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毛馬北向地蔵は、珍しい3体セット
毛馬の水門、閘門、淀川大堰のあたりは、もちろん開発もされてないし人もあまり来ないので、古い風景がそのまま残っているところが、いくつかあります。というか、普通に堤防の原っぱですけど。。

淀川大堰は淀川の水位調整をしており、毛馬水門は淀川から大川に流れる水量を調整し、水門が閉ざされてしまうと船の運航ができないので、そのために閘門があります。

このあたりには、大阪城築城にあたって運んできたものの、このあたりで沈んでしまって実際には使用されなかった石が転がっているという話があり、うろうろしてると、見つけることができます。そのまま今でも転がしてあるからね。ちなみに、そうした石のことを「大坂城残念石」と呼ぶんですが、ネーミングが微笑ましすぎます!

毛馬の水門については、いつかキッチリとやりたいんですが、今回は、水門付近で見つけたお地蔵さんを。

水門付近に、淀川改修紀功碑という、やたらと風格のある石碑が建っているのですが、そのすぐ隣に、祠に安置されたお地蔵さんがあります。

毛馬北向地蔵


自然石の前面に彫刻されたものが両サイドに安置され、真ん中に祀られているお地蔵さんは、角の取れた自然石そのものです。

毛馬北向地蔵


案内のパネルを見ると、
このお地蔵さんたちは「毛馬北向地蔵」と呼ばれ、
一体は、明治の終わりごろに旧毛馬洗堰新設工事のとき、浚渫により、大川から発見された。
一体は、大正9年頃、内務省機械工作所が旧光龍寺(十三付近といわれている)の整地のときに掘り出された。
一体は、昭和6年頃、土佐堀の旧内務省大阪土木出張所(現建設省近畿地方建設局)敷地内にあったものを移転し、この地に安置された。

とあります。
さらに、

このお地蔵さんは、そのむかし、聖徳太子が仏教を広めるために大阪市天王寺区に今もその名が残る六万体町で六万体のお地蔵さんをつくらせ、全国にそれを安置させたそのうちの三体であり、
歴史的にも古く、淀川を洪水から守っていただくなど、霊験新たかなお地蔵さんで、遠くからの参拝者も多く、毎年8月23日の地蔵盆には御詠歌で供養している。

と。

通常、仏像は南に向けて安置します。
仏教が日本に入ってくる経路にあった中国には「王者南面」の考えかたがあって、皇帝や王侯は北を背にして南を、家臣は北を向くかたちで王宮がつくられます。たとえば、京都の御所も、この様式を受け継いで、南向きにつくられています。北面の武士、という言葉も、ここから来てるし、京都で東が左京、西が右京なのも、その様式に則ってのことです。

この考えのもとに、日本では、仏像のほとんどは南向きに安置されるんですが、お地蔵さんだけは、オレはべつにエラくないし民衆のなかに入って奔走したいから!と言って、頭も丸めてるし、一切の装飾も排しているし、オマケに北を向いてます。

この考えに基づかずに、ほかの仏像同様に南に向けて安置されているお地蔵さんが大半で、本来の筋通りに北を向いているお地蔵さんはかえって少ないのですが、こちらのは北向きですね。

しかも、3体。

お地蔵さんが群れをなして安置されている例は珍しくないですが、3体セットというのは、あんまり聞いたことがありません。
これが大日如来なら両脇に菩薩を従えて3体セットというのはありがちなパターンだけれども、お地蔵さんだしな…。
キリスト教の三位一体はありえんとしても、仏教のルーツでもあるヒンドゥ教に三神一体の考えがあるんで、そういう感覚でも入ってるのかしらん?と思わんでもないですが、まあ、妄想の域を出ません。



毛馬北向地蔵
大阪市北区長柄東3-3

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