大阪市の北区をグルグル巡るブログ | 大阪市の北区メインでいろいろ仕事をしてます。仕事場も住んでるところも大阪市北区なので、北区をグルグル巡って、目にしたもん耳にしたもん感じたもんを、つらつらと書いています。

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関西で一番早く咲く、奈良・氷室神社の枝垂れ桜を見にいく
奈良公園のすぐ北側、東大寺大仏殿の近くに、氷室神社はあります。
どってことない神社でね。名寺がひしめく場所にあって、普段は、誰も見向きもしない神社です。
僕も、これまでにきっと行ったことがあるはずなのだけれども、よく思い出せないくらい、印象にない神社です(笑)

その名のとおり、氷の神様を祀っている場所で、毎年5月1日に、鯛と鯉を封じ込めた高さ1mくらいの氷柱が供えられる「献氷祭」が行なわれる…。そういや、そんな行事があるってことを耳にしたことはあるな、ってくらいで。

平城京ができた折り、春日野に氷池や氷室をつくり、4月1日〜9月30日に平城京に氷を献上し続けたとのことです。平城京が閉じるまでの70余年、毎年毎年、夏のあいだ、氷を貯蔵しては献上する日々をこなしてきた神社です。
なので、印象の薄い神社ではあるのだけれども、天平の時代から連綿と営まれてきた、由緒正しい神社なのですよ。

そういう神社ですが、もいっこ、特筆すべきことがありまして、とんでもなく立派な枝垂れ桜がね、あります。しかも、早咲きの枝垂れ桜で、関西で一番最初に咲く、枝垂れ桜なのだそうです。
それをつい先日知って、しかも今が満開だというので、これは見ときたいなあ、と思って、仕事の合間を縫って、行ってきたのでした。
奈良を移動するとなると車が必須になるけれども、近鉄奈良駅から歩いていけるので、すぐに行けちゃいます。大阪から奈良は1時間かからないから、意外と近いです。空いた時間があれば、サクッと行けちゃいますね。

そういうわけで、行ってきました。
いやいや、シャレにならんくらい立派な枝垂れ桜で、ちょっととんでもないシロモノです☆
桜の瀧みたいに、何本も何本も枝垂れていて、ド迫力です。
京都は円山公園にある枝垂れ桜よりも、艶やかさではこっちのほうが上かも。

東にある若草山の上にある太陽が桜を照らしていて、白いに近いピンクを、濃いピンクに変えていきます。
陽があたったりあたらなかったりで桜の色が変わるのも、見ていてとても楽しい。
ずーっと、見てられますね。

氷を献上する日々は、都が平城京から平安京に遷ったことで途絶えてしまったけれども、桜は、こうして今も咲き、絢爛きらびやかな風景をつくりだします。

いろいろ思うことがありますな。
それでも春はやってくる、ということ。

いい風景です。


でっかい写真も用意しました。

スライドショーでご覧になる人は、こちらを。

「氷室神社の枝垂れ桜 2011.4.7 スライドショー」

下にあるサムネイルをクリックすると、デッカイ写真をご覧いただくことができます。

氷室神社 氷室神社 氷室神社 氷室神社 氷室神社 氷室神社 氷室神社 氷室神社 氷室神社 氷室神社 氷室神社 氷室神社 氷室神社 氷室神社 氷室神社 氷室神社 氷室神社 氷室神社 氷室神社 氷室神社 氷室神社 氷室神社 氷室神社 氷室神社 氷室神社 氷室神社 氷室神社 氷室神社 氷室神社 氷室神社 氷室神社 氷室神社 氷室神社 氷室神社 氷室神社 氷室神社 氷室神社 氷室神社 氷室神社 氷室神社 氷室神社 氷室神社 氷室神社 氷室神社 氷室神社 氷室神社 氷室神社 氷室神社 氷室神社 氷室神社 氷室神社 氷室神社 氷室神社 氷室神社 氷室神社 氷室神社 氷室神社 奈良公園 奈良公園 奈良公園 奈良公園







氷室神社
奈良市春日野町1-4
HP http://www.himurojinja.jp/



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新薬師寺さんにいらっしゃる真っ裸のお地蔵さん、おたま地蔵
カノさん主催の「サロン文化大学」で、神社仏閣観賞のツボについて喋ることになったこと少しまえに告知したのだけれども、今日です!今日。
えーっと、人前に出て話すのは恥ずかしいのであまり告知したくないんだけれども、んなことも言ってられないので、最終告知。

吉永さんの団地、内池さんの観覧車など、お好きな方にはたまらんスピーカーも出演されますので、そちら目当てで、ぜひ☆

というわけで、まず告知。


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サロン文化大学2周年記念『NHK鑑賞マニュアル「美の壷」的な世界(仮)』

日程:

2011年3月28日(月) (19:30開場)20:00〜22:00

時間:

19:30 お店を開け、

20:00 イベントスタート、

21:00 頃に休憩をはさみ、

22:00 イベント終了。

場所:
コモンカフェ
大阪市北区中崎西1丁目1-6 吉村ビルB1F
TEL 06-6371-1800
(電話で申込はできません、道に迷った際ご連絡ください)

料金:
参加費1000円+1ドリンク500円

料理:
ネリkitchenの豊村さんがスタンバイ。
おいしいカレーを準備していただきます。

「晩ご飯を食べるよ!」という方は
申し込みの際、晩ご飯食べるつもりか
どうかコメントいただけますと幸いです。

喋る人は…、

「団地」通:建築家の吉永さん
高槻市の建築家 吉永健一全仕事|団地啓蒙活動
吉永建築デザインスタジオ一級建築士事務所

「寺社」通:web、DTPディレクターのルイスさん
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「観覧車」通:カメラマンの内池さん
ferris wheel diary 観覧車の写真ブログ
エクランの撮影日記

のお三方(僕、含む)。
司会は狩野哲也さんがつとめてくれはります。

お申し込み等の詳細は、サロン文化大学のページを。

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ということなので、今回は、仏像関係のエントリー。
あ、イベントでは「寺社」について語ることになってますが、そのくくりだとデカすぎるので、たぶん、仏像に絞ってお話することになるかと思います。

では、ブログの本編。


新薬師寺さんの、おたま地蔵のお話。
去年、新薬師寺さんに行って、おたま地蔵を見せてもらい、いろいろお話を聞いてきたのでした。

おたま地蔵

奈良の新薬師寺さんに、とある地蔵菩薩がありまして、傷みが激しくなってきたから、修復することになったんですね。
んで、修復を担当したのが、当時、東京芸術大学に在籍していた彫刻家の藪内左斗司さん。せんとくんの生みの親ですな。

まず、X線で撮影して、この仏像がどのような技法で造られているのかを、調べます。
木造であっても、1本の木をくり抜いて一木造りもあれば、パーツごとにつくってそれを嵌め込む寄せ木造りもあります。
撮影してみると、この仏像は寄せ木造りで造られていたことがわかり、どのようにパーツ分けされていたのかもわかったのですが、写真を見てみると、通常は内部が空洞になっているはずなのに、どうやら、なにかが埋まっているようなのですよ。しかも、それぞれのパーツのかたちも、従来の知られているかたちとは、ちと違う…。

手なら手のパーツというよりは、タイル状につくられた木片を、なかにあるものに貼りつけるようにして、つくられているのですね。
で、おそるおそる木片をはがしていくとですな、なんと! なかから一体の裸形像が現れたのでした!
仏像のなかに、手のひらサイズの小さな仏像を体内仏として納めてある例はいくらでもあるのだけれども、外の仏像とほぼおなじサイズの仏像がその下に納められているなんてのは、前代未聞です。

こ れが、1984年のことで、当時、世紀の発見と呼ばれたらしいのですが、1984年といえば、オレが18歳のときのこと。大学をクビになって、渋谷のストリップ劇場で使いっ走りをしていたころのことですから、んなことに目を向けるなんて高尚な人間ではなかったのですよ…。

ですから、構造を説明すると、裸の仏像のうえに、それこそ衣を着せるように木片がペタペタと貼られていて、地蔵菩薩の姿が形成されている、と。
すごいです! 京都でいろんな仏像を見てますけど、そんなの聞いたことも見たこともありません。

ちなみに、裸の仏像というのは、結構あるんです。鎌倉時代にたくさんつくられてます。
新薬師寺さんからほど近い伝香寺というお寺さんにも裸の仏像がありまして、年に1度、7月の地蔵会のときに、本物の衣を着せてあげる行事があり、厚い信仰と功徳への感謝を表す行事として、今も続いています。
お地蔵さんというのは、本物の衣を着せると、ビックリするくらいに人間らしくなりますけどね。

だから、新薬師寺さんの裸形像も鎌倉時代につくられたものなのだけれども、この仏さんは、本物の衣ではなく、木片を着せられているわけで…、いや、ちょっとすごいな。ガンダムのモビル・スーツみたいなもんですから。

解体し、いろいろと調べてみると、この裸形像も、鎌倉時代のものだということがわかりました。
なかから出てきたのは、体内仏が多数、当時の通貨、願文など。
そして、裸形像を着装像にするために、裸形像にさまざまな改良が加えられていることも、わかりました。
たとえば、裸形像の手をとって、着装像に新たにべつのかたちの手を付け加えたり…。
でも、とっちゃった手や、削った木屑、木片など、ありとあらゆるものが、ひとつ残さず、このなかに納められていたそうです。

本来なら捨てられるようなものまで、納められていた、と。
つまるところ、裸形像から着装像につくりかえるとき、裸形像に対する思い入れが、強くあったってことですよね。

願文を読むと、
大僧正実尊という偉いお坊さんがいて、その弟子に、尊遍という人がいたということがわかりました。
どちらも、奈良の春日絵巻に登場するお坊さんで、実尊は、藤原氏の出身であり、晩年、藤原氏の寺である興福寺の住職を務めた偉いお坊さんです。

春日絵巻では、大法要の前日、ぜんそくに苦しんでいて法要でちゃんとお経が読めるかどうか心配している実尊のもとに鹿が現れ、お告げをし、ぜんそくが治った、という内容の絵が描かれています。
また、そんな実尊を案じる尊遍のもとにも鹿が現れる絵が描かれており、子弟でおなじ夢を見るほど2人は強い絆で結ばれていたことが、表現されています。

1236年、実尊が亡くなります。
そのとき、師の生前のありのままの姿を残したいとして、尊遍は、実尊像をつくるのですね。これが、発見された裸形像です。
願文から、そこまでのことがわかりました。

問題は、ではなぜ、その後、この実尊像は木片で衣を着せられ、地蔵菩薩につくり変えられたのか。

ここから先は、修復を行った藪内さんの推測となるのですが…、
尊遍は毎日、師である実尊を象った裸形像を熱心に拝むものの、やがて年をとり、老い先短くなってきた。
そのとき、自分が亡きあとも、実尊像が裸のままで残っていくことに、非常な抵抗感があったのではないか、と。
なんせ、裸形像ですから。オチ○チ○まで、ちゃんとついてますから。
だからこそ、お地蔵さんのかたちにつくり変えたのではないか、と。

そうやって、封印された裸形像が、800年の時を経て、日の光を当てられた、と。
そして、この裸形像は、新薬師寺の住職によって、おたま地蔵と名付けられました。
だから今、新薬師寺には、従来の地蔵菩薩とおたま地蔵の2体が安置されています。
 
秘仏なので、普段はご開帳していないけれども、希望すると、開扉してくれて、担当オバァの説明つきで、拝めます。
 





新薬師寺のおたま地蔵
HP http://www.k5.dion.ne.jp/~shinyaku/
奈良市高畑町1352


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修験道のメッカ、吉野の金峯山寺で紅葉と秘仏を満喫する
紅葉の季節です。
突発的にいろいろな事態が起こってバタバタとしてはいるんだけれども、間隙を縫って、今年最初の紅葉を見てきました。
もっとも、北区に紅葉スポットはないので、大阪を脱出しとりますが。

行ってきたのは、吉野の金峯山寺(kinpusen-ji)です。
春は桜、秋は紅葉の名所にして、修験道のメッカでもあります。吉野は大峰山、霊山のひとつですな。

夏に山伏さんたちとご縁があって地蔵盆巡りをさせてもらって以来、個人的に、山伏という生きかたが心に引っかかっているので、そうしたものにも触れてみようという目的もあって、金峯山寺に行ってきたのでした。

今年の夏に山伏さんたちに触れたときのブログは、こちら。

「今年の地蔵尊は、修験僧の行者、山伏と、ミナミの六地蔵をお詣りする」


修験道というのは、日本古来の山岳信仰と仏教、密教が混じりあい、独特の進化を遂げていきます。
奈良時代、役小角(役行者)が開祖とされているも、彼は伝説上の人物。代表格は、なんといっても、空海です。
天狗もそうですね。頭に頭巾(tokin)、手に錫杖(shakujo)、麻でできた白い篠懸(suzukake)の法衣を着、袈裟をかけ、法螺貝を持ちます。
特徴的なのは、出家するのではなく、在家としてかかわり、普段は普通の社会生活を送りながら、修行のときにだけ山伏となる、ということですかね。
自己鍛錬や解脱(煩悩を取り払うことですな)といった個人のなかで完結してしまうものが目的であって、布教や衆生の救済を目的としているわけではないので、組織のベースとなる寺社に仕える必要がありません。だから、在家でやっていける。

ま、山伏のことは、これくらいにして、金峯山寺です。

早朝から電車に乗り、ケーブルカーに乗り、辿り着いたわけだけれど、朝の吉野行きの電車って、うんざりしますな。トレッキングや参拝目的のオジィやオバァが大量に電車に乗ってくるのはいいとしても、行儀が悪すぎ。うるさいし、傍若無人だし、邪魔だし、あの人たちは一体全体なにを考えているんだろうか。現役を引退するまでは、それなりの地位にのぼりつめたおぼしき人たちだけれども、張りつめた人生から解放されて老後の余暇を楽しむようになると、ここまで縦横無尽にわがままになれますか。。。もう、まとめて吉野川の清流に放り込んでやりたいほどで。

でも、そんな不穏な気分も、ケーブルカーに乗り込むころにはどこへやら。いきなり、素晴らしい紅葉と邂逅したのでした☆

金峯山寺




吉野といえば桜。山の斜面いっぱいにひろがるダイナミックな桜が有名だけれども、紅葉もまたいいもんです。桜と違って、スポットでところどころに、紅葉があって、新緑の山のなかに吹き出す炎のような迫力があります。

参道は例によって、土産物屋さんの軒が並びます。

金峯山寺


葛餅だ草餅だと、吉野名物はいろいろあるけれども、見つけたのは、玉コンニャク。白玉ですね。ピリッと唐辛子が利いていて、あったまります。

金峯山寺


途中、不思議な三叉路に出会いました。
道の真ん中に中州があって、その上に鳥居が。なんか不思議な風景です。 

金峯山寺


そうこうするうちに、仁王門が見えてきました。ド迫力の仁王門です。高さ20m。東福寺や南禅寺の仁王門に匹敵する、日本屈指の仁王門ですな。もちろん、国宝。

金峯山寺


脇を固める阿(a)さんと吽(un)さん。

金峯山寺

金峯山寺


ド迫力の仁王門をくぐると、深緑から紅のグラデーションの世界です。

金峯山寺

金峯山寺

金峯山寺


グラデーションだけでなく、鮮やかなコントラストを見せる風景も。

金峯山寺


一幅の名画から切り取られたかのような色鮮やかな風景を抜けると、今回のめざす先、金峯山寺の本堂、蔵王堂が姿を現します。
いかに修験道の総本山とはいえ、これまたド迫力のでかさです。高さ36m。重層入母屋造り、桧皮葺きの屋根を戴いた、大伽藍です。いやいやいやいや、とんでもないデカさです!
木造建築物としては奈良東大寺大仏殿に次ぐ大建築だけれども、何度かの兵火に遭い、現在の蔵王堂は1592年の再建です。

金峯山寺

金峯山寺

金峯山寺


お目当ては、この蔵王堂のなかにいらっしゃる秘仏、金剛蔵王権現像のご開張です。
写真なんぞもちろん撮れないんで、公式ガイドから。

釈迦如来さんを中心に、左に弥勒菩薩さん、右に千手観世音菩薩さんをしたがえた、三尊像です。
この三尊が過去、現在、未来の三世を護ってくれはるわけです。真ん中の釈迦如来さんが7.3mというデカさで、日本最大の秘仏です。

金峯山寺


それにしても、こんな憤怒の表情をした如来さんや菩薩さんなど、見たことがありません。
悪魔を払い、守護するために、このような表情になっているということです。
さらに、この「青」! これまた、仏像ではまずお目にかかれない、色鮮やかな青です。ちょっと絶句してしまいますね。この青は、おそらくは、ラピスラズリです。金以上に高価だったと思われるし、それを巨仏にふんだんに使っているのだから、相当の尊厳を集めたと思いますね。
とんでもなく素晴らしい仏像でした。

本堂を出て、裏にまわると、青から紅へ。再び、紅葉の世界です。

金峯山寺


遠くには、南朝の拠点となった吉野を象徴する、南朝妙法殿の三重塔が見えます。

金峯山寺

金峯山寺

金峯山寺


都から見れば、ずっと南にあり背後に1,000m級の山が連なる吉野は、仙境でもあり異界でもあるのだということが、この時期にくれば、なんとなくわかるような気がします。高野山がそうであるように、ここもまた異界です。

その吉野にて、6世紀に役行者が金峯山寺を創建し、現在まで脈々として続く山岳修験道の聖地としたわけですが、それもこれも、この土地の持つ霊性のようながあってこそですね。

金峯山とは、吉野山から山上ヶ岳にいたるまでの山並みの総称で、「金峯」という文字通りの金脈があると信じられていたそうです。

じつは修験道の話を、今回、いろいろと教えてもらったのだけれども、あまりに生臭い話が多く、ちょっとここでは書けません(笑)
つまり、修験道は、今も生きている文化だということです。




金峯山寺
奈良県吉野郡吉野町吉野山
HP http://www.kinpusen.or.jp
mapを見る



壺阪寺フォ〜☆☆☆☆☆
どもども、仏像&神社仏閣フリークのルイスです。
秋風が心地よくなってきたんで、大阪市も北区も離れて奈良に遠征に行っておりました。
奈良といっても、遷都祭で盛り上がってるところはどっこも混んでるんで、ぐっと外れて明日香へ。明日香は以前にそれこそチャリでグルグルまわったことがあるんですが、そんときに行き漏らしたところがあって、今回、行ってきたのでした。

壺阪寺。

まあ、相方さんが西国巡礼三十三ヶ所巡りをやってるんで、それに付き合った、って側面もなきにしもあらずで(笑)でも、壺阪寺は一回は行っておかねばならんお寺さんだったんで、ちょーどよかったんです。

僕に言わせれば、お寺さんっちゅーのは、死んでるお寺さんと現役のお寺さんとありまして、死んでるお寺さんは、宗教的な役割を終えて観光資源としてのみ存在しているようなお寺さんのことで、京都にはそういうお寺さんが多いですわな。もちろん、いろいろとやってはいるんだろうけれども、イチゲンで拝観したとき、そういう匂いをまったく感じさせないお寺さんは、やっぱ、死んでるお寺さんです。
一方、現役のお寺さんというのは、今でも宗教拠点として旺盛に活動しているお寺さんのことなんだけれども、たいていは、崇高な使命感が漂っているというよりも、生臭いです(笑)つまり、ゼニの匂いがする(笑)
寄付でつくられたものがあちこちにあって、しかもたいていは整合性がとれてなくて、ヘンテコリンなものをつくっては無軌道に増殖していってるお寺さん。西国巡礼三十三ヶ所に名を連ねるお寺さんは、じつはその最たるもんですね。そりゃそうだ、毎日毎日、巡礼してるオジィやオバァが大型バスに乗って大挙して押し寄せるんだから。

んで、壺阪寺というところは、そのなかでもキング・オブ・ザ・現役☆と言いたくなるようなお寺さんで、噂にだけは聞いていたので、今回、しかとこの目で確かめるべく行ってきたのでした。

いやいや、なかなかすごかったですわ。

創建は、703年(大宝3年)。平城京ができる少しまえで、元興寺なんかと同時期に建てられてます。元興寺の偉いお坊さんであった弁基上人がこのあたりの山で修行していたとき、愛用の水晶の壺を坂の上の庵に納め、感得した観音像を刻んでまつったのがはじまりなんやそうです。
それで、壺阪寺。

そういう、歴史のあるお寺さんらしく、遠目から眺めているぶんには、雰囲気は大層よろしいのですよ。広くてね、なかなかの大伽藍です。

壺阪寺


三門も立派です。

壺阪寺


多宝塔なんかもあって、充実してます。周囲の緑とのコントラストが相まって、青丹よしとはこのこと。

壺阪寺


ところが、だ。
近寄っていくと、徐々にわけのわからんことに…。
まず、いきなり、デーンと場違いな大仏がお出迎えです(笑)
色が色なんで、あまりにもミスマッチすぎます…。

壺阪寺


それでも勇気を振り絞って近づいてみると、大仏の前にさらに大仏が何体も…。
なんの軍団ですかっ!

壺阪寺


軍団はまだまだこんなもんではなくて、さらに向こうに、巨大な立像が聳えております(笑)
もうね、なんの要塞かと…。

壺阪寺


気を取り直して方向転換し、五重塔と講堂なんぞを眺め、ちょっと心を落ち着かせます。

壺阪寺


が、しかし、講堂をじっと目を凝らして見てみると、真新しい石灯籠がズラッと並んでおります。これ、寄付ですな。お布施代わりに、1台いくら、ってなってます。ああ、生臭い(笑)

壺阪寺


これはなんですかね?「藤原京 聖なるラインの終着地」?
藤原京の中心道路である朱雀大路を拡張した線上の高取山に壺阪寺はありまして、どうやらそのことを示しているようです。聖なるって…、キリスト教じゃないんだから。。。

壺阪寺


その横には、とってつけたような朱色の橋が架かっております。
まよけばし…。ああそうですか、としか、いいようがない…。

壺阪寺


橋のたもとの鬼はなんでしょうかね? 魔物ですか?
細かい鬼はきっと、ゼニ出して買って、奉納するんでしょうな。。。

壺阪寺


さらに目を転じると、いきなりデーンとレリーフの壁が!

壺阪寺


釈迦の一生が描かれてます。とんでもないカネがかかってると思うんですが、まあカネ持っとるな!ってのが、これだけでも見てとれます。

壺阪寺


えーっと、最初の大仏とはまた違う大仏さんです。
手前の石灯籠といい、自然のなかにこんなのが登場すると、シュールすぎます。もう、センスが新興宗教のそれにしか見えん(笑)

壺阪寺


さらに横に行くと、こんなものがあります。メガネ(笑)というか、メガネの模型(笑)
合唱しながらメガネのフレームのなかをくぐると、目に利くんやそうです。茅野輪くぐりの別バージョン(笑)目に利くという謂れの由来を、ぜひ聞きたいもんです(笑)

壺阪寺


目に効く専用の絵馬まであります。商売っけがすぎやしませんかね、おい!(笑)

壺阪寺


本堂に入ると、もちろん仏像さんが安置されているわけですが、驚くべきことに、こちらの仏像さんは、撮影し放題です。そんなお寺さん、まずありません! 太っ腹ですね。ちなみに、現役のお寺さんはおカネ持ってるから、太っ腹なところが多いです。

このお方が、ご本尊の千手観音菩薩さんです。

壺阪寺


こーゆーのまで置かれてるんですが、もう、開いた口が塞がらん(笑)

壺阪寺


そして本堂の隅っこに無造作に置かれている、新作(?)の仏像さん。
ガンダーラ様式を取り入れすぎたのか、ミロのビーナスみたいになってしまってます。ま、シルクロードの終着点ですから、国際色豊かなのは、アリですね。

壺阪寺


このお方にいたっては、いったい誰やねん!と(笑)横にキッチリ賽銭箱あります。。。。

壺阪寺


まだまだ、大仏さんを納めたでっかい建物までありました。これも強烈すぎます!

壺阪寺


いろいろ見どころ満載で、ヘトヘトになりながらお寺さんをあとにし、振り返ったら、これです…。

壺阪寺


近鉄の壺阪山駅前にあった唯一の飲食店。いい味出し過ぎです。

壺阪寺


この手のお店が何でも屋さんなのは承知しているけれども、にゅうめんとコーヒーの選択を迫られると、ちょっと頭を抱えたくなります(笑)

壺阪寺




さすがワンダーランドというか…、シュールなシュールなテーマパークですな。飽きさせない工夫が満載の壺阪寺なのでした。



壺阪寺
奈良県高市郡高取町壺阪3
tel. 0744-52-2016
HP http://www.tsubosaka1300.or.jp/index.html
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