久しぶりの、
ニットで被災地を支援するThink Of JAPAN While Knittingです。
久しぶりと言っても、僕のブログにエントリーするのが久しぶりなだけで、活動は常時続いています〜。
イベントをやっていないだけで、全国でモチーフを編んでくれている人たちは今も定期的に送ってきてくれはりますし、主要メンバーは、モチーフのコーディネイト、繋ぎ等、日夜取り組んでくれてはります。
僕は、イベントや展示の仕込みをしたり。などなど。
さて、9月はイベント月間。
9月12日(水)、梅田にある大阪市北区社会福祉協議会にて、モチーフサーキットを開催しましたです☆しかも今回は、めでたく、北区社協さんとの共催です。
そのおかげで、今回は、北区の広報紙にも告知を掲載していただきました。
北区社協さんは、TJWKを立ち上げた最初の段階でお声かけさせていただいたところです。
なんの資源も権限も持たないTJWKが活動を広めていくとき、活動の主旨を理解していただき、協力していただけるところがなければ、今のようなひろがりを持つことはできませんでした。
北区社協さんには、そうしたご理解とご協力を惜しみなく提供していただいていて、イベントの告知から集客、会場の提供からスタッフの提供、イベント製作の際のこまごまとした心配りまで、ほんとにね、もう、隅々まで協力してくれはります。TJWKの重要なパートナーです。
今回も、そんな北区社協さんのおかげで、素敵な素敵なイベントとなりました。
会場入口のところには、こんなふうに案内のポップが。こういう細やかなところって、TJWKだけじゃまわらないんですよね。ほんまにね、こういうことの積み重ねがすんごくありがたいです。
今年のモチーフサーキットは2年目だから完成作品がたくさんあって、参加される方にここで編んでいただくモチーフがどんな作品になっていくのかを実際に見てもらうことができます。
平日のお昼開催だったのにもかかわらず、約40人の方があっという間に集まってくれました。
若い人から年配の方まで。世代を超えて集まるのが、このプロジェクトのいいところです。
まだ主催者のあいさつもしてないのに、みなさん、席に着くなり編み針を手にしてモチーフを編みはじめてはります。
早速、おなじみの光景が繰り広げられました。
腕に覚えのある人が、初心者の方に教えてくれています。
こういう光景が自然に展開され、こういうことがきっかけで参加者同士で仲よくなってくれます。
わからない人すべてに教えてまわることは、主催者サイドだけでは不可能。こうやって、隣の人が教えてくれはるというのが、一番いい光景。
こうやってみなさんが黙々と編んではるというのはじつは珍しい光景で、ワイワイとお喋りしながらのほうが圧倒的に多いですね。
なかには、手が止まって口だけが動いている人も(笑) でも、それもまた楽しみのひとつで、このプロジェクトのいいところでもあるんです。
TJWKの被災地支援は、人と人とが繋がることで、小さなひとりひとりの力を大きくしようというものだから。
今回は、地元のケーブルテレビ
「J COM」さん(ジェイコムチャンネル デジタル111)が取材に来てくれはりました。
来週、
9/17(月)〜23(日)までの6日間、
月曜〜金曜 8:30〜、12:00〜、15:30〜、19:00〜、22:30〜
土・日 8:30〜、12:00〜、15:30〜
「週刊 情報スロット」って番組で、毎回流してくれるそうです。平日なんて、1日になんと5回放映☆
大阪市の北区をはじめ、都島区、城東区、東成区、旭区、鶴見区、中央区、淀川区、東淀川区、阿倍野区、住吉区、天王寺区、東住吉区、平野区、生野区が放送エリアですと。ご都合つく方は、ぜひ☆
モチーフサーキットでは、毎回、ゲストスピーカーを招いて、震災や復興にかかるお話をしていただきます。
今回は、福島在住の方で、震災後、大阪に疎開しておられる
森松明希子さんをお招きして、
「被災者の今」と題して、被災直後の状況や現状をお話していただきました。
ごくごく一部だけど、要約してみます。
森松さんは、現在、ご主人と、4歳4ヶ月の息子さん、1歳8ヶ月の娘さんの4人家族です。
福島県郡山市在住で、被災され、昨年のGW明けにお子さんとともに大阪に避難してこられました。
ご主人は仕事のため、お一人で福島に残られています。
震災が起こったとき、森松さんのご主人は仙台へ出張中、息子さんは幼稚園へという状況で、森松さんと当時生後5ヶ月の娘さんだけがご自宅におられたそうです。
幸い、そこではケガはなく、右往左往したけれども、夜には家族4人が無事に再会を果たすことができたとのことです。
もちろんそれまでには大変な思いをされていて、ひとつだけ紹介すると…。
自宅マンションの給水タンクが地震で壊れ、天井からも床からも水が浸入してくる状態(全部屋で水深10〜15cm!)となり、また震度4クラスの余震も続き、家から脱出する決意をされたのですね。
でも、娘さんはまだ5ヶ月。おんぶヒモは、首が据わる生後6ヶ月頃から使用できるもので、首が据わっていることを祈りつつ、一か八かで娘さんを背負って、マンションの8階から階段を下りたのだそうです。
ご家族全員が無事だったとはいえ、そのような困難で悲惨な体験を数えきれないほど重ね、避難所生活も経験し、森松さん一家は、ご自宅と家財道具のすべてを失いました。
さらに、震災直後の原発事故による放射能汚染が深刻で、やむをえず、家族がバラバラになってしまう福島と大阪の二重生活の道を選ばれました。それが、昨年の5月のことです。
幼いお子さんたちの健康を考えて決意された二重生活だけれども、それは想像していた以上にしんどいものだと、森松さんはおっしゃいます。
まず、福島と大阪の二つの世帯の生活維持、ご主人が大阪の森松さん母子に会いにこられる交通費など、経済的な負担が家計を圧迫します。しかも、森松さん家族が住んでいた福島県郡山市のご自宅は、原発から60km離れていることで避難勧告や避難指示が出た地域ではありません。なので、避難したからといって、国や自治体からの援助は一切ありません。
それでも郡山市では、かなり除染した場所ですら、放射能測定器の示す値は目を覆いたくなるような数値なのだそうです。
いっそ、妊婦や乳幼児のいる家庭だけでも避難退去命令を出してくれたらいいのに、と、何度思ったかしれない、とのことです。
汚染地域から瓦礫を運び出すことも大切だけれども、将来のある子どもたちや人をこそ運び出すべきだと、森松さんは痛切に感じておられます。
ご主人は、月に一度、お子さんたちに会えればいいほうなのだそうです。それすらも叶わないときも、あります。
通常の単身赴任と決定的に違うのは、いつまで、という任期があるわけでなく、先がまったく見えないことです。
長期にわたってこの生活が続くことを考えると、お子さんの精神面が心配です。そして、口にこそされなかったけれども、お子さんたちだけでなく、森松さんやご主人の心の健康も。
生後5ヶ月だった娘さんは、ほぼお父さんを知らないままに育ってしまっています。
そのお父さんは、月に一度、700km以上離れた大阪まで一人で車を運転されて高速道路を飛ばしてやって来られ、束の間、ご家族の顔を見、24時間も滞在できずに再び車を走らせて戻っていかれます。
福島に残れば目に見えない放射能の恐怖に怯え、大阪に来れば、不安定な生活と家族バラバラの日常を強いられ…、震災以降、今もって、ご家族全員、心も身体も休まるところがない状態です。
福島では、夏でも朝晩は涼しいし、日中も風が通るので、エアコンを入れることは稀だったそうです。
それが大阪だと、夏でも冬でもエアコン+空気清浄機という生活に一変します。
こうした、当人にとってはあたりまえだった生活のちょっとしたことが一変し、ちょっとしたことでも積もれば、それはストレスになりますね。
しんどいことだと思います。
逆に、大阪に来られてよかったと思えることも、少しは持っていただいているようです。
ボランティアの方たちが、夏に、キャンプに連れていってくれたり。
引っ越しを手伝ってくださる方がいて、その間、赤ちゃんの面倒を見てくださる方がいて、また、被災者や避難者の方たちの交流会に参加する機会があったり…、少しでも大阪での生活がよいものになり、森松さんご家族全員の生活が再建できるよう、そのお手伝いをしている方たちと触れ合えている。その事実は、僕たちの心を少しは和ませてくれるものでもありますね。
僕たちがやっていることも、ほんの少しでもいいから、ホッとしていただけるものであったならいいな、と、少しだけ思いました。
なによりも、実際に被災された方の生の声は、関西で生活していると、なかなか耳にする機会はありません。僕たちが支援しようとしている人たちはこういう人なんだ!と、具体的に知ることができた、貴重な機会でした。
震災を奇貨として日本はひとつになった!なんて言論がいっとき流れたけど、あれは嘘だなあ、と、森松さんのような方のお話を聞いたり読んだりするたび、つくづく思います。
震災直後、日本は連帯を取り戻した、かもしません。
ネットは震災情報で一色になり、義援金はあっという間に記録的な金額へ駆け上がり、官房長官がなぜか英雄になり、多くの人は(僕も含め)、日本は、この未曾有の災害を奇貨として、公共の精神を取り戻し、新しい国に生まれ変わるのかもしれない、そうならければならない、と夢見ました。
でも、そんなのは、半年持たなかったですね。
放射能の問題は地域をバラバラにし、福島周辺で幼いお子らを抱える親たちは、聞き慣れない放射線専門用語に囲まれながらも、ひとりひとりが孤独な決断を強いられています。森松さんこそが、そうした母親です。
その福島に嫉妬まじりの視線を向ける被災地他県民や、ヒステリックの烙印を押された避難対象地域の母親たちと、彼女らに嘲笑を向ける自称・理系の研究者たち。終わりなき日常vs日本再生で互いに相手を折伏しようとするネット言論。。。
ひとつになどならず、「僕たち」は、バラバラに引き裂かれてしまったのではないか、との思いが、僕には、ずーっとあります。
ニットの針も糸も握ったことすらない僕がTJWKを続けているのは、この活動が、そんなバラバラに引き裂かれてしまった僕たちを、再び、成型し直す作業なのだと思っているからです。
TJWKの素敵なところのひとつは、「ニット好きが、大好きなニットをすることで震災支援に繋がる」という、楽しみや歓びがあることですが、このことを接着剤として、被災地への思いや、自身の喪失や、救いや、その他諸々の思いが繋がっているので、そのせいで、ヘビィな状況を回避できているように思います。
震災支援という観点からだけ見ると、僕らの心持ちは、ずいぶんと利己的かつ牧歌的かもしれません。でも、その軽やかさがなければ、僕自身、続けていくことがしんどいです。
でも、そんな心持ちのおかげで、ポジティブな言葉も、たくさん紡がれました。
この言葉たちが発せられた基点のひとつには、まぎれもなく、「楽しさ」や「歓び」があって、それゆえに、「共感」を得ることができるのではないかと、そんなふうに思うのです。
たとえ、その言葉たちは当事者の営みのなかから、かつがつ紡がれた不安定な言葉なのだとしても、僕は、「共感」を得るのではないかと、感じています。
僕たちは被災こそしていないけれども、バラバラにされてしまった当事者です。そのような当事者として、震災や復興支援にかかわっています。だからこそ、紡がれる言葉は臆病だし、不安定です。それでも、そのようにしてかつがつ絞り出された言葉というのは、「共感」を得るのではないかと、僕は、やっぱり思うんですね。
今年の春、最初のサイクルを終えたときに、やはり大きな力でこのプロジェクトにかかわってくださっている関大の与謝野先生が、図らずも、僕の思いを後押ししてくれるような言葉を紡いでくれました。
TJWKは、失われてしまった言葉や奪われてしまった言葉を取り戻す作業、編み直す作業、だと。T,J,W,Kという無機質なローマ字の羅列は、今やTJWKという大切な言葉になった。いつの日か、ボロボロになってしまった「絆」や「つながり」といった言葉を取り戻すだろう、と。
貴重なお話をしてくださった森松さんは、お話のあと、ひとつひとつのテーブルをまわって、参加された方たちと楽しくお話されていて、これだけでもやってよかったなって思いましたね。
かかわるすべての人が、喪失と再生の物語を紡ごうとする。TJWKは、そんなプロジェクトです。
今回のモチーフサーキットも、素敵な時間を過ごすことができました。
参加された方、かかわってくださった方、貴重なお話をしてくださった森松さん、ありがとうございました。
最後、モチーフサーキットに参加してくださった方々の、素敵な笑顔を。
【お知らせ】次回、大人気のグラニーバッグの講習会を行います。
「グラニーバッグをつくろう!」
日時:9月29日(土)10:00〜12:00 13:00〜15:00(午前午後どちらでも、あるいは両方参加可)
場所:大阪市北区社会福祉協議会 在宅サービスセンター
材料費=講習費:1個5,000円(3,000円が被災地支援のために寄付されます)申込等の詳細はHPを→
http://atricot.jp/tjwk/motif_cercit.html全国から集まったモチーフをコーディネートし編み図をパックしたキットをご購入いただき、グラニーバッグの講習を行います。
ご購入いただいたキットの代金は全額が被災地の支援のために寄付され、もちろん講習でつくったグラニーバッグは、世界でひとつだけのオリジナルとして、ご自身の生活に彩りを与えてくれます。
さらに、ニットの腕も上がる!
一粒で二度も三度も美味しいイベントです。
事前申込制なので、興味のある方は、ぜひご予約くださいませ☆