とある梅田のお年寄りから、梅田周辺の写真をお借りすることができました。
昭和37年から平成6年までの、貴重な航空写真です。
もう、見てるだけで、あっという間に時間が過ぎてしまうほど、何時間でも見ていられる写真ですわ。それぞれの画像は、クリックすると、Flickrのページに飛びます。そちらで、もっと大きな画像を見ることができます。
スライドショーも用意しました。
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昭和37年〜平成5年の梅田周辺の変遷 スライドショー歴史を紐解いてみると、
昭和36年、ダイヤモンド地区(大阪駅前-梅新-桜橋を結ぶ区域)の南半分は戦前から未整備のままで、しかも戦災を受けたこの地区は細い道路が入り組んでいて、闇市の形態を残す繊維問屋や小規模商店約1,000戸がぎっしりと建て込んでました。ここを再開発しようと、駅前ビル建設の計画が練られたころのことです。
昭和37年まだ、淀川に阪急電車の鉄橋が1本しか見えません。
昭和37年2月先代のJR大阪駅です。駅前が、新幹線の地方駅の駅前のように、ひろびろとしています。でも、カッコいいですな☆
阪急梅田駅は、今よりも南の、現在の百貨店の場所にあります。そして、JR大阪駅よりも全然デカい!阪急の線路は、JR東海道線の下をくぐっていたんですね!
阪急の右下にあるのは、阪神百貨店ですよね。その並びにあるビルはなんでしょうか?
右下一帯は今、駅前ビルのあるあたりですが、この当時はまだ闇市です。
JR大阪駅ロータリー前の道路から四ツ橋筋にかけて、チンチン電車が走ってます!
昭和37年2月少し角度を変えてます。JR大阪駅の手前にあるのは、中央郵便局ですね。それにしても、中央郵便局の局舎って、こうやって見ると、めちゃくちゃデカいですね。
昭和37年2月今度は反対側から。東から西を臨んでいます。
中央郵便局の背後に水辺らしきものが見えるんですが、よく見ると、JR東海道線の下を水路が走っているようにも見えます。方角からして、淀川の支流かなにかで、中之島の大川と合流してるんでしょうか? というか、ここに川があったんでしょうか?
そして、阪急梅田駅のすぐ下に、現在のナビオとおなじ形状の、三角形をした建物が見えます。あたりまえかも知んないけど、当時から三叉路だったんですね、ここは。
ナビオ型の建物の隣は、映画館のようです。拡大してみると、「明日ある限り」という映画のタイトルが書かれた幕がさげられてます。
阪神百貨店の周辺の建物は、僕にはサッパリわかりません。
昭和37年2月JR大阪駅の北側です。今の芝田町ですね。新阪急ホテルがありますが、足場があるところを見ると、工事中ですね。手前の、今、DD HOUSEがあるあたりは、この当時まだ長屋がたくさん並んでいました。
阪急梅田駅がJRの線路の南側にあって、立体交差しているのが、ここからだとよくわかります。
長屋街の左上端にある広告塔は「東芝ラジオ」、右端にある広告塔は「アトラス毛糸」と書かれています。
昭和39年7月これも芝田町をべつの角度から。
国道2号線沿いの広告塔は、上が「清酒ハクツル」、下が「アトラス毛糸」。左の線路沿いにあるのは「東芝ラジオ」です。
写真左下の長屋のひとつに、屋根に物干し台があって、洗濯物を干しているのが見えます。
阪急梅田駅のすぐ左の白い建物は、北野劇場。「悪の紋章」って映画をやってるみたいです。その手前は梅田コマ・スタジアム!
昭和39年7月JR大阪駅上空から東北側を、芝田町や大深町を臨んでます。
JR大阪駅の左にある口の字型の建物は、当時の鉄道省ですね。中庭には芝生が敷かれていたそうです。今、ヨドバシカメラになってるところですね。
阪急電車の線路の向こうには、ヤンマーのビルが見えます。
新阪急ホテルとJR東海道線の線路に挟まれたエリアに見えるロケットみたいなのは「テトロン」の広告塔。そのすぐ手前には、「サンコ・コンプレッサー」の大看板があります。
新阪急ホテルの左にある広告塔は「マンモス珈琲」の広告塔。
昭和41年淀川に橋が3本架かってます。
一番左は、きっと、JR東海道線の鉄橋。
真ん中は、なにわ筋から延びている新十三大橋ですかね?
一番右は、十三大橋と阪急電車の鉄橋ですね。
ということは、新御堂筋が開通してますね。
阪急梅田駅は昭和41年〜48年にかけて、各線を少しずつ北側の現在の場所に移転させていっているのですが、すでに工事がはじまっているみたいです。
阪急の並びに、富国生命ビルが見えます。昭和39年竣工ですから、まだピカピカだったころですね。その富国生命ビルも役目を終えて、今年10月にはリニューアルですね☆
昭和46年12月阪急梅田駅はまだ移転の最中ですが、ターミナルビルができてますね。
昭和52年6月阪急32番街がニョキッと出現してます☆
それと、阪神百貨店や富国生命ビルの屋上などに点々としているのは、季節柄、ビアガーデンですか?
阪急ファイブの屋上には「阪急ファイブ」と書いてあったんですね!初めて知りました。
その阪急ファイブの北側に見えるのは、ゴルフの打ちっぱなし場みたいです。えらいこと贅沢な土地の使いかたです(笑)
昭和60年ここまで来ると、現在と比べてもほとんど違和感ないですね。
でもよく見ると、ヒルトンホテルが建設中。
そして、茶屋町がほとんど手つかずなのがわかります。
昭和63年ヒルトンホテル、まだ建設中です。けっこう、時間かかったんですね。
ちなみに、この時期は、バブル真っ盛りのころ。バブリーなものを探してみたけど、見つかりませんでした(笑)
平成3年8月MBSの新社屋も建ってます。茶屋町の開発がまだだけど、それ以外はほとんど現在とおなじですね。阪急インターナショナル・ホテルと、梅田スカイビルが建設中です。
平成5年8月阪急インターナショナル・ホテルも梅田スカイビルもできあがってますね。ヨドバシカメラが建つ予定の場所が、どでかい空き地になってます。
いや〜、それにしても、ずーっと見ていても全然飽きません!
皆さんも、ごゆるりとどうぞ☆
おまけ。
昭和44年の地下鉄の定期これは、べつの人から見せていただいた、昭和44年当時の地下鉄の定期券と会社の身分証。定期券も身分証も、ペラペラの紙です。あたりまえだけれども、磁気もICチップも入ってません。身分証の連絡先の市外局番が「大和」になっていて、時代を感じさせます。
年齢も書かれてますね。19歳。当時、心斎橋の喫茶店でウェイトレスをされていた女性です。ということは、今は何歳?(笑)