カノさん主催の
「サロン文化大学」で、神社仏閣観賞のツボについて喋ることになったこと少しまえに告知したのだけれども、今日です!今日。
えーっと、人前に出て話すのは恥ずかしいのであまり告知したくないんだけれども、んなことも言ってられないので、最終告知。
吉永さんの団地、内池さんの観覧車など、お好きな方にはたまらんスピーカーも出演されますので、そちら目当てで、ぜひ☆
というわけで、まず告知。
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サロン文化大学2周年記念『NHK鑑賞マニュアル「美の壷」的な世界(仮)』
日程:
2011年
3月28日(月) (19:30開場)20:00〜22:00時間:
19:30 お店を開け、
20:00 イベントスタート、
21:00 頃に休憩をはさみ、
22:00 イベント終了。
場所:
コモンカフェ大阪市北区中崎西1丁目1-6 吉村ビルB1F
TEL 06-6371-1800
(電話で申込はできません、道に迷った際ご連絡ください)
料金:
参加費1000円+1ドリンク500円
料理:
ネリkitchenの豊村さんがスタンバイ。
おいしいカレーを準備していただきます。
「晩ご飯を食べるよ!」という方は
申し込みの際、晩ご飯食べるつもりか
どうかコメントいただけますと幸いです。
喋る人は…、
「団地」通:建築家の吉永さん▶
高槻市の建築家 吉永健一全仕事|団地啓蒙活動▶
吉永建築デザインスタジオ一級建築士事務所「寺社」通:web、DTPディレクターのルイスさん▶
大阪市の北区をグルグル巡るブログ「観覧車」通:カメラマンの内池さん▶
ferris wheel diary 観覧車の写真ブログ▶
エクランの撮影日記のお三方(僕、含む)。
司会は
狩野哲也さんがつとめてくれはります。
お申し込み等の詳細は、
サロン文化大学のページを。
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ということなので、今回は、仏像関係のエントリー。
あ、イベントでは「寺社」について語ることになってますが、そのくくりだとデカすぎるので、たぶん、仏像に絞ってお話することになるかと思います。
では、ブログの本編。
新薬師寺さんの、
おたま地蔵のお話。
去年、新薬師寺さんに行って、おたま地蔵を見せてもらい、いろいろお話を聞いてきたのでした。
奈良の新薬師寺さんに、とある地蔵菩薩がありまして、傷みが激しくなってきたから、修復することになったんですね。
んで、修復を担当したのが、当時、東京芸術大学に在籍していた彫刻家の藪内左斗司さん。せんとくんの生みの親ですな。
まず、X線で撮影して、この仏像がどのような技法で造られているのかを、調べます。
木造であっても、1本の木をくり抜いて一木造りもあれば、パーツごとにつくってそれを嵌め込む寄せ木造りもあります。
撮影してみると、この仏像は寄せ木造りで造られていたことがわかり、どのようにパーツ分けされていたのかもわかったのですが、写真を見てみると、通常は内部が空洞になっているはずなのに、どうやら、なにかが埋まっているようなのですよ。しかも、それぞれのパーツのかたちも、従来の知られているかたちとは、ちと違う…。
手なら手のパーツというよりは、タイル状につくられた木片を、なかにあるものに貼りつけるようにして、つくられているのですね。
で、おそるおそる木片をはがしていくとですな、なんと! なかから一体の裸形像が現れたのでした!
仏像のなかに、手のひらサイズの小さな仏像を体内仏として納めてある例はいくらでもあるのだけれども、外の仏像とほぼおなじサイズの仏像がその下に納められているなんてのは、前代未聞です。
こ れが、1984年のことで、当時、世紀の発見と呼ばれたらしいのですが、1984年といえば、オレが18歳のときのこと。大学をクビになって、渋谷のストリップ劇場で使いっ走りをしていたころのことですから、んなことに目を向けるなんて高尚な人間ではなかったのですよ…。
ですから、構造を説明すると、裸の仏像のうえに、それこそ衣を着せるように木片がペタペタと貼られていて、地蔵菩薩の姿が形成されている、と。
すごいです! 京都でいろんな仏像を見てますけど、そんなの聞いたことも見たこともありません。
ちなみに、裸の仏像というのは、結構あるんです。鎌倉時代にたくさんつくられてます。
新薬師寺さんからほど近い伝香寺というお寺さんにも裸の仏像がありまして、年に1度、7月の地蔵会のときに、本物の衣を着せてあげる行事があり、厚い信仰と功徳への感謝を表す行事として、今も続いています。
お地蔵さんというのは、本物の衣を着せると、ビックリするくらいに人間らしくなりますけどね。
だから、新薬師寺さんの裸形像も鎌倉時代につくられたものなのだけれども、この仏さんは、本物の衣ではなく、木片を着せられているわけで…、いや、ちょっとすごいな。ガンダムのモビル・スーツみたいなもんですから。
解体し、いろいろと調べてみると、この裸形像も、鎌倉時代のものだということがわかりました。
なかから出てきたのは、体内仏が多数、当時の通貨、願文など。
そして、裸形像を着装像にするために、裸形像にさまざまな改良が加えられていることも、わかりました。
たとえば、裸形像の手をとって、着装像に新たにべつのかたちの手を付け加えたり…。
でも、とっちゃった手や、削った木屑、木片など、ありとあらゆるものが、ひとつ残さず、このなかに納められていたそうです。
本来なら捨てられるようなものまで、納められていた、と。
つまるところ、裸形像から着装像につくりかえるとき、裸形像に対する思い入れが、強くあったってことですよね。
願文を読むと、
大僧正実尊という偉いお坊さんがいて、その弟子に、尊遍という人がいたということがわかりました。
どちらも、奈良の春日絵巻に登場するお坊さんで、実尊は、藤原氏の出身であり、晩年、藤原氏の寺である興福寺の住職を務めた偉いお坊さんです。
春日絵巻では、大法要の前日、ぜんそくに苦しんでいて法要でちゃんとお経が読めるかどうか心配している実尊のもとに鹿が現れ、お告げをし、ぜんそくが治った、という内容の絵が描かれています。
また、そんな実尊を案じる尊遍のもとにも鹿が現れる絵が描かれており、子弟でおなじ夢を見るほど2人は強い絆で結ばれていたことが、表現されています。
1236年、実尊が亡くなります。
そのとき、師の生前のありのままの姿を残したいとして、尊遍は、実尊像をつくるのですね。これが、発見された裸形像です。
願文から、そこまでのことがわかりました。
問題は、ではなぜ、その後、この実尊像は木片で衣を着せられ、地蔵菩薩につくり変えられたのか。
ここから先は、修復を行った藪内さんの推測となるのですが…、
尊遍は毎日、師である実尊を象った裸形像を熱心に拝むものの、やがて年をとり、老い先短くなってきた。
そのとき、自分が亡きあとも、実尊像が裸のままで残っていくことに、非常な抵抗感があったのではないか、と。
なんせ、裸形像ですから。オチ○チ○まで、ちゃんとついてますから。
だからこそ、お地蔵さんのかたちにつくり変えたのではないか、と。
そうやって、封印された裸形像が、800年の時を経て、日の光を当てられた、と。
そして、この裸形像は、新薬師寺の住職によって、おたま地蔵と名付けられました。
だから今、新薬師寺には、従来の地蔵菩薩とおたま地蔵の2体が安置されています。
秘仏なので、普段はご開帳していないけれども、希望すると、開扉してくれて、担当オバァの説明つきで、拝めます。
新薬師寺のおたま地蔵HP
http://www.k5.dion.ne.jp/~shinyaku/奈良市高畑町1352
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