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【TJWK】ブランケット完成記念お披露目会@ピエロハーバーの報告と販売予定のお知らせ、価格設定に込めた思いなど
TJWK

Think Of JAPAN While Knitting
たくさんの人に呼びかけて小さなモチーフを編み、そのモチーフを100枚程度ずつコーディネイトしてブランケットに繋ぎ、販売し、売り上げの全額を「あしなが育英会」に寄付して被災地支援、特に震災遺児の支援に役立てていただこうという、プロジェクト。

サイトはこちらを。

http://atricot.jp/tjwk/


今年の春先から夏にかけては、このプロジェクトの製作に、かかりっきりでした。
会場を設定して、クソ暑いなか、たくさんの方に来ていただいて、みなさんにモチーフを編んでいただいたのでした。
また、活動を知った全国の方々からも、モチーフが送られてきます。
5月にプロジェクトを動かしはじめて、現在までにモチーフは18,000枚以上集まっています。
モチーフの数もさることながら、全国のさまざまな場所でこのプロジェクトに反応し、このプロジェクトが触媒となって、その場所その人でしかあり得ないような動きが増えていったらいいな、と、ずっと思っています。
人と人が繋がるということは、そういうことだ。

今、atricotさん周辺やfunknit軍団の方々は、モチーフをブランケットやショールに繋ぐ作業を、黙々とやってはります。
この作業は、僕の出る幕なしですわ(笑)
でもね、横目で眺めていると、繋ぐ作業をされている方は、志が高いのですよ。
モチーフを編む、たったそれだけのことが被災地支援に繋がっていく。そのような主旨のプロジェクトなので、できるだけたくさんの方に参加してもらおう!と考え、モチーフを編むことには、編み針を握ったこともないような人にまで門戸をひろげました。
そのせいで、やっぱ、モチーフのクオリティにはバラツキがあるのですね。でも、そうしたモチーフもたくさん混ぜて、そのうえで、繋ぐ技術を最大限に駆使して、売りものになるブランケット&ショールに仕上げてくれています。
どうしても使えないモチーフは、修正したり解いたりして、編み手の思いを生かすかたちでもう一度編み直します。そのうえで、使っています。どんなモチーフであれ、1枚もおろそかにしない心構えで、繋ぎ手のみなさんは、繋がれています。その志の高さと意志の強さと、そこに注がれている情熱の総量は、半端ないですよ。
僕は出る幕がないだけに、黙って頭を垂れるのみです。
今、完成しているブランケット&ショールは40枚。製作が進み、動いているものは100枚を越えています。
そのうえで、なお、10,000枚のモチーフが手つかずの状態で出番を待っています。
プロジェクトを立ち上げた当初の予想をはるかに超えた、大きな大きな動きとなりました。

さて、カナダのトロントからはじまったこのプロジェクトのユニークなところは、ブランケット&ショールを被災地に送るのではなく、販売して、現金化し、「あしなが育英会」を通じて被災地支援に役立ててもらおう、というところにあります。
販売する、という、まったくべつのフェイズを持ったステップが加わっているのですね。
これはもう、思いやきれいごとだけでどうにかなる類いのものではないので、クールに数字とにらめっこしていかないと、たちまちのうちに立ち行かなくなります。
だから、価格をどうするか、ということについては、相当な議論がありました。

本当にいろいろな考えが百出したけれども、
作品が持っている物語を市場に出したら、その価値はどの程度のものなるのか、ということを軸に、価格設定をすることとなりました。

ブランケット(大)30,000円
ブランケット(小)20,000円
ショール 15,000円

そういう価格帯です。
そして、作品の売り上げは、全額、あしなが育英会に寄付されます。

これらのブランケット&ショールの商品的な特性としては、
モチーフを編まれた方各々が手持ちの毛糸を使っているので、モチーフの数だけの毛糸が使われている、という点が挙げられます。つまり、100人の人が、100枚のモチーフが使われたブランケットなら、100種類以上の毛糸が使われていること。
それだけの毛糸を一人の人が用意することは事実上不可能だし、仮にそれをやったとしたら莫大なコストがかかってしまうので、商品として成立しません。つまり、どれだけ高名な作家であってもつくることのできない作品、数百人の方が参加したプロジェクトだからこそつくることができた作品である、というところが、これらの作品の最大のセールスポイントです。

モチーフを編む。たったそれだけのことが被災地支援に繋がる。このプロジェクトのど真ん中を貫いているこのコンセプトは、大きな物語となって、作品に反映され、作品の最大の特徴になっています。
参加された方の思いを変奏させることなく、通底音だけに留めるのでもなく、作品の最大の特徴になっているところが、このプロジェクトと作品のすごいところです。
そうしたものを、価格にぶつけてあります。

手づくりものの相場は、ここ数年、急落しているそうです。そこからモノを見ると、設定した価格はやや高めに感じるかもしれない。
でも、作品の特性やセールスポイントから見ると、この価格は激安だと、僕は思っています。
被災地支援という善意だけでつくられた作品だからこそ、この価格をつけることができたということです。通常のコスト計算をしたら、100,000万円でもあわないでしょうね。絶対に、得です☆

さて、現在40枚のブランケット&ショールが完成していると、前段で書きました。
現在、その一端を、南森町の交差点にあるりそな銀行南森町支店のショーウィンドウに展示しています。
関西大学とりそな銀行のご協力で、展示が実現しました。10月末までは展示している予定なので、お近くに寄られた際は、ぜひ、ご覧になってください。
深夜12時になったら電気が消えちゃうけれども、まともな時間帯なら、いつでもご覧いただけます。

りそな銀行 南森町支店の場所は、りそな銀行のHPを。

http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=4&grp=resona&ino=BA472879


TJWK


そして、先週の土曜、9月17日には、僕の根城でお馴染みの「中津芸術文化村 ピエロハーバー」にて、すでに完成している40枚のブランケットの完成記念お披露目会を行ったのでした。

ピエロハーバーのHPは、こっちね。

http://www2.odn.ne.jp/sugar-town/

ピエロハーバーがどんなところかというのは、今さらなのでクドクド書きません。まあ、僕のブログの過去エントリーでも参照してくださいませ。
一端はこちらを。

「『大阪北ヤードアートフェスティバル2011春祭』@ピエロハーバー。今回は『面格子ファンクラブ』で僕も参加☆」


今回はお披露目会ということだったので、モチーフ・サーキットに参加してくれた人たちをメインに告知を行なったのだけれども、価格も決まったことだし、直前になって販売も行なうことになりました。直前だったので、一般の方への告知が大きく不足してしまったことはちょっと残念だけれども、まあ、でも、販売ははじまったばかりなので。

それにしても、こうして一堂に並べてみると、やっぱ迫力ありますわ。圧巻!のひとことですよ。

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当日は、例によってatricotさんのせいで台風やらゲリラ豪雨やらが襲ってきて、またかいな!というかんじだったのだけれども、直前に読売新聞に掲載されたこともあって、結構な人出で。普通、あんな嵐の日に、人は出歩きませんて(笑)
ほんま、毎度毎度あんな天候ですいません! でもこれはすべて、atricotさんが悪いので、文句はぜひそちらへ☆

来られた方、私のモチーフはどこかしら〜!って探してらっしゃる方が多かったですね。
展示したブランケット&ショールに使用したモチーフは全体の本の一部でしかないので、残念ながら見つけることのできた人は少なかっただろうけれども、ミラクルな出来事もありました。

どれにしようかなとさんざん悩んだ末にお買い上げいただいた方の隣に、そのブランケットを繋いだ繋ぎ手さんがたまたまいたのですね。さらにさらに、その隣には、なんと!繋ぎ用の糸を寄付してくれた人がいて、1枚のブランケットを通じて、寄付してくれた人、繋いでくれた人、買ってくれた人の3人が繋がってしまったという、ミラクルな出来事もあったのですよ。
こんなふうに繋がっていくのって、サイコーです☆


今回、もちろんナミハヤノーツさんのUst配信も行ないました。
ナミハヤノーツさんのご提案で、プロジェクトのこれまでを振り返るまとめ番組をつくろう!ということになって、そのような番組の配信が実現したのですね。

番組はアーカイブからどうぞ。



番組でatricotさんが語っているけれども、このプロジェクトのキモになっているところは、やっぱ、人と人、思いと思い、糸と糸、それらが繋がっていくことです。
モチーフを編んでくれる動きがどんどんひろがっていくこともさることながら、最初は繋ぎ手がatricotさん一人しかいなくて、どーすんの?って状態だったのが、funknitさん軍団と出会い、彼女たちと繋がることで、とてつもなく強力な繋ぎ手集団が形成されました。実際、funknitさん軍団と出会わなかったらと考えると、ゾッとします。

さらに今回も、恒例の「被災のお話」を、ゲスト・スピーカーを招いて行ないました。
ピエロハーバーを拠点とする市民劇団の劇団員で、ピエロハーバーで勤務もしている東登子さんに語っていただいたのでした。

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彼女は、現在は京都に在住だけれども、岩手県盛岡市の出身で、実家や親戚はもちろん、彼女のたくさんの友人が被災されました。ご家族は無事だったけれども、親戚の方々が被災されました。
3月からこっち、彼女が身を摘まれるような思いで過ごしてこれらたことを僕は横目で見ていたので、今回、僕たちが支援のお手伝いをしようとしている人たちはどのような人たちなのか、ということを知っていただきたくて、彼女にスピーチをお願いしたのでした。

こちらももちろん、Ustのアーカイブがありますので、ぜひご覧ください。



震災直後のことです。
テレビの中継で津波の映像を見たときには、小さなころから行っていた場所の知っている建物がことごとくなくなっていて、これはなんだ?と頭の整理がまったくつかないと同時に、ダメだと思ったそうです。
盛岡市の実家に電話しても、呼び出し音は鳴るけれども誰も電話に出ない。もしかして建物の下敷きに?など、さまざまなことが頭に浮かんだそうです。
数時間後、お父さんと連絡がとれたのだそうですが、黒電話だったことが幸いしたようです。そこで、家族全員の無事が確認できました。
でも、陸前高田市や大船渡市にいる親戚の安否がまったくわからない状態でした。それが一番辛かった、と。

若い人たち同士はtwitterやネット等で連絡をとることができるけれども、実家の両親や年配の人とは、そんなものは使えません。
メディアから流れてくる情報で、あそこの地域は無事だよと聞かされても、声を聞くまでは安心できない。
東さんの場合、幸運にも、自衛隊上がりの友人がいたので、その友人が、車も使えないなか、自転車で東さんの親戚の家を一軒一軒まわってくれたそうです。それでようやく信じることができた、と。

テレビから流れてくる情報をとりながら、自分のなかで情報を整理し、当日と翌日を過ごしたことを、なんとなく覚えているそうです。でも、当時の記憶はずっと曖昧なままで、それだけ混乱していたのだ、とも。

そのようにして、内陸部にいる親戚の方たちの安否は確認できたのだけれども、沿岸部にいる人たちの安否がまったく確認できない状態でした。

そんななか、テレビで繰り返される津波の映像は、希望よりも絶望を抱かせたのだそうです。
数日後、盛岡でもテレビを見ることができるようになったとき、繰り返される津波の映像を見ていたお母さんが、泣きながら、こんなもの見ていられないと言ったのだとか。あれらの映像は、被災者にとっては絶望を抱かせるものでしかなく、そこへの配慮のなさに、怒りすら感じたのだそうです。

道路が寸断されているという情報が流れ、国道も封鎖され、内陸から沿岸部へ家を確認しに行けない状態がしばらく続きました。
あとでわかったことだけれども、道路が通じるという情報が流れると人が殺到するので、実際は通行できる道でも、行政判断で通行不能という情報を流していたと耳にしたそうです。
批判するわけではないけれども、ここにいて、少ない情報を頼りに生活しているのに、その情報がウソである、信用できない情報を流していたとわかって、なにを信じていいのかわからなくなったと、東さんは言います。

3日後くらいに、内陸から沿岸に行く道が繋がっていると聞いたとき、東さんのご家族が、荷物を持って、食糧を持って、親戚何人かで安否確認に行かれました。
大船渡市に行きました。大船渡市は、坂が少ない場所です。そういう場所では、津波が来て、波が引くと同時に、すべてのものを根こそぎ持っていってしまった。
陸前高田市にも行きました。陸前高田市は坂が多く、津波が来て波が引くと同時に、モノをすべてそこに置いていったのだそうです。
なにもない大船渡市と、ガレキが残っている陸前高田市の両方をまわって、本当にここに人がいるんだろうか、と、ご家族は思ったそうです。

ご家族が避難所に行ってみると、親戚は誰もいませんでした。もうダメなのかなと思、家に行ってみたら、皆、家にいらっしゃったのでした。
ラッキーなことに、隣の家も車も流されてなにもなくなっていたのに、東さんの親戚の家は、20cmほど段差があったために、土壁が壊れた程度で済んだ。そこに近所の人も集まって、集団で生活していたとのことです。たった20cmの段差が、生死を分けたのでした。

無事を知らせたくても車の燃料はない。電話も使えない。テレビでは避難所に衛星電話があると言っていたけれども、それを使えるのは家がなくなった人に限定されたために、東さんの親戚の方たちは、東さんのご家族に無事を知らせる手段がまったくなかったのだそうです。そういう状態でした。

東さんの大叔母さんの安否連絡が一番遅かったのだそうです。無事のメールが来たのは、東さんがピエロハーバーで勤務しているときでした。
すぐに事務所に行って、助かりました!って大声で言って、号泣していたのを覚えているそうです。
スタッフはみんな家族のような人たちなので、泣きながら喜んでくれ、ここにいてよかったと、東さんは心底思われた、と。近くに誰か一緒になって心配してくれる人がいてよかった、と。

不謹慎だけれども、前置きしたうえで、こんなにもとてつもない被害だったのに、自分の目の届く親戚は誰一人、亡くなることもなく行方知れずになることもなく…、すごく恵まれていると、東さんは言いました。
でも、友人のなかには、いまだに行方不明の友だちがいるし、家ごと流されてしまった光景を目の当たりにした小学校6年生の少年は、未だに海が怖いと言い、夏は海に行かず内陸に遊びに行ったのだそうです。

京都に暮らす東さんは、なにをされていたか。
本当になにもできなかった。
店に義援金箱を置かせてもらい、震災前の東北の美しい風景の写真をたくさん送ってもらって、それを展示されていました。
被災地の外にいると、できることはなにもなくて、おカネや物資を送ることくらいしかできない。
でも、被災した家族に聞くと、皆さんがそういう気持ちでいてくれることが嬉しい、と。

妹さんが夏休みを利用して沿岸部にボランティアに行かれたのだそうです。
ガレキはなくなりつつあるけれども、雑草が生えてきてしまって、まず雑草を抜いてからヘドロを除去していかないとなにもできない状態なのが、現状だそうです。
正直、劇的には状況はなんも変わっていないようです。
村長がなくなったりしている場所もあるし、行政組織は損なわれていて、やはり頼れなかったのだそうです。一方で、組織を離れた人の助けや思いやりが一番ありがたかったのだとか。今もそう。
だから、このようなイベントをしてもらえるのは、とても嬉しいと、おっしゃっていただきました。
東さんのお母さんに、このプロジェクトの話をすると、とても喜んでくれたのだそうです。




以上が、東さんのお話の一端です。
ご家族や親戚に被災された人を持つ方のナマのお話というのは、なんというか、説得力があります。
こうした声をキチンと拾いつつ、プロジェクトを前進させていくことができたら、と、あらためて思いましたです。

HPでは、今月末より完成したブランケット&ショールのオンライン・カタログを掲載します。
そちらからもご購入していただくことができるし、なによりも、みなさんが編んでくれたモチーフがどのようになっていったのかをご確認していただくことができるようになります。

展示販売も、いくつかの場所で話が進んでいます。
また決まり次第、ここで発表します。




Think Of JAPAN While Knitting 関西
HP http://atricot.jp/tjwk/



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