激動の2月をくぐり抜けて、久しぶりの休暇。京都は下鴨神社に、光琳の梅を見にいってきました。
僕、
尾形光琳という日本画家が大好きでしてね。
繊細さとダイナミックさが同居していて、なんというか、スケールが大きくて、王さまの芸術とでも呼びたくなるような趣です。
なかでも傑作の誉れ高い
「紅白梅図屏風」は、死ぬまでに一度は見たいなあと願ってる作品でして。熱海のMOA美術館にあるんですが、熱海に用事はないし。。
あ、これが「紅白梅図屏風」です。
で、しゃーなしに…、しゃーなしってこともないけれども、尾形光琳が「紅白梅図屏風」を描く際に参考にしたという梅、名付けて
「光琳の梅」が、
下鴨神社にあるんで、何年かに一度、こいつを見にいきます。
この時期だけなので、下鴨神社に行く人はたくさんいても、光琳の梅を知っている人は、意外と少ないみたい。でも、この時期、下鴨神社の南にひろがる糺の森には椿も咲き誇っているし、訪れるのにはいい季節です。緑はさすがにまだ少ないけどね。
下鴨神社は京都で一番古い神社。上賀茂神社の親でもありますが、みたらし団子の生みの親でもあります。御手洗川も御手洗社もあるしね。
す ぐ横には京都のジャングルというか、人の手の入っていない数少ない森、糺の森がありまして、さらにその向かいには京都家裁があります。「糺す」と命名された森の横に裁判所があるというのは、偶然なのかどうか知らないけれども、なかなか意味深ですな。もっとも、本当のところは、賀茂川と高野川の合流点にあるの で、只洲→糺す、となったとする説が有力だけれども。
この森を縫うように下鴨神社の参道が続いており、天気のいい日には、原生林の森から木漏れ日が射し込んで、とーっても気持ちがいいです。この森は、夏に来ると虫が多くて閉口するけれども、それ以外の季節だと、いつ来てもいい気持ちになれます。市中のど真ん中にこういう森を抱えているところがね、京都の奥深いところです。この森は、里山の森ではなくて、正真正銘の原生林だから。
さて、目指すは、本殿横にある「光琳の梅」です。幸いなことに、人影もまばら。
いやいや、艶やか! お見事です! って梅。
御手洗川に架かる輪橋(そりはし)のたもとにね、1本だけなんだけれども、それはそれは見事な梅が。。
ちょっとね、これ、溜め息が出ますよ。
1本しかないからなおさらだけど、すんごい、フォトジェニックな梅です。
光琳の「紅白梅図屏風」の梅はかなりリアリスティックに描いてあるけれども、この梅をそのまんま模写するように描いたわけではないですね。
眺めていて、そう思いました。
そうではなくて、この梅が持っている本質、それは王さまの梅とでも呼びたくなるような桁外れの艶やかさと華やかさ、それこそを、光琳は屏風に写しとったのだな、と、この梅を見て、いつも思います。
光琳の作品は、どれも、規格外です。繊細さと大胆さが同居するというウルトラCを内包するのが光琳の作品の特徴だと僕は思っているのだけれども、そういう光琳だからこそ、この梅が心に響いたのだな、と、そんなふうに思いましたな。
ところで、この梅を見ていて、あっ!と思ったことがあります。
光琳が描いた「紅白梅図屏風」は、真ん中を大胆に川が流れていて、屏風を左右に仕切ってしまっている構図で、これがね、この場所の地形を想起させるのですよ。
nがYの字になっているのが、光琳の『紅白梅図屏風』です。
きっとね、この地形にインスピレーションを得たのではないか、と、僕は思うのですよ。
大胆さは光琳の代名詞でもあるけれども、まさにね、地形の大胆さがそのまま構図に写し取られています。
そういうふうに考えると、なかなか楽しい妄想ができるじゃないですか。
これで『紅白梅図屏風』の実物と対面する日が、ますます楽しみになってきました☆
誰か、熱海に行くような仕事をくれませんかね?(笑)
もしくは、屏風を熱海から関西に持ってきてくれるとか(爆)
帰り道、再び糺の森を歩いていると、鮮やかな椿を見つけました。
そして、御手洗川を流れる、一輪の落ち椿。風流。風流。
神社をあとにした住宅街の玄関先で、心尽くしの梅の鉢を発見☆
下鴨神社 光琳の森
京都市左京区下鴨泉川町59
HP
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