大阪市の北区をグルグル巡るブログ | 大阪市の北区メインでいろいろ仕事をしてます。仕事場も住んでるところも大阪市北区なので、北区をグルグル巡って、目にしたもん耳にしたもん感じたもんを、つらつらと書いています。

大阪市の北区をグルグル巡るブログ
大阪市の北区をグルグル巡るブログ
<< 樽屋橋跡から、天満で酒造りが盛んだったことを偲んでみる | main | 中崎町の「白龍大神」に見るミイサン伝説 >>
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています


「ラピーヌ」でロコモコを食べながら、ロコモコのウンチクを語る
ラピーヌ

茶屋町のNuの一角に、アーリーアメリカンなお店がありまして、ときどき行きます。
Nu chayamachiができる以前からやってはるお店なので、Nu chayamachiができたときに、そこに移ってます。
「ラピーヌ」というお店。

Nu chayamachiの裏側、スニーカー屋さんの向かいあたりにお店があって、1階がブティック、2階がライブスペース、3階がカフェになっているお店です。

ちょっとややこしくて、Nu chayamachi正面の敷地のところに、そこだけ建物から独立して地下に降りるところがあって、そこも「ラピーヌ」というんですが、そっちはパスタ系のお店で、べつのお店。まあ、親類がやってはりますが、べつのお店です。

どっちもいいお店ですが、今回は、Nu chayamachiの裏側の「ラピーヌ」。
アーリーアメリカンなお店で、大阪におけるビンテージ・デニムや復刻デニムの草分け的なお店ですわ。
ラグタイムやフラの音楽が流れ、ビンテージもののジーンズやアロハが売られているお店、といえば、イメージしやすいかと。ウクレレの教室なんかも開催されとります。

で、僕は、ここに来たときは、きっと、ロコモコランチを食べます。

ラピーヌ


で、ここで、ロコモコについてのウンチク披露(笑)

ハワイイでは、ハワイイ人だけが住んでいるように思われているけれども、じつはそんなことは全然なくて、そもそも、労働に連れてこられたスパニッシュがギ ターを持ち込んで、ウクレレが誕生してますわな。日系人はアロハを発明してるし、コリアンもいればアイリッシュもいて、もともとのポリネシアンがいてます から、わりに多人種の島。

第2次世界大戦でドンパチやってる1949年に、リチャードとナンシー井上夫妻が、ヒロのキノオレ通りとポナ・ハワイイ通りの角に、小さなレストランを開店したのでした。
ポナ・ハワイイ通りを挟んでリンカーン公園があるので、「リンカーン・グリル」って店名ですね。
「リ ンカーン・グリル」のメニューは、主としてハンバーガー、ホットドッグ、パンケーキ、ビーフシチュー、サンドイッチ、スパゲッティー。店の近くに、ヒロ高 校やリンカーン公園があるので、若い人たちが連日押し掛けて、まあ、学校の近所にある安くてボリュームのある料理が食べられる食堂、ってノリで繁盛してい くわけです。朝6時〜夜の11時まで、目のまわる忙しさ。

そのころですな、ヒロには、アメフトのチームが2チームあって、それぞれ「リンカーン・レッカー(難破船略奪者)」と「ワイケア・パイレーツ(ワイケアの海賊)」が、毎週末、リンカーン公園のグランドで猛烈なアメリカン・フットボールの闘争をしていたわけです。ヒロ・ダービーですな☆
世界中、あらゆる地域で展開されるどんなダービーもそうだけれども、ヒロのダービーも熾烈で、しばしば乱闘騒ぎに発展することもあったんだとか。

そんな試合のあと、「リンカーン・レッカー」の連中は「リンカーン・グリル」に行き、ビールとハンバーガーで気勢を上げるのが常なのでした。
一 方で、「ワイケア・パイレーツ」のメンバーは、カメハメハ通りの「カフェ100」に集合して、その日のゲームを振り返って、やはり気勢を上げるのでした。「カフェ100』は、店のオーナーが、第2次世界大戦でイタリアとフランスの戦線で活躍したハワイイ2世で構成された100部隊に属していたことに由来し ています。
このころ、ハワイイに移住した日系人は、ルーツを日本に持ちながらも日本を相手に戦争せざるをえなかたっという悲劇があるけれども、その話をはじめてしまうと話はとめどなく横道にそれてしまうので、それはまたってことで。

ある日ですな、ヒロ高校の生徒数人が、行きつけの「リンカーン・グリル」で、今日、オレは財布に35セントしか持ってないねんけど、めちゃくちゃ腹が減ってるから、なんでもいいから35セントでできるものを食べさせてくれ!って頼んだんですね。
んで、ナンシーは、サイミンボール(ラーメン鉢)に熱々のご飯を入れ、そのうえにハンバーグと目玉焼きを置き、つくり置きしていた牛肉のタレをかけて、こいつらに出したんですわ。

これが、大受け☆
で、ヒロ高校で評判となり、この料理は「ロコ・モコ」と名付けられたのでした。

命名にはいくつかの説がありまして、
クレイジーな料理だから、クレイジーの意味であるロコに、ゴロがいいモコを引っ付けて、「ロコ・モコ」。
あるいは、「ロコモーティブ(機関車)」みたいに活気のある若者を象徴しているから、「ロコ・モコ」。
あるいは、ハワイイはピジン英語(もともとの現地語とまざった英語ですな)なので、ローカルでしか通用しないから、それをもじって「ロコ・モコ」。

ま、いろいろあるのですが、とにかく、ロコ・モコはこうやって誕生したのでした。

ヒ ロはもちろん狭い街だから、噂はたちまち広がっていき、どの店もロコ・モコを出すようになり、「ワイケア・パイレーツ」のメンバーたちが贔屓にしていた「カフェ100」でもロコ・モコを出すようになり、たちまちハワイイ中を席巻していくわけです。1980年代に入ると、アメリカ本土の大学の学食にまでメニューが載るようになり、ついにアメリカ全土でその存在が認められるまでになった、と。

井上夫妻はケンタッキー・フライドチキンみたいに特許申請をしなかったので大儲けすることはなかったけれども、今は引退して、ハワイイ島の南部で有閑な生活を送っているらしいです。

さて、1984年に「カフェ100」がロコ・モコの特許を申請して、自分ところをロコ・モコの誕生の地と宣伝しはじめます。誕生の地だという宣伝は、「リン カーン・レッカー」のOBたちの抗議によって取り下げられたけれども、特許はどうしようもないです。もっとも、ロコ・モコを発明した井上夫妻にとっては、ロコ・モコがひろがったことが一番嬉しいことで、それ以外の名誉や儲けについては、どこ吹く風というかんじらしいですが。。。。


ロコ・モコも、今や完全に日本に定着しましたですな。
ワンプレート・メニューはもともとは日本の料理には存在しないけれども、日本には丼があるから、こういう食べかたは、受け入れられやすかったんでしょうな。

というわけで、僕は今日、久しぶりに、「ラピーヌ」でロコモコ・ランチを食べているのでした。




ビンテージ・ブティック&カフェ「ラピーヌ」
大阪市北区茶屋町10-9
tel. 06-6375-1433
11:00-23:00
無休
HP http://homepage2.nifty.com/lapine/
mapを見る


■この町内の最近のエントリー■
スポンサーサイト

この記事のコメント
はじめまして!
突然のメールで失礼します。
過去に書かれた記事についてお知らせしたいと思います。
5月18日の記事で収容人数30000人?という記事を拝見しました。
多くの方が関連記事で扇町プールと大阪プールを混同されておられるようです。
かって扇町公園の中には大阪プールと扇町プールがありました。大阪プールは現在八幡屋公園に移転しました。扇町プールは現在で三代目になるでしょうか、私が子供の頃は幼児用プールと25mプールが2レーンの小さな夏季のみ営業の屋外プールでした。二度場所を変えています。
とてもあの規模で大きな興行や大会は不可能です。
当時の大阪プールはすり鉢の形をした飛びこみ板もあった国際大会にふさわしいそれは立派なプールでしたよ。とても深いプールでしたので中学生以下は入水禁止でした...。長々と失礼しました。要領を得ない書き方ですいません。今後ともよろしくお願いします。








| Carlos | 2011/03/08 10:56 AM |
この記事のコメント
> Carlosさん

ご指摘ありがとうございます。
2年前、当該のエントリー記事を書いたときは、まだまだ勉強不足でした。
おっしゃるとおり、ふたつのプールがあったのですよね。
また、いろいろ教えてくださいませ〜。

| ルイス | 2011/03/08 11:12 AM |
コメントする









この記事のトラックバックURL

http://kita-ku.jugem.jp/trackback/628
トラックバック
/PAGES
▲page top

pagetop
Copy Right(c)2009-2011 Joe's Garage inc. Asakaho Luis Ryuta All Rights Reserved.