JR東海線の大阪駅と新大阪駅のあいだ、淀川の橋をわたるとき、南側の堤防に寄り添うようにして、お寺さんがあるのが見えます。
壁面にお釈迦さんの目鼻を描いた絵が電車を見ているので、あの寺か!と、ご存知の方もいらっしゃるかと。
これです。
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あの、目鼻というか迫力のある目玉は、チョルテンといって、ネパールやチベットに行けばいくらでも見られるのですが、役割としては仏塔、つまり五重塔や五輪塔とおなじで、簡単に言ってしまうと、お釈迦さんの墓、お釈迦さんそのものです。塔もそうだけれども、チョルテンもできるだけ高いところに描かれていて、なんでかというと、遠くからでも見ることができて、拝むことができるように、ということです。
役割としては塔とおなじなので、日本にあっても全然おかしくないし、べつにチベットやネパールの専売特許というわけでもないのだけれども、でもでも、日本でチョルテンにお目にかかれることなど滅多にないですな。
なので、なんで、ここ、淀川の川縁に、チョルテンの描かれたお寺さんがあるのか?
調べてみると、このお寺さんは教恩寺というお寺さんで、別名、さつき寺。幼稚園を経営されてます。
でも、それ以上の情報がまったくない。ちなみに、浄土真宗本願寺派で、謎はかえって深まるばかりです(笑)文献をあたってみても、詳しいことが書かれたものを見つけることはできませんでした。
なら、行くしかないじゃないですか!
拝観させてくれる雰囲気は皆無だったのだけれども、とりあえず、突撃ですわ。
拝観させてくださーい! たのもー!
どーぞ☆
あら、意外とあっさりと拝観の許可が。
と思ったら、どーやら配管の工事の人と間違えられたらしく、住職さん、ちょっと戸惑っておりましたが、ま、これもなにかの縁というものじゃないですか(笑)
本堂に入れていただき、お参りしてみると、阿弥陀如来さんがいらっしゃいました。
教恩寺のご本尊さんです。
両脇には、浄土真宗本願寺派の高僧の蓮如さん、聖徳太子がいらっしゃいました。
真宗の本願寺派ということは、豊臣の時代に石山本願寺ができて真宗の布教をはじめたころに一緒に建立されたのだなということは、このあたりの歴史を知っていれば、容易に想像することはできます。
実際、その流れらしく、お寺さんそのものは700年ほどまえに創建されているのだけれども、450年ほど前、真宗の仲間入りをして初めて、歴史に登場します。
で、本願寺11世の顕如上人が大阪に籠城した際(本願寺の跡目争いがあったのですよ)、ここの住職門徒がこぞって味方したことによる論功行賞で、聖徳太子の御影をいただいた、と。その御影が、本堂に飾られています。
本堂の壁面は鮮やかな黄色に塗られ、「無量寿如来」の文字が書かれていることから、ここのご本尊さんが、阿弥陀如来さんだということがわかります。無量寿如来というのは、無限の寿命を持つ者=阿弥陀如来さんというほどの意味なので。サンスクリット語「アミターバ」の漢訳。
ここら界隈のお寺さんはどこもそうなのですが、最盛期には20,000坪の境内だったといいますから、かなり広いというか、寺勢を誇っていたようです。
で、まだ淀川が改修されるまえ、このあたりにはサツキ山と呼ばれる小山があって、サツキが咲き乱れていて、春の花見スポットとして賑わっていて、そこから、別名・さつき寺という呼び名がついてます。
併設している幼稚園の名前が「さつき幼稚園」なのは、そこからとってるんでしょうね。
第二次大戦で堂塔すべて焼けちゃったんですが、ご本尊さんの阿弥陀如来さんや過去帳なんかはすべて無事だったそうです。戦災から必死で守られたんでしょうな。堂塔は再建できるけれども、ご本尊や過去帳は、焼失したらそれまでですからね。
でも、その後、淀川が改修され、移植したサツキは全滅したとのことです。サツキの名残も、今や、「春深し 浪速の北のさつき寺」と詩に残されるのみ。
区画整理などもあって、もはや住宅街の一角にわずかな境内を残すのみで、かつての寺勢は面影もないです。真宗は、墓地経営や拝観で維持費を稼ぐよりも、老人ホームや幼稚園、学校などを経営することで寺の維持を行なっていくことが多いのですが、教恩寺でも、幼稚園経営で、お寺さんを維持されているみたいです。この保育園も、半世紀以上の歴史を誇っている名門ですわ。
さてさて、冒頭にも書きましたが、ハイライトはなんといってもチョルテン。
真宗のお寺さんだし、なーんで、チョルテンが描かれているんでしょうかね?
住職さんにお聞きしてみると、先代の住職さんがネパールへお寺さんを訪ねた折り、チョルテンのことを知り、ぜひ教恩寺にも!ってことで、帰国後、描きはったらしいです。
真宗も元を辿れば天台宗経由でチベット密教やネパール仏教に辿り着くし、大きな枠のなかではチョルテンがあってもいいんでしょうが、なかなか柔軟な考えの持ち主だったようですな、先代の住職さんは。
チョルテンが描かれているお堂の中に入ってみると、千手観音さんがいらっしゃいました。千手の数はかなり合理化されてますが、すべての手に、なんらかの仏物をお持ちですな。
つくられた年代もこの地にやって来た経緯もわかりませんが、すべての手に仏物を欠けることなく持っておられる千手観音さんは、なかなか貴重です。
千手観音さんの足下で、童子たちが拝んでます。千手観音さんの偉大さを際立たせる演出だと思うのですが、これは初めて見るアイテム。
鐘楼もなかなか立派です。
北門に、往時の立派さが残ってますね。
教恩寺(さつき寺)大阪市北区本庄西3-13-5
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