2010.1 vol.3 Date Course Pentagon Royal Garden『Hey JOE』
ジミヘンの「ヘイ ジョー」がクラブで踊れるということを証明した怒濤の演奏。けったいな変拍子でものすごくのりにくいリズムで再構築しながらも、後半のグルーヴは圧巻のひとことで、とんでもないことになってます!ちなみにこのライブ、僕、現場にいてました☆
2010.2 vol.4 Sharon Shannon『Mouth of the Tobique 』
僕にアイリッシュへの蒙を開いてくれたシャロン・シャノン。軽やかに響く彼女が操るアコーディオンは、アイリッシュ・トラッドだけでなく、アコーディオンという楽器のイメージさえ、一変させてくれた。ドーナルあたりが懸命にアイリッシュ・ルネサンスを模索するなか、鮮やかに国境を越え、アイリッシュを一気にコンテンポラリーなものにしたこの曲は、21世紀を予感させた20世紀の金字塔として、記憶されるべき☆ 未来は、過去に眠っている。コンテンポラリーはルーツのなかにある。
2010.6 vol.2 Mute Beat with 江戸アケミ『Organ's Melody』
80年代、日本で信用できる音楽は、ミュートビートとじゃがたらだけだった。ミュートビートは極限までクールでソリッドで、じゃがたらは異形のなまはげのように強烈な違和感をやたらめったらに放ちまくっていた。このふたつのバンドは、一見、正反対のように見えて、そのじつ、そっくりだった。ミュートビートは、削いで削いで削ぎまくった果てに本質に辿り着き、じゃがたらは、ミュートビートが削いだものを重ねに重ね、重ねまくった果てに本質に辿り着いていたように思う。方法論が真逆なだけで、目指す志の地点は、1mmも違っていなかった。そうだったからこそ、ミュートビートとじゃがたらは、よくタッグを組んだ。双方とも、シーンから阻害されていたという共通点を差し引いても、この両者は、とてもよく似ていた。
この映像は、ミュートビートの硬質な演奏に情念をぶつけるかのような叫びでじゃがたらの江戸アケミが応える、なんとも幸福な瞬間が切り取られている。
これ以降、ミュートビートは小玉さんだけが引き継ぎ、アケミちゃんは彼岸へ旅立った。クソみたいだった80年代に、この両者がおなじステージにいた奇跡に立ち会えたのは、僕の宝物だ。
2010.7 vol.1 七尾旅人『Walk On The Wild Side』
七尾旅人が出てきたとき、単なる時代遅れのフォークシンガーでないことはしっかりと見抜いていて、かといってその後に彼が展開したマッド・サイエンティスト的奇天烈なパフォーマンスも、きっと本質はそこにはないだろ!目くらましには騙されんぞ!と、僕はしっかり見抜いていて、我ながらその審美眼は、僕の数少ない自慢でもある。
じゃあ、七尾の本質はどこにあるのかというと、これはもう、色気に尽きる。
ブルーズをやろうが変態ポップスに傾倒していこうとが叙情詩人を纏おうが、この人の放つ色気が、全部一色に塗り替えてしまう。
最終的に、この色気だけで成立するような、立っているだけでパフォーマンスになるような、そういうところまで行ってほしいと思う。
異論がある人はたくさんいるだろうが、七尾は、トム・ウェイツの正統な後継者だと僕は信じている。異論がある人は、いつか、僕の見立てを信じなかったことを後悔するだろう、と、今ここで言っておく。
2010.7 vol.2 Fania All Stars『Nuestra Cosas (Our Latin Thing)』
ここで紹介するのは、原則として日本人ミュージシャンと決めているのだけれども、なんでかというと、そんだけ日本の音楽の質が高いから。西洋音階を借りながらも、日本でしか生まれえない音楽になっているし、21世紀初頭を生きる僕らのコミュニティ音楽になっているから。 でも、ラテン・ミュージックだけは、まだ日本化は達成されていないと思う。たとえば、カルロス菅野さん一派の活動は敬服するしかないのだとしても、まだ、僕らの生きる世界の憂いまでは表現されていない。僕には、そこが物足りないのだ。 陽気なサルサ?果たして、サルサは陽気なだけの音楽か? 70年代、カリブ各国から流入してきたニューヨリカンたちは、NYの空っ風に吹かれながら、熱量をたっぷり帯びた、陰も陽もある音楽を創りだした。嘆きだけでもない、歓びだけでもない、正義だけでもなければ業だけでもない、ヒトがヒトであることのどうしようもなさを引き受けたうえでなお、半身になりながらも立って居続けようとする音楽を、創りあげた。サルサは、そのまんま、東海岸に移民したカリブの熱風たちの、諦めも希望もなんもかんもがないまぜになった、文字通り、サラダボールのなかの音楽だ。 FANIA ALL STARSを聴いていると、このビートの複雑さ、人生の複雑さは、ひと筋縄ではいかない彼らの生きかたそのものだということが、とても強く伝わってくる。なんせ、タイトルが、「Our Latin Things」だからな。原題は、「Nuestra Cosas」。私たちのこと。
2011.2 vol.3 Salvador El Negro Ojeda『アマラントの花』
エジプトで民衆による革命が起きているまさにそのただなか、メキシコ最高の歌い手のひとり、サルバドール・ネグロ・オヘーダが亡くなった。そのことを、僕は、オヘーダに導かれるようにしてラテン歌手になった八木啓代さんのtweetで知ったのだった。 啓代さんは、アルジャジーラがリアルタイムで伝えてくれるエジプトの現場の様子に興奮しながら、そのようなtweetを数多くpostしながら、そこだけに色がついたようにまったく違ったトーンで、オヘーダ爺さんの訃報を伝えてくれた。 今にして思えば、常に民衆の側に立っていたオヘーダが、まるでエジプト革命の露払いをしたかのように見える。 図らずも啓代さんのtweetが示していたように、エジプトの革命とオヘーダ爺さんの死は、民衆の側の出来事として、並列で記されるべきものだ。