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浪速八百八橋 北区の橋シリーズ - 難波橋(ライオン橋) 〜 4匹のライオン
大阪は、水都と呼ばれるだけあって(というか、市、府ともに、そう呼びたがっている節がプンプンするんですが…)、橋の数は多いです。
特に、中之島があるせいで、北区と中央区を結ぶ橋が、たくさんありますな。

数だけでいったら、東京のほうが多いです。
ただ、東京の場合、江戸幕府が予算を組んでつくった広儀橋が多いけれども、大阪のそれは、そのほとんどが、有力商人やら地元の町の人々が私の金を集めてつくった「町橋」であるという点は、誇りに思っていいんだと思います。

官を頼らないのは、大阪のむかしっからの伝統ですな。
淀川の平成花火大会も、市や府からの助成金を一銭ももらってないといいますし。そのへん、大阪の心意気を感じます。

さて、僕が週に1、2回は通る橋に、北浜のライオン橋。や、ライオン橋というのは通称で、正式には、難波橋です。
橋詰4ヶ所ともに、なぜかライオン像が設置されているので、そういう名前になってます。

難波橋(ライオン橋)


中之島を挟んで堺筋を南北に繋いでいる場所にあるのに、なーんで、「難波」なのか。
後半、橋を見ていくことでその謎は解明するのですが、まずこれは、「なんば」ではなくて「なにわ」と読みます。
古代、大阪の大半は湿地というか泥地というか、要するに海だったわけで、上町台地あたりが陸地と海の分かれ目で、半島状の陸地を形成していました。つまり大阪のもともとの場所ですが、その場所を、難波といったり、浪花、浪華といったり、あるいは浪速(なみはや)といったりしたわけです。
だから、難波橋というのは、その名残ですわ。

今でこそ、堺筋に架かってますが、もともとは、堺筋のひと筋西にあった難波橋通(今の藤中橋通)に架かっていた橋で、難波橋筋は、そのまま上町台地に向かっているので、そういう名前になったんでしょうな。

さて、この難波橋は、奈良時代に行基がつくったとされているのですが、もうね、大阪にかぎらず、奈良や京都、神戸を巡っていて、行基の名を目にしないことはない!というくらい、彼は、あっちこっちでお寺さんやら橋やら溜め池やら港やら道路やらを造りまくってます。
もう、人間ブルドーザーというか、奈良時代の田中角栄というか…。
鑑真と並ぶ、奈良時代を代表する二大高僧ですな。近鉄電車の奈良駅前に銅像が建ってます。教科書にも載ってます(たぶん)。

行基さんは、そもそも、東大寺の大仏建立プロジェクトの総責任者で、全国をまわって資金集めをしてました。ただ、民衆もそうそう金持ちであるわけもないですから、そう簡単にカネは出てきません。

なので、橋やら溜め池やら港やら道路やら、その地にニーズのありそうなものを自ら進んでつくり、人々に崇め奉られ、地の人々がこぞって寄付をしたくなるように仕向けたんですな。
なかなかの策士です。


えーっと、その行基さんがですな、704年、難波橋を架けてくれました。

当時、というか、明治時代くらいまではそうみたいですが、中之島の東端は、この難波橋の真下くらいまでしかなくて、そのために、橋そのものは、200mを越す、雄大な木橋でした。
行基さんも朝鮮半島からやって来た渡来人の家系ですが、さすが、ものすごい土木技術を持っていたことが、これひとつをとってみてもわかります。

明治5年の地図を見ると、よくわかります。(「大阪圓」より)

難波橋(ライオン橋) 大阪圓


で、難波橋は、江戸時代には公儀橋となり、天神橋、天満橋と並んで、浪花三大橋と呼ばれる、大阪を代表する橋だったわけです。

そんときの橋は反りがあって、眺望がよくて、花火見物やら夕涼みなどの一等桟敷で、上方文化を育む絶好の行楽地やったそうです。

こんなかんじ。賑やかで楽しそうです☆

難波橋(ライオン橋)



大川も堂島川もよく氾濫したので、何度か架け替えがあったと思うんですが、明治9年(1876)の架け替えの際に、北側部分が鉄橋化されてます。これが、近代鉄橋の幕開け。

大正4年(1915)には、市電の開業に伴って、堺筋に移転されることになり、現在の地にやってきました。当時、堺筋が、大阪で一番重要な筋やったので、そこへ持ってこようという計画が持ち上がったんでしょうな。
そんときに、重厚なアーチ式の橋となり、名物のライオン像が橋詰4ヶ所に設置されました。
欄干やら豪華な照明灯やら橋塔やらの意匠も、そんときにできてます。


ほいで、なーんでライオンが設置されたのかは、なんぼ調べても謎なんですが、このライオン、南北とも、東のライオンは口を閉じていて、西のライオンは口を開けてます。
ということは、阿吽の様式になってるということです。
ということは、狛犬か?

まあ、ライオンは狛犬の祖先(阿吽の様式は日本独自だけれども)ですから、これは、狛犬だと考えて間違いないと思います。
じゃ、なんでこんなところに、狛犬の祖先であるところのライオンが、という話になりますが、これはもう、近所に天神さんがあるから、くらいしか説明がつかんのですが、それやったら天神橋こそが相応しいやろうし…。誰か、教えてください。


(北西詰のライオン)
難波橋(ライオン橋) 北東



(北東詰のライオン)
難波橋(ライオン橋) 北西



(南西詰のライオン)
難波橋(ライオン橋) 南東



(北東詰のライオン)
難波橋(ライオン橋) 南西




しょっちゅう見ている4匹のライオンについて調べていたら、橋の歴史そのものにまで風呂敷をひろげてしまいました。。。

それにしても、近づいてみると、なかなか勇壮なライオンです。

難波橋(ライオン橋)



ちなみに、橋の欄干には、大阪市の市章である「みおつくし」があしらわれていました。
浅瀬に立てられていた水路標識ですな。やっぱ、大阪は水の都か。。。

難波橋(ライオン橋)



そして、案の定というかやっぱりというか、こんなんも見つけました。
今の橋は、大林組が請け負ってます。現代の行基(笑)

難波橋(ライオン橋) 大林組




ところで、昨年、京阪電車の中之島線が開通して、難波橋の真下、中之島に「なにわ橋」という駅ができました。でも、難波橋の南詰には「北浜」駅があって、両者は歩いて1分くらいの距離しか離れてません。しかも、両者は、それぞれ中之島線と本線に属しているので、乗り入れているわけでもなければ繋がっているわけでもありません。
なんでこんなところにわざわざ駅を新設したのか、僕には今もって謎です。。





難波橋(ライオン橋)
北区西天満-中央区北浜間

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この記事のコメント
今日(1/18)読売テレビ夕方の【テン】で「難波橋」を放送するとの新聞情報で早速現地で四匹のライオンをみてきました。
ネットでたまたま検索してこのページを見ました。
色々な事がわかり易く書いてあり勉強になりました。
京都から大阪市内に引っ越して半年になる坂本一朗です。

| 坂本一朗 | 2012/01/18 12:33 PM |
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