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北区の国分寺は、大化の改新時の長柄豊崎宮造営計画で生まれた長柄寺が起源
国分寺

日本全国に国分寺が置かれたのは、741年(天平13年)、聖武天皇が国情不安を抑えるために各国に命じたのが最初で、ここ、大阪市北区の長柄にある国分寺も、そのときに誕生してます。

ただ、全国に一斉に制定された国分寺は、新築したお寺さんばかりではなく、すでに建立されていたお寺さんを国分寺とした例もたくさんありまして、長柄の国分寺も、元は、長柄寺という名のお寺さんでした。

すでにあった施設を国が接収して国の出先機関にした、ということですな。WTCに庁舎を移転するかどうかで揉めてる大阪市、府のドタバタを見ていると、太古のむかしから同様の騒ぎをやってきたんだろうと思います。

さて、国分寺となる以前の長柄寺は、大化の改新が行なわれた645年(大化元年)、孝徳天皇が摂津に遷都を行ない、長柄豊崎宮の造営計画を立てた際の、中心的な施設として設立されたのでした。大阪市の北区にあるお寺さんは、ことごとく古い歴史を持つところが多いのですが、長柄寺(国分寺)も奈良時代以前の建立ですから、たいがい古いです。

ただ、長柄豊崎宮の計画規模が広大で改新が急だったこともあって、この都は完成せず、長柄寺の建立も宙ぶらりんになったのですが、最終的には、先帝である斉明天皇の菩提を祈るため、長柄豊崎宮の旧址に、幻の都の名前をとって、「長柄寺」が建立されたのでした。659年のことです。

で、その後、741年(天平13年)に、改めて「国分寺」となります。

それ以来、1250年にわたって、孝徳天皇、斉明天皇をはじめ14天皇の勅願道場として大本山の法灯を伝燈してきたといいますから、ほとんど皇族のためのお寺さん、つまり、門跡みたいなもんです。

そのせいもあって、本尊の薬師如来坐像、日光・月光菩薩、四天王、十二神将など、なかなかの仏像が安置されているらしいのですが、残念ながら、いずれも秘仏。ときどきご開帳があるみたいなので、ぜひ拝みたいもんですな。

もちろん、大阪の他のお寺さん同様、ここの国分寺も、何度か焼失してます。
1615年(元和元年)、豊臣氏滅亡と同時に戦火で全焼。
1718年(享保3年)、再建。
明治に入ってからの廃仏棄釈運動などにより寺領が大幅に縮減される。
1945年(昭和20年)、大阪大空襲で全焼。
1965年(昭和40年)、聖武天皇殿、金光明院護摩堂、昭和金堂などを再興し、現在に至ってます。

なので、現在ある堂宇は築40年余ということで、鮮やかな朱塗りを見ることができます。


立派な揮毫の「國分寺」碑。
国分寺


国分寺となったとき、真言宗に組み込まれてます。なので、弘法大師像があります。
国分寺


弘法大師、さすがになかなかの迫力です。
国分寺


国分寺の建立を全国に発布した聖武天皇の碑があります。
国分寺


朱塗りが鮮やかな鐘楼。1F部分には、天六近辺の地下鉄工事の折りに起こったガス爆発で亡くなられた方々の位牌が収められています。
国分寺


金光明院護摩堂です。両サイドで阿吽の金剛力士像が守護しています。
国分寺


ここにも、聖武天皇勅願所とあります。長柄の人たちはここに勅願するのだから、国分寺が国政の出先機関の役割を担っていたことが、この碑からよくわかります。
国分寺







国分寺

大阪市北区国分寺1-6-18
tel. 06-6351-5637

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