大阪市の北区をグルグル巡るブログ | 大阪市の北区メインでいろいろ仕事をしてます。仕事場も住んでるところも大阪市北区なので、北区をグルグル巡って、目にしたもん耳にしたもん感じたもんを、つらつらと書いています。

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北区の職人展を、りそな銀行で巡回展示しています。今日からは本町の御堂筋支店で展示☆
北区には、天満切子やお福人形、提灯など、伝統工芸がいくつか存在するのですが、残念ながら、あまり知られているとは言えまへん。

昨年度までは、北区役所が事業として、それらを紹介し振興していく取り組みをしていました。僕も、側面からお手伝いしていました。

ウエスティンホテル大阪で展示販売したり…、
「発見! キタの手わざと名品」展がはじまりました☆ 2/9まで!

学生さんたちと職人さんたちがコラボしたり、独自の取り組みかたを提案したり…、
「職人×学生 ワークショップ at キタ」


てなかんじで、昨年度まではいろいろやっていたのだけれども、今年度はそうした予算もなく、職人さんたちを愛し、応援する僕たちとしては、なんとかしたいよねー、なんて、折に触れて、ゆるく立ち話する程度でお茶を濁してきたのでした。

そんなとき、僕がかかわっているニットによる震災復興支援プロジェクトのThink Of JAPAN While Knittingでお馴染みの、関西大学社会的信頼システム創生センター(STEP)があいだを取り持ってくれはって、りそな銀行での展示が実現したのでした。

STEPは、こんなところです。

http://www.kansai-u.ac.jp/step/

7月〜8月にかけては、りそな銀行の南森町支店のショールームにて。

北区の手しごと展


途中からは、お化け提灯も登場しました☆

北区の手しごと展


その後、9月の中旬からは、天六支店にて展示。

北区の手しごと展


そして本日より、北区を飛び出して、本町にある御堂筋支店にて展示を行っております〜。
むっちゃ広いロビーの一角をお借りしての展示です。

北区の手しごと展

北区の手しごと展


今年度は展示だけとはいえ、予算ゼロのなかで、巡回展示が実現しております。そしてこの巡回展示は、じつはここで終わりではなくて、まだまだ続いていくのです☆

りそな銀行さんは、CSR(企業の地域貢献)に力を入れている企業さんで、どの支店に行っても、なにかしらの有益な展示が行われています。まじまじと眺めていかれる方や、いつも展示を楽しみにされている方もいらっしゃるようです。
でも、CSRは直接利益を生むものではないし、昨今の厳しい金融環境を受けて、CSRにおカネを投下する余裕はなさそうです。
そうしたなか、今回のようなかたちだと、コンテンツを用意する側と展示スペースを提供する側の双方を経費をかけることなく、それでいて、五分と五分のwin-winな関係ができます。

最近、強く思うのだけれども、地域にはヒト・モノ・情報のさまざまな資源があって、ややもすれば、それぞれがバラバラに独立して存在したままになっているのだけれども、それらを上手く組み合わせることができたら、資源の価値が何倍にも膨れ上がります。
そのような素敵なマッチングを実現するのには、今回の関西大学・STEPのような、情報のハブのような存在が必要で、そうした存在がいくつも出現することが、まちを上手く活性化させていくひとつのキーなのだろうな、と、思うのですよ。
そして、それはきっと、情報バンクのようなシステムを構築して…、ということではなくて、SNSのようなものでもいいのだけれども、マッチングの判断ができるコーディネーターのような人があちこちに点在していて、その人たちに容易にアクセスできるような仕組みがあればいいんじゃなかろうか、と、ぼんやりと思ったりもするのです。


さて、りそな銀行御堂筋支店での展示は、1月の後半まではやってます。お近くにお立ち寄りの際には、ぜひぜひご覧くださいませー☆
来年以降も、次々と計画が浮上しているので、そちらもご期待あれ。


北区の手しごと展
りそな銀行 御堂筋支店
大阪市中央区平野町4-1-2
mapを見る


ガレキをアートに変える被災地の子供たち、「ワタノハスマイル」
もう終わっちゃったのだけれども、どうしてもエントリーしておきたいこれを。

先週、打ち合わせがあって、千里山にある関西大学を訪れました。
実家が近いので、むかしは大学にも遊びにいったことがあるのだけれども、たぶん30年ぶり(笑)
すっかり様変わりしていて、そりゃまあビックリしたけれども、まあ、それはよろしい。

そのときにね、凛風館1階学生ラウンジってところに案内していただいたのでした。
場所の下見のために案内してもらったのだけれども、いいものを見つけたのでした。

「ワタノハスマイル」、というプロジェクトの展示が行われていたのですね。

ワタノハスマイル

これは、NPOスマイルホープという団体が、東日本大震災の避難所のひとつになっている石巻市の渡波(watanoha)小学校にボランティアに行かれたことがキッカケとなっています。
活動内容は、子供たちと遊ぶこと。
グラウンドを整備したり、安全に運動ができる場所をつくったりして、子供たちと遊んできた、と。
どんな場所にあっても子供の笑顔というのは心を救ってくれるし、いいもんですね。

展示では、そうした子供たちの笑顔の写真がたくさん展示されていたのだけれども、心惹かれたのは、その活動の一環で行なわれた、校庭に流れ着いたまちの瓦礫を使ってつくったオブジェの展示。

これがですね、いいのですよー。
震災云々を抜きにして、子供たちが挑戦したアートとして、じゅうぶんに素敵なものばかりで、思わず見入ってしまいました。
どれもポップでキュートで、やっぱ、お子たちの手にかかるアートは、自意識が薄いぶん、自由な発想で僕たちをハッとさせてくれますね。

ワタノハスマイル

ワタノハスマイル

ワタノハスマイル

ワタノハスマイル

ワタノハスマイル

ワタノハスマイル

ワタノハスマイル

ワタノハスマイル

ワタノハスマイル

ワタノハスマイル

ワタノハスマイル

でっかい写真は、例によって、facebookに置いてあります。

Facebook - 大阪市の北区をグルグ巡るブログ
album「ワタノハスマイル@関西大学」



子供たちの笑顔をモチーフにしたアート・プロジェクトといえば、僕ら広告屋の大先輩である水谷孝次さんの「Merry Umbrella Project」が有名だけれども、こういうのもいいですね。

特に、ガレキを使っているところがいい。
国がグダグダなおかげで(僕らが選んでいるはずの日本国政府は、憲政史上最大レベルで溶解してるヨ)ガレキの処理は未だ35%しか進んでいないというし、そもそも焼却場すらメドが立ってないし、被爆したガレキの処理先も先送りになってるし…、そんなガレキをね、ガレキから「大切なもの」に変えてしまうマジックは、やっぱ、お子らが持っているパワーだと思うのですね。
そして、
価値を反転させる。これはアートが持っているパワーです。
そのふたつが融合して、これはいいプロジェクトだなあ、と、心に刻まれたのでした。

さて、関西大学に訪れ、この場所を案内してもらったのは、
僕たちが進めている、東日本大震災で傷ついた被災地をニットで繋いで支援するプロジェクト「Think Of JAPAN While Knitting」の展示を、こちらで行なわせてもらうための下見だったのでした。

「Think Of JAPAN While Knitting」についての詳細は、こちらを。

http://atricot.jp/tjwk/

例によって、関西大学の社会的信頼システム創成センターの与謝野教授のお力添えで、
8月6日に、こちらで、展示を行います。

8月6日は、天神橋筋商店街の3丁目にある関西大学リサーチアトリエにてモチーフ・サーキットを行なうのだけれども、じつはその日、本校の千里山キャンパスでは、オープンキャンパスが行なわれているのですね。
そこで、与謝野先生から、せっかくオープンキャンパスが行なわれるので、高校生やその親御さんも来られるから、そちらでもやってみては、と、ご提案いただいたのでした。
ただ、それをするのには、こちらサイドの態勢が整えきれないので、展示をメインにして、サブ的に小さなモチーフ・サーキットも行なう、ということになったのでした。
詳しくはまた後日発表するけれども、このときは、そのための下見です。

素敵な場所だし、今回のように素敵な展示も行われている場所なので、それらに負けないよう、僕らも素敵な展示を行えるように頑張ります。



ワタノハスマイル
HP http://ameblo.jp/watanohasmile/

日時 7月4日〜7月8日
場所 関西大学千里山キャンパス 凛風館1階学生ラウンジ
HP http://www.kansai-u.ac.jp/index.html
吹田市山手町3丁目3-35


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太郎に会いに、東京へ
岡本太郎記念館      


GWの前半、東京に行っていて、行ったついでに青山にある岡本太郎記念館に行ってきたのでした。
岡本太郎は、もう、僕の永遠のアイドルだし、今年は生誕100年であちこちでイベントも開催されているので、できるだけ集中的に見ておこうと思っています。

ところで、太郎生誕100年を記念してつくられたサイト、「TARO 100.jp」はいいサイトですな。

http://taro100.jp/

岡本太郎記念館は、岡本太郎のアトリエ兼自宅だったところで、今でも太郎の息づかいが聞こえてきそうな場所です。

庭の草花と一体となって、無造作に置かれたさまざまなオブジェ。
原色に囲まれたリビングは、常に闘っていた太郎ならではのリビングです。

岡本太郎記念館

岡本太郎記念館

岡本太郎記念館

そして今回の目玉は、なんといっても、太陽の塔の内部にあった「生命の樹」のダウン・サイジング版が、海洋堂の手によって再現されたのでした。
これのホンモノはすでに現存しないのだから、絶対に見たくて!

うねりをあげて伸び上がる一本の樹に、単細胞生物から人類まで、進化の過程をたどる300体の生きものがびっしりとはりついています。
地下から天空へ貫いてのびる生命の時間、始原のときから営々と続く生命の生長と変貌、根源から立ちのぼり未来へと向かう生命の尊厳とダイナミズム…。
見れば見るほど、こんなもんは太郎にしかつくれん!というシロモノ。唯一無二の芸術やと思いますわ。

岡本太郎記念館

岡本太郎記念館

岡本太郎記念館


それにしても、太郎の芸術は、つくづく吸引力がすごい。
頭や心に訴えてくるんじゃなくて、肉体や生理そのものに訴えてくるから、全身で対峙していられます。


そしてこの記念館の素晴らしいところは、写真撮り放題、作品に触り放題なところ。
これは、岡本太郎の芸術館に依ってますね。
そもそも、ガラス越しに作品を展示されることを嫌った人だし、芸術は個人のものではなく大衆のものだと常々言っていたし、そうした彼の考えがそのまま反映された記念館となっています。
この鐘なんて、なんぼ撞いてもいいですからね。

岡本太郎記念館

それにしても太郎はいいなあ。
なにものにも媚びない彼の芸術は、僕に生きる力を与えてくれます。


記念館でのこれ以外の写真と、少し前に行った万博記念公園の太陽の塔、「太陽の塔 黄金の顔展」の写真をまとめてFacebookに置いてます。

興味がありましたら、ご覧あれ。





岡本太郎記念館

東京都港区南青山6-1-19
tel. 03-3406-0801
10:00-18:00
火休み
観覧:大人 / 600円 小学生 / 300円
HP http://www.taro-okamoto.or.jp/


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大阪商人の子弟教育にかける情熱が垣間見える、大阪最古の現役幼稚園、愛珠幼稚園
4月23日、重要文化財にも指定されている大阪最古の現役の幼稚園、愛珠幼稚園が一般に公開されたので、雨のなか、行ってきたのでした。
北区じゃなくて中央区、適塾の隣にあるのだけれども、こればっかりは北区の外であろうとも行かねばなりません。それくらい、貴重。
たぶん、大阪の近代建築のなかでも、最も古い部類に入るかと。

愛珠幼稚園は、1880年(明治13年)に創立した幼稚園です。
今でこそ大阪市立だけれども、創立したのは、平野町の連合町会です。当時の豪商たちの寄付によって設立されたとのこと。

園名は、幼児もまた掌中の珠として愛する、という考えから、名付けられています。

園舎は当初、現在の北浜4丁目にあったのだけれども、紆余曲折を経て、1901年(明治34年)に現在の敷地に移転します。
そのとき、当時の保母さんたちの原案をもとに設計がなされ、現在の園舎が建てられました。着工が1900年(明治33年)4月、竣工が1901年(明治34年)3月です。

そのときに建てられた園舎が、驚くべきことに今も現役です。

当時、大阪の商人たちは教育の重要性を知りつくしており、小学校からの教育では遅すぎる、幼稚園からキチンとした教育を受けさせなければならないと考え、そのために、キメの細やかな最高の環境を整備したのでした。

撮影が叶わなかったので、絵はがきから写真を抜粋します。

これが全景。
大名屋敷か大寺院かと言いたくなるほどの、威風堂々とした園舎です。これが幼稚園児のために用意された建物だとはにわかには信じられないほどの、偉容です。
町家と武家屋敷を組み合わせたような建物で、当時、洋風の教育施設が次々と誕生するなかで、純和風にこだわった点も注目です。

愛珠幼稚園

愛珠幼稚園

この外観だけでも、船場の商人たちが子弟教育に並々ならぬ情熱を傾けていたことが伝わってきますが、なかに入ってみると、こんなもんじゃありません。

これは、門をくぐり、玄関を入ってすぐのところにある遊戯室です。講堂を兼ねています。
この遊戯室は、フローリングの床の下にオガクズが詰められていて、断熱材の役目を果たしています。
底冷えが床に伝わるのを防ぎ、湿気が伝わってくるのを防いでいます。

愛珠幼稚園

愛珠幼稚園

吹き抜けの高い天井は格調高い格天井で、中央にはアールヌーボー風のシャンデリアが下がっています。
さらに写真には写っていないけれども、大時計があり、イルグラーのピアノが置いてあります。イルムラーのピアノって…、世界的な名機ですよ!

重要なのは、それらが、現役で今も使われていることです。
当時の情熱が、今も受け継がれている、ということです。

この旋回式のすべり台も、昭和6年にアメリカから取り寄せたものを、現在も使用しています。

愛珠幼稚園


園舎は口の字型をしていて、まんなかに園庭があり、この遊戯室は南側にあります。

西側には、「じむしつ」「べんじょ」「ほけんしつ」「あか」「もも」「みどり」の部屋があります。
年長、年中、年少の各1クラスずつの教室があります。
長椅子が、あたりまえだけれども、幼稚園児サイズのもので、めっちゃかわいい!

愛珠幼稚園


さて、遊戯室の床だけでなく、きめの細かい設計があちこちに見受けられる園舎で、たとえば、各教室と遊戯室のみならず、中庭の園庭まで、どこにも段差がありません。園庭のグラウンドと園舎の床が同じ高さに設計されているのですね。
園児が転ばないように。この時代にして、すでにバリアフリーの考えが導入されているのですよ!

愛珠幼稚園

愛珠幼稚園


また、トイレは、当時はもちろん汲み取り式だけれども、臭気を逃がすために、本舎内にあるのにもかかわらず、屋根を別棟にして、屋根のあいだに空間を設けています。

さらに、お茶室があります。
お茶の先生が来られ、月に1、2回、園児らによるお茶会が開催されるとのことです。

愛珠幼稚園

しかも、お茶室の前面には、日本庭園風にしつらえられた庭まであります。


木のぬくもり云々という以前に、これだけ素晴らしい園舎だと、むしろ大人が通いたくなるような場所です。
いやー、雨のなかをチャリで駆けつけてよかったです。いいもんを見せてもらいました。




愛珠幼稚園
大阪市中央区今橋3-1-11
HP http://www.ocec.ne.jp/yochien/kindergarden/aisyu/


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太郎に会いにいく
岡本太郎 太陽の塔 黄金の顔展

岡本太郎太陽の塔に会いに、万博へ行ってきました。

「太陽の塔 黄金の顔展」、当初は会期が4月10日までで、それだと行ける日がなかったのだけれども、5月10日までに延長してくれたおかげで、無事に行くことができたのでした。この延長は、相当嬉しかったな。

ここ数年は、万博といえばみんぱくがお目当てで、太陽の塔もわりとスルーしていたのだけれども、今回はしっかりと太郎モードで。

こうしてあらためて見ると、緑溢れる万博公園にニョキっとそびえ立ってる太陽の塔の吸引力って、問答無用のものがありますな。
ほいで、見るたびにでっかくなってるような気がします(笑)

岡本太郎 太陽の塔 黄金の顔展

岡本太郎 太陽の塔 黄金の顔展

岡本太郎 太陽の塔 黄金の顔展

岡本太郎 太陽の塔 黄金の顔展

岡本太郎 太陽の塔 黄金の顔展

岡本太郎 太陽の塔 黄金の顔展

岡本太郎 太陽の塔 黄金の顔展


太郎は、よく、太陽の塔の構想を考えているときに、ベラボーなものを!と言ってはりました。

この塔の下に立って、よくもまあこんなものをつくったな、と思うと同時に、よくもまあこんなものの製作を許したな、と。丹下健三も、自慢の大屋根を突き破られたのだから、唖然としただろうに。

なんちゅーか、ここ数年の定番みたいになってる「癒しの芸術」とは対極にあるこの作品は、それこそ太郎が言っていたように、見れば見るほどベラボーで…、もうね、ベラボーとしか言いようがないですね。
ベラボーという日本語がピッタリで、これ、外国語だとどう表現されるんだろうか、とか、考えてしまいます。
規格外でも巨大で摩訶不思議でもない、ベラボーという語感までをも含んだ言葉は、どのように外国語に翻訳されてるんだろうか?

最先端技術を駆使した各国のパビリオンは取り壊されちゃったけれども、この太陽の塔だけは残した、という事実は、僕は、日本の誇りだと思いますね。
世界で、アバンギャルド芸術が成功した数少ない功績だよね。

チェ・ゲバラや毛沢東がポップイコン化されたように、太陽の塔もまた、人類の遺産として、イコンとして残っていくのは、やっぱ、痛快な事実ですよ。
それだけ、強さのある作品だということでもあるけれども、でも、これを許容してる大阪人の度量がね、僕には誇りなのです。
その事実が、それこそ太郎が目指した、大衆のための芸術、芸術と大衆の幸福な結婚なのだと思います。

高さ65m
NYの自由の女神像が47mなので、彼女よりも全然デカい。
顔は、頂部の「黄金の顔」、中央部の「太陽の顔」、背後の「黒い太陽の顔」の3つ。万博会期当時には地底部に「地底の太陽の顔」もありました。
製作は、もちろん岡本太郎。

岡本太郎 太陽の塔 黄金の顔展


背後の「黒い太陽の顔」は、キリッと冷ややかな顔をしていて、でもこれ、この世に対する憤りを表していているのですね。憤っているのだけれども、冷静に視線を射抜いているこの顔が、僕は大好きです。

岡本太郎 太陽の塔 黄金の顔展

岡本太郎 太陽の塔 黄金の顔展

岡本太郎 太陽の塔 黄金の顔展

岡本太郎 太陽の塔 黄金の顔展

岡本太郎 太陽の塔 黄金の顔展


頂部の「黄金の顔」は、会期当時、目から光のビームが照射されてたというから、ほとんど怪獣です(笑)

内部には、古代から未来を支える「生命の樹」があったのですね。
太陽の塔の内部は、ちっこいころにリアルタイムの万博に連れていってもらったときに見たきりで、記憶はまったくないので、海洋堂が再現してくれた「生命の樹」は、なんとしてでも見てみたいな。


僕の大好きなロック・ミュージックやパンクは、世のなかに対して、斜めやら思わぬ方向から切り込んでいて、アッカンベー!をする痛快さがあるし、ある種のトリックスター的な振る舞いで世間に揺さぶりをかける特徴があるけれども、太陽の塔と岡本太郎には、やっぱ、それとは違うな。

斜めから、というセコさがなくて、真っ正面からハンマーを振り下ろすような、威風堂々とした趣がある。
でなければ、万博のプロデューサーなんて引き受けないだろうし、体制の外側からではなくて、そうやって、体制のど真ん中に入っていって、中心でハンマーを振り下ろす。

その意味で、岡本太郎と太陽の塔は、サブカルチャーなどでは断じてなくて、魂を揺さぶるもの、本来的な意味での芸術…、もっといえば、生活にフレッシュな刺激を与える祭りなのだと思う。
生活にフレッシュな、と書くと、ずいぶんと軽いもんになるけれども、その破壊力は巨大で、生存にかかるレベルのものだと、僕は思っています。


「太陽の塔 黄金の顔展」では、大屋根をぶち抜いた太陽の塔のジオラマが展示してあって、いや〜、ジオラマ見てるだけでも痛快で、よくもまあ、こんなものを許したな、と(笑)

岡本太郎 太陽の塔 黄金の顔展

岡本太郎 太陽の塔 黄金の顔展

岡本太郎 太陽の塔 黄金の顔展

岡本太郎 太陽の塔 黄金の顔展

岡本太郎 太陽の塔 黄金の顔展


そして、今回の展示の目玉は、なんといっても、初代「黄金の顔」。
1992年(平成4年)の大改修を行なうまで、万博開催当時からずーっと、この地を見続けてきた「黄金の顔」を、間近に見ることができます。直径10mの顔は、もう、ド迫力のひとことで!

岡本太郎 太陽の塔 黄金の顔展

岡本太郎 太陽の塔 黄金の顔展

岡本太郎 太陽の塔 黄金の顔展

岡本太郎 太陽の塔 黄金の顔展


その他、当時のグッズから。

岡本太郎 太陽の塔 黄金の顔展

岡本太郎 太陽の塔 黄金の顔展

岡本太郎 太陽の塔 黄金の顔展

岡本太郎 太陽の塔 黄金の顔展


ちなみに、中央入口付近の売店では、いつでも太陽の塔グッズが売られております〜。

岡本太郎 太陽の塔 黄金の顔展

岡本太郎 太陽の塔 黄金の顔展

岡本太郎 太陽の塔 黄金の顔展



あと、太郎製作の太陽の塔にまつわるいろんな顔があったのも嬉しかったな。

岡本太郎 太陽の塔 黄金の顔展

岡本太郎 太陽の塔 黄金の顔展

岡本太郎 太陽の塔 黄金の顔展

岡本太郎 太陽の塔 黄金の顔展


では最後に、もっかいビシッと。

岡本太郎 太陽の塔 黄金の顔展

岡本太郎 太陽の塔 黄金の顔展

岡本太郎 太陽の塔 黄金の顔展



でっかい画像は、facebookに置いてあります〜。

facebook 「大阪市の北区をグルグル巡るブログ+北区ネタ」
アルバム「太陽の塔 黄金の顔展 2011.4.15」





「太陽の塔 黄金の顔展」
2011.3.5(土)〜5.10 10:00-17:00
万博公園 EXPO'70パビリオン
HP http://park.expo70.or.jp/expo70ougonnokaoten.html


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美々卯のうどんすきは、やっぱり本店で食べるのが好き☆
先日、ひっさしぶりに、美々卯の本店に行きました。

美々卯も今やあちこちに支店があるし、たまにランチを食べにいくこともあるけれども、本店は、ほんまに久しぶり。10年かそれ以上、行ってませんでした。
で、こないだ、どこで食べようかという話になって、そうだ!美々卯の本店!と相成りして、行ってきた次第。
北区を離れて、ミナミは平野町、御霊神社のすぐ裏にあるのが、美々卯の本店です。

大阪でもなかなかな老舗に属する部類のお店ですね。
創業が大正13年ですと。でも、それ以前に、200年、料亭を営んでいて、大正13年の創業というのは、麺類専門店として屋号も「美々卯」としてからのことやそうです。

平野町にある本店はちょっと別格で、その大正時代の建物の面影が、そのまんま残ってるんですね。
もっとも、10年ほどまえに行ったときには建物すべてが大正時代のまんまだったのだけれども、数年前に改装していて、今では、表面と玄関がそのまま、なかはすっかりキレイになっていました。もっとも、落ち着いた上品な内装になので、これはこれでいい時間の流れる内装になってます。

美々卯 本店


「うどんすき」というのは創業直前の料亭だった時代のご主人が考えたそうです。これが大層な評判を呼んで、今に至っている、と。
登録商標にすらなっているけれども、あまりに一般的になってしまったために、美々卯以外のお店が使うことも、わりとユルい基準で黙認状態みたいですね。

具だくさんのうどんすきは、もはやうどんのジャンルに入れてはいけないほど豪華です〜。

美々卯 本店


で、お店の人が、こうやって、キレイに鍋に入れてくれます。
通常の鍋と違うのは、ダシの出るものを先に入れるのではなくて、うどんをまず入れて、そのうえに、すべての具材を入れていくこと。
最初に入れてくれるうどんと具は、全体の約半分で、残りの半分は、食べる人が自分のペースで入れることになります。
ちなみに、この鍋は美々卯が独自に開発した鍋で、鍋の縁に沿ってズルズルとうどんを取り皿に入れるのに最適な角度になっとります。と、おおむかしに読んだ美味しんぼに書かれている(笑)

美々卯 本店


なにが素晴らしいって、この、ダシですよ。素晴らしく美味いダシなのだけれども、肉だの魚介だの野菜だのとオールジャンルの具をなんぼ入れても、それらの具とダシがケンカしないんですよね。
これだけいろいろ入れると、味が濁りそうなもんだけれども、不思議と、まったく濁りません。最後まで、すーっとした上品なままのダシです。


で、海老を入れるときが、クライマックス(笑)
生きてるから、ピチピチ動くんですよね〜。
グッと力を入れて挟まないと、熱い鍋のなかで海老が飛び跳ねて、エラいことになります〜。
きっと、ここでうどんすきを食べる人は、誰しも、一度はこれで失敗しているかと(笑)

美々卯 本店


さて今年は、卯年。美々卯の卯ですね。
お店にはいたるところにウサギをモチーフにしたグッズがあって、箸置き、呼び出しのベル、ランチョンマット…、さらには内装にいたるまで、あちこちでウサギを見つけることができます。

美々卯 本店



各種コースあるけど、具だくさんのうどうんすきだけでじゅーぶん堪能できるし、今年は卯年でもあるので、また行くかな。





美々卯 本店
大阪市中央区平野町4-6-18
tel. 06-6231-5770
11:30-21:30
日祝休み
HP http://www.mimiu.co.jp
mapを見る




職人の神さまとしての聖徳太子に会いに、四天王寺に行く
  四天王寺 番匠堂



初詣第三弾(笑)は、北区を脱出して四天王寺さん。
四天王寺さんは、昨年夏の万燈会を見にいって以来、お気に入りのお寺さんなのでした。
堂宇がたくさんあるのも嬉しいし、たくさんある以上に境内が広々としているので、なかなか気持ちのいい場所でもあります。
観光スポットでもあるけれども、同時に、信者さんがたくさんいて、今なお現役のお寺さんであり続けている、という点も、僕は好きです。

万燈会に行ったときのエントリーは、こちら。

「四天王寺の万燈会に行く」

ただし、今回のお目当ては、そこではなくて、メインの伽藍を囲んでいる境内のすぐ東側にある小さな祠、番匠堂
ここに、差し金を持った聖徳太子さんが祀られています。

四天王寺さんが建立されたのは593年(推古元年)で、この時期は、日本に仏教が伝来して間もない時期ですな。
仏教が伝来したといって、なにも死生観や魂の救済プログラムといった思想体系だけが取り出されて伝わったわけではなく、当然、文物として伝わってくるので、そこには、紙、筆、文字といったものも、同時に流入してくるわけです。
つまり、当時の日本にあっては未知の技術、最先端のものまでを含めた文明の総体として、仏教が日本に伝わります。

仏像の建立に伴う木工技術や鋳造技術にはじまり、寺院建築に必要な土木技術、建築技術、果てはそれらに必要な数学なども、同時に伝来されてきます。

眩しかっただろうな、と思いますわ。
ある知的な好奇心が胸の裡に芽生え、その乾きを満たしてくれるものが次々とやってくる…。
現代のインターネットに繋がるブラウザよりもその窓は狭かっただろうけれども、輝きはすごかっただろうな、と思います。

それまでの日本では、扠首(sasu)と呼ばれる、テントのようなもので建てられた家屋がほとんどでした。ちゃっちい骨組みに萱葺きの屋根です。
朝鮮半島、百済からやってきた渡来人の建築職能集団は、そんななかで、大規模な構造の建築物をつくり、ハイテク素材の瓦を用いて、法隆寺や四天王寺を建立していきます。

そうした職能集団を存分に使ったのが、聖徳太子ですね。
仏教派の聖徳太子・蘇我氏と排仏派の物部氏という図式をよく見るけれども、これは、新世代と守旧派という図式で捉えたほうがわかりやすいと思います。
つまり、聖徳太子は、新しい技術、新しいセンス、新しい思想、新しい文化をまとった集団の代表的な存在だった、ということです。

そうした新文明をもっとも象徴している職業が、当時は、大工でした。最新の木工技術を駆使して、見たことのないような建築物をつくっていく人たち…。
なので、聖徳太子は今でも大工の神さまとして崇められていますね。
だからこそ、ここに番匠堂があって、差し金を持った聖徳太子が祀られている。。
差し金は、分度器のように角度を表現するときに用いるものだけれども、当時の文明を象徴する道具です。ここが、手しごと職人の、聖地です。
聖徳太子を最初のクライアントとし、四天王寺を建立し、世界最古の企業として今も営業している「金剛組」発祥の地も、この場所です。

なぜ、この場所に行ったのかというと、今、職人研というグループで、ロゴを製作していて、まあ、僕自身はそのロゴ製作には直接はかかわっていないんだけれども、自分なりにどんなロゴがいいのかな、なんて夢想しがてらですね、番匠堂まで来たわけです。

職人研の活動については、こちらの最新エントリーをご覧あれ。

『職人×学生ワークショップ「キタの職人さんに出会おう」』


番匠堂には、ロゴではないけれども、大工道具をモチーフにして絵文字にした「南無阿弥陀仏」が、あるのですよ。
今回、それをじっくり見ておきたいな、と。

こんなのです。

四天王寺 番匠堂

四天王寺 番匠堂


石碑のすぐ横に幟が立てられていて、そこに詳しく書かれています。
鋸、錐、小刀、釘貫、鎚…、さまざまな大工道具をモチーフとして、文字がつくられています。
見れば見るほど味があって、なんちゅーか、ヘタウマでもないし、妙に引きつけられるんですよね。
デザインとして優れているのかどうか、正直言ってわかりません。まあ、でも、こんだけたくさんのモチーフをバランスよく配しているのだから、それなりの力技だし、バランスの崩しかたに味があって、僕はかなり好きです。これ、Tシャツかなにかにしてもらいたいくらい。

四天王寺 番匠堂



四天王寺はたくさん堂宇があって見どころ満載のお寺さんですが、こんなのもありますんで、興味のある方は、ゼヒ☆



四天王寺 番匠堂
大阪市天王寺区四天王寺1-11-18
tel. 06-6771-0066
HP http://www.shitennoji.or.jp/
mapを見る




ラオスの生地を使った服を眺めて、ラオスの風を感じる
知り合いの知り合いの知り合いというか、なんちゅーか…、
ニット作家のatricotさんとタッグを組んで「SPINNUTS」誌上でコラボしてる織り作家のorioriさんのところに遊びにいった際に知り合ったナラサキシノブさん…、遠いような近いようなよくわからん関係ですが(笑)ときどき、思い出したように、触れ合ったりします。

先日、茨木で皮作家さんと組んで展示会をされたんで、ちょいと覗いてきました。ということは、久しぶりに北区の外です(笑)

ナラサキさんがラオスと行ったり来たりしていることは知っていたんだけれども、なにをしているのかは、よく知らなかったんですよね〜。服飾関係だということは知っているけど、アパレルはもはや興味の遠いところにあるし…。

ラオスと聞いて、タイ北部の山岳民族と地続きだとかフランスの統治下にあったのでフランスの香りがちょっとするか、まあ、思い浮かべることはいろいろあるけれども、基本的には、なんも知らないのに等しいです。

今回、作品を通じて、ラオスの風をちょっとだけ浴びてきました。

ナラサキさんは、ラオスに生地を買い付けにいって、その生地を使って、いろんな服をつくっています。
オーガニックな香りにする素朴で素敵な生地がいい感じなんですが、だからこれは、ナラサキさんが紡いだり織ったりしているのではなくて、すべて、ラオスの工場というか、手織りなので家内制手工業か、そういうところで、地道につくられています。

ナラサキさんは、それらからインスピレーションを受けて、いろんな服に仕立てていく、と。

SOW「ナラサキシノブ」+zuca「山下和美」2人展

SOW「ナラサキシノブ」+zuca「山下和美」2人展

SOW「ナラサキシノブ」+zuca「山下和美」2人展


聞けば、手織り、手紡ぎの生地は、日本で求めるとなると、作家さんの作品を求めるしかなく、そっから製品にしていくのにあたっては、金銭的に合わないのだそうです。
でもラオスにいけば、手織り、手紬があたりまえに残っている世界なので、そーゆーのが、採算のとれる価格で手に入る、と。

風合いが素朴で、味があっていいですな。

昔ながらの自然農法でつくられた綿を手で紡ぎ、天然染料で染色された手織りの布は、ラオスの小さな村でつくられていて、手紡ぎなので、空気をたくさん含んでいるから、いわゆる普通のコットンよりも全然柔らかくて軽いです。
そのあたりが、この製品のストロングポイントなんだとか。着ていくほどに身体になじむ、っちゅーことですね。

場所柄、大阪市内で見かけるようなオバハンでなくて、上品な人たちがたくさん来てはりました。
もっとも、僕がこの場所で仲よくなったのは、ファンキーなオバァだったけれども(笑)

SOW「ナラサキシノブ」+zuca「山下和美」2人展



個展は10/4(月)まで。
あ、もう最終日ですね。



SOW「ナラサキシノブ」+zuca「山下和美」2人展
9/29(水)-10/4(月)
ギャラリー 五風
大阪府茨木市西中条町1-11
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今年の地蔵尊は、修験僧の行者、山伏と、ミナミの六地蔵をお詣りする
地蔵盆です。8月23日、24日は各地の地蔵盆のラッシュ。僕も、天満から梅田、中崎にかけての各地の地蔵盆をまわる計画を立てていたのですが、急遽、予定を変更して、北区の外に出てミナミの六地蔵詣りについていくことになりました。

ミナミの六地蔵、千日前、難波、日本橋、道頓堀エリア内の6つのお地蔵さんをお詣りするのですが、炎天下のもと、なかなかハードな体験でした。

今回、お誘いくださったのは、お知り合いの商店主で、かつ、修験道の行者さん、つまり山伏でもある方です。その方が、ミナミの六地蔵を詣るので、そのお供です。お供というかカメラマンというか、単に邪魔しに行っただけというか、とにかくまぜてもらったんですが、貴重な体験でした。

山伏というのは、まあ、山のなかをひたすら歩いて修行する、修験道の行者です。
奈良吉野の大峯山を代表に、熊野、大山、羽黒山など、日本各地の霊山と呼ばれるところにいらっしゃいます。
日本古来の山岳信仰が仏教、主に密教と混じり合ったものが、修験道。
奈良時代に成立したとされ、役小角(役行者)を開祖と仰ぐのですが、役小角はあくまで伝説的な人物です。
代表格は、やっぱ、空海、弘法大師ですな。
真言宗系と天台宗系とあるところからわかるとおり、空海や最澄が唐から持ち帰った密教がベースになってます。ベースというか、むしろ密教の周辺にあった雑密が、日本古来からあった山で修行する精神と結びついたものが修験道。すごく乱暴にいうと、そういうことになるかと思います。

頭に頭巾(tokin)、手に錫杖(shakujo)、麻でできた白い篠懸(suzukake)の法衣を着、袈裟をかけ、法螺貝を持ちます。天狗を思い浮かべてもらうとわかりやすいですね。あの格好。

もっとも、多くは、専門の僧侶というわけではなく、在家の信者が「講」を組織して、修行のときだけ山伏となり、普段は仕事を持つ社会人として働いてらっしゃいます。今回お誘いいただいた僕の知り合いの方も、普段は商店街でお店を営んでおられます。

でも、聞くと、修行は厳しいみたい。
真冬の1月に那智の四十八滝巡りとか、聞いただけで目眩がしそうです。2日間かけて、極寒のなか、那智の滝48ヶ所を巡りながら、滝に打たれるわけです。全身が紫になるらしいですね。滝から出てきて、誰かがタオルで身体を拭こうものなら、皮膚のダメージが強すぎて、飛び上がらんばかりの痛さだそうです。拭いてはいけない、タオルで押さえるだけ。…無理です、僕には!

熊野の山のなか、道なき道を2泊3日かけて往復する修行、奥駈け(okugake)も、よほどの健脚でなければ、ムリ。75kmとも100kmともいわれる、アップダウンが激しくて危険地帯も多い山の道なき道を、歩くんだそうです。夜、月明かり星明かりだけが頼り。ネパールの高地を歩いた経験はありますが、どうやらそれよりも全然キツそうです。…ムリです。

でも、山にこもって厳しい修行を行うことで、さまざまな験(しるし)を得ることを目的としているのが修験道でなので、それをしなければならない…。興味あるし、誘われてもいるんですが、よほどの覚悟が要ります!まずは、四国のお遍路さんからはじめたいじゃないですか!


さて、話はそれくらいにして、以下、今回の六地蔵詣りの写真です。
大阪を代表する繁華街を練り歩いているだけあって、素晴らしくシュールな世界が広がっています。聖と俗のコントラストのオンパレード!



まず最初、目指す先は法善寺の水掛け不動です。六地蔵詣りのまえに、地元のお不動さんへ。いきなりこの光景☆ のっけからシュールすぎます! すれ違う人、全員が写メwww

DSC07634六地蔵詣り 地蔵尊


水掛け不動さんで、法螺貝。法螺貝って、吹くのがなかなか難しいらしいです。

六地蔵詣り 地蔵尊


お坊さんもいらしていて、一緒に読経します。

六地蔵詣り 地蔵尊


そのあと、御堂筋に出ます。
山伏の行列の横にはミニスカートのおねえちゃん。なんともいえん、不思議な光景です。

六地蔵詣り 地蔵尊


道頓堀のところで、御堂筋を西に横断します。
ビートルズの「アビーロード」のジャケット…違うか(笑)

六地蔵詣り 地蔵尊


アメリカ村入口にある出世地蔵さんをお詣り。
アメリカ村に山伏! もちろん、コスプレではない。

六地蔵詣り 地蔵尊


アメ村に響きわたる法螺貝の音色。
晩年の忌野清志郎は法螺貝を吹いていたけれども、彼はアメ村で吹いたのだろうか?

六地蔵詣り 地蔵尊


道頓堀を再び東に向かいます。松竹座をバックにしたがえて行進する山伏。

六地蔵詣り 地蔵尊


道頓堀の西を望む。近代と原始が交錯する不思議な空間が現出しました。

六地蔵詣り 地蔵尊


「づぼらや」とコラボw

六地蔵詣り 地蔵尊


「金龍ラーメン」とコラボwww

六地蔵詣り 地蔵尊


無料案内所とコラボwww 聖と俗がコントラスト鮮やかに交錯する瞬間!

六地蔵詣り 地蔵尊


堺筋を抜けてさらに東へ。ここはすでにラブホ街。
行列の横を歩くカップルは何処へ…。

六地蔵詣り 地蔵尊


ついていくだけで精一杯だったので、もはやどこのお地蔵さんかわからなくなってますが、堺筋の東側、道頓堀を少し南にくだった日本橋界隈です。

六地蔵詣り 地蔵尊


歩きながら、お詣りしながらの法螺貝吹きは、思っている以上に重労働のようです。

六地蔵詣り 地蔵尊


こちらの地蔵尊では、冷たいものが用意されていました。
しばし休息をとる山伏。

六地蔵詣り 地蔵尊


ビッグカメラをしたがえる山伏の行列。
物質主義と精神主義、それぞれの象徴が交錯する時空☆

六地蔵詣り 地蔵尊


ビッグカメラ横にも、お地蔵さんがいらっしゃいます。
ここはかつて大火事を出した千日前デパートがあったところ。

六地蔵詣り 地蔵尊


お坊さんの読経も熱が入ります。

六地蔵詣り 地蔵尊


法螺貝は、彷徨える魂を鎮めるために吹かれます。この地は、彷徨える魂がたくさんいるらしく、吹くのにも熱が入ります。

六地蔵詣り 地蔵尊


吹きかたによって高低の音色を使い分けるのですが、それがまた難しい!

六地蔵詣り 地蔵尊


エヴァと山伏のコラボww この両者は、似ているかもしれませんな。

六地蔵詣り 地蔵尊


もうどこか覚えちゃいませんが、この路地の奥にもお地蔵さんがいらっしゃいます。

六地蔵詣り 地蔵尊


盛大に飾られた提灯の横に祠が祀られていました。

六地蔵詣り 地蔵尊


こうして見ると、法螺貝がほしくなっちゃいます!

六地蔵詣り 地蔵尊


もちろん、プリクラは撮りません(笑)

六地蔵詣り 地蔵尊



「自由軒」前を通過。こうして手をあわせる人もいらっしゃれば、法螺貝ウルセー!って罵声を浴びせる人もいて、さまざまです。さまざまだから、俗世はおもしろい☆

六地蔵詣り 地蔵尊


旧・精華小学校横のお地蔵さん。
壁を這う緑のツタが素敵ですね。

六地蔵詣り 地蔵尊


もちろん、ジャンカラには行かない。

六地蔵詣り 地蔵尊


道を極めているわけだが、もちろん、この「道」ではない。

六地蔵詣り 地蔵尊


道具屋筋の横にもお地蔵さんがいらっしゃいます。
こちらでは、大太鼓が置いてあったので、盆踊りも兼ねている模様。

六地蔵詣り 地蔵尊


長かったお詣りも、ここのお地蔵さんをお詣りして、六地蔵詣りは終わりです。

六地蔵詣り 地蔵尊


皆、雨に打たれたみたいに汗びっしょりになってはりました。
本当に、お疲れさんでした。

六地蔵詣り 地蔵尊




四天王寺の万燈会に行く
四天王寺 万燈会 2010.8.12


カオスさんに教えてもらって、四天王寺の万燈会に行ってきました。
カオスさんの2008年の記事は、こちら。

混沌写真「四天王寺 万灯供養」


例年、奈良の燈花会に行ってたんだけど、あそこもすっかり観光化されて混雑ぶりもすごいので、もういいかな、ってのもあって、今年は、違う場所へ。

月曜には京都は六道珍皇寺の六道詣りに行ったついでに、六波羅蜜寺で、万燈会の原型と言われているものを見てきました。
そんときのエントリーは、こちら。

「六道の辻、あの世への入口から精霊を迎える」


万燈会は、ご先祖さんの霊の安らかなることを祈り、あわせて家運の隆盛を願って、仏さん、菩薩さんに千、万の燈や灯を供養する行事です。
651年(白雉2年)に朝廷で催されて以来、連綿と続いている宗教行事。
盆の行事だし、純粋な仏教行事ではなくて、土着の信仰と仏教が結びついた行事だと思っていたんですが、六波羅蜜寺での万燈会の原型を見たとき、これは密教行事にルーツがあるんじゃないか、と確信しました。

そう思って、つらつら調べてみると、
罪障を懺悔して四恩に報じ万燈を諸仏に供養する法会と、法蔵館の密教辞典にありました。

つまりただ万燈を供養することが目的なのではなくて、そこにいたる思いはいかなるものか、と、問われる必要があるということです。

先祖供養を願ってろうそくに灯をともすわけですが、ひとつの灯りをともそうとする心の在りようを、この行事は問います。

そういう心持ちでろうそくの灯りを眺めていると、自分の内面と対話するような、それこそ密教的な感覚にとらわれます。

読経している人、ろうそくの灯りをボンヤリと、凝視しながら、見つめている人、ろうそくの灯りから視線を逸らして天空の一点に視線を落としている人…、物見遊山に来ている人は、それこそ僕くらいなもんで、みんな、なにかしらの想いを抱えて、厳かに、この行事と向き合っているように見えました。

ライトアップ、ライトアップ化されたイベントが大流行りの昨今だけれども、やっぱ、この厳かさのなかにこそ本質はあるだろうし、容易に観光化してはいけないように思いましたです。




万燈会は1日に4回、18:30〜、19:10〜、19:50〜、20:30〜に行われます。
明るいうちに行われるのも見ておきたかったので、18:30〜の第1回目に訪れました。

まだ、空はこんなに明るい。
でも、参道ではたくさんの提灯が並んでいて、ここから気分が盛り上がります。

四天王寺 万燈会 2010.8.12


すでにたくさんの人が集まってます。

四天王寺 万燈会 2010.8.12


まずはお約束の転法輪をクルクルまわします。これをまわすと、煩悩が破壊されますが、僕のは強力な煩悩なので、はてさてどうなったことやら…(笑)

四天王寺 万燈会 2010.8.12


1本700円でろうそくを買い、ご先祖さまや供養したい人の名前を書いてもらい、思い思いの場所にろうそくを置きます。火を点けてくれるのは、専門の人。

四天王寺 万燈会 2010.8.12


ズラッとろうそくが並んでいる光景は圧巻であると同時に厳かな雰囲気を醸し出してます。

四天王寺 万燈会 2010.8.12


こちらは灯籠。五重塔や金堂のあちらこちらから吊るされています。いくらで売っていたのかわかんないけど、これもきっと、供養したい人が買い求めているようです。

四天王寺 万燈会 2010.8.12


時間が来て、お坊さんが読経しながらろうそくの列の横を練り歩いていきます。そのうしろを、一般の参拝客が続きます。

四天王寺 万燈会 2010.8.12


読経するためのお経を記した紙をもらいました。

四天王寺 万燈会 2010.8.12


第1回目が終わって、あたりはとっぷりと日が暮れてきました。

四天王寺 万燈会 2010.8.12


ろうそくの灯りも、迫力を増してきました。
炎のかたちが独特なのは、このろうそくが紙に包まれているからです。

四天王寺 万燈会 2010.8.12

四天王寺 万燈会 2010.8.12


灯籠も明るさを増してきました。

四天王寺 万燈会 2010.8.12

こうして、手を合わせている人がたくさんいました。

四天王寺 万燈会 2010.8.12

四天王寺 万燈会 2010.8.12

四天王寺 万燈会 2010.8.12


お坊さんを先頭に読経しながらろうそくの列の横を練り歩いた最後は、金堂のまえで、本尊の救世観音菩薩さんに向かって、拝みます。
じつは1回目のとき、金堂のなかで本尊救世観音菩薩さんを拝見しているあいだに、行列が金堂のまえに到着して読経を初めてしまい、僕は、金堂から出られなくなってました(笑)

四天王寺 万燈会 2010.8.12



四天王寺は滅多に来ないんだけれども、来てみて、あらためて、このお寺さんは今でも生の宗教が生きている場所なんだな、と、思いました。

その在りようが心地よくて、いい風に吹かれていたのでした。






四天王寺 万燈会

大阪市天王寺区四天王寺1-11-18
tel. 06-6771-0066
HP http://www.shitennoji.or.jp/
万燈会 8/9-8/16
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