amazonがどんだけ便利になろうとも、2日に1回は確実に梅田の紀伊国屋書店を覗いてます。これはもう、生活のルーティンに確実に入ってしまってます。
ネットで本を探す場合、ある情報をもとに探すしかなく、しかもそこで見つけた情報にはすべて付加価値情報がついており、それはそれで便利なのですが、そこには偶然の出会いというもんがありません。
それ以外にも、本を選ぶ場合、装丁、紙質はもちろんのこと、紙の微妙なサイズやら奥付けまでの長さ、行間、字面、字間、フォントなどはとてもとても重要で、amazonでは得られないそうした情報が溢れまくっているリアル書店を、amazonがどんだけ便利になろうとも、僕はきっと利用し続けるのだと思います。
ある、目当ての本を探しにいく。その本を見つけ、取り出してパラパラとめくってみる。で、ふと、棚を見ると、その本の隣に、なにやら妙に気を引く本が鎮座している。で、そっちも手に取ってみる。すると、妙な色香を含んだ空気が僕の鼻孔をくすぐり、気がつけば、2冊分のカネを財布から抜き出しレジへ…。
なんてことは、リアル書店ではよくあることで。
この、妙な色香、というのが大切で、これは、その本全体が持つ雰囲気というか、オーラというか、放っている空気やメッセージを含めた全体性の塊のようなもので、これは、ネットを介したモニターからは、なかなか伝わってこんのですね。
まだあります。
ある本を欲したとして、amazonで注文します。今は便利になりましたから、2〜3日後には、手元に届きます。
ところが、だ。このタイムラグがクセモノで、たとえ便利になったとしても、2〜3日はやっぱりかかってしまうというのは、その場で手に入るタイムラグがゼロのリアル書店の利便性には、かなわんわけです。
で、今読みたい!と思ったもんでも、amazonで注文して2日経ち、手元に届いたとき、どういうわけか、それほど食指が動かなくなってしまっている。
なんてことも、ままあるわけです。
都市生活者の常で、日々、いろんなことを考え、惑わされ、インプットもアウトプットも激しく行なっている身としては、この移ろいやすい心持ちはいかんともしがたくて、即!というのは、かなりかなり重要な要素です。
回路が開いている瞬間なんて、一瞬なんだから!そのときに、ビタッとチャネルが噛み合って、その本と出会わないと、次に回路が開くまで、その本は積んどく状態になってしまうのです。
そういう不幸な出会いとすれ違いを避けるためにも僕は紀伊国屋書店に通うわけですが、この記事は、紀伊国屋書店について書いているのではないのでした。。。
ここまでは、枕(笑)
梅田の紀伊国屋書店の西側、三番街の一番南側にあたるところですが、ここに、お地蔵さんがおわします。
北向地蔵さんで、えらいこと人々の信仰が厚く、遠くからお参りにいらっしゃる方もいれば、毎日のようにお参りに来る方もいて、通勤の途中に立ち寄る人もたくさんいて、とにかくひっきりなしに、いろんな人がお参りに来ます。
僕も、梅田の紀伊国屋書店にしょっちゅう行ってる関係で、このお地蔵さんのまえをよく通ります。
ここです。
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ガンが治った、病気が治った、なんてのから、商売が上手くいった、お目当てのガッコに合格した、なんてのまで、とにかく、願掛けが成就した例は枚挙にいとまがないほどで、そのせいもあって、気前よくお賽銭が投げ込まれ、よう稼いではるお地蔵さんです。
年間で200万円は稼いで…、や、無粋な話はやめましょう。。
1891年(明治24年)、この付近の畑から自然石に刻まれたお地蔵さんが掘り出され、信仰の対象となり、当時の地主だった仲谷弥三兵衛氏が世話人となり、お堂を北向きに建立されたのが由来です。銘文もなにもないので、誰が製作して誰が発注したのかなど、このお地蔵さんのルーツは一切わかってません。
1966年(昭和41年)からの阪急梅田駅の移設拡張工事とともに、1969年(昭和44年)、阪急三番街が誕生したために、お堂は西へ50メートル移り、現在の地に鎮座されております。
説明文も、ちゃんと用意されていました。
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お地蔵さんのお堂を北向きに建てることは珍しいのですが、このお地蔵さんがなぜ北向きに祀られたのか。
そもそも、北側は、風水の見地からすると、悪い気が吹きだまっているところじゃないですか。
中国では「王者南面」の考えかたがあって、皇帝や王侯は北を背にして南を、家臣は北を向くかたちで王宮がつくられます。たとえば、京都の御所も、この様式を受け継いで、南向きにつくられています。北面の武士、という言葉も、ここから来てるし、京都で東が左京、西が右京なのも、その様式に則ってのことです。
北を向く仏壇をよしとしないのも、仏や先祖を下座に置くのは無礼だから、という気遣いから、生まれています。
なのに、ここのお地蔵さんのお堂は、北向きに建立されている。なぜか。
これは、そもそもお地蔵さんがどういうものなのか、というところにまで考えを巡らせないと、謎は解けません。
まず、お地蔵さんは菩薩の一種です。
菩薩とは、釈迦が悟りを開くまでの修行を一心に行なっている段階の姿を模したもので、一般的には、王子時代の釈迦の姿をされてます。なので、悟りの境地に達した如来と違って、王子の格好、アクセサリーで着飾った姿をしています。まだ、煩悩が残っている姿です。
ところが、その菩薩のなかにあって、地蔵菩薩だけは、一切のアクセサリーを纏わず、頭も丸めてらっしゃいます。
これは、お地蔵さんが、衆生済度のために奔走されていることに、由来します。
地蔵菩薩は、じつは、「一斉衆生済度の請願を果たさずば、我、菩薩界に戻らじ」との決意で、その地位を辞し、六道を自らの足で行脚して、救われない衆生、親より先に世を去った幼い子供の魂を救って旅を続けるのですよ。
そーゆー存在なので、ヘアスタイルを気にしたり、アクセサリーで着飾っている暇もない、と。常に、民衆とともにいるのが、お地蔵さんです。
六道ってのは、地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道のことで、人間は死んだらこのうちのどこか、地獄から天国までの6段階のどっかに行くわけですが、どっちにしろ、この六道の中をグルグル輪廻しているのが、我々人間です。
そして、お地蔵さんもまた、我々に寄り添い、救ってくれる、と。
なので、常に民衆とともにあることから、あえて人の下座、つまり、北向きに配されているのが、北向き地蔵です。
これ、お地蔵さんという存在の本質を理解していないと、他のお堂に倣って、南向きに建てるケースも多いんですね。現に、お地蔵さんでも、北向きに建てられているのは、全国でも400体ほどしかなくて、珍しい存在にすらなっています。本来、お地蔵さんにかぎっては、北向きが本筋なのですがね。
ということで、本筋であるのにもかかわらず、北向きに建てられたお地蔵さんはかえって珍しくて、一風変わった功徳がある、とされています。北向き地蔵は、一般的に、一願本尊としてのご利益があるとされ、願いごとをひとつ、聞いてくれます。
ここの北向地蔵も、そうした信仰を集めているお地蔵さんで、しかも霊験新たかというか、効き目がすごいので、参拝する人が絶えません。
僕も、この近くを通ったときのうちの何回かは、手を合わせています。
北向地蔵尊
北区芝田1-1-3
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