当事者意識を持って、このプロジェクトにかかわってくれはります。
そんな人たちに、どれほど支えられてきたことか。どれほど、勇気や元気をもらってきたことか。そうした気持ちに触れるたびに、あらためて、このプロジェクトが持っているポテンシャルの高さに驚かされるし、必ず、素敵な花を咲かせるはずだと、力強く思うのでした。



さてさて、そんなSUFiさんでの新作お披露目&販売会。
例によって、スタート直後から、雨です(笑)
ま、あの人が代表なのだから、これはTJWKのお約束(笑)今回も、案の定です。。。
でも、直前で、朝日新聞と大阪日日新聞に活動を紹介する記事が掲載されたこともあって、オープン直後からお客さんが来てくれはりました。

TJWK@SUFi

TJWK@SUFi

TJWK@SUFi

TJWK@SUFi


それにしても…、いろんな人が来てくれはりました。
朝日新聞や大阪日日新聞をご覧になられて来られた方も、たくさんいらっしゃいました。
新聞の切り抜きを持参された方もいらっしゃいました。
こんな活動があるなんて知らなかったけど素敵です!とおっしゃってくださった方、
地震があって、子供たちのためになにかしたいと思っていたとおっしゃった方、
twitterで実況中継していたのをご覧になられて、忙しい中、時間をつくられて来られた方、
あしなが育英会に全額寄付というのが素晴らしいです!とおっしゃってくださった方、
京都から来られた方、神戸の西のほうから来られた方、
新聞を見て、さらにHPで作品をチェックして、実際に実物をご覧になって購入してくださった方、
キリムを買いにきたけどブランケットが気に入って、キリムとブランケットの両方を買ってくださった方、
SUFiさんのご近所さん、SUFiさんのお知り合いの方、SUFiさんの年賀状から来られた方、
僕やatricotさんのブログをご覧になって来られた方、
母子でペアでご購入いただいた方、
親子で、どれにする?と楽しんでおられた方、
娘さんがママのを選んでいたり、
2枚まで絞ったけれども、迷いに迷った末に、2枚ともご購入いただいた方、
価格帯をご存じないまま来られて、持ち合わせがなくて、わざわざATMまで走ってくださった方、
知り合いの方から教えてもらって、来られた方、
プロジェクトの主要メンバーの知り合い、そのまた知り合いの方、
夏のモチーフサーキットに参加してくださった方、
継続して編んでいるモチーフを持ってきてくださった方…、

嬉しいのは、皆さん、大変大変気に入って、ブランケットやショールをお買い求めいただいたことです。
TJWKの作品は、手軽にサッと出せる価格で販売しているわけではないので、全国の人が被災地のことを思いながらモチーフを編まれ、その数は30,000枚近くになり…、というところから、物語を説明するところからはじめます。
そうした物語の訴求力も素晴らしいものがあるのだけれども、やっぱ、クオリティの高さやこだわりのデザインを気に入って買ってくださる方が多いのは、とっても嬉しいことです。

TJWK@SUFi

TJWK@SUFi

TJWK@SUFi

TJWK@SUFi

TJWK@SUFi

TJWK@SUFi

TJWK@SUFi

TJWK@SUFi

TJWK@SUFi

TJWK@SUFi

TJWK@SUFi


このプロジェクトが一風変わっているところは、皆で集まってモノをつくり、モノを被災地に贈るのではなく、それを販売して、おカネにして、おカネを被災地に送るというところです。

本当はモノをプレゼントするのだって、おざなりのものをプレゼントするなんて、失礼な話です。売るのであっても、プレゼントするのであっても、等しく力を注ぐべきだと思います。
でも、ヒトは、なかなかそんなふうにはできないもんだということも、また真実です。
そうであるならば、販売しておカネにしないことにはプロジェクトが成功しない、というプレッシャーは、モノをつくる大きなモチベーションになります。
そのせいもあってか、モチーフを繋ぐ人たちのこだわりようは、ハンパないのですね。モチーフや糸と向き合って、どんな繋ぎ糸がいいのか、どんな繋ぎかたがいいのか、どんな縁がいいのか…、まったく妥協することなくこだわって、本当に細かいところまでこだわって、作品に仕上げていきます。
断っておくけれども、大半は、ニットを生業にしている人たちではないのです。
子育て中の専業主婦の方であったり、仕事を持っておられる方であったり…、皆さん、それなりに時間をやりくりして、繋ぎの作業をされています。
ただ、皆さん、やはりニットが大好きで、大好きなことで支援に繋がるのが嬉しい!と、嬉々としてされているのが、とっても素敵です。そんな心持ちだからこその、「遊び」がデザインのなかに随所に見てとれて、とても素敵な作品ができあがってきます。

新作のお披露目&販売会で、そのような作品を一同に並べてみると、どれも本当に素敵なものばかりで、遠くから見ても近くから見ても、見るたびに新しいこだわりを発見するものばかりで、本当にね、支援や寄付云々を抜きにしても、絶対にお得な価格だと思います。

来られた方皆さん、全員が、そうしたこだわりをとても気に入ってくれます。
もうね、選ぶのが難しいほどで、迷って迷って、となるのだけれども、それでも、やっぱり、出会いというか、この1枚!というのが、あるのですね。
出会えた!という1枚が、どの方にもあって、販売していて楽しいのは、その瞬間に立ち会えることですね。
このプロジェクトは「繋がり」の持つ力だけを頼りに続けていけているのだけれども、この瞬間、また新たな繋がりが生まれるんです。

モノをつくってプレゼントするのではなくて、それを売って、おカネにして、被災地を支援する。
この「おカネにする、販売する」というステップは、やっぱ、それなりにハードルの高いステップです。
でも、モノをプレゼントするのは、ニーズにマッチしているのかどうかということを考えると、どこか押しつけがましいところもあるし、販売しておカネにして、そのおカネで支援するほうが、ちょっとクールでいいなあ、と、僕は思っています。
そんなことを思っていたけれども、「販売する」というステップがあることの本当に素敵なところは、そのステップがあるおかげで、新たな繋がりが生まれる、というところなのだと、思い至るようになりました。

そのおかげで、販売のお手伝いをしていただける人を探したり、協力していただけるお店や企業や団体を探したり、オンラインカタログをつくるためにカメラマンの協力を仰いだり…、このステップがあるおかげで、また新たにたくさんの人と繋がっていくことができます。

もちろん、お買い上げいただく方とも!
糸を寄付していただいた方、モチーフを編んでいただいた方、裏方で運営事務を引き受けてくれている方、繋いでくれる方、SUFiさんたちのように会場を提供してくれたり、販売の協力をしてくれた方…、そうした人たちも一堂に集まって、お買い上げいただいた方とワイワイ話をして、みんなで仲よくなっていく、飲み友だちを増やしていく、輪を広げていく…、
そこでは、
ここはこんなことを考えて繋いだの!なんてことを、お買い上げいただいた方と話したり、
私のモチーフがここで使われてます!と、確認してみたり、
被災地に対する思いを交換したり…、
なんの利害もない、対立もない、ひとつの思いを軸として、とっても上質な空気が流れる空間が出現するのですね。

こうした空気をつくってくれたのは、もちろん、SUFiのオーナーであるオスマンとトモエさんご夫妻の人柄と惜しみない協力の賜物でもあって、もう、本当に感謝してもしきれないほどの、力を注いでいただきました。

僕の大好きなそんなご夫妻とみんなが繋がっていくこともまた、とても素敵な光景でした。

お披露目&販売会の2日目には、ご夫妻によるトルコ料理が振る舞われました。
オクラのスープ、豆のスープ、スパイスがたっぷり効いたケバブなどなど。朝、4時までかかって、このときのために、ご夫妻は料理をつくってくれたのでした。
キリムの話やトルコの話、いろんな話をしながら、キリムを買いにきた人も、TJWKの作品を買いにきた人も、キリムを買いにきてTJWKのブランケットも一緒に買ってくれた人も、ご近所の方も、遠方から来られたたくさんの方も、皆さんが、ご夫妻の料理を真ん中に置いて、舌鼓を打って、輪になって、あはは!と笑って楽しい時間を過ごしたのでした。

TJWK@SUFi

今回のSUFiさんでの2日間の販売会で、
ブランケット(大) 5枚
ブランケット(小) 2枚
ショール 12枚
クッションカバー 1枚
を、お買い上げいただきました。

現時点で、販売総額は140万円に達しています。

お買い上げいただいた方こそが、このプロジェクトの最後の担い手だと感謝しています。
本当に、ありがとうございました。



プロジェクトは、まだまだ続きます。
今後の展示販売は、

2.11(土)-16(木)に、神戸は須磨のブティック「galeria*atelier favorita」
3.8(木)-11(日)に、京都市で開催される「ヒツジパレット」
3.7(水)-12(月)に、梅田大丸で開催されるチャリティバザー
にて、行います。
ぜひ、お越し下さいませ☆

詳しくは、
http://atricot.jp/tjwk/sale_auction.html
を。

その後、3月末を今年度の〆とし、4月の早い段階で、あしなが育英会に販売総額の全額を寄付し、東日本大震災で親を亡くした遺児を支援する活動に使っていただきます。
寄付後には、会計監査を行い、
決算報告書、会計監査報告書、あしなが育英会からいただく領収証の3点を、HPにて公開してお知らせいたします。

そして、来年も再来年も。
できるかぎり長く、プロジェクトを続けていきます。
これからも、どうぞご協力ください。

TJWK@SUFi

TJWK@SUFi

TJWK@SUFi



Think of JAPAN While Knitting 関西
http://atricot.jp/tjwk/

トルコ・キリム専門店「SUFi(スーフィ)」
http://sufi-rugs.com






あれから17年。今年もまた、震災の日、誕生日に思うこと。(断片として)
また今年も、1月17日がやってきました。

去年の1月17日は、深夜から未明にかけて、大阪から神戸を目指して歩いていました。
寒空のなかをね、足を棒にして歩いてましたわ。
twitterをつらつら見ていたら、歩く!って人がたくさんいて、僕の性格からしてそんな悪魔の囁きには絶対に乗らないはずなのだけれども(笑)なーんかね、歩いてみようかな、と、そんな気になったのでした。
歩いてみてビックリしたのは、歩いている人がね、意外なほど多いのですよ。2号線を、結構な人が歩いているのです。

17年前の震災のとき、否応なく歩かされた人はたくさんいました。
あれから17年、毎年歩いている人も、きっと、たくさんいるのでしょうね。それは否応ではないだろうけれども、でもね、なにかを忘れないために、なにかを思い出すために、心の澱と対話するために、心が、歩け歩け!と迫るような否応のなさに突き動かされて歩いている人は、きっとたくさんいるのだと思います。
未曾有の体験を個人史に刻み続けるために、歩いているのだと思います。

去年は、NHKで「その街のこども」が放映されたんだよな。

こんな作品です。

「その街のこども」公式HP



佐藤江梨子と森山未来が主演したこの映画は、実際に震災を体験したキャスト&スタッフがたくさん参加していて、ドキュメンタリーのような趣で製作された映画です。
2010年にNHKが放映し、大反響を呼んで、NHKドラマ前代未聞の劇場版が再編され、全国公開で上映されました。劇場版は何度も何度も上映期間が延長され、その後、再びNHKで放映されたのでした。昨年6月にDVDも発売されました。
この作品の秀逸なところは、
子どものころに体験した震災というものに、あらためて向き合おうとする、現在進行形の若者にスポットが当たっていたことです。
傷と共存し、なおかつ前を向いていこうとする、その格闘の姿が、淡々とではあるけれども、描かれていたのでした。
ラスト、追悼のキャンドルナイトが行われている東遊園地に辿り着いたところから流れる音楽も含めて、音楽を担当した大友良英は、彼のキャリアでもっとも美しい音楽をつくりあげています。

夜の三宮と御影を往復するだけのこのロードムービーは、言うまでもなく、夜の神戸の町並みをそのまんま映し出しています。
夜の神戸。
そう、僕にとっても、震災からこっち、神戸といえば、夜のイメージが主旋律になってます。

かつての相方と、知り合いの人たちを迎えに行ったとき、昼すぎに大阪を出たのに、神戸に着いたのは真っ暗な夜でした。
そこで知り合った長田の人たち、ウチナンチューや在日コリアンの人たちと仮設を掃除したり家具を運び込んだりしたのも、夜でした。
ソウルフラワーの別働隊、モノノケサミットが長田神社で演奏会をやったのも、篝火を焚いた夜でした。
月が出ていたり、雪が舞っていたり…。
そのあと、オジィやオバァを連れてルミナリエに行くようになったけれども、これももちろん、夜。

そういう刷り込みがあって、阪神大震災と夜に歩くイメージは、僕のなかで分かちがたく結びついていて、たぶん、歩いたんだろうな。
ザッ、ザッ、
と、スニーカーが地面を擦るたび毎に、大地の冷気が足許から立ち上がってきて、それがスイッチとなって、いろんな風景が立ち上がってきて、目のまえの風景と重なっていきます。
昨年のこの時期は、そういう夜を過ごしたのでした。


毎年、この時期のブログに書くことは、決まってます。


また今年も、1月17日がやって来ました。
もう、17年になる。あの年に生まれ、「望」や「希」と名付けられ祝福されたお子らは、今、高校生ですね。

そして今年は、言うまでもなく、例年の1月17日とは、ちょっと違います。
東北で、未曾有の大震災が発生して、最初の1月17日。
重なる景色もあるし、思い出す景色もあるし、もちろん、違うものもあります。
僕にとっては、両者の物理的な距離も精神的な距離も違います。

17年前の今日、1995年1月17日の朝5時46分、ドーンという、地の底から巨大で不条理ななにかが突き上げてくる衝撃があって、大阪から神戸の一帯は、グチャグチャにされたのでした。


その日は、僕の誕生日でね。
でも、この日を素直に誕生日だと思うことは、もう、ないですね。


当時、僕は、大阪の北摂は豊中というベッドタウンに住んでいて、建物の倒壊こそなかったですが、家のなかはグッチャグチャ、皿やらビンやらの大半が割れ、CDは散乱し、CDのプラケースは割れまくり、2台あったテレビの1台がひっくり返ってブラウン管が割れ、食卓のテーブルは部屋の端まで吹っ飛び、エアコンの室外機がぶっ飛んで壊れました。

普通の地震とはまったく違っていて、ドーン!と、下から突き上げるような衝撃だったので、最初は、爆弾かと思ったもんです。
南米のペルーに住んでいたときは、過激派の連中がよく爆弾を爆発させていて、そんときの衝撃とよく似ていたのですね。でももちろんテロなんて日本ではそうそうあるもんじゃないから(相前後してオウム真理教がやらかしてくれたことも、個人的には澱のように、心の底をずっしりと覆っています)、慌ててテレビをつけたら、神戸が瓦礫の山です。

あまりの出来事で、部屋中が散乱して足の踏み場もない状態で、片付けなきゃいけないのはわかっているんだけれども、しばらくは、なーんもできなかったです。
なんかね、恐怖感だけがあったな。
余震が怖くてね、余震があるたびに、ビクッとしてました。そっから数ヶ月はエレベータに乗れなかったほどで。図太さにかけてはよっぽどの自信はあるけれども、それでも、何ヶ月も、エレベータには怖くて乗れませんでした。エレベータに乗ってるときに地震が来たらと思うと、怖くてね。PSTDって言葉を耳にするようになったのはこの時期からだと思うけれども、PSTDってこういうことか、と、知ったもんです。それでも、僕のなんて、引っ掻き傷みたいなもんだけれども。

僕の住んでいた場所では建物の倒壊もなく、ライフラインもすべて通じていたので、翌日だったか翌々日だったかには、神戸に向けて走ってました。
幸いにして僕の知り合いはほとんどが無事だったのだけれども、神戸には、当時の相方の知り合いの外国人がたくさんいて、彼らや彼女らが、かなり深刻な被害に遭っていて、迎えにいこう!ってことになって。
電話がなかなか通じなくて、でも国際電話がわりあいと通じやすかったので、香港の知り合いをベースにして、そこに伝言をあずけるかたちで連絡とってました。まだ、ネットもメールもなかった時代のことです。

高速道路が波打って倒壊していて、あんな風景、あとにも先にも見たことがないです。
垂直に建っているはずのものが大きく歪んで建っているのを見ると、平衡感覚がおかしくなりますね。三半規管って、視覚からの情報があって初めて機能するんだな、ということを、そのときに実感したのでした。

東日本大震災では、大型船が陸に打ち上げられている風景が映し出されていたけれども、あの風景もまた、現場にいる人たちの三半規管を機能不全にしたのだと思います。

迎えにいった外国人は10人以上で、皆、家をなくしてるから、僕の家に寝泊まりしてました。
最大で、11人が僕の家で寝泊まりしてました。広い家じゃないから、もちろん雑魚寝で、それこそ足の踏み場もないくらいだったけれども、なんだか楽しかったですね。
いろんな国の言葉が飛び交ってね。公用語を決めよう!ってなったんだけれども、英語とスペイン語とアラビア語以上に絞りようがなくて、誰かがスペイン語を英語に翻訳して、その英語をまた誰かがアラビア語に翻訳して伝えてって、伝言ゲームみたいになってました。話がね、よく食い違うんだよ(笑)今日の晩ゴハン当番は○○!って単純な話ですら、最終的には食い違う始末で(笑)
んでね、いろんな人が家にいたから、肝心の僕と相方のプライベートがまったくないのですよ。10人も引き受けていると、出費もそれなりにかさむわけで、今月のおカネ大丈夫か?なんて話も、家のなかではできず…。
ただ、こういうとき、筋金入りのバックパッカーだった経験が生きましたですね。旅先ではほどんどが相部屋や大部屋だったし、こういう合宿生活はまったく苦にならず、むしろ楽しかったです。

知り合いの外国人も、知り合いの知り合いの外国人も、何人もピストン輸送して、そうしているなかで、僕は、長田のオバァやオジィ連中と知り合うことになったのでした。

長田は、在日コリアンやらウチナンチューやら、いわゆる故郷を離れた人たちが住んでいる土地です。それも、住んでいたというよりは、そこに押し込められた、そこにしか住むことができなかった、という土地です。
水はけが悪くて、ようするに、下層の土地。

大規模災害というのは、皆が一様に被害を受けているように見えて、じつは、如実に格差が出るものでも、ありますね。
持たざる人たち、ギリギリの生活を余儀なくされてきた人たちが、ひとたび災害に遭うと、悲惨です。欠けてしまったものを、自力で埋め合わせる余力は、もう、どこにも残っていません。
復興に尽力した市民派の小田実は、彼らは政府によって捨てられた「棄民」だ!と、看破しました。そして、その死を、「難死」と名付けました。
黒田門下の大谷昭宏は、最初の5分は天災だったかもしれないが、それ以降は「人災」だ!と、咆哮しました。

こっから先、思うことはさまざまにあるのだけれども、すでに一昨年のブログに書いたので、もし、興味をお持ちの方がいらっしゃったなら、こちらをご覧ください。

「あれから15年。震災の日、誕生日に思う。」


あの日からこっち、生きかたを変えさせられてしまったなあ、という思いは、僕にはありますね。

あの年からはじまった長田のオジィやオバァとの付き合いは今も続いていて、こちらが励ましているつもりが、いつの間にか励まされていたり…。もうね、ミカンを持っていったら帰りにメロンを持たしてもらってるような塩梅で(笑)
毎年、櫛の歯が抜けるように誰かが鬼籍に入っていくのだけれども、それでも、あの人たちは旺盛に生きてはります。ほんと、旺盛な生命力です。
悲しいことや辛いことを人数で割ることができたり、楽しいことや嬉しいことは人数分だけ倍々ゲームで膨らんでいくといった、人と人とは繋がることで、日々をかつがつ凌いでいけるんだよな、というようなことを、僕は、あの人たちと付き合うことで素直に受け入れられるようになったように、思うのです。
この年になった今でも、僕には、群れることがキライだったり、簡単に理解されてたまるか!といった十代のような気分があるのだけれども、それでもね、あの人たちと付き合うようになって、人と人とが繋がることの心地よさを、少しずつでも、受け入れられるようになってきましたですね。



この時期、ソウルフラワー・ユニオンは、僕にとっては欠かすことのできないヘビー・ローテーションです。
もっとも、この1年は、ずーっとヘビー・ローテーションです。

このバンドとの付き合いは、もう、25年以上になりますね。
若いころは、目を見開いて真っすぐに聴衆を射抜くような面構えで歌ってました。パンクの精神をそのまんま体現したようなバンドでね、触れただけで切れてしまうような、鋭いジャックナイフのようなバンドでした。

そのバンドが、震災を経て、非電化を試み、自分たちの表現したい音楽よりもその場で求められている音楽を演奏する機会を、どんどん増やしていった。
でもそれはなにも媚を売るといったことなどではなくて、ひとときであっても祝祭の空間を現出させるのだという、彼らなりのコミュニケーションの模索です。

そうやって、このバンドは、ずいぶんとタフなバンドになってきました。

音楽こそが国境を越え、人々の絆と連帯をもらたす、なんて物言いはあまりにも牧歌的で、音楽ほど国威発揚や戦意昂揚に利用され、加担してきたものは、他にありません。
それでもね、そうした乾いた認識に立ったうえで、それでも、と、鳴らされる音楽がずいぶんと増えてきたように思うし、ソウルフラワー・ユニオンの音楽は、まさにね、先頭を切ってそのような音楽をやっているように思います。

音楽なんてのは、どんなことを歌った、なにを託した、なんてことが大切なのではなくて、誰がいつ、どのような状況でなにを歌ったのかのほうが、はるかに大切。

あの震災を機に生まれた『満月の夕』は、阪神間の民、草の口の端から、どれほど流れたことか。



エレキギターを三線に持ち替え、オルガンをアコーディオンに持ち替え、ドラムをチンドンに持ち替え、電気が復旧していなかったころから、長田の公園で、オジィやオバァを励ますために、流行歌の演奏会を、何度も何度もやってました。
そうやって、聴く者すべてを飲み友だちにして、一緒に泣いて笑って、酔っぱらおうや、生きていこうや!って、仲間の輪をひろげていきました。
彼らのいいところは、理念なんかよりも先に、具体的なアクションを起こしてるとこだな。

音楽というのは、パンにも塩にもならないけれども、人の心の、欠けてしまったなにかを埋めますね。そして、言うまでもないことだけれども、そうすることで、彼らこそが、どれほどの元気をもらってきたことか。

今年は、東日本大震災が起こってから初めての1.17。
やっぱ、例年の1.17とは、少し感じかたが違います。

宮城県石巻市だとカキの養殖が盛んだったことからお節にはカキフライが入るのだけれども、今年はありませんでした。身内が亡くなっているので、お正月の飾りつけも、ありません。
そういうニュースを耳にすると、あれから何ヶ月も経つけれども、やるせない気分になります。
そんななかでも、
『満月の夕』は、東北でも、人々の口の端から零れ、再生の現場の通底音になっていると聞きます。

阪神大震災を経験したとはいえ、東日本大震災は、遠く離れた僕たちにとっても茫然とする事態で、暗澹たる気分が続くのみで、なにをすることもできませんでした。
でも、やっぱりね、阪神での経験があったからだと思うのです。
ソウルフラワー・ユニオンの言葉を借りれば、
不暁不屈のオンボロが、互いに明日を酌み交わすことで、それぞれの場所で、それなりに、どうにか、糊口をしのごうとしています。

かつがつとでも今を生きているかぎり、いいことがあるじゃないですか。

ソウルフラワー・ユニオンの面々は、震災直後、いち早く、宮城県の女川町に入ったのでした。そんななか、波止場の瓦礫に埋もれる一台のターンテーブルを見つけ、それをtwitterにアップした。
すると、です。
なんとそのターンテーブルの持ち主が判明し、さらになんと、その持ち主はソウルフラワー・ユニオンの20年来のファンで、阪神大震災のときに、彼は、ボランティアとして、ソウルフラワー・ユニオンが主催した被災地の宴の手伝いをしていた人でもあったのでした。
そこから、津波で家も祖父も失った彼との交流がはじまり、5月には被災地での出前ライブが実現したのでした。

そうしたエピソードをモチーフとして生まれた『キセキの渚』は、独りよがりなセンチメンタルを吹き飛ばすかのような、ソウル・フラワー節全開の賑やかで軽快なロックンロールです。

キセキの渚



だよな、と思う。

やれることはまだまだある。新たに繋げられることがある。大丈夫、なんとかなる。なんとかできる。なんとかやれる!
そんな、清々しい風を感じる、タフなロックンロールを、今、聴いています。
「満月の夕」から「キセキの渚」へ。

僕もまた、
昨年4月に立ち上げたニットで繋いで被災地を支援するプロジェクトThink Of JAPAN While Knittingを通じて、キセキの渚へと繋がる道を、かつがつ、歩いていきたいと思っています。

2012年の一発目、1/21(土)-22(日)11:00-19:00
西天満は大阪地方裁判所のスグ南にあるトルコ・キリムの専門店「SUFi(スーフィ)」にて、ブランケット&ショールの新作お披露目&販売会を実施します。

身近なニットの技術を使って被災地を支援できないだろうかとはじまったこのプロジェクトは、多くのニッターを巻き込み、渦をつくっています。
無数の人の手が入り、優に100類以上の毛糸が使われた作品の数々は、その意義や意味だけでなく、作品そのものが大変な価値を持つクオリティのものばかりです。
さらに、お買い上げいただいた全額は、「あしなが育英会」に寄付され、東日本大震災で震災遺児となったお子らの支援のために使われます。

阪神大震災を思い、東北を思い、世界は繋がっているのだということを実感できるこのイベントに、ぜひ、お越し下さい。





黙祷。








「草間彌生 永遠の永遠の永遠」展に行ってきましただ。
「草間彌生 永遠の永遠の永遠」展に行ってきましただ。
中之島の国立国際美術館で、絶賛開催中です。4/8まで。

草間彌生 「永遠の永遠の永遠」


今回の展覧会は世界巡礼するというし、てっきり回顧展だと思っていたら、なーんと、新作・近作展です。
世界初公開も多いとのこと。
1929年生まれですから、御年82歳。それでも、この10年、恐ろしいペースで作品を量産しています。

草間さんといえば、水玉や網模様が有名だけれども、あれ、5歳の頃から描いている、草間さんの原点ですね。それを、延々とやってる。その執拗さこそが、彼女の真骨頂ですね。
増殖と分裂と連鎖を繰り返す水玉、眼、横顔、線虫…、それらは1枚のキャンパスに執拗に描かれ、さらに、連作で繰り返されていきます。
それは、どこか子供のような自由で楽しい想像力に溢れたものだけれども、同時に人間の内面世界をえぐりだしていて、ポップでありながらも深い澱を宿したような、見たこともないような作品です。

それにしても…、
作品展の導入部は、白いキャンパスに黒マジックで描いた作品が多数並んでいるのだけれども、どれもこれもが極彩色です。白地に黒マジックなのに、草間さんが描けば、それだけで極彩色になってしまうというマジック☆ 天才、ですね。

写真を撮れるのは、ここだけ。
入口からすでに草間ワールドが展開されてます。

草間彌生 「永遠の永遠の永遠」

草間彌生 「永遠の永遠の永遠」

草間彌生 「永遠の永遠の永遠」


そして、あのカボチャも見参☆

草間彌生 「永遠の永遠の永遠」


そうそう、今回は行かなかったけれども、美術館の近くにあるリーガロイヤルホテルでは、今回の作品展にあわせて、草間さんの彫刻作品を展示しています。同時に、レストランでは水玉をモチーフにしたムースやオムライスも!

詳細はこちら。

http://www.rihga.co.jp/osaka/kusama/index.html



草間彌生 「永遠の永遠の永遠」
国立国際美術館
1/7-4/8
http://www.nmao.go.jp/


草間彌生 公式サイト
http://www.yayoi-kusama.jp/


大阪市内の各区長さんが一斉にtwitterをはじめるらしい(まだ8区だけやけど)
年が明けてから大阪市下の各区長が相次いでtwitterを開設したんで、市長さんが号令かけたのかな?なんて思っていたら、案の定、そうだったようです。
でも、24区あるなかで、今んところ8区の長だけみたいですね。

橋下市長、区長に「ツイッターのススメ」…開設まだ8人
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20120114-OYO1T00488.htm?from=main1


とりあえず検索かけて引っかかったのは、以下の8つです。


城東区長
https://twitter.com/#!/furusato_JOTO

港区長
https://twitter.com/#!/minatokuyakusyo

鶴見区長
https://twitter.com/#!/tsurunowa

東淀川区+東淀川区長
https://twitter.com/#!/kobushinominori

旭区長
https://twitter.com/#!/asahi_daisuki

住吉区長
https://twitter.com/#!/Hideki918

大正区役所
https://twitter.com/#!/taishododeshow

西淀川区長
https://twitter.com/#!/fortitude2000


他の区は、これから開設するのかな?
区長ともなるとそれなりにお年も召してらっしゃるので、twitterやSNSと縁のない人が多いだろうことは、容易に想像できます。きっとね、「3日でわかるtwitter」とか、その手の本を急いで読んではるかと(笑)

ちなみに、僕がロックオンしている北区では、北区役所も北区長もtwitterを開設してはりません。。

大阪市行政は、これまで、わりと意味も意義もあるイベントをたくさんやってきたと思っているし、それこそ前市長が提唱していた「行政と地元住民が一緒になって、いろいろやりましょ」というコンセプトも、とっても素敵なもんだと思っています。

でもね、大阪市というところは広報が恐ろしく下手で、せっかくこんなことやってるのに!ってことも、誰の眼にも触れないままでいることが多いのですよ。
イベントや事業の製作には専門の人を入れておカネかけるくせに、広報になると、専門のスキルを持った人材を加えるような予算を確保していないと思うのですね。そこが重要だと認識していないんだと。

さて、そんななかで、いろんな区長さんがtwitterをはじめたわけです。
でもこれ、○○さん、ではなくて、○○区の区長の○○さん、って立場でつぶやくのだとしたら、おもろいことなんていっこも出てこないような気がしますわ。
いろんな縛りをかけて、自主規制して、誰からも突っ込まれないように、なんて防衛意識が働くのだとしたら、区のHPに載ってることとおんなじようなことしかつぶやかれないような気がします。

なにも、どっかの市長さんのように、本音を書いたりとか、内部事情を暴露したりだとか、そういうことではなくて、情報の中身が事実だけだったとしても、その語り口から当人の人柄が透けて見えるような、そういうものでなければ、ソッコーでフォロー外されるでしょうね。

そっから少し頑張ってもらって、個人的な考えだとか意思だとか、そういうものが少しでもあれば、引っかかっていくように思います。ようするに、血が通うかどうか、ですよ。
大いに危惧することではあるけれども、一方的につぶやくだけで、やりとりはしない!なんて縛りを自ら課しているようだと、やらないほうがましでしょうね。

個人的におススメなのは、住吉区の区長さん。
この人は、ずーっと以前からtittewをされていて、完全にご当人のキャラが確立されてます。
どの区長さんも、ここを最低ラインとしてもらいたいもんです。
彼のアカウントを見ればわかるけれども、区長である個人の発言に責任を持つ気構えが、見てとれますわな。
SNSは、どんな組織に属しているのであれ、その組織の枠内でやるのであれ、当人個人の顔が見えてこないのであれば、つまらないものです。

そういう区長さんのtweetなら、フォローしようかな、と。
で、北区はやるのかな?




堀川戎神社のえべっさんは、夜通しやってます〜。屋台は閉まるけどね。
堀川戎神社 

堀川戎神社
社伝によると、欽明天皇の時代というから、500年代のこと。
止美連吉雄(tomino-muraji-yoshio)が蛭子大神(hiruko-ookimi)の神託により堀江で玉を得、それを神体として富島に蛭子大神を祀ったのにはじまる、とあります。
蛭子大神というのは、イザナギとイザナミのあいだに生まれた最初の神さまですな。

10/9〜11は、えべっさん。
9日が宵戎
10日が本戎
11日が残り福
です。

笹はどこの神社に持っていってもいいのですが(お寺さんに持っていってもいいです)、買うのはね、えべっさんでないとね。

あんまり知られていないけれども、堀川戎は、この時期、夜通し、えべっさんをやっとります。参道の屋台はご覧の通り、閉まっちゃうけど。

堀川戎神社


まあ、全国から人が集まるという行事でもないので、ピーク時さえ外したら、どの時間でもわりとすんなり入れますけどね。
でも、忙しくて夜が遅い人でも、ちゃーんとお詣りできますよってに。
ちなみに、阪神高速下道西側を、神社の北側から歩いていくと、めーっちゃ空いてます。



堀川戎神社
大阪市北区西天満5-4-17


天神橋筋商店街ではすでにえべっさんの準備がはじまってます
天満界隈でえべっさんといえば堀川戎なのだけれども、近年は、大阪天満宮でもえべっさんをやってはります。

天満宮でえべっさんというのも最初は違和感がありましたが、むかしっから、えべっさんがいらっしゃったとのことです。戦後、途絶えたらしい、と。繁盛亭ができたのを機に、復活しましたです。

そーいえば、天満宮境内の北西隅に、「蛭子遷殿」があります。天神祭の鉾流神事で鉾が流れ着いた場所に戎の社があったというエピソードがあり、その社を天満宮境内に遷したのがはじまりなのだとか。

1798年の「摂津名所図会」には、天満宮のえべっさんにお神酒を供えたら顔が赤くなり、「神酒笑姿(えみす)」と称されたとあります。これが評判となり、1802年の十日戎では群集が殺到し、大鈴が落ちてけが人が出る騒ぎになったなんてことも。

さて、その天満宮の元で栄える天神橋筋商店街では、初詣の群衆が今日になっても途切れませんが、週明けのえべっさんのころには、もっかいに賑わいますな。

商店街では、すでに準備がはじまってますわ。

えべっさん

縁起物を買うとき、値切り倒して、でも値切った分はご祝儀として売り子さんにわたす。
そういう粋な風景を見ることができるのも、えべっさんならでは、です。

えべっさんは、1月9、10、11日です。
せっかく授かった福が落ちるから、お参りした帰りは、どこにも寄り道したらあきまへんえ。



天神橋筋商店街のカウントダウン紙芝居と大阪天満宮へのショートカット
明けましておめでとうございます。

初詣は、毎年、大阪天満宮に行くのです。
ついでに、道中、堀川神社にも立ち寄ります。
大阪天満宮に行く途中に堀川さんがあるので立ち寄るのだけれども、あそこはえべっさんにて本領を発揮する神社なので、初詣にはなんとなくカウントしたくなく(笑)僕のなかでは、初詣は大阪天満宮ということになっとります(笑)

でも、堀川さん、チャリで参拝に来る人がいたりして、激混みの大阪天満宮の鼻先で、奇跡的にのどかな雰囲気なのは悪くないのですね。

堀川神社


さて、紅白の猪苗代湖ズ見て、福島にエールを送っていたころ、自民党の東海由紀子http://twitter.com/#!/tokai_yukiko)がバカなtweetして炎上してる様を楽しんでいたころ、ぼちぼち年越しソバ食って初詣に出かけようかしらんと思っていたころ、例によって関大STEPセンター長から、天神橋筋商店街のアトリエでカウントダウン紙芝居やるから、と、メールが来てですね、なんか、突然、アトリエに顔を出すことになったのでした…。

夜、10時くらい。さすがに初詣に向かう人の影はまばらで、商店街は、嵐のまえの静けさといったところです。こんなんで紙芝居やって人が集まるのかしらん?
と、心配するのもアホらしいほど、蓋を開けてみたら一瞬で人が集まりましたです。拍子木打ちながら、「紙芝居がはじまるよ〜」って、あちこち練り歩くから、ワラワラと人が集まってくるのですね。さすがですわ。
夜10時過ぎてるし、18禁紙芝居とかやってはりました(笑)

カウントダウン紙芝居の様子は、関大STEPのブログにて、リアルタイムで次々とアップされておりました。

関大STEPブログ「楽歳天三の日々」

http://kustep.exblog.jp/

カウントダウン紙芝居


天神橋筋商店街名物の、やっさんの紙芝居です。
サイトは、こちら。

http://www.kamicomi.com/

お正月の三ヶ日は、帝国ホテル大阪で口演やってるとのことです。正月から儲けはりますなっ!


さてさて、大阪天満宮です。
おそらく関西一円から参拝客が来ますから、もう、激混みなのですね。
かつての参道である商店街を歩いていくのが正しいルートなのですが、人混みがすごいし、途中から入場制限が行われて長蛇の列がまったく進まなくなるので、ここは避けたいところです。

なんせ、こんなんですからね。。。

大阪天満宮


一番お手軽なのは、正門から入るのではなく、参拝の出口にあたる繁盛亭横から入るルートがあるのだけれども、初詣の参拝に出口から入るというのはなんとなく気が引けます。

ということで、正門を通過しつつも、もっともスムーズに行けるルートを公開します。

まずは、下の地図をご覧あれ。

大阪天満宮


青で囲まれたエリアが、天満宮の入場規制によって渋滞するエリアです。このエリアを通るのがメインの参拝ルートだけれども、ここに突入すると、寒空のもと、1時間は待たされることになります。
なので、赤い線の迂回ルートをとります。
天満宮の西側にある商店街を通るのではなく、東側の道から天満宮の正門に向かう道です。こっちだと、嘘みたいに人影もまばらです。
んで、入場規制は正門の西側にロープを張って行なわれているので、正門の東側から入る道には入場規制がありません。スイスイ入れる。

さ て、正門をくぐるとですな、そこは境内なのですが、天満宮の境内は意外と狭くて、そこにアホみたいに人が押し込められているので、ここもまともに突入する と、なんと、正門からわずか10数メートル先にある本殿の前に行くまでに、約40分かかります。10数メートル進むだけで40分!もうね、全然進みません からっ!

例年思うのだけれども、境内に入ってからの導線がね、悪すぎるんです。
お賽銭を投げた人たちが逃げる道が、ないんです。そのせいで、前に進みたい人とお詣りを済ませてとっとと逃げ出したい人が交錯して、賽銭箱前がダンゴ状態になる。パンクバンドのライブさながらのモッシュが、ここで展開されるわけです。

そこで、モッシュを避けるようにして、ダンゴ状態エリアの右横(東側)に、手水場があるんで、そこを抜けます。ここはダンゴ状態の横なので、スイスイ前に進めます。ただし、この道を真っすぐ進んでも、本殿の右横に抜けていくだけなので、本殿には辿り着けません。
なので、本殿のすぐ脇まで行ったら、モッシュに突入して、本殿正面まで押し合いへし合いの波に加わります。これだと、最後の1メートルだけ押し合いへし合いするだけなので、まあ、時間はかかりませんわ。

長年の経験から、これがベスト☆
このルートを公開しちゃうと、次回から人が押し寄せて使い物にならなくなる心配が…、や、次といっても1年先のことなので、皆、忘れてるだろうから、きっと大丈夫☆

というわけで、今年もスイスイと参拝できました。
所要時間、たぶん3分(笑)

そのあと、喫茶店でお茶飲んで、帰ってみたら、謹慎中だったはずのまんべくんhttp://twitter.com/#!/manbe_kunGT)が、えらい勢いでtwitter復帰してはりました。大丈夫なのか?(笑)



大阪天満宮
大阪市北区天神橋2丁目1-8
tel. 06-6353-0025
HP http://www.tenjinsan.com/



謹賀新年
謹賀新年


今年もよろしゅーに。

今から大阪天満宮へ初詣に行ってきます。


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