大阪市の北区をグルグル巡るブログ | 大阪市の北区メインでいろいろ仕事をしてます。仕事場も住んでるところも大阪市北区なので、北区をグルグル巡って、目にしたもん耳にしたもん感じたもんを、つらつらと書いています。

大阪市の北区をグルグル巡るブログ
大阪市の北区をグルグル巡るブログ
<< 圧巻のあじさい10,000株☆ 宇治・三室戸寺は今が一番いい季節です | main | 天満の老舗名店「天平」がとりもつ縁のことなど >>
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています


天神橋3丁目内の公園にある顕彰碑を見て、このあたりの学校名に「済美」の名が使われていたことに思いを馳せる
えーっと、我ながら、なかなか小ネタのエントリーです。

天神橋筋商店街の3丁目、南森町とミスドのあいだのエリアなのだけれども、商店街から一本東へ入ったあたりに、児童公園があるのですよ。
ごちゃごちゃしたところに突如現れる、エアポケットみたいな空間です。

中野岩蔵先生顕彰碑

ジャングルジムとかブランコとか置いてある、ごくごく普通の公園ね。今、すぐ隣にマンションが建設中。
一応、堀川児童遊園地って名前がついてます。地蔵盆のとき、この地域ではこの公園が会場になりますわ。

そちらにですね、ちっこい公園に似つかわしくない、石碑が建てられているのですよ。

見ると、
「中野岩蔵先生 顕彰碑」
と、刻まれています。

中野岩蔵先生顕彰碑

中野岩蔵先生顕彰碑

石碑に刻まれた功績を基にしていろいろ調べてみると、
昭和初期、与力町(この公園があるあたりですわ)に済美幼稚園を経営してたのが中野岩蔵氏で、昭和8年、これを大阪市に寄進したのだそうです。
そのとき、天満幼稚園と改称されました。
ただ、1945年(昭和20年)に、戦災により、天満幼稚園は焼失し、そのまま閉園となってしまったそうです。
で、それでは偲びないと、この地の有志が奔走されてですな、現在のこの児童公園に土地が換地されたとのことです。
そして、めでたく、顕彰碑が建てられた、と。石碑建立は、1961年(昭和36年)のことです。

済美、という名前は、今では中崎町あたりで使われている地名です。
だから、一見すると、なんで天神橋にその名前が?と、なります。

ただ、済美という地名は、明治に発布された教育勅語に依っていて、「世々厥の美を済し…」というところからとられているといいます。
家代々の家業を受け継ぎ、よいことを成し遂げる、というほどの意味ですかね。

で、1872年(明治5年)あたりから各地に小学校が設立されていくわけなのだけれども、その際、もちろん町名から小学校名を名付けたものがあると同時に、漢籍から、立派な言葉を採用した例もあったと言います。やっぱ、学校だし、それなりの威厳を持たせたかったんだと思います。

そういう理由から、「済美」という名前が、このあたりの学校名に付けられ、済美第一小学校、第二小学校…、と、番号がついていきます。

この石碑にまつわる済美幼稚園も、おそらくは、その伝にならって命名された幼稚園なのだと思います。

大阪の商売人は子弟教育の重要性を強く認識していたというので、きっと、この幼稚園が担った期待や役割も大きかったんでしょうな。

ちなみに、中野岩蔵氏については、石碑に刻まれている以上のことは、調べてもわからず。

宿題としますか。。。。。


中野岩蔵先生顕彰碑
堀川児童遊園地内
大阪市北区天神橋3丁目4


大きな地図で見る

■この町内の最近のエントリー■
スポンサーサイト

コメントする









この記事のトラックバックURL

http://kita-ku.jugem.jp/trackback/715
トラックバック
/PAGES
▲page top

pagetop
Copy Right(c)2009-2011 Joe's Garage inc. Asakaho Luis Ryuta All Rights Reserved.