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で、五代友厚の最大の功績って、なに?
五代友厚精藍西朝陽館跡 明治天皇聖躅碑

五代友厚精藍西朝陽館跡 明治天皇聖躅碑


堂島のNTTテレパークのビルのふもとに、「五代友厚精藍所西朝陽館跡」って碑と「明治天皇聖躅」って碑が仲良く並んでます。

五代友厚って人は、知ってるようでよく知らないんですが、知ってる功績としては、造幣局を大阪に誘致したり、薩摩出身なので薩長閥の明治政府と結びついた政商として活躍したり、大阪証券取引所を設立してそこに銅像が建ってたりと、そんなもんです。一応、「大阪の恩人」「東の渋沢栄一、西の五代友厚」なんて呼ばれてるんですが、そのあたりのいきさつは、知りません。。。

調べてみたら、明治政府の官職にも就いていて主に外交問題を処理していたり、大阪商工会議所を設立して初代会頭に就いたり、大阪市大、天王寺商高、共同運輸、大阪商船、南海電車の設立にかかわったりしていて、それ以外にも、金銀分析所、堂島米商会所、大阪鉄鋼、大阪製銅にもかかわってるみたいです。
彼がかかわった事業を列記してみると、貿易・商品取引所・鉱山・紡績・学校・運輸など産業全般にわたっており、こうなると、何屋さんなのかさっぱりわからんのですが、要するに、実業家だったってことですね。どれもこれもインフラにかかわることだから、まさに大阪における近代産業の骨幹の建設にかかわった人、ということになります。
商工業の組織化が得意だったんでしょうな。ある意味、今、NHKでやってる大河ドラマの語り部(主人公?)の岩崎弥太郎に似てるのかな? 三菱も政商だし、いろんなジャンルに手を出してるしね。

さて、そんな五代友厚がかかわった事業のひとつに「五代友厚精藍西朝陽館(godai-tomoatsu-seiai-nishichoyokan)」というのがあって、その跡碑が、堂島のNTTテレパークの敷地内にあります。
製藍ってくらいだから藍、つまりインディゴをつくってたんでしょうが、大阪にそんなもんがあったとは、まーったく知りませんでした。あれは今もむかしも岡山あたりが主だと思ってたもんで。

西朝陽館と名付けられたこの製藍所は、300人以上の従業員が働き、蒸気機関を導入した、当時としては最先端の大規模な工場だったそうです。インドからの輸入に頼っていた藍の国産化を図ったもので、明治10年から数年間、全盛を誇ったんだとか。殖産興業のシンボル的な存在だったのかもしれないですな。


で、この「五代友厚精藍西朝陽館跡碑」の横には、「明治天皇聖躅碑(meiji-tenno-seichoku-hi)」が建てられてます。
「明治天皇聖躅碑」は市の大正天皇御成婚25年奉祝事業として建立されたもので、1928年(昭和3年)から3年間かけて大阪市内の30ヶ所に建てられてます。
テレパーク敷地内の碑は、明治天皇が西朝陽館を天覧した記念の碑として、建てられたんでしょうな。聖躅ってのは、「来られた」ってほどの意味ですから。
ここ以外にも、リーガロイヤルホテル大阪や大阪城なんかにも建てられてます。

こーゆーのが建てられるくらいだから、五代友厚も彼が設立にかかわった西朝暘館もすごかったんでしょうが、どーもね、五代友厚という人はいろいろなことを幅広くやってくれたせいで、なんの人なのか、うまく実像がつかめません。彼の代表作というか、最大の功績って、いったいなに?






五代友厚精藍西朝陽館跡&明治天皇聖躅碑
大阪市北区堂島3-1-2 NTTテレパーク堂島第2ビル敷地内
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