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かつて茶屋町にあった超高層レジャービル「凌雲閣」について
むかし、江戸川乱歩の短編『押絵と旅する男』を読んでいて、明治から大正の、当時もっとも勢いのあった歓楽街である浅草の街並や風俗が生き生きと描写されていて、ちょっと興奮したのでした。

街のランドマークになっていたのは、凌雲閣という建物です。

高さ約52メートル、12階建てのタワー型の建物で、当時としては、群を抜いて高かったらしいです。

浅草凌雲閣



写真で見ると、モダンな顔をしてる建築物なんですが、どことなく悪趣味で、ちょっと見せ物チックな装いです。

江戸川乱歩の『押絵と旅する男』は、ふとしたことで知り合った男が、風呂敷からおもむろに取り出した老人と振り袖を着た美少女の美少女の押絵細工、要するにタペストリーでつくった立体感のある絵みたいなもんですが、その押絵細工でつくられた老人と美少女の身の上話をはじめる、というお話です。そもそも、押絵を大切に抱えて旅をしている男が不気味だし、押絵に身の上話があることも不気味なら、その身の上話自体も不気味で、なにが現実でなにが夢なのかもわからなくなるくらいに渾然一体となっているのがこの短編で、じつに江戸川乱歩らしい幻想的な世界が展開されているのですね。

ちなみにこの話、日本ペンクラブの電子文藝館に全文がアップされてます。
http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/guest/novel/edogawaranpo.html


で、そうした幻想をつくり出すためのアイテムとして、浅草の凌雲閣がチラッと登場します。
凌雲閣というものを知ったのが江戸川乱歩のその短編だったことも関係しているんだと思うんですが、どーもね、凌雲閣の写真を初めて目にしたときも、現実感が乏しかったのですよ。

低い瓦屋根が連なる周囲の風景のなかに、突如として、それこそ雲を凌ごうかといわんばかりの塔が、ニョキッと立ち上がっていて、強烈な違和感を放っているのですね。その違和感ゆえに、モダン建築であるのにもかかわらず、どこかグロテスクでもあります。ほとんど、バベルの塔ですね。

世界各国の物販店があり、演芸場があり、娯楽の殿堂だったようです。もちろん最上階はもちろん展望台で、当然、富士山も見えたんでしょうな。

1890年(明治23年)の開業当時こそ賑わったものの、10年もすれば客足が鈍るようになり、テコ入れで、1914年(大正3年)に、日本初のエレベータを設置。じつは、これがアダになります。
もともとがエレベータの設置を前提として建てられたわけではなかったので、構造強度上、エレベータの設置はとても危険だったらしく、1923年(大正12年)の関東大震災で、建物の上部が崩壊、経営難から復旧も困難で、爆破解体されてしまいました。隣接していた浅草寺の五重塔は関東大震災でも倒壊を免れてますから、エレベータの設置がどんだけムチャなことだったかということがわかります。
33年の寿命ですから、まあ、モニュメントやランドマークとしては、蜃気楼並にはかなかったんでしょうな。江戸川乱歩の小説とあわさって、余計に、幻想的な存在になってしまってます。

戦後から長らく、森下仁丹が、凌雲閣を模してつくった広告塔の仁丹塔があったんで、それのせいで、凌雲閣を知ってる人も多いんじゃないかと思います。




さて、そんなわけで、凌雲閣といえば浅草なのですが、じつは大阪にも凌雲閣がありました。というか、僕がそのことを知ったのが、つい昨日で。つか、知らなかったのは僕だけ?(笑)

天満から茶屋町のNUに向かってチャリを走らせていたら、途中、妙な石碑を見つけたのですね。
旧梅田東小学校跡というか、今、梅田東生涯学習ルームって場所になってますけど、そこの入口に、その石碑はあるのでした。

「凌雲閣跡」

凌雲閣


と、書かれていて、なんで浅草の凌雲閣が、と、頭のなかに、?マークが無数に浮かんだのでした。
で、調べてみたら、かつて、この地に、たしかに凌雲閣があって…。いや、知らんかったです。

高さ約39メートル(49メートル説もあります)で、1、2階が5面形、3〜8階が8面形、最上階の9階が丸屋根の展望台で、螺旋状に通路が走る…、なんとも凝った意匠の建物です。高さこそ浅草の凌雲閣の52メートルに負けてるけれども、こちらは塔というよりも円錐形のかたちをしていて、敷地面積約3940坪という、巨大建築物です。

調べてみると、1889年(明治22年)に建てられたということで、なんと、浅草の凌雲閣よりも1年早いじゃないですか!

凌雲閣

ここらはかつて、茶店が建ち並んでいたところなので、だからこそ町名も茶屋町なのですが、その中心に位置する凌雲閣は、温泉あり大広間あり池にボートが浮かぶ、ド派手なレジャーランド的な性格の建物だったようです。まさに、こっちのほうこそ、バベルの塔っぽいです(笑)

「大阪繁昌誌」に、写真が載ってました。
大阪凌雲閣


この時代、汽車が走る姿や菜の花畑を眺めて遊ぶのが流行り、それこそ茶店が競って展望台をつくったのですが、それでもせいぜいが2階建て3階建てです。それが、いきなり度肝を抜く9階建て!

どうやら、茶屋町に凌雲閣ができる前年に、ミナミで眺望閣なるやはり高層建築物が建ち、これに対抗して、キタでも高層建築を、という流れになったらしいです。
眺望閣が5階建てだったので、「南の5階、北の9階」と呼ばれていた、と。なんか、今も、キタとミナミにそれぞれ競うようにして観覧車がありますが、それと似てます(笑)

いろいろ調べてみたんですが、この茶屋町の凌雲閣は、あんまり資料が残っていないようで、いつまで建っていたのかよくわからんのですよ。どんだけ幻チックなんだか…。

約39メートル、敷地面積約3940坪のバベルの塔も、今は、高さ1メートル程度の碑になっちまいました。
兵どもが夢の跡、ってかんじです。なんか、諸行無常を感じますなあ。
ほれっ、今じゃこんなんです。

凌雲閣





それにしても、東京の浅草に凌雲閣を模して仁丹塔をつくった森下仁丹は大阪の会社なのに、なぜ、東京にだけ仁丹塔をつくって、大阪にはつくらなかったんでしょうかね? 森下仁丹が大阪にも仁丹塔をつくっていれば、大阪の凌雲閣も、もちょっと人々の記憶にも記録にも残っていたと思うんですが、どうでしょうか?



凌雲閣跡
北区茶屋町1-40

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