扇町の交差点の西すぐのところに、阪神高速12号守口線に入る料金所があります。
その料金所へ至るスロープの脇に、ちょっとした植え込みがあって、フェンスで囲われている空間があるのです。ちょうど、扇町公園の南側です。
そのまえはしょっちゅう通るのですが、植え込み越しに、ちらちらと祠らしきものが見えるのですね。ただ、道路脇やし、植え込みは結構な茂みだし、おまけにフェンスで囲ってあるので、遠目にはなんも見えないのですよ。
で、昨日、意を決して、接近してみました。
すると、フェンスには出入り口がなく、まーったくなかに入ることができないのですが、そこには、石碑とコンクリ製の祠と、石灯籠がありました。
なんでまったく入れないように、つまりお参りできないようになっているのか、はたまたいつごろ建てられたものなのか、道路が先なのか祠が先なのか…、まーったくわかりません。
巨樹でもあって、ご神木にしているのかしらと見渡してみても、注連縄を飾った樹があるわけでもなく、それらしい樹もありません。
石碑を見ると、八重垣大明神、と刻まれています。
方々調べてみたのですが、この、八重垣大明神という名前の神社は、どこにも出てきません。
明神なのだから神道の神さまには違いないのですが、それ以上のことが、さっぱりわかりません。
どういう縁起があって、どんな神さんを祀ってらっしゃるのか、さっぱりわかりません。
地の長老さんたちにお聞きしても、どなたもご存知ない。
どなたか、ご存知の方はいらっしゃるのでしょうか? 情報、求めます☆
と、ここまで書いて、やーっとわずかながら、手がかりが出てきました。
「北区史」をパラパラめくっていたら、もんのすごい隅っこに、ちっこい注釈が出ていたのでした。
伝説では、江戸初期、堀川の渡し守の息子の与八と浪速屋の娘のお糸は恋仲だったのだけれども、お糸に片思いの十三郎が二人の仲を恨んで、斬りつけたのですね。与八は即死、お糸は重傷を負い、十三郎は死刑です。でも、お糸は傷が治ったのにもかかわらず、与八のあとを追い、このままでは死にきれないから悪霊となって呪ってやる!と言い残して、自害したのでした。
ほいで、そっから約70年後、今度は、八重垣姫と吉五郎が似たような悲劇に見舞われてですな、これは鎮めなければならん、ということで、ここに八重垣姫を祀る八重垣大明神を建てた、というのが伝説です。
後半、唐突に、八重垣姫と吉五郎なるカップルが登場するので、なにがなんだか!って伝説ですが、とにもかくにも、そーゆーことがあって、ここに祠を建てた、と。
あんまりすっきりしないんですが(笑) ちょっと手がかりがつかめました。
引き続き、情報求めます☆
八重垣大明神北区扇町1-1
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