大阪市の北区をグルグル巡るブログ | 大阪市の北区メインでいろいろ仕事をしてます。仕事場も住んでるところも大阪市北区なので、北区をグルグル巡って、目にしたもん耳にしたもん感じたもんを、つらつらと書いています。

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「発見! キタの手わざと名品」展がはじまりました☆ 2/9まで!
先日来、このブログやらtwitterでも告知してきたけれども、北区の伝統工芸を広く知らしめ、市場を創出して行こうとする「北区の伝統工芸と職人さん」事業のイベント、「発見! キタの手わざと名品」展が、1月29日より、新梅田シティのウェスティンホテル大阪の1階ロビーにて絶賛開催されております。

職人展


前原商店のお福人形、切子工房RAUの天満切子、提灯舗かわいからは新作の提灯のアレンジ作品、にじゆらの注染てぬぐいなどが展示されます。週末は、販売も行なわれます。
で、造幣局からも、天神祭デザインの七宝の賞牌も展示されます。

詳しくは、下記のリンク先をご覧あれ。大阪市北区のサイトをご覧あれ。
大阪市北区 「発見! キタの手わざ 名品と伝統」展のお知らせ。

なんでホテルでの開催なのかというと、こうした伝統工芸も北区の観光資源になるはずやし、それやったら、大阪にやってくる人たちにもアピールしたらいいよね!ということになったみたいです。
や、僕は主催者じゃなくて、主催者の周辺でウロウロしている人間なので、どういうプロセスを経てそうなったのかは知らないんだけれども、まあ、結論的にはそういうことです。

ほいで、せっかくのホテルなのだから、展示だけじゃなくて、販売もしたいよね!ってことで、今回、ついに販売に乗り出しました。
や、これまた僕は主催者じゃないんで、どういうプロセス…(以下、省略)。

ホテルの正面から入ってすぐのところに、ちゃーんと、案内のパネルが建てられています。
パネルの写真に写っているのは、天満切子です。
しかもこれ、斜めから見下ろすと、ハート形の模様が浮かび上がるという、なっかなかオシャレなシロモノです。
今回、売ってます。15,000円也☆ 

「発見! キタの手わざ 名品と伝統」展

もちろん、これだけじゃなくて、その他、大小さまざまな切子のグラスが。僕はすでにおなじみなんですが、こんだけ一堂に集められる機会も場所もそうそうないので、見てるだけでも、なかなかの眼福ですよ〜。

「発見! キタの手わざ 名品と伝統」展

「発見! キタの手わざ 名品と伝統」展

「発見! キタの手わざ 名品と伝統」展


お福人形も展示。
お福人形については僕はあんまり知らないんですが、これ、着物を縫うのと同等かそれ以上の技術が必要なんじゃ…。なんにしても、今どきは高い料理屋さんで見かけるくらいで、これまたいくつか展示されてるんで、貴重な機会であります。
お福人形も販売されていて、1万円、2万円で買えちゃうらしいですから、意外と安いです。

「発見! キタの手わざ 名品と伝統」展

「発見! キタの手わざ 名品と伝統」展


さて、伝統工芸は、言うまでもなく伝統を守り続けてこそなのですが、生き残っていくためには、伝統をリスペクトしたうえで、同時代性というかコンテンポラリーな要素が必要になってくると思うのですね。
というよりも、優れた革新主義者は優れた伝統主義者である、という、誰が言ったのかは知らないんだけれども、至言があるじゃないですか。
ということで、や、これまた僕は主催者じゃないんで、どういうプロセス…(以下、省略)。
えーっと、とにかくですな、伝統工芸を駆使する職人さんたちと若いクリエイターたちのコラボによって生み出された、新しい感覚のものも、今回の見どころのひとつになってます。

まずは、注染てぬぐいにじゆらさんから、この手ぬぐい。
純粋に、柄が素敵すぎます☆ これ、きっと買う。

「発見! キタの手わざ 名品と伝統」展

これ以外にも、デザイナーさんとコラボした作品がたくさんあります。1,500円前後と買いやすい価格なのが手ぬぐいのいいところで、うっかりするとコレクションしてしまいそうな…。

「発見! キタの手わざと名品」展


こちらは、提灯舗かわいさんの意欲的な新作、マカロンをモチーフにした行灯。摩訶蝋雲桃燈と名付けられとります。音に反応して光が揺らぐライトが仕込まれているんで、奥行きがあって柔らかい光を楽しむことができます。提灯はさすがに買えんよ!って人でも、これは部屋のインテリアにあわせやすい。

「発見! キタの手わざ 名品と伝統」展


これは、チーム手わざもんから出品された、鰹と昆布がセットになった「婚勝」セット。
美味いダシをとって、結活を勝ち抜いてくださいな!って品です。
天満はもともとが、ロジスティックの集積地。全国の流通のハブだったところで、乾物市場があったんですね。商都大阪の異名も、こっから来てます。
昆布がね、ハート形にくりぬいてあるのがね、とっても洒落てますね。
イベント限定価格の500円(+税)なので、手頃なお土産にいいかもです。

「発見! キタの手わざ 名品と伝統」展

中身はこんなのです。取説も入ってます〜。

「発見! キタの手わざ 名品と伝統」展

昆布をハート形にくり抜く金型も展示。製作費50,000円也☆
こんなの100均で売ってる型抜きでよさそうなもんですが、食品なのだから、そんなええ加減なものを使ってはイカン!のひとことで、この金型の製作が決まったそうです。職人魂炸裂ですな。

「発見! キタの手わざと名品」展


あと、今回のもうひとつの目玉は、造幣局から出品された天神祭デザインの七宝章牌
見れば見るほどため息が出るような、細かい細かい手仕事を堪能できます。ちなみにこれ、造幣局で売ってます。128,000円也〜。
造幣局では、硬貨だけじゃなくて勲章や褒章も製造していて、先日、北区職人研との交流会として、特別に褒章や勲章の製造現場を見学させていただいたのでした。
そのときの模様は、こちらのエントリーを。

「組織化された職能集団としての『造幣局』を訪ねて」

「発見! キタの手わざ 名品と伝統」展


でね、もちろん、商売ばっかりしてるわけじゃなくて、北区の伝統工芸を紹介するパネル展示も行なっております。

フロントを挟んで、長く延びる廊下があるのだけれども、そこにズラズラッと。提灯もたくさん並んで、なかなかスタイリッシュな風景になっとります。

「発見! キタの手わざ 名品と伝統」展


藤為金網篩製造所さんの、高級料亭から引っ張りだこの超ハイクオリティの金網。
御菓子司 八幡屋さんの色とりどりで眼福いっぱいの和菓子。
今回、実物を展示できなかったものは、こうして美麗写真を並べております。眺めてるだけでも楽しい☆

「発見! キタの手わざと名品」展


宮地箪笥店の桐たんす、三枝堂さんの印章も。個人的には、デジタルフォントまでつくってしまった三枝堂さんの印章に萌えまくり(笑)

「発見! キタの手わざと名品」展


とまあ、こんなかんじ。
会場そのものはコンパクトにまとまってるんだけど、いろいろなものがギッシリと詰まっているので、なかなか見応えあります☆

「発見! キタの手わざ 名品と伝統」展


さて、ウェスティンホテル大阪といえば、3,000円のモーニングが楽天で日本一になったんですよね。
朝来て、モーニング+名品展でもいいし、ロビーラウンジから眺めるビオトープになってる中庭もいい眺めなので、楽しみかたは、いくらでもあります〜。

「発見! キタの手わざ 名品と伝統」展


そうそう、ウェスティンホテル大阪では、今、シャトルバス・キャンペーンをやっていて、JR大阪駅桜橋口から出ているシャトルバスで来館すると、食事割引が受けられます。これ、名品展と期間がバッチリ重なってるんで、どーせなら、シャトルバスで来られるといいかと。
詳しくは、ウェスティンホテル大阪のHPをご覧あれ。




「発見! キタの手わざ 名品と伝統」展
HP http://www.city.osaka.lg.jp/kita/page/0000108965.html
開催:1月29日(土)〜2月9日(水)
販売:1/29(土)、1/30(日)、2/4(金)、2/5(土)、2/6(日)の9:00-12:00と15:00-18:00
場所:ウェスティンホテル大阪 1Fロビー(大阪市北区大淀中1-1-20)
mapを見る



それぞれの職人さんたちの詳しい紹介は、過去のエントリーをどうぞ。

「北区にはこんなにも素敵な手仕事があった!第2回 北区の伝統文化と職人さん展『ものづくりと手仕事を中心とした展示会』」

「北区自慢の箏の糸締め名人の仕事を見てきました☆」

「職人さん体験教室『天満の老舗味噌やさんの味噌を使ったお手軽料理をフレンチシェフに学ぼう』を見学してきました(体験参加できず試食もできず…涙)」

「第3回北区の職人展がはじまってます。今回は、若手と伝統のコラボがメイン」


「提灯はこうしてつくられる!」

「職人展のイベント、『春のお茶会に使う和菓子をつくろう』に行ってきました。」

「職人展最後のイベントは、宮地箪笥店さんによる桐箪笥の洗いの実演でした☆」

「職人×学生ワークショップ『キタの職人さんに出会おう』」

「組織化された職能集団としての『造幣局』を訪ねて」







天神橋筋の紅茶専門店「西洋茶館」とジッポーの話
映画を見ているとき、小道具が間違ってたりすると、げんなりしますね。

たとえばライターならライターで、第2次大戦を扱った映画なら、アメリカ兵はジッポーを使っていなければならないし、ヨーロッパ人とナチスなら、イコムを使っていなければならん、という具合になります。 どの映画とは言わんけど、そーゆーところが雑な映画を見たときには、もう…。
どっちのライターも、ブリキ板を折って畳んでつくっただけの素朴なライターだけれども、着想は抜群ですな。

で、ジッポーの話。

ジッポーは、輸入ライターが高価でしかも壊れやすいことに腹を立てたひとりのオッサンが、奮発して開発した作品だということになっているんですが、商品名をつける段になって、ジッパーをチャッと引っ張ったときのあの音が大好きだったので、それをひねって、ジッポーと名付けたんだとか。

ブランド名というのは、一度ヒットすればそれ以外のどんな名前もダメだと感じられるものだから、今では、ジッポーのほかにこのライターの名前はどう考えようもありません。

かつてのアメ車のように油を食い過ぎる欠点はあるものの、このライターはまことに有能で、正確で、百発百中で、雨も風もかまうことなく火を起こし、壊れる箇所がほとんどないという、名品中の名品。しかも、安価。

いつだったかの広告に、傷だらけのライターの写真が出ていて、「第2次大戦中、ヨーロッパに上陸した最初の部隊の最前線のアメリカ兵が持っていたライターです」とキャプションがあり、ほんまかいな?と、真剣に考えれば思わんこともないのですが、それもありかも、と思わせるものが、ジッポーにはありますわ。

「カリブ海で釣ったサメの腹を開いたら、ジッポーが出てきた。試しにパチリとやってみたら、火が点いた」なんていう、いやいやそこまでは言い過ぎだろう!なんて広告もありましたが、そういう逸話を語らせたくなるのも、ジッポーならではのことで。

僕は、このライターが好きで、何年となく愛用してます。してますが、始終、落っことしたり置き忘れたりするので、もう何個買い替えたかわからんほどです。

日本サッカーが初めてワールドカップ出場を果たしたフランス・ワールドカップの記念ジッポーは、フランスでワールドカップを観戦中に、飛び跳ねていたら、なくしていました…。

喫茶店に置き忘れなんて、ざら。

部屋のなかでなくしたまま、ついに出てこないのもあります。

でもね、今使ってるやつは、なぜかなくならんのですよ☆

たまに行く銭湯のロッカーに置き忘れたときはかなり焦りましたが、翌日取りにいくと、ちゃんとありました。
電車のなかにカバンごと置き忘れたときも、ちゃんと終点の駅に届いてました。
ライブハウスのフロアでガンガンに踊っていて、気がついたらなくしてたんですが、知らない人が、これは誰のや〜!ってかざしてくれて、無事にオレの手元に戻りました。
こないだも行方不明になりまして、どこでなくしたのかもさっぱりわからず悶々としていたところ、馴染みのタバコ屋さんにタバコを買いにいくと、にいちゃん、昨日タバコを買いにきたときにライターを忘れていったで〜、と。。。

なんでタバコ屋でジッポーを出していたのかすら謎ですが(笑) ちゃんと帰巣本能が働いた模様で、無事、ちゃんと手元に。

これです。7、8年くらいまえに、ジッポー屋さんで一目惚れして買ったのです。
シェル・フェイスで、ロザリオがあしらわれたもの。たしか、ジャスト1万円です。

 西洋茶館


今度こそ、末永く添い遂げてほしいもんです。。。


えーっと、ジッポーの話を書きたかったわけでは、ないのですね(笑)

じつは先日も、とある茶店で優雅に一人お茶を飲んでいたら、案の定、そのままジッポーをテーブルに置いたまま店をあとにしてしまい…。

気づいたのが深夜だったので、翌日、もっかいその店に行ってみた次第。
そしたら、ちゃーんと、お店で保管してくれてはりました☆

そのお店は、天神橋筋の4丁目あたり、JR天満駅から南下して、ミスドのある横断歩道のちょい北側にある、「西洋茶館」。

店名から連想できるとおり、紅茶の専門店です。アンティークな英国調の内装、テディベアまで置いてあって、商店街の雑然とした雰囲気とは毅然と一線を画しております(笑)

西洋茶館

西洋茶館

アフターヌーンティやらスコーンセットなんかもあるから、もう、普通に、英国調をイメージしていただければ、そう外れてません。

紅茶は、あたりまえだけど香りがよろしくて、とても爽やかな気分になります。
最低でも500円以上するけど、3杯分はいけるんで、(ラストはポットのための1杯?)、それ考えると安いですね。
ミルクティを注文すると、最初の1杯をストレートで、2杯目からミルクを入れて、といった楽しみかたができるんで、僕はもっぱらそのやりかたです。

西洋茶館

西洋茶館


婦女子さん同伴ならケーキ注文するところだと、こんときは一人だったんで、さすがに注文する勇気もなく、店の外に出してあるショーウインドウをパチリ☆

西洋茶館




で、紅茶の専門店なのに、そこでジッポーを忘れた?
そう、ここは店内禁煙じゃないんです。
これ、他の人のことは知らないけど、僕にとっては、とてつもなくデカいアピールポイントとなっております☆






西洋茶館
大阪市北区天神橋4丁目6-14
tel. 06-6357-9780
10:00-22:00
無休
HP http://www.seiyosakan.com/
mapを見る


1月29日〜2月9日「発見! キタの手わざと名品」展が開催されます。販売もアリ☆
北区をぐるぐるとチャリでまわっていて、つくづく思うのは、北区というところは梅田という大都心を抱えているせいで大都会のように見えるけれども、じつはそうではなくて、ここは巨大な下町なのだなということです。

なるほど、阪急村を中心とした梅田界隈は大都会かもしれない。
でも、そのすぐ南にあるお初天神には公設市場があり、すぐ東には古い民家が軒を連ねる中崎町があり、チャリを5分も走らせれば元気な商店街のある天神橋だし、北側はこれまた懐かしい風景のひろがる中津…、どれもこれもチャリどころか歩いていけるところばかりで、中心の梅田を取り囲むようにして、じつは下町がひろがっているというのが、北区ですね。中之島は、ちょっと違うけれども。

そういうふうに感じた印象に確信が持てるようになったのは、地域の繋がりがしっかりと残っていて、縁の下の力持ち的な地域の地味な活動が絶え間なく行われていることを目にするようになってからです。そのことは、このブログでも何度か書いてきました。

地方の集落にありがちな地縁血縁じゃないけれども、北区には、じつは、そうしたものが網の目のように張り巡らされていて、それはそれで面倒なしがらみもあるけれども、でもそのおかげで安全や安心や暮らしやすさが担保されてもいるので、これはやっぱりいいことなんだろうな、と、僕は思ったりします。
で、そういう人たちと付き合ってます。

さて、大阪市の北区というところが連綿と歴史の続いてきた土地だということは知られていても、そこに伝統文化が今も息づいているのだということは、あまり知られていません。
生産地ではなく商業地として発展してきたし、群馬の達磨!とか天童の将棋!とか、ひとつのジャンルに特化して地場産業みたいにして発展してきたわけではないので、わかりにくいっちゃわかりにくいです。でも、いろいろあるのですよ。

と、エラそーに書いてますが、僕も、北区をグルグルするようになるまでは、そんなものがあることは知らなかったのでした。
というよりも、北区行政が取り組んでいる「北区の伝統文化と職人さん」の事業に触れるまでは、まったく知らなかったのでした。
事業とはべつに、職人研なる会も結成されていて、職人さんと職人さんを愛してやまない人たちが集う場が用意されています。その会に加えてもらってからこっち、いろんな職人さんとご縁ができ、現在に至っております。

んで、そうやって触れてきた過去の成果は、こちらのエントリーを。

「北区にはこんなにも素敵な手仕事があった!第2回 北区の伝統文化と職人さん展『ものづくりと手仕事を中心とした展示会』」

「北区自慢の箏の糸締め名人の仕事を見てきました☆」

「職人さん体験教室『天満の老舗味噌やさんの味噌を使ったお手軽料理をフレンチシェフに学ぼう』を見学してきました(体験参加できず試食もできず…涙)」

「第3回北区の職人展がはじまってます。今回は、若手と伝統のコラボがメイン」


「提灯はこうしてつくられる!」

「職人展のイベント、『春のお茶会に使う和菓子をつくろう』に行ってきました。」

「職人展最後のイベントは、宮地箪笥店さんによる桐箪笥の洗いの実演でした☆」

「職人×学生ワークショップ『キタの職人さんに出会おう』」

「組織化された職能集団としての『造幣局』を訪ねて」


で、今回。

この職人研もかかわっている「発見! キタの手わざと名品」展が、1月29日〜2月9日にかけて、新梅田シティのウェスティンホテル大阪で開催されます。

職人展


前原商店のお福人形、切子工房RAUの天満切子、提灯舗かわいからは新作の提灯のアレンジ作品、にじゆらの注染てぬぐいなどが展示されます。週末は、販売も行なわれます。
で、造幣局からも、天神祭デザインの七宝の章牌も展示されます。

詳しくは、下記のリンク先をご覧あれ。大阪市北区のサイトをご覧あれ。
大阪市北区 「発見! キタの手わざ 名品と伝統」展のお知らせ。




目にする機会の少ないものばかりなので、興味のある方はゼヒ☆ 無料です。




「発見! キタの手わざ 名品と伝統」展
HP http://www.city.osaka.lg.jp/kita/page/0000108965.html
開催:1月29日(土)〜2月9日(水)
販売:1/29(土)、1/30(日)、2/4(金)、2/5(土)、2/6(日)の9:00-12:00と
15:00-18:00
場所:ウェスティンホテル大阪 1Fロビー(大阪市北区大淀中1-1-20)
mapを見る


※ ウェスティンホテル大阪へはJR大阪駅桜橋口改札横の高架下から無料のシャトルバスが出ていて、シャトルバスを利用するとホテル内の対象店舗での食事が割 引になるシャトルバスキャンペーンが開催されているので、当日、ホテルで食事する人は、わざわざでもシャトルバスで行くのはアリかと。
詳しくは、ウェスティンホテル大阪のHPを。




組織化された職能集団としての『造幣局』を訪ねて
昨年末のことになるのだけれども、職人研の活動の一環として、造幣局の工場を見学させていただきました。
職人研と造幣局さんの交流会ということで、貨幣の製造現場ではなく、特別に褒章や勲章の製造現場を見学させていただけるという、貴重な体験をさせていただきました。

そのときに書いたレポートの転載許可をいただいたので、今回は一挙公開です☆


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職人さんがズラリと並ぶ、圧巻の風景

造幣局

造幣局


きゅっきゅっ、カリカリ…。しーんと静まり返った工場のなか、整然と作業机が並べられ、数十人の職人さんが黙々と作業に没頭されている風景は、圧巻のひとことです。ときおり、ヤスリをこする音が聞こえてくるのみ。
職人さんの仕事場といえば、ひとり、もしくは少人数で作業されている風景を思い浮かべがちだけれども、こちらはまさに工場さながらの規模。まずその風景に圧倒されます。
しかも、通常の工場のようにオートメーション化されているのではなく、それぞれの作業机で職人さんが職人ならではの精密な手仕事をされているので、ほかでは見ることのない光景です。
貨幣を製造していることでおなじみの造幣局では、じつは、勲章や褒章も製造しています。勲章や褒章は、国家や公共にたいして功労のある方や各分野において優れた行いのある方に授与されるものなので、美麗・尊厳・品格を兼ね備えていることが要求され、熟練した職人さんが細心の注意を払って製造されているとのことです。
今回は、北区職人研との交流会として、特別に褒章や勲章の製造現場を見学させていただきました。
勲章・褒章は、金や銀地金(種類によって違い、デザインを含めて明確な規定があります)に模様をプレスし、仕上げ加工後、七宝を焼き付けて完成させます。
極印・プレス・切り抜き・ヤスリかけ・七宝盛り付け・七宝焼き付け・羽布(研磨)・メッキ・組立と、大きく分けてもこれだけの作業工程があり、機械化できるところは機械化を進めるも、やはり、そのほとんどすべては、熟練の手仕事に依っているとのことです。
たとえば、電気炉に入れて、ゆう薬を焼き付ける作業ですら、電気炉内の温度が場所によって異なるために、時間を区切って細かく場所を移動させなければならず、その感覚もやはり、身体に染み込ませてなんぼ、の世界だそうです。
七宝が入る部分にゆう薬を盛る、焼き付ける…。主な製品は、三回盛り、四回焼き付けます。その過程で気泡が入ってしまったら、もう一度ゆう薬を除去し、手直しをしなければなりません。
切り抜きは主にワイヤーカット機等を使って行ないますが、高級勲章については糸鋸を使用します。最も細い鋸刃は0.1ミリ弱の太さのものだそうです。この極細の鋸刃を折らずに使いこなせるようになるのには、どれほどの熟練を重ねなければならないのか…。
また、ここでしか使わない特殊なヤスリ等の道具も数多くあり、オリジナルの道具については、職員が自ら製作しています。


伝統と同時に進取の気風ある職能集団

さて、そんな職人さんたちですが、身分は国家公務員。その多くは、私たちとおなじように、学校を卒業し、就職試験を経て、普通に就職されてきます。工芸高校出身の方もいますが、普通科出身の方も多く、あらかじめ専門的な知識や技能を持ってこの職に就かれるわけではありません。
もちろん、組織ならではの研修制度などもありますが、基本はやはり、先輩の技を見て、盗むものなのだとか。説明して教えられるものではないことも多く、大部分は、感覚を身体に染み込ませるようにして身につけていくもので、その習得過程はまさに職人世界のそれです。
そうは言っても、昨今の風潮にならって、マニュアル化できるところはマニュアル化し、技術を容易に身につけることができるよう、メソッドを確立させる努力を惜しまないし、機械化できるところは機械化にもトライします。古い体質にこだわっているわけではない。造幣局という組織である以上、合理化は進めなければならないし、むしろ進取の気風すら併せ持つのが造幣局の伝統でもあります。
職人さん個々人の技能の高さや素晴らしさだけでなく、そうした、組織としての職能集団ならではの魅力や特徴までをも垣間見れたことは、人材育成という、組織人なら誰もが抱えるテーマにも繋がることであり、今回の造幣局訪問の大きな収穫のひとつでした。

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写真は、造幣局さんからのご提供です。


さて、こっからは告知。

この職人研もかかわっている「発見! キタの手わざと名品」展が、1月29日〜2月9日にかけて、新梅田シティのウェスティンホテル大阪で開催されます。

職人展

前原商店のお福人形、切子工房RAUの天満切子、提灯舗かわいからは新作の提灯のアレンジ作品、にじゆらの注染てぬぐいなどが展示されます。週末は、販売も行なわれます。
で、造幣局からも、天神祭デザインの七宝の章牌も展示されます。

詳しくは、下記のリンク先をご覧あれ。大阪市北区のサイトをご覧あれ。
大阪市北区 「発見! キタの手わざ 名品と伝統」展のお知らせ。



目にする機会の少ないものばかりなので、興味のある方はゼヒ☆ 無料です。




独立行政法人 造幣局
大阪市北区天満1-1-79
HP http://www.mint.go.jp/
※貨幣工場の見学は10日前までに要予約(tel. 06-6351-6150)。造幣博物館は予約不要
mapを見る


「発見! キタの手わざ 名品と伝統」展
HP http://www.city.osaka.lg.jp/kita/page/0000108965.html
開催:1月29日(土)〜2月9日(水)
販売:1/29(土)、1/30(日)、2/4(金)、2/5(土)、2/6(日)の9:00-12:00と
15:00-18:00
場所:ウェスティンホテル大阪 1Fロビー(大阪市北区大淀中1-1-20)
mapを見る


※ウェスティンホテル大阪へはJR大阪駅桜橋口改札横の高架下から無料のシャトルバスが出ていて、シャトルバスを利用するとホテル内の対象店舗での食事が割引になるシャトルバスキャンペーンが開催されているので、当日、ホテルで食事する人は、わざわざでもシャトルバスで行くのはアリかと。
詳しくは、ウェスティンホテル大阪のHPを。



兄ちゃんの店のことなど



新地に「兄ちゃんの店」という名前の店がありましてな。ビルの4階にあって、エレベータがないので、階段で上らんとあかんのですよ。
なので、4階まであがったけど閉まってた!なんて悲惨なことにならんように、ビルの外から見えるよう、窓から提灯がさげてあります。提灯に灯がついてたら営業中、灯が消えてたら店仕舞い。
カウンターにイスが5つか6つだけの狭い店でね。メニューは、餃子だけです。あ、餃子以外に、マカロニサラダがあります。
だから、店に入ると、30個!とか50個!とか、焼いてもらう餃子の数だけ注文して、あとは、ほしかったら、マカロニサラダの入った小鉢が置いてあるので、それを勝手にとるだけ。
おっちゃんがひとりでやってる小さな店です。ときどき、中国人留学生の学生さんがバイトでいたりいなかったりします。しょぼいビルの4階でひっそりと営業してるんで、あんまり知られてないんですが、南○や天○など、大阪では有名どころの餃子専門店のオヤジは、この店の兄ちゃんに育てられたりもしてます。

えーっと、この店のことを書きたいのでは、ないのでした。

この店は、新地のクラブのホステスさん御用達の店でして、クラブがはねたあと、ここに来てグチをこぼしたりホッコリしたりしているホステスさんは、たくさんいます。
そんな店だから、新地中の情報が集まってきていて、ホステスさんの移籍話やら新店オープンの情報やら、とあるお店の経済状況やらトラブルやら、この店にいてると、いろいろ耳にすることができます。
関西料理界のドンを自称してる神○川のオヤジがどこでなんの悪さをしたとか、ぜーんぶ筒抜け(笑)

えーっと、この店のことを書きたいのでは、ないのでした。

オレは水商売で働く婦女子さんが大好きでしてね。
なんだかんだいって男社会のなかでね、頑張ってる婦女子さんが、大好きなんですよ。水商売の婦女子さんは、オンナを武器にしてね、男を手玉にとってね、そうやって頑張ってる姿は、ある種、小気味よくて、好きです。

頑張ってね、目いっぱい構えて仕事してるけれども、やっぱ人間だから、どっかで甘えたくもなるだろうし、気も抜きたくなりますわな。
兄ちゃんの店に初めて連れていってくれたのは、仲よしだったクラブのママで、普段はかっこよく振る舞ってるんだけれども、仕事がはねてこの店でホッコリしてるときだけね、弱音を吐くんですよ。そういう時間、そういう風景が、オレは、とっても好きだったりします。

おなじホステスさんでも、クラブの、つまり、口座持ちのホステスさんは厳しい競争をやってますな。
んで、稼ぐホステスさんは、やっぱ、お客さんのことばっかり考えててね、ビックリするくらいに気配りしてます。そのあたり、どの商売でもおんなじだなあ、と思いますね。お客さんからお金を引っ張ることばっかり考えてるホステスさんは、やっぱ、どっかでつぶれていきますね。
だから、真っ当なホステスさんって、お客さんの悪口とかグチとか滅多に言わないけれども、それでもね、ふと気が緩んだ瞬間、兄ちゃんの店でホッコリしているとき、なにかの拍子にね、あのお客さんがね、なんてことを、口にします。
それはねえ、もう、人間だから仕方がないよ、ってレベルでね、ときどき、恨み節めいたことを口にします。そういう瞬間がね、その人の素が見えた気がして、オレは、とっても好きだったりします。

オレは、自分がマイノリティだという自覚があるので、やっぱりね、この世のなかではどこまでいっても少数派でしかないホステスさんたちには、同志的な思いがあります。

惚れた腫れたの世界でもあるし、そこを絡めて商売してるし、婦女子さんばっかりの職場だから、それ特有のものもありますな。
いじめとか、派閥とか…。

今はもう全然行かないけれども、20代のころは、そういう場所で、よく遊んでました。


こないだ、久しぶりに新地をウロウロしていたとき、行こうかなと思ったんだけど、見上げたら提灯の灯が入っていなかったので、ついてないなー、と。
でも、そんなことを思い出していたのでした。

また近いうちに覗いてみよ。




兄ちゃんの店
大阪市北区曽根崎新地1-6-2 福寿ビル4F
tel. 06-6341-0619
17:30-翌2:00
日祝休み
mapを見る


天満宮の表門前に能舞台があるのを、ご存知ですか?
朝陽会館

天満宮の表門前に能舞台があるのを、ご存知ですか?
僕はまったく知りませんでした。

表門から南に伸びる参道の一番手前に、朝陽会館という建物がありまして、外から見ているかぎりは普通のビルなんだけれども、なかに入って階段を上がるとですね、立派な能舞台があるのですよ。
いやー、ビックリしました☆

朝陽会館

朝陽会館

朝陽会館

上町にある大槻能楽堂は狂言を見にときどき行くし、徳井町の山本能楽堂、北区にもある大阪能楽会館は、行ったことこそないけど、その存在は知っています。でも、天満宮の真ん前に能楽堂があったとは、恥ずかしながら知りませんでした。

観世流 職分の上野朝義さんが、こちらの能舞台を運営されています。

上野朝義さんはじめ、上野さんご兄弟3人は、全員が能楽師です。
お父さんもおじいさんも能楽師という、由緒正しき家柄なのです。

なんでも、ルーツは、朝義さんのひいおじいさんにあたる秦次郎さんにまで遡るといいます。出は、高槻。
高槻藩城代家老の豊田家から上野家に養子に入った秦次郎さんは、プロの能楽師にこそならなかったけれども、能をたしなんでおられた、と。高槻は、能が非常に盛んな土地だったそうです。

秦次郎さんの息子である義三郎さんの時代、天神橋筋で薬屋を営んでおり、秦次郎さんの息子である義三郎さんは薬剤師になるべく、東京の大学で学びます。でも、帰阪後、能楽師となってしまい、観世流の職分となってしまいます。職分というのは、職業的な能楽師、というほどの意味。
明治の時代のこと、この時代、東京に大学に行くというのは大変なことだと思うのだけれども、結局は、そのコースからあっさり外れて職分になってしまうあたり、血は争えんというかなんというか…、なんにしても、そこからは途切れることなく職分を輩出している上野家なのでした。

現在の能舞台がある朝陽会館は、昭和42年に建てられました。
戦前にこの地に大きな能舞台があったのだけれども、戦争で焼失、昭和42年に再建されたものだそうです。

かように由緒正しい上野家と朝陽会館の能舞台なのですが、存在すら知らない人も多いんじゃ…。

でも、天満宮で梅まつりが行なわれる2月下旬、上野家は勧進能を舞うのですよ。

2月20日(日)14:30〜 朝陽会館能舞台
2月20日(日)18:30〜 大阪天満宮本殿

2部制になっていて、
第1部は、ワークショップ「能とは?狂言とか?」
第2部は、本殿奉納

能といえば、神社の境内など、野外でやる薪能を思い浮かべがちだけれども、なんと、本殿で舞われます。
これは、ちょっと見たいな…。


上野さんに教えてもらったのだけれども、
能は、徳川時代初め、刀を取り上げた武士たちに文化を養う法を発布したおかげで、武士が能を舞うようになったといいます。
大阪では高槻で能が盛んになり、上野さんのひいおじいさんも、高槻藩の城代をされていたことから、この地で能文化を一身に浴び、能にのめり込んでいったのでしょう。

また、奇妙な縁のお話も。
上野家は薬局を営んでいたところ、能の世界に飛び込んでいったわけです。
そうやって医療の世界から離れていったのだけれども、今、朝義さんは、不思議な縁で、看護専門学校にて能の授業を行っています。
看護は、字のごとく、看取ることが肝で、その看取る力を養うために、能を勉強するわけです。能もまた、能面越しに、微妙な表情や仕草でさまざまなものを伝えていきます。そこに看護と能の共通点があるのだとか。
医療を離れて能の世界に飛び込んだ上野家が、今、再び医療と結びついている、という、不思議な縁です。


というようなお話をお聞きすることもでき、天満宮正面に能舞台があるということも知り、僕のなかで、能がなにやら一気に身近なものになりつつあります。

とりあえず、天満宮の梅まつりでの勧進御能は、行ってみるかな。




朝陽会館
大阪北区天神橋1丁目17-8
tel. 06-6357-0844
HP http://choyokaikan.com
mapを見る


第3回 大阪天満宮梅まつり
勧進御能 勧進元願主・観世流 上野朝義(朝陽会館館主)
日時
2011年2月20日(日) 14時30分〜於:朝陽会館能舞台
2011年2月20日(日) 18時30分〜 於:大阪天満宮本殿
料金
第1部 2,500円、第2部 3,000円
○大盆梅展の招待券を贈呈いたします
チケット取り扱い
朝陽会館 06-6357-0844
大阪天満宮 06-6353-00250
芦屋能舞台 0797-26-6290





西天満のトルコ料理店で水タバコを吸って、かつてパリで邂逅したベロニカのことを思い出していた
もうずいぶんとむかしのことだけれども、21歳の夏を、僕は、パリのとある下町で過ごしていました。

ぶっ飛んだ若い連中や、目をギラつかせたアジアやアラブ、アフリカからの移民、合法と非合法の境界線を綱渡りしながら歩いているような連中がたくさんいて、毎日が絵空事のように刺激的だったのでした。

でっかいビルとビルのあいだの路地みたいなところに、違法なのかどうか知らないけれども、路上のカフェがあってね、来る日も来る日も、そこで沈没してました。
どー見ても路上なんだけれども、その路上に厨房があって、ビル壁に沿ってテーブルとイスが並べられていて、各テーブルにはパラソルまで据え付けられていて、どっから見ても立派なカフェです。
もっとも、路上なので、店の入口も出口なければ、普通に通行していく人もいます。

主にアラブ系の人たちがたむろしているカフェで、闇両替やらドラッグやら売春やらのブラックマーケットのオッサンがいっぱいいて、そいつらにぶら下がってるチンピラみたいなのもたくさんいて、そーゆー人たちと僕は来る日も来る日もワイワイやっていたのでした。
まあ、どーしようもない連中なのだけれども、あの人たちは、悪人ではなかったな。悪いこといっぱいしてる人たちだったけれども、笑顔が素敵だったり、人がよかったり、なんかしら魅力があって、憎めない人たちでしたわ。

パリには移民がたくさんいるし、個人の努力だけでは抜け出せないような格差もいたるところにあるから、生きのびるため、のし上がっていくためには、モラルを超えていかなければならないときもあるだろうし、リーガルマインドなんてのは、こういう環境では屁の突っ張りにもならんのだから、僕は、そういう人たちがやっていることを非難する気にはなりません。
根っからの悪人だったらイヤだけれども、どっかしら魅力のある人たちばっかりだったから、毎日、楽しく、刺激的に過ごしてました。

ベロニカと知り合ったのは、そのカフェでの夜のことでした。

彼女は、ストリップダンサーでした。
ステージがはねたあと、彼女はきっとこのカフェで遅く貧相な夕食を摂っていました。僕たちは、どちらからともなく話をするようになっていて、僕は、極東の奇妙な国に覆う息苦しさから逃れたい一心で、アジアから中東を抜けて気がつけばこんなところまで流れてきていたんだ、みたいなことを話したように思います。
ベロニカ、というピカソのモデルになった女性と同じ名を持つ彼女は、ハンガリー生まれのロマ(ジプシー)で、パリでストリップショーをやりながら生計を立てている、いろいろ辛いことはあるけれど、ダンスがあるかぎり生きていけるんだ、みたいなことを、訥々と話してくれました。

訥々とではあるけれども多くを語ろうとはしない彼女の話から透けて見える現実は、シビアな現実でね。動乱のハンガリー現代史とロマのヨーロッパでの扱われかたを、僕はそれなりに知識として知ってはいたけれど、おそらくは、そんな生半可な知識では想像も出来ないような修羅場を、彼女はいくつもいくつもくぐってきたんだろうな、と、その場で僕は朧げながら感じとるのみでした。

どこかで重なるところがあったのか、なにかの波長が合ったのかは定かではないのだけれども、結局、その夜から僕はベロニカの家に転がり込むことになって、若さにも流れにも身を委せて、その年の夏の2ヶ月を、僕は、ベロニカとともに、彼女の家で過ごしたのでした。

ノー・ミュージック・ノー・ライフ、ってなくらいに音楽にのめり込んでいた僕にとって、ベロニカと過ごした日々は、煌めく宝石のようなものだったな。

サルサ、サンバ、スコットランド民謡にアイリッシュ&ケルト民謡、オキナワ民謡(!)、フラメンコ、ミュゼ、ルンバ、チャチャチャ、マンボ、ブーガルー、ガンボ、カッワリー、そしてロックンロールとブラックミュージック、レゲエ、スカ、ダブ、ロックステディ……。ベロニカは、世界中のありとあらゆるダンス・ミュージックに、その身を浸していて、まだ青くて堅いばっかりのパンク&レゲエ小僧だった僕には、それらはとても新鮮で、ピカピカに磨かれたおろし立てのブーツみたいに魅力的なものに感じられたのでした。

いろんな話をしました。
音楽について、音楽の未来について、ダンスについて、リズムについて、リズムの未来について、快楽について、感情と理性の揺らぎについて、ロマについて、共産主義について、資本主義について、自由について、不自由について、民族について、国家について、人が人を愛することについて、人が人を愛することのバカバカしさについて、交わることについて、男と女について、すれ違うことについて、旅をすることについて、旅をしながら生活をすることについて、流れていくことについて……。ホント、いろんな話をしたし、いろんなことを、ベロニカからは教わったような気がします。

旅をしていてよかったなと思う瞬間は、そういうときですね。

触れれば火傷をしてしまうような、熱い真実に出会うことが、あります。ベロニカは、そういう、真実の塊のような人でした。

夏の陽差しが心なしか柔らかくなってきた晩夏のある日、僕はベロニカの家を出る決心をしました。次の旅をはじめる、再び流れていく決心を、僕は、したのでした。

そのことをベロニカに告げたとき、
「旅をするんだったら、いろんなことを見て、聞いて、感じなさい。いろんなことを知りなさい。そして、知り得たことのすべてを、他人の立場や環境をリアルに想像するための手助けにしなさい。他人の立場をディテールまでリアルに想像することができたら、戦争や諍いはなくなるわ」
彼女は、僕にそう言ったのでした。

おそらくは個人の力ではどうにもならない巨大な力に翻弄され続けてきたであろう彼女は、そして自らの出自と生業に対して謂われのない悪意しか示さなかった人が圧倒的だった環境を生き抜いてきたであろう彼女は、それでも、なお、個人と個人は繋がることが出来るという希望を捨てずに、僕に、人間は想像することができる、と、言うのでした。

そのときのベロニカの視線のオクターブの強さ、意志を持ったクチビルの動き、適度に緊張した力を漲らせた指先、オーロラのように背後にはっきりと見えたオーラは、否応なく僕の胸の奥の深いところに刺青のように刻印されていて、今でもまだくっきりと残っています。

今、ベロニカがどこでなにをしているのか、僕には知る由もありません。何年かまえにパリを訪れた際、かつてのベロニカの住んでいた場所に行ってみたけれども、すでに彼女はそこでは暮らしていないようでした。きっと、どこかの空の下で、僕が見上げれば広がっているのとおなじ空の下で、彼女は今もきっとダンスしているのだろうと思う。



先日、西天満にトルコ料理の店がオープンしてるよ!と聞いて、しかも水タバコが吸えるよ!と聞いて、行ってきたのでした。

じつはベロニカと出会ったカフェで、僕は、来る日も来る日も、水タバコを吸っていたのでした。
シーシャって呼んでたな。このカフェではフランス語じゃなくてアラビア語が幅を利かせていたから、水タバコのことは、アラビア語でシーシャって呼んでました。「ガラス」の語源だと言っていたような…。
糖蜜で固めたタバコに炭を乗せて熱して、煙を水を通して吸うから、水タバコ。
精製してない黒タバコを吸ってたんで、きつくて最初はよくむせてたんだけれども、1回で1時間くらい持つし、毎日、昼と夜と1回ずつ吸ってましたね。
パイプの口を取り替えればいいだけだから、他人の水タバコももらったりしたし、そんなことをしているうちに、隣の人ともすぐに仲よくなる。
そうやっていろんな人と仲よくなり、ベロニカとも邂逅したのでした。

件の西天満のトルコ料理の店の水タバコは、アラブ世界で僕が嗜んできた水タバコとは少し違っていて、ちっちゃなちっちゃな、赤ちゃんみたいな水タバコでした。
水タバコの機能は器具の大小にかかわらず変わらないけれども、このサイズはちと淋しい。

でも、あのとき以来の水タバコを吸っていて、まるで昨日のことのように、フラッシュバックしてきました。
うん。濃密な時間だった。

トルコ料理 Ay Yildiz(アイユルズ)






トルコ料理 Ay Yildiz(アイユルズ)
大阪市北区西天満5-15-7 ADGビル1F
tel. 06-6360-7738
11:00-15:00 17:00-24:00
HP http://www.ayyildiz.jp/
mapを見る




お疲れさん、寛平ちゃん。
寛平ちゃん ゴール


寛平ちゃんが、ついにアースマラソンを完遂させましたな。

2008年12月17日に大阪をスタートして、日本、太平洋、アメリカ大陸、大西洋、ユーラシアを走破。
走行距離40,000kmオーバーの大冒険が、ついに完結しましたな。766日。
人類初の偉業なのだとか。

途中、前立腺ガンを発症し、治療もし、盟友キヨシローの訃報に接し、映画にも出演し…、そして毎日毎日、来る日も来る日も。1日50km。

なんか、想像もつかないな。
僕は、彼が走ったほぼすべての場所に、若いころ、行ったことがあります。
きっと彼が走った道を僕も歩いただろうし、彼が見た風景を、僕もきっと見ています。
と、悦に入ってひとりごちることがまったくできないほど、想像がつきません。
どんだけの情熱と、どんだけの意思と、どんだけの体力と、どんだけの技量と、どんだけの夢を抱えていたのか。まったく、想像がつきません。

アースマラソンを走っているあいだに還暦を迎えた彼を見ていて、ああ、この年だからこそ、このチャレンジをする気になったんだろうし、チャレンジできたんだろうし、この年だからこそ、寛平ちゃんは、この偉業を達成することができるんだろうな、と、かろうじて、そんなことだけ想像することができました。

もちろん、年齢が年齢だから、純粋な体力は、ピークを過ぎて下り坂のはずです。
でも、体力って、気力や精神力と密接にリンクしてるでしょ。
低迷期も下積みもブレイクも経験して、生きてきたたしかな証みたいなものがほしくて、とんでもない情熱と意思が、体力をもっかい押し上げたんだと思いますわ。
だから、きっと、若いころだったらできなかったんじゃないかな、と、そんなことを思いながら、皆が繋いだ何本ものゴールテープを切る寛平ちゃんの姿を見ていたのでした。

大阪城まで出迎えにいこうとしたんだけれども、あんまりにも人が多すぎて、こりゃ近づくことすらできんな、と、断念。TVで見てました。

TVの演出は全然好感持てなかったけれども、ギャグ連発の芸人魂と、寛平ちゃんの人のよさがたくさん滲み出ていて、じーんと来たな。

お疲れさん、寛平ちゃん。





間寛平 アースマラソン 公式ブログ





関テレの壁面に巨大なハチエモンが出現しとります☆
関西テレビ

関西テレビ

関テレの壁面に巨大なハチエモンが出現しとります☆

以上。



手抜きじゃないよ。だって、これ以上書くことがないもないんだもん!





関西テレビ
大阪市北区扇町2-1-7
HP http://ktv.co.jp
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緒方洪庵菩提寺の龍海寺にて、洪庵の妻・八重に思いを馳せる
龍海寺 緒方洪庵墓所  

緒方洪庵といえば適塾。
幕末には、爛熟の元禄期を経たあとにやってくる憂いというか、ある種の閉塞感があって、そのせいで未来を憂う気分があちこちにあったように思います。なんとなく、今の時代に似ているような気もするのですね。
そのせいで、あちこちで私塾ができています。
松下村塾とかもそうだし、大阪では大塩平八郎も私塾をつくってましたな。

適塾を巡るお話は、過去にエントリーしたので、そちらをご覧あれ。

「第8回北天満サイエンスカフェは、初の遠征!適塾を見学してきました☆」


今回は、緒方洪庵のお墓です。
墓所は、北区内のお寺さんストリート、かつての寺町、現・同心町にある「龍海寺」

龍海寺 緒方洪庵墓所


近くに、こんなのがありました。これで、このあたりがかつて寺町だったことがわかりますね。

龍海寺 緒方洪庵墓所


洪庵は、晩年、幕府の要請により、江戸で奥医師をしていて、そこで亡くなっているので、じつは東京にもお墓があります。
まあ、有名人は、あちこちにお墓がありますからな。
大阪の龍海寺は、元々が緒方家の菩提寺で、奥さんの八重さんのお墓もこちらにあります。

お寺さんの門前には、「緒方洪庵墓所」とだけ刻まれた碑が建てられてるんですが、むしろ、八重さん、せめて洪庵と併記にするべきやと思いますわ。
それくらい、八重さんの功績もデカい。
八重さんは、それこそ内助の功で洪庵を陰から支えた人です。
七男六女をもうけて育児に追われる一方で、洪庵の事業のために実家から仕送りの工面をしたり、熟成の面倒もちゃーんと見てはったお方です。
適塾の大部屋にある刀傷を見てたら想像できるけど、塾生って、みんな血気盛んなんですよ。まあ、福沢諭吉みたいなガンコで短気な人がいてたことからも、それは容易に想像できるけど。
そーゆー人たちを上手いことコントロールしながら、洪庵の事業のために金の工面をし、育児から家事からやってのけるって、並大抵のことではないと思いますけどね。

姉御肌でね、福沢諭吉は、彼女のことを、私のおっかさんのような人で、非常に豪気な人と評してます。
佐野常民は、適塾で受けた恩義が忘れられずに、八重さんの墓碑銘を書いてます。

その八重さんが亡くなったのは、洪庵が亡くなってから何年も経ってのことだけれども、彼女の葬儀には、門下生から政府関係者から在野の名士から一般人まで2000人が参列したといいます。
普通、ダンナの威光なんて、旦那が亡くなって数年で消えてしまうもんです。でも、彼女は違った。彼女自身が、慕われていたからこそ、です。
葬列の先頭が日本橋に差し掛かっても、彼女の棺は、2.5km離れた北浜の自宅からまだ出てなかったといいますから、とんでもないです。

話は変わって、もひとつおもしろいのは、ここには大村益次郎の墓もあります。
墓といっても、足塚。要するに、大村益次郎の切断された右足が、洪庵夫妻の墓の隣に眠っているそうです。
足をね、洪庵の墓の傍に埋葬してほしいという、大村益次郎たっての遺言やったそうです。

司馬遼太郎が、軍神といわれた大村益次郎を題材に「花神」を書いてます。
そこには、
この足塚は、政治的狂人が墓を暴くかもしれないという危惧から、ずっと内密にされてきた。昭和12年に記録が発見されるまで、寺の住職さえ知らなかった。
昭和15年ようやく碑がたてられるにいたったというのは、見方によっては、思想というこの有毒なものが無毒になるにはそれだけの歳月を必要とした、ということもいえるかもしれない。
と、書かれています。
司馬らしい記述ですね。

訪れたときは、お寺の方がどなたもいらっしゃらなかったので、境内に入ることはできなかったけれども、またいつか、機会を見つけて詣ってみたいもんです。


横へまわってみると、まあまあデカいお寺さんです。

龍海寺 緒方洪庵墓所





龍海寺 緒方洪庵夫妻墓所
大阪市北区同心1-3-1
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