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「生誕80年 大阪が生んだ開高健展」にて、「夏の闇」の直筆原稿に触れて、涙が出そうになった
開高健


十代の終わりころだったのには違いないのだけれども、僕はもう、いつ、どのようにして開高健、大兄(氏の流儀に倣い、親しみを込めて大兄と呼ぶ)に出会ったのかを覚えていません。

キヨシローやブルーハーツ、ソウルフラワーやボブ・マーリーらと邂逅した瞬間のことは昨日のことのように鮮明に思い出せるけれども、大兄によって自身の胸が刻み込まれた日々のことを、僕は今、上手く思い出すことができません。

「オーパ!」だったか「もっと遠く、もっと広く」だったか、あるいは「ベトナム戦記」だったか…。いずれにせよ、なにかに導かれるようにして大兄の著作と出会い、出会ったその瞬間に雷に撃たれたような興奮を覚え、手当り次第に著作群を読み、全集を読み、選集を読み、デビュー作から時系列に再度読み、特に気に入ったものは何度も読み返し、以降も折りに触れて某かの著作を手にして再読し…、我が身に染み込ませるというよりも、消化不良になることも厭わず、我が身に入れてました。

単行本で買ったのにもかかわらず、同じ作品を文庫でも買い、全集も選集も買い、特装本も買い…、普通に流通している大兄の著作本は、きっと、すべて持っています。

今、彼の著作は、僕の手元には一冊もありません。
多くの本や雑誌に混じって、すべて、倉庫に置いてあります。
なぜなら、そのすべての著作は、僕の頭のなかに、入りすぎるほど入っているからです。
どの著作のどのページでも、空で暗唱してみろ、と言われたなら、僕はきっと暗唱してみせることができます。それくらい、身体に入ってしまっている。

僕が今、まがりなりにも売文屋として生計を立てることができているのは、きっと、大兄のおかげです。
十代の終わりから二十代の終わりまで、僕は、大兄の著作を、何度も何度も、原稿用紙に書き写してきました。小説であれルポルタージュであれ、まるまる一冊を、何度も何度も、手がダルくなろうが指がちぎれそうになろうが、原稿用紙に書き写してきました。
どんなクリエイターにも模倣の時代があると思うのだけれども、僕は、大兄のテキストを模倣することで、自分の文章修業としてきました。

いや、修業なんてモノじゃなかったな。
正直に告白すると、模倣することで、百科事典を丸ごと飲み込んだような博覧強記ぶりと隠喩の海のような、あの宝石のような日本語を、自分が書いているような気分になっていたように思います。

仕事ではすでにワープロを使っていたけれども、大兄のテキストを模倣するときは、原稿用紙に手書きでした。大兄の直筆を見ると、上手いわけではないのだけれども、大兄は、じつに愛嬌のある字を書くのです。僕は、その筆記すらをも模倣しようとしていたのでした。

先日、なんばパークスで開催されている『大阪市立大学創立130周年記念「生誕80年 大阪が生んだ開高健展」』に行ってきました。

大兄に縁のあるさまざまな品に混じって展示されていた、「夏の闇」の書き出しの直筆原稿…。
この現物を目にしたとき、涙が出そうになったのでした。

あの、僕がこの世で一番大好きな小説の、日本語で書かれたあらゆる著作のなかでもっとも高みに登りつめたと信じている小説の、直筆の原稿。
僕が、必死になって模倣していた、あのテキストが、あの愛嬌のある字で、そこにあるのです。
いろんなことが頭のなかを駆け巡っているようで、そのじつ空虚な白に支配されているようで、そんな不思議な感覚を、その直筆原稿をまえにして、僕は感じていたのでした。

「夏の闇」は、ベトナム戦争で信じるべき自己を失った主人公が、ひたすら眠り、食い、性に溺れ、女との邂逅と痴話ゲンカに終始するだけの、抜け道のない物語です。精神的な混迷に灯を探し、魂の救済を記す物語は、当時も現代にも通じるテーマで貫かれています。
時系列で並べると、「輝ける闇」「夏の闇」「花終わる闇」の三部作はすべて魂の救済が主旋律になっているのだけれども、その主旋律は、今の僕にとってはどうでもいい。

若いころは、その主旋律にこそ惹かれていたのだけれども、当時も、そして今も、バベルの塔のように聳えて見えるのは、やはり、その描写なのですね。

引用してみます。手元にないので、空で書きます。

毎日、朝から雨が降り、古綿のような空がひくくたれさがり、熱や輝きはどこにもない。夏はひどい下痢を起し、どこもかしこもただ冷たくて、じとじとし、薄暗かった。膿んだり、分泌したり、醗酵したりするものは何もなかった。それが私には好ましかった。

暖かい彼女のなかに入って、闇のなかにゆたっていると、ときどき、とろりとした甘い吐息を感じる。それに耐えながら、私は知らず知らずのうちに、襞のざわめきやそよぎから、歳月を読もうとしている。彼女の履歴を探ろうとしている。ここを通過していったに違いない男の、壮大な事業の跡を知ろうとしている。室に入ってすぐ右のあたりに、柔らかくて小さいが敏捷に動く小鳥の嘴のようなものがあったと思う。それが減っていないか、あるいは大きくなっていないかを知ろうと、感官を集め、耳を澄ますようにして、一歩一歩入っていく。嫉妬からではない。むしろ、淡い友情に近いものがあるからである。…。ある。立ち止まる。あった。それは私を迎え、ビクッとなって目覚め、柔らかく小刻みに刺し、退き、震えたりしはじめる。躍動感のある小人の踊りに似ている。旋律を奏でている。変わっていない。懐かしさが、広い領域にわたって支配する。


やっぱ、こうしてキーボードを叩いているだけでも、身体が震えてくるな。
隠喩の海です。夏を、性交を、このように表情豊かに書く日本語は、他にあるのだろうか?

この三部作をして第二の処女作だとするのは多くの人の一致するところだけれども、ベトナム時代に大兄と知り合った作家の日野啓三は、こう言います。

書け!書け!と、自身が自身に要求する。こうした要求を抱えてしまった作家は、不幸であるが幸福である、と。
書かねばならないと、他でもない自身に高いハードルを課し、大兄は、背中の痛みと引き換えに、煌めくような日本語の最高到達点を更新してくれました。


司馬遼太郎は、大兄が天に召されたときの弔辞で、次のように語りました。

大地に深く爪を突き刺して掘りくずしてゆく巨大な土木機械を思わせるような文体の創造とその成長に驚くうち、やがて『夏の闇』にいたって、特殊金属でできあがったようなその文体は、いよいよ妖怪のような力を見せました。まことに『夏の闇』にあっては、たかだかとした掘削機のアームが、全編に動きまわっており、それはあきらかに開高健によって改造された日本語。名作という以上に新しい日本語世界であり、おそらく開高健はこの一作を頂点として大河になり、後世に流れつづけるでありましょう。

と。

この弔辞もまた、司馬遼太郎の手描きのものが、展示されていました。
本当は、とてもとても長い弔辞なのです。


この他、大兄の釣り具コレクションや、先日解体された北田辺の旧家の模型、鮭の皮をなめして表紙にした特装本、母校天王寺高校での講演会のテープなど、大兄縁の品々が数多く展示されている、じつに見どころのある展覧会です。

もう少し長生きしていればノーベル文学賞は確実だっただろう、世界文学史に赤い太字で記されるべき作家、大阪が生んだ偉大な偉大な作家の展覧会です。

ぜひ、皆さんも、足を運んでください。




『大阪市立大学創立130周年記念「生誕80年 大阪が生んだ開高健展」』
2月11日(金)〜20(日)
11:00-20:00(最終日は18:00まで)
なんばパークス・パークスホール(7階)
大阪市浪速区難波中2-10-70
HP http://tokyo.ocu-yukokai.com/article.php/kaikoken
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