大阪市の北区をグルグル巡るブログ | 大阪市の北区メインでいろいろ仕事をしてます。仕事場も住んでるところも大阪市北区なので、北区をグルグル巡って、目にしたもん耳にしたもん感じたもんを、つらつらと書いています。

大阪市の北区をグルグル巡るブログ
大阪市の北区をグルグル巡るブログ
<< 天満界隈に音楽が溢れた日 | main | 浪速八百八橋 北区の橋シリーズ - 天満橋 〜 世にも珍しい重ね橋 >>
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています


お地蔵さん、稼いでくれてはります(笑)
JR天満駅の南側は、天神橋4丁目でもあるのですが、そのすぐ東側は、かつて錦町と呼ばれてました。
錦町という町名は、今ではJR天満駅北側の東の一角に縮小されているのですが、かつてはJRの線路を挟んで、南北ともに錦町だったのですね。

で、かつての錦町、現・天神橋4丁目の一角にはお地蔵さんがおわしまして、ここは町会がしっかりしているので、しっかりとした保存がなされております。

錦地蔵

夏の地蔵盆のときも、近所のお子らを集めて盛大に行われます。
そんときのエントリーは、こちら。

都心であっても、お子がいれば地蔵尊は残る、と、錦地蔵を見て思う


ちなみにここらはラブホ&飲屋街で、その真ん中にお地蔵さんを祀ってある祠がありまして、聖と俗が混在する、なかなかに汎アジア的な空間でもあります。

たらふく酒を仕込んでヨイヨイになった人が、ここのお地蔵さんのまえでパンパンと手を合わせてお賽銭を投げていく姿は、日常的にありふれた光景でもあります。

いつもキレイに手入れされているのは、町会のなかで保存会を結成していて、常日頃から手入れされている賜物ですね。感謝☆

ここらは商売人が多いせいもあって、そういうことをおろそかにしませんね。

さて、ここのお地蔵さん、まあまあお賽銭を稼いでくれはるんですが、これも、1年に1回、2年に1回と、お賽銭を回収して、お地蔵さんの維持費に充てられています。

近頃は不景気だし、不心得者も多いので、お賽銭が盗まれることも多く、今では、お賽銭箱をブロックで囲って、セメントで固めてしまってます。それでも賽銭の投入口から針金を入れたりと、パクるほうはいろいろと知恵を絞ってるみたいですが(笑)

ほいで、お札なんかが入ってると、湿気でボロボロになって使えなくなっちゃうので、年1回、セメントを砕いて、お賽銭を取り出すのですね。

たまたまその場に居合わせたので、お手伝いしてきました(笑)

セメントの解体作業の様子の写真をアップしちゃうと防犯上問題があるのでアップしませんが、まずはセメントを掘削機で崩して、なかのブロッグを取り出して、その奥にあるお賽銭を熊手や箒を使って集めます。

今回は1年ぶりに開けてみて、バケツが4杯分くらいの硬貨と1000円札が39枚。

小銭やお札がわんさと出てくるのですが、土まみれになっていたり、濡れていたりするので、これをそのまま銀行に持っていくと、硬貨判別機が故障するんで、銀行がいやがるんですね。
なので、硬貨は洗って、お札もウエスに挟んで乾かして、キレイキレイして持っていくのですよ。

錦地蔵



そのお金は、そのままお地蔵さんの維持費にまわったり、今だと、伊勢神宮の遷宮のための資金援助の指令が全国の神社仏閣と町会に出てますから(これ、メディアは全然報じませんな)、そのためのお金にまわったりと、そういうところに使われとります〜。


さて、話はちと変わるのですが、このお地蔵さんがある近くには、むかし、堀川の運河が走っていて、今は埋め立てられてますけど、あちこちに橋が架かっていたのですね。
で、橋の石碑があちこちにあるのですが、このお地蔵さんの脇に、「西喜橋」と書かれた跡碑がありました。
ここらがかつて錦町と呼ばれていたし、近くに錦橋があったことも知っているのですが、どうやら、この石碑から、「西喜」→「錦」と変化したのだと推測できます。
悪字が好字化される例は地名には多いですが、西喜も錦も悪い字ではないし、なぜ、このような変化が起こったんでしょうか?

またひとつ、歴史の小さな疑問を手に入れたので、機会があれば調べてみようと思ってます。






錦地蔵
大阪市北区天神橋4丁目

大阪市の北区をグルグル巡るブログのためのmap






■この町内の最近のエントリー■
スポンサーサイト

コメントする









この記事のトラックバックURL

http://kita-ku.jugem.jp/trackback/183
トラックバック
/PAGES
▲page top

pagetop
Copy Right(c)2009-2011 Joe's Garage inc. Asakaho Luis Ryuta All Rights Reserved.