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天満は大阪ガラス業発祥の地だけでなく、果たした役割がデカいと思う
大阪ガラス業発祥の地


天満とガラス業と聞いてピンと来る人は少ないと思いますが、天満はそのむかし、ガラスの生産や加工が盛んな土地やったそうです。

天満宮の南門の西に、「大阪ガラス業発祥之地」と天満宮の寺井宮司揮毫によって書かれた碑があるのは僕も知ってましたが、いかんせん今の天満にはガラス業と結びつくようなものは、ほとんどない。

ほとんどないけど、ないことはない。

谷町筋の東側、東天満あたりに、象印の本社があります。

そっからの西側、同心町や与力町あたりは、ガラス工場が軒を連ねていたそうです。
朝日ガラス製作所のでっかい工場があって、徳永ガラスがあって、本州ガラスがあって…。名の知れたガラス工場がいくつもあったのだと。
その周辺には小さなガラス工場が小さな窯をつくって分業で担っていて、加工屋さん、切子屋さんと、とにかく、あちこちでガラスを吹く職人さんがいたんだそうです。

ガラス屋が多いというだけでなく、技術力に定評がありました。電球も職人さんがひとつずつ手吹きでつくっていて、腕のいい電球職人がたくさんいたんでしょうな。象印の本社が今でもこの近くにあるのは、魔法瓶もガラスでできてるんで、創業者は、このあたりの電球職人だったそうです。

昭和30年代の終わりころから、消防法がうるさくなって、規制が強化されて、それに対応できないところから順番に消えていったんだとか。
ガラスが溶けるのは1200度〜1400度と高温だし、炉のまえはトタンや鉄板で囲ってあるとはいえ、それだけの温度だと危険きわまりないし、火事もあったとのことです。

ガラス業発祥の根拠となっているできごとは…、

江戸時代、世界で最も古い色被せガラスである「乾隆(kenryu)ガラス」が中国から長崎に伝わり、当時の長崎ガラス職人であった播磨屋久兵衛が大坂に呼ばれて、天満界隈で製作をはじめたのが最初である、と。

このガラスの評判が江戸に伝わって、江戸切子としてもてはやされる。

一方、薩摩切子は、1846年(弘化3年)に薩摩藩の27代藩主、島津斉興が、江戸・加賀屋のガラス職人である四本亀次郎を招いて、薬ビンなどのガラス器の製造に成功したのがはじまりであると言われてます。

江戸時代、ガラスは、「びいどろ」とか「ぎやまん」とか呼ばれてました。びいどろはポルトガル語で吹きガラスのことで、ギヤマンはオランダ語で切子のように彫刻を施したガラスのこと。

ただ、薩摩切子は、一旦、途絶えます。
途絶えていた薩摩切子を、昭和になって復刻させたのが、大阪は天満に本社のあった、日本最大のガラス商社のカメイガラス。学者肌だった社長が薩摩切子のよさを忠実に復刻して、商品化を実現させたのが、今から30年くらいまえのことです。

その後、カメイガラスは倒産しちゃったけれども、カメイガラスがなかったら薩摩切子は今みたいに有名にはなっていなかっただろうし、その流れから、現在では天満切子も生まれています。

天満切子については、以前、北区の職人展についてエントリーしたときに紹介しました。
そんときのエントリーはこちら。

「北区にはこんなにも素敵な手仕事があった!第2回 北区の伝統文化と職人さん展『ものづくりと手仕事を中心とした展示会』」


というふうに、ガラスにまつわる歴史を振り返ると、やっぱ、天満はガラス業の発祥の地というだけでなく、業界発展に果たした役割がデカいですな。






「大阪ガラス業発祥の地」碑
大阪市北区天神橋2丁目1-8 大阪天満宮前
mapを見る

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この記事のコメント
こんにちは、こういう詳しい事情があったとは。天満宮の石碑を見るたびに漠然とそうなんだ〜とだけ思っていた事を恥じ入ります・・・
そういえば同じガラス細工?関連ですが、びー玉について。
あの中にカラフルな色彩が閉じ込められていますが、あの技術を開発したのも大阪の方です。
実は友人の曽祖父なのですが。
ただその方が一人でなのか、或いは他の方と協力してなのかまでは判らないそうです。市井の人の小さな行いが織り重なって、まさに歴史が紡がれて来たのだと実感します。

いつも素晴らしい記事を読ませていただいて有難うございます。


| s2plus | 2010/08/28 3:04 PM |
この記事のコメント
> s2plusさん

遅レス、申し訳ない。レスに関しては、どーしても遅れがちです。
今、北区には天満切子の復興に尽力されている方がいて、その方の仕事を知ったとき、ここはガラス産業発祥の地だということも、併せて知りました。

このあたりをご覧いただけましたら、おわかりになるかと。
http://kita-ku.jugem.jp/?eid=245

ビー玉の件は、初耳☆
興味深いお話ですね。

おっしゃるように、市井の人の小さな行いの折り重なりこそが歴史の連なりだし、そういう視点で見ていくと、足下がよく見えて、拠って立つところが変わってくるような気がしますね。

| luis | 2010/09/01 2:29 AM |
この記事のコメント
有りがたく拝見しました。僕は大阪のガラス屋生まれです。33年前から小樽に移りグラススタジオをやっています。実家は三友硝子です。これからも宜しくお願いします。

| 淺原千代治 | 2012/08/12 10:41 AM |
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