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川端康成が天満生まれやったとは知りませんでした
川端康成生誕碑


かつて僕が通っていた高校とおなじ学区の一番優秀な高校の出が、川端康成でした。
茨木には記念館もあるし、てっきり北摂の生まれ育ちだと思っていたら、天満の生まれだったのですね、川端康成。

天満宮の表門のまえの道を東へ少し歩いた四ツ辻の南西の角に、なかなか端正なたたずまいをした料亭、相生楼がありまして、行ったことはないのだけれども、店のまえはしょっちゅう通っているくせに、そこに生誕の碑があることなんぞ、あるよ、と、教えてもらうまではまったく気づかなかったのでした。

相生楼の門の右脇に、川端康成の生誕碑があります。

「伊豆の踊り子」「雪国」などの名作で、日本的叙情文学の代表作家とされる川端康成は短編小説の名手として国際的に知られ、昭和43年(1968年)に日本人では初めてノーベル賞を授与されました。彼は明治32年(1899年)6月14日の生まれで、生家は料亭相生楼敷地の南端あたりにありました。

と、碑文にはあります。

つらつらと調べてみると、ここはかつて北区此花町1丁目79屋敷という地名で、ここは、近松門左衛門の「心中天網島」で小春と治兵衛が道行きした道筋にあたってます。川端康成が生まれたところが、そんなふうに文学的な縁のある地と重なっているのは、まあ、偶然としか言いようがないですが、ちょっと奇妙な縁を感じますな。

ほいで、かの地で川端家はなにをやっていたのかというと、医院です。お父さんの栄吉が、医者でした。
といっても、代々この地で医院を営んできたというわけではなくて、最初は北堀江、そっから安土町に移って、此花町のこの地。お客、というか患者がさっぱり来ずで、全然流行らんかったんで、場所を転々としていたんやそうです。
そのころの大阪は不景気のまっただなかで、不景気になると医者に行かんと我慢する人のほうが多いのと、栄吉自身が肺結核にやられてたんで、そら患者も来ません。
康成生後1年経つか経たないかのころに、天満のこの地を去って、転々を繰り返してますから、生誕の地といっても、生まれただけ、と言ってもいいのかもしれませんな。

川端康成は、両親を幼いときに失い、たったひとりの兄弟であった姉も10歳のときに亡くなり、天涯孤独の身になります。母方の実家や祖父、伯父に助けられて、東京の一高、東帝大(現、東大)に進むわけです。

幼くして死に別れを経験してるのだから、激しい慟哭もあったとは思うんですが、彼の作風からは、そういったもんは微塵もないですな。

「油」という短編があって、そんなかに、幼少時代のことが少しだけ触れられています。

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父は私の三歳の時死に、翌年母が死んだので、両親のことは何一つ覚えていない。母はその写真も残っていない。父は美しかったから写真が好きだったのかもしれないが、私が古里の家を売った時に土蔵の中で、いろんな年齢のを三四十種も見つけた。そして中学の寄宿舎にいた頃には一番美しく写った一枚を机の上に飾ったりしていたこともあったが、その後幾度も身の置きどころを変えるうちに、一枚残らず失ってしまった。写真を見たって何も思い出すことがないから、これが自分の父だと想像しても実感が伴わないのだ。父や母の話をいろんな人から聞かされても、親しい人の噂という気が矢張りしないので、直ぐ忘れてしまう。

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慟哭を覚えるのには、まだ自我が芽生えてなかった、ということなのかもしれません。
それよりもむしろ、最初からあったであろう喪失感が、のちの文学的な美の達成に繋がっていったんではなかろうか、と、思ったりもします。


谷崎の絢爛さとはまた違った、詩情溢れる美しい言葉が連なる、繊細な表現ばかりです。太宰のようなニヒリズムもない。息を飲むような美しさの連続です。




碑文には、「短編の名手」とあります。
「日向」という短編が僕は好きで、何度読み返したかわからないほど。
川端自身とおぼしき人物が、初恋の少女の話に交えて、べっぴんさんを見かけたときには無言で凝視してしまう癖があることについて、つらつらと語っている、そういう掌編です。
ほとんどヘンタイさんの域だけれども、これがまた美しいファンタジーに仕立て上げられてて。。。。








川端康成の生誕之地 碑(相生楼前)
大阪市北区天神橋1-16-12

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この記事のコメント
川端康成はあまり大阪に言及しなかったので、記念碑を作ろうとしてもなかなか地名が出てこず、難儀したという話があります。
谷崎、川端、三島とヨーロッパで評価された作家がみな東大出身で変態ぽい作品が多いのがクールジャパンな感じですね。

| アラビク店主 | 2010/08/21 9:57 AM |
この記事のコメント
> アラビク店主さん

コメント遅くなり、申し訳ないです〜。
さすが本屋さんだけあって、いろいろご存知ですね。

僕も、川端康成と聞いて大阪のイメージがまったくなかったので(大阪でも、茨木出身だと思ってたくらい)、意外な気がしましたわ。

あと、大江健三郎を加えてもいいですね。東大ヘンタイ四天王完成☆
全員、パラノイアなイメージがあります(笑)

| ルイス | 2010/08/25 3:32 AM |
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