大阪市の北区をグルグル巡るブログ | 大阪市の北区メインでいろいろ仕事をしてます。仕事場も住んでるところも大阪市北区なので、北区をグルグル巡って、目にしたもん耳にしたもん感じたもんを、つらつらと書いています。

大阪市の北区をグルグル巡るブログ
大阪市の北区をグルグル巡るブログ
<< 神山町交差点の「天下一品」の店舗は、「店舗こそが最大の広告」の見本である | main | 浪速八百八橋 北区の橋シリーズ - 都島橋 〜 かつてこの橋の上を市電が走ってました >>
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています


浪速八百八橋 北区の橋シリーズ - 源八橋 〜 橋に受け継がれた渡しの歴史
北区の橋シリーズもいよいよ佳境、第17弾です☆

今回は、源八橋。

源八橋



過去エントリーはこちら。

第1回の難波橋(ライオン橋)
第2回の川崎橋
第3回の船津橋
第4回の堂島大橋
第5回の上船津橋
第6回の鉾流橋
第7回の桜宮橋(銀橋)
第8回の大江橋
第9回の天神橋
第10回の中之島ガーデンブリッジ
第11回の水晶橋
第12回の渡辺橋
第13回の飛翔橋
第14回の毛馬橋
第15回の田蓑橋
第16回の玉江橋

ちなみに、大阪市北区の中之島に架かる橋は、東から、
毛馬橋(城北公園通)
飛翔橋
都島橋(都島通)
源八橋(扇町通)
桜宮橋(銀橋)(国道1号線)
川崎橋
天満橋(谷町筋)
こっから西は、中之島に架かってます。
天神橋(天神橋筋 - 松屋町筋)
難波橋(ライオン橋)(堺筋)
鉾流橋
水晶橋
大江橋(御堂筋)
中之島ガーデンブリッジ
渡辺橋(四ツ橋筋)
田蓑橋
玉江橋(なにわ筋)
堂島大橋(あみだ池筋)
上船津橋(新なにわ筋)
船津橋


大阪市北区の橋




源八橋といえば、橋が架かる以前に運航していた渡船の源八渡しが有名で、その名にちなんで名付けられた橋ですな。
地元からの強い要望で源八渡しから源八橋と命名されたんですが、一方で、都島区側の地名である中野をとって中野橋と呼びたい人も多く、名付けというのはなかなか悩ましいものだということが、垣間見えます。

橋は昭和11年(1936年)に架けられたのだけれども、それ以前、江戸時代の初期、右岸の天満側は大阪城代配下の役人の官舎街、左岸の都島区側は農村地帯で、京街道が近かったために、多くの人が、ここの渡しを利用したといいます。
さらに、大川の両岸は桜の名所として名高く、今と変わらぬ花見客で賑わいを見せていた、と。今でも春になると、この橋の下にある中州でバーベキューやらなんやらの花見宴会が多数行われてますな。ちなみに、ここでの火器使用は、一応禁止なんですがね(笑)
さて、渡しの東には中野の梅林があり、人々はこぞって観梅にでかけたという記録もあります。江戸時代以降でこそ桜ですが、それ以前、日本で花見といえば梅ですから、これまた大層賑わったことだと思います。

このころの風景を、与謝蕪村が、
「源八をわたりて 梅の あるじかな」
と、詠んでますな。

摂津名所図会大成には、
「樋の口のほとりにあり天満源八町の濱より中野への舟わたしなるを以ってづくるなるべし 世に名高し」
と、紹介されてます。


この渡しは明治40年(1907年)に大阪市営となり、昭和11年(1936年)の源八橋の架橋によって廃止されます。

明治に入ってものどかな田園風景だった都島区一帯が、昭和10年(1935年)の城北運河の開削によって、工業開発がにわかに進み、渡しでは対応しきれなくなって、橋の重要性が説かれたということです。
で、昭和7年(1932年)にスタートした第二次都市計画事業として、昭和11年(1936年)に架橋。

このあたりのことは、橋の中央にプレートがあって、詳しく書かれてますな。
源八橋


橋の形式としては、6径間のゲルバー式鋼板桁が採用されているらしいです。例によって、建築の専門家でもなんでもない僕には、なんのことやらわかりませんが、とにかくそういうことらしい。ただ、このあたりは比較的地盤条件いいらしいです。大川に架かる橋は、地盤が基弱なところが多くて、地盤を盤石にするために苦心しているところが多いのですが、源八橋だけは、そうした苦労とは無縁の、ここらでは珍しい橋です。

昭和30年後半からは自動車が急増し、源八橋も交通渋滞が定常化したことから、昭和46年(1971年)になって、東行きの左折レーンを増やすため、橋の半分だけが上流側へ拡幅されました。なので、途中から橋の幅が膨らんでいるように見えます。

源八橋


平成10年(1998年)には、歩道部分を拡幅。ちょいちょい工事をやってます。
大阪アメニティパーク(OAP)があるし、環状線の桜宮駅とOAPを結ぶ橋として、車も人も、たくさんの人がこの橋を利用するんで、今でも、交通量は増える一方でしょうな。

源八橋の東詰下流には大阪営林局の貯木場があったんですが、現在では、在阪各大学ボート部の漕艇庫が立ち並んでいて、大阪市民レガッタや桜杯レガッタの大会を見物したり、練習風景を眺めたりと、ボートの風景を見ることのできる橋として、ちょっとしたスポットになってます。

あるいは、天神祭の奉納花火を見るポイントとしても有名で、天神祭のときは、それこそ立錐の余地もないほどの人がこの橋から花火を見物してはります。

話は少し変わりますが、近代上水道が敷設される以前の大阪は、飲料水に悩まされた都市でもありました。井戸水はほとんどが飲み水としては不適で、生活用水として用いられていたので、飲み水のほとんどは水売りと呼ばれた人々が水船で市中各所へ運び、水桶で各家庭に届けていたのですね。
そうした水汲み場のひとつが源八橋上流にあったということで、ということは、このあたりでは、飲み水が川から供給されるほど澄んでいたということですな。

今では考えられんことですが。。。。


橋のすぐ下、大川の川畔から橋に直接上がる階段があります。
源八橋


橋の下をくぐっていくこともできます。
源八橋


上下2車線とそれぞれに歩道。じつはそんなに広い橋ではありません。
源八橋


橋のふもとには、源八渡しの跡碑があります。
源八橋


橋の上流側は、JR環状線の鉄橋があります。
源八橋


橋の下流側には中州がひろがっていて、向こうには桜宮橋(銀橋)が見えます。
源八橋


源八橋

大阪市北区中之島4

大阪市の北区をグルグル巡るブログのためのmap
大阪市北区の主な橋




■この町内の最近のエントリー■
スポンサーサイト

コメントする









この記事のトラックバックURL

http://kita-ku.jugem.jp/trackback/162
トラックバック
/PAGES
▲page top

pagetop
Copy Right(c)2009-2011 Joe's Garage inc. Asakaho Luis Ryuta All Rights Reserved.