大阪市の北区をグルグル巡るブログ | 大阪市の北区メインでいろいろ仕事をしてます。仕事場も住んでるところも大阪市北区なので、北区をグルグル巡って、目にしたもん耳にしたもん感じたもんを、つらつらと書いています。

大阪市の北区をグルグル巡るブログ
大阪市の北区をグルグル巡るブログ
<< 早い・安い・美味い☆の三拍子揃った、天満最強ランクの定食屋さん「梅香」 | main | 「キタのむかし・いま・みらいを、感じる写真コンテスト。」やります。 展示場所は、北ヤード工事現場フェンス☆ >>
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています


天満堀川の橋 - かつて綿屋町やったところに、なぜか梅ヶ枝橋
ここ、扇町公園の南側、バイパスになってるところです。

むかし、天満堀川があったころは、ここが堀川の終点、つまり堀留で、大川から流れてきたゴミが溜まりに溜まって、ゴモク山と呼ばれたところです。フィリピンのスモーキー・マウンテンみたいなもん?

んで、1838年(天保9年)のことですけど、大塩平八郎さんが大暴れしたあと、被災者救済やら失業者対策の一環として、今の樋ノ口町を経て淀川へ水が抜けるように、水路を延伸させる工事が行なわれるわけです。
雇用促進と環境改善をセットにした土木工事なので、今の公共事業と発想はおんなじですな。

そんとき、この、梅ヶ枝橋ができてます。
ただ、このあたりは当時、綿花業者が軒を連ねる綿屋町と呼ばれていた場所で、梅ヶ枝町というのは西天満に旧地名として残っているので、ここに架けられた橋がなぜに梅ヶ枝橋という名称なのか…、謎です。

ちなみに、現在の梅ヶ枝橋は、1971年(昭和46年)の架設。

ただ、「摂津名所図会大成」を見てみると、この橋に該当する箇所に「綿屋橋」というのがありまして、どうやら、この「綿屋橋」が、どっかで「梅ヶ枝橋」に名称変更しているような気がするんですよね。

なんにせよ、謎です。


今はバイパスになっているので、橋という印象はないけれども、それでも銘板(橋名板)が貼られているので、橋には違いない。欄干らしきものも、ちゃーんとあります。
堀川こそすでに埋め立てられて存在しないけど、この梅ヶ枝橋は、橋としての役割を今も果たしてます。
で、橋の脇には、何代前かの梅ヶ枝橋の跡碑がひっそりと建てられています。

梅ヶ枝橋

梅ヶ枝橋


さて、これは又聞きで聞いた話なので、真偽のほどは定かではないのだけれども、橋には、じつは入口と出口がありまして、漢字で書かれた銘板(橋名板)が張られているのが、入口やそうです。出口側には、ひらがなで書かれた銘板(橋名板)が、貼られてます。

梅ヶ枝橋

梅ヶ枝橋


そもそも、道路には、上りと下り、起点と終点があるんで、それをベースに、起点に近いほうを入口、終点に近いほうを出口とするんでしょうな。
で、入口側の銘板(橋名板)には漢字を、出口側にはひらがなを記す、というルールになってるようです。
江戸時代から、すでにそうなってるらしいですわ。

ちなみに、「梅ヶ枝橋」は出口側にまわってみると、「うめがえはし」となってます。
「ばし」と濁らずに「はし」となっているのは、まあ、橋の下を流れる川が濁らんように、と、全国的に見られる傾向ですが、堀川の場合は、特にその思いが強かったんやろな、と。



梅ヶ枝橋
大阪市北区末広町3 付近


大きな地図で見る

■この町内の最近のエントリー■
スポンサーサイト

コメントする









この記事のトラックバックURL

http://kita-ku.jugem.jp/trackback/644
トラックバック
/PAGES
▲page top

pagetop
Copy Right(c)2009-2011 Joe's Garage inc. Asakaho Luis Ryuta All Rights Reserved.