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カッコいい逸話がたくさんある木村重盛の碑が中之島にあることは、あまり知られていません
中之島公会堂の東側にでっかい碑があって、いつも気になっていたのですが、こないだ、ちょっと時間があって、立ち寄ってみたのでした。

3mくらいある碑で、なかなかでっかいです。

木邨長門守重成表忠碑

木邨長門守重成表忠碑


見ると、「木邨長門守重成表忠碑」と書かれてあって、真ん中でまっぷたつに割れた跡があって、なかなかのド迫力です。

大阪で長門守をやっていたというとすぐに木村重成だとわかるのですが、この碑はなんでしょうね?
木村重成というと、豊臣の時代、秀吉の子の秀頼の唯一の幼なじみにして、秀頼を最後まで守った人で、それこそ、滋賀の豊国神社には、秀吉とともに祭神となって祀られている武将で、豊臣家とほぼ一心同体のような武将ですな。たしか、司馬遼太郎の小説にも、どっかに出てきます。

その忠義を碑にしたんでしょうが、経緯がさっぱりわかりません。。。。

この碑の書は、明治時代の日下部鳴鶴なる書家の字だそうで、桜田門外の変で命を落とした彦根藩士日下部三郎右衛門の養子さんだそうです。
彦根といえば、織田・豊臣の牙城ですから、明治の世になって、徳川家に滅ぼされた豊臣方が、ここで名誉挽回の碑をつくった、みたいなストーリーを連想してしまいますが、どうでしょうか?

木村重盛は、イケメンの戦国武将だったらしいですな。
まあ、イケメンはともかくとして、23歳で死んでますから、半ば伝説化してます。

講談に、大阪冬の陣の講和の話が出てきます。

冬の陣は徳川方に有利な講和条件で終わったのですが、この講和には、大阪側からは木村重盛が出席していました。当時、木村重盛は20歳そこそこの若者なのだけれども、見た目はイケメン、人物から能力まで飛び抜けていて、この席に抜擢されるわけです。ここで、全国デビューですな。

まず、徳川家康が、講和に同意する旨の書類に署名し、血判を押して、重盛に渡します。で、それを見て、重盛は、血判が薄いので捺し直してくれ、と。
かたや、戦国を生き抜いて日本一の名将となった徳川家康。かたや、20歳そこそこのぽっと出の少年武将。その重盛が、徳川家康に血判の捺し直しを迫るわけです。これをして、肝が座っていると評判になり、それが講談となっています。

最後は、徳川家との争いの中で戦死するのだけれども、家康が首実検をしたとき、重盛の頭髪には香が焚き込められていて、皆、その覚悟に感嘆したという逸話もあります。

ま、そういうカッコいい逸話がたくさんある木村重盛なのですが、その彼の碑が中之島にあることは、あんまり知られていないようですね。



木邨長門守重成表忠碑
大阪市北区中之島1-1

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