大阪市の北区をグルグル巡るブログ | 大阪市の北区メインでいろいろ仕事をしてます。仕事場も住んでるところも大阪市北区なので、北区をグルグル巡って、目にしたもん耳にしたもん感じたもんを、つらつらと書いています。

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仮設住宅のコミュニティづくりの支援のために、大阪市北区役所から釜石へ派遣された職員さんのお話
 今日、北区民ホールで、「地域防災フォーラム」というのがありまして、それ自体はたいして興味がなかったのだけれども、一昨年、釜石の仮設住宅のコミュニティづくりの支援を行うために北区役所から釜石へ派遣された職員さんが、そのときの様子を話されると聞いて、慌ててスケジュールを調整して行ってきました。

これです。
http://www.city.osaka.lg.jp/kita/page/0000206851.html

この職員さんは、普段は、北区でもコミュニティ支援を行っている方で、まだ若いのだけれども、地域から非常に信頼されている人です。僕もよく知ってる。
行政、特に大阪市はなにかにつけて批判されることも多いし、事実、どーしようもないクソみたいな人もたくさんいるし、変な組織風土はあるし、そもそも変な組織だとも思うけれども、もちろん、優秀な人たちや情熱を傾けて仕事をしている人たちもいて、この職員さんは、その代表格のような人です。北区のエースと言ってもいいかもしれない。

そんな彼が、一昨年の9月から約1ヶ月、釜石へ派遣されました。そのときの報告は、何度か報告会が設けられていて、僕も行きたかったのだけれども、なかなかスケジュールがとれずにいて、今回やっと、彼の話を聞くことができました。

釜石は、津波の被害をモロに受けた沿岸部です。一昨年の9月といえば、震災からまだ半年の段階。仮設住宅がようやく揃ったという段階で、津波や震災で壊されたまち、建物などは、まだまだ手つかずの状態ですね。

さて、仮設住宅ですが、いろんな人がそこに入居されてきます。家をなくしたエリアの人たちがごっそりそのまま仮設に移転してくるのなら既存のコミュニティをそのまま持ち込めるけれども、さまざまな場所からさまざまな事情で入ってこられた仮設では、隣人同士の交流すらない、という現状もあったのだそうです。

たとえば、
仮設が何十戸と建つと、ゴミ処理の問題が発生します。
ゴミ捨て場ができたとして、そういう場所は、周辺が汚れたりもします。仕方なしに、ゴミ捨て場に近い仮設に住んでる方が、周辺を掃除したりします。ゴミ出しの時間も決めなくちゃならない。
こういう、みんなで解決しなければならない問題が山積しているなかで、やはり、コミュニティの重要性を改めて認識することになります。

といって、行政が主導して、一足飛びに自治会をつくる、ということにもなりません。
緊急の課題がたくさんある一方で、コミュニティづくりは、拙速にならず、手順を踏んで、彼らは支援を行っていったようです。

まず、仮設住宅の人たちが交流するところからはじめてもらおう、と、彼は、交流会を企画します。
それも、交流会だけではなかなか集まらないかもしれないと考え、救援物資も配ります!と、付加価値をつけていきます。
さらに、告知チラシを、戸別に訪問して、自己紹介を兼ねて、交流会への参加を呼びかけます。
簡単に書いてるけど、なかなかのキメ細かい対応ですね。

そうやって交流会にたくさんの人に集まってもらい、自治会のようなコミュニティは必要ないですか?大切ではないですか?と、問いかけ、仮設の人たちに考えてもらうよう、仕向けていきます。行政指導の押し付けでも説得でもなく、問いかけ、考えてもらい、そこに住む人たちに決めてもらう、そういう手順を踏むのですね。
そういう段階を経て、自治会設立準備委員会のようなものが設立されます。
彼は、その支援を行います。

一方で、ケアしなければならないのは、仮設住宅の入居者だけではなく、その仮設住宅が突如現れた地域の周辺住人です。
場合によっては、ひとつの地域に200戸の人たちが、そこへ移転してくるわけです。
軋轢というようなものはなかったようですが、もともとそこに住んでいた受け入れる側の人たちが、どう接していいのかわからず、戸惑った人も多かったのだとか。シャイな人がたくさんいたというのは、大阪とは事情が違うところでしょうね。

この事例は、たとえば、被災地から大阪に避難してきている人たちを迎え入れている側にも、参考になるものだったと思います。

他、もうひとつの彼のミッションであった救援物資の管理と配布についても、講演では触れられました。

彼の講演を聞いていて、僕が感じたことは次のようなことです。

彼が釜石へ派遣され、戻ってきてから1年半ほどの時間が経ちました。
そのような時間を経ることで、彼自身も記憶が薄れてきていることがたくさんあるとのことです。
彼にも彼の日常があるし、人間は忘れることで前進していく生きものだから、そのことはきわめて真っ当な感覚だと僕は思います。
また、ミッションを果たすために、ガッツリと被災地に寄り添ったときもあれば、意識して距離をとったこともあるかと思います。そのあたりの距離のとりかたが上手い人でもあるので、彼が釜石で行なってきた話を聞いていると、そのあたりの距離のとりかたが手法に表れているのが透けて見えて、僕は大いに参考になりました。

さらに、
彼が支援してきたコミュニティづくりは、彼が大阪に戻ってきて以降、どうなったのか。
彼も今回の講演にあたって、その後がどうなったのか、ネットで調べたのだそうです。
すると、自治会が設立され、自治会新聞が発行され、それこそゴミ捨て場所の運営ルールが決められたことが、ネットを通じてわかったんだそうです。
コミュニティのなかには、ネットでの情報発信が達者な人が一人や二人はいて、そういう人たちが、情報発信されているのですね。
そのおかげで、彼は、大阪に居ながらにして、その後の様子をある程度知ることができたのだそうです。
ひとむかしまえ、ネットがまだ日常の道具ではなかったころ、情報発信の道具ではなかったころでは、こうはいかなかったと思います。

これはいい話だなあ、と、思いました。
自分が関わった仕事がどうなっているのかはやはり知りたいだろうし、知れば、また思い出すこともあるだろうし、繋がっていることも実感できると思うのですね。
そして、そのことは、彼が今の仕事、釜石ではない大阪での今の仕事を続けていくうえでの、モチベーションにもなり得るのではないかと、僕は思います。


そして僕はやはり、自分が関わっているニットによる被災地支援TJWKに、そんなことを当てはめてみます。
それぞれの人たちがご自宅で編んでくれたモチーフたち。4万枚も5万枚も集まったモチーフがあるなかで、たくさんのブランケットやショールといった作品がつくられるなかで、自分がつくったモチーフがある作品のある場所に使われていると「わかること」は、モチーフを編む人たちにとってのモチベーションになるはず。僕はそんなことを思って、できるかぎりオープンな活動でありたいと思うし、できるかぎりキメの細かいフィードバックをしていきたいと思いました。

企業のCSRについて思うこと
今、CSR(企業の社会貢献)というのが大流行りで、僕んところにも、ときどき、企業さんから問い合わせがありますねん。
CSRしたいんだけど、なにがありますかね?と。
行政なりなんなり、しかるべき機関に問い合わせてメニュー提示してもらうのもひとつの方法だとは思うのだけど…、あれって、なんなんでしょうかね?
上から言われて、現場の人間はわけもわからずに、ってことなのかもしれないけれども、人から言われてやる社会貢献なんてのは、つまらん時間の使いかただと思いますけどね。

それだったら、とりあえず自社の周りの掃除でもしたら?って、一応、そんなふうに答えてます。

自分が働いている土地や生活している土地で、日々感じる不便や不幸があって、なんとかしたいなと思って、重い腰をちょっと上げてみる。それがビジネスに馴染むことなら商売にすればいいし、ビジネスに馴染まないことならボランティアとして取り組めばいいので
は、と、僕は思うのですよ。ビジネスもボランティアも、社会の某かの役に立っているのだとしたら、それは社会貢献だろうし。
なんにせよ、なにか感じることがあって、自分みたいな人間でもなにかできるんじゃないのか、というのがスタート地点だと、僕は思います。でないと、楽しくないし。

とりあえず自社の周りの掃除でもしたら?ってのは、いじわるで言っているのではなくて、なにをやったらいいのかわからんけどなにかやらないとダメなのですよ、って人にとっては、それが一番近道だと思うからです。
それやってると、きっとね、誰ぞが声を掛けてくれます。人と触れ合うキッカケが生まれます。そういうのを糸口にして、きっとね、いろんな話が舞い込んでくるんですよ。そのなかには、地域でこんな課題があるんだけど、お宅の会社はこんなことが得意そうだから協力してくれない?みたいな話があったりするんです。

CSRのキモは、じつは、企業が地域に根ざすことだと、僕は思っています。根ざし、地域の一員となることで、地域の課題に地域の人たちと一緒になって取り組んでいく。そうやって地域の信頼を得ていく。
そのようにCSRを進めることで、引いては企業価値を高めていく。CSRの理念って、そういうことでしょうに。

なにをやっていいかわからないけどなにかやらねばならないと思っている人たちは、地域のために汗をかく用意があります、と、デモンストレーションしてみせるために、まずは自社の周りの掃除から

これが一番手っ取り早いと、僕は思いますヨ。

御舟で大阪市中をGO!GO! vol.2 - 大阪湾〜矢倉緑地〜安治川〜堂島川編
河口クルーズ、前回の続きです。

前半戦は、こちらを。
「御舟で大阪市中をGO!GO! vol.1 - 八軒家浜〜東横堀川〜道頓堀〜尻無川編」

大川の八軒家浜を出発して、東横堀川を南下、道頓堀川に出で、そのまま西へ西へと進み、尻無川に入り、いよいよ大阪湾まで来ました。

見えてきたのは、港大橋ですかね。このあたりのことは、もはやよく知りません(笑)

河口クルーズ


タンカーが停留していて、荷揚げ用のクレーンが見えます。完全に港の風景となりましたな。

河口クルーズ


高速道路が走ってます。湾岸線?

河口クルーズ


天保山ジャンクションが近づいてきました。
ここは高速道路が入り乱れていて、こんがらがった紐みたいになってます。それ系のマニアサンたちにとっては、たまらない風景かと。

河口クルーズ

河口クルーズ

河口クルーズ

河口クルーズ

河口クルーズ


ここ、google mapで上空から見ると、えぐいです。

河口クルーズ


ほいで、その先にUSJが見えてきました。
一応、USJのHPをリンク。
http://www.usj.co.jp/

河口クルーズ


この橋は、なんて名前なんでしょうかね? 走っているのは、阪神高速です。
こうやってみると、橋というのは支柱の上から吊り下げている構造物だということが、あらためてよくわかりますね。

河口クルーズ


安治川の河口を横切ってるところですが、遠くに梅田のビルが林立している風景が見えます。
いやー、こんな場所から梅田を一望できるとは思ってませんでした。
左に空中庭園のビルがあって、その右隣は建設中のうめきたのビル、真ん中にハービスエントも見えますね。

河口クルーズ


視線を転じると、海遊館が。
このあたりの風景は、どこを見てもランドマーク的な建物が見えて、なかなか盛り上がります。
遠くに、なにかとお騒がせのWTCも見えますね。

海遊館→http://www.kaiyukan.com/index.html
WTC→http://www.wtc-cosmotower.com/

河口クルーズ


えーっと、水平線の中央から少し左にドーム型の建物がかすかに見えるのがわかるでしょうか?
「なにわの海の時空間」です。すでに閉鎖が決まっている博物館(笑)
建物はおもしろいし、実物大に復元された菱垣廻船とかあるんですが、いかんせん展示がしょぼいうえに集客ができてない、かわいそうな博物館です。お犯しの事業仕分けで、すでに廃止が決まっておりまする〜。

なにわの海の時空間→http://www.jikukan-ogbc.jp/

河口クルーズ


荷揚げ用のアームの一群が見えてきました。キリンの群れみたいですな。
完全に海ですが、こんなところまで航行する船ではないので、結構揺れます(笑)

河口クルーズ


灯台発見☆

河口クルーズ


んで、しばらく行くと、奇妙な建物が見えてきました。なんでしょうか?
後ほど、もっと近づいたときに解説しまーす。

河口クルーズ


此花大橋ですね。
船からにょきっと顔を出しているのは、この船、御舟かもめの船長さんである中野さん。
彼の操舵で、波をもろともせず、船は航行してます。水しぶきは結構かかりますが(笑)

河口クルーズ


さあ、奇妙な建物に接近です。
これ、大阪市のゴミ処理工場、舞洲工場です。地上7階建て地下2階。
オーストリアのフンベルトワッサーがデザインしてます。彼の遺作となったんだとか。
2001年に竣工、無駄遣いの象徴なんて言われています(笑)僕は、こういう無駄遣いは好きですけどね。
それにしてもキッチュな建物ですね。
テーマパーク風ですらなく、デストピア的風景。

ちなみに、見学できます☆
http://www.city.osaka.lg.jp/kankyo/page/0000019104.html


河口クルーズ

河口クルーズ


またまた海の風景。
遠くに六甲の山並みが見えます。右側の陸地は、たぶん淡路島。

河口クルーズ


そして、いよいよ目的地に到着☆
淀川と神崎川の河口に挟まれた矢倉海岸にある、緑地公園です。僕は、ここに到着するまでまったく知らなかったのだけれども、今回のクルーズのメインの目的は、この公園を海から眺め、設計者に解説してもらう、というものなのでした。
船に同乗し、僕の隣に座っていて、今回のクルーズに僕を誘ってくれた、仕事でなんやかんやと絡んでいる、あの人が、設計された、と。今の今まで知らなんだです(笑)すまぬ。。。

2000年にオープンしています。
矢倉緑地→http://www.city.osaka.lg.jp/nishiyodogawa/page/0000001039.html

河口クルーズ


市のHPを見ていると、自然石を用いた荒磯自然護岸や水に触れ合うことができる潮だまりがあり、通水管を通ってきた小魚が泳いでおり、カニ・フジツボ・フナムシなども見られる、と。また、周辺は、渡り鳥の滞留地になっているので、公園内に設けられた野鳥観察所から、カルガモやユリカモメなどが観察できる、と。
自然を堪能できる、いいかんじの公園ですね。

釣りをしている人や散歩をしている人などを、船からもたくさん確認することができました。
これが2000年にオープンしたというのが、いいですね。なんちゅーか、時代を先取りしていたかんじがして。

ほれ、こうして見ると、大阪湾に面している場所とは思えない、優しい風景です。

河口クルーズ

河口クルーズ


んで、往路、終了ー☆
いよいよ帰路につきます。それにしても盛りだくさんだな。この時点で、予定周航時間から確実に遅れてます(笑)

見えるは、国道43号線。ワインディングロードですな。

河口クルーズ


そして、名残を惜しむ六甲山系。夕日の時間です。
ポカポカ陽気だったとはいえ、水の上は結構風があって、冷えるのよ。そこへ帳が落ちはじめ、いよいよ、ちょっと寒いな!と。

河口クルーズ


キリンさんたちとも、おわかれです〜。

河口クルーズ


行きは尻無川から大阪湾に抜けたのだけれども、帰りは、安治川を遡ります。
見えているのは、USJの裏側。ユートピアの裏は、夢もへったくれもない、事務的な風景。

河口クルーズ


安治川にもデッカい水門があります〜。
これも、津波時に水が大阪に浸入してくるのを防ぐ堰の役目を担っております。
尻無川のはブルー、安治川のはレッドですね。かっくいー☆
日本で最初にできたアーチ型の水門で、昭和45年竣工です。

安治川水門
http://www.pref.osaka.jp/nishiosaka/river/aji-gate.html

河口クルーズ

河口クルーズ

河口クルーズ

河口クルーズ


船のスピードは増し、安治川をグングン遡ります。
あっという間に中之島の西端に到着。
この西端からは、大阪市の北区です〜。
左手にブルーの船津橋、右手に昭和西橋が見えます。その真ん中が、中之島の西端。ちなみにここの突端は策がしてあって入れないんですよねー。

水面が穏やかなので、風景の映り込みがいいかんじです。

河口クルーズ


いよいよ、おなじみの風景になってきました。

河口クルーズ


堂島大橋をくぐります〜。
この橋はめちゃくちゃ低いところに架かっていて、航行する船が、よく頭を擦っちゃうんだそうです。
海では高い高い長大橋を見、ここでは頭スレスレ。ギャップがすごいです。

河口クルーズ


リーガロイヤルホテルが見えてきました。

河口クルーズ


建設中のダイビルも。コーナーのアールの部分は低層部だけ復活するみたいですね。

河口クルーズ


阪神高速がグワーンとカーブして、その向こうにかかっているのは、中之島ガーデンブリッジ。
平成に入ってから架けられた新しい橋です。

中之島ガーデンブリッジ
http://www.city.osaka.lg.jp/kensetsu/page/0000026036.html


河口クルーズ


ついに淀屋橋まで帰ってきましたー。
右手は、市役所庁舎。

河口クルーズ


水晶橋です。
夕暮れ時の水晶橋は、それはそれはキレイですね!

河口クルーズ


こっからは、中央公会堂、バラ園を横目で眺め、剣先噴水を見、ようやく八軒家浜へ。
写真? ないです〜。このころになると尿意が限界に達しておりましてですね、撮影どころでは(笑)

というわけで、河口クルーズ終了☆
予定周航時間3時間、実周航時間3時間30分、見どころ満載てんこ盛りの、欲張りクルーズとなりました(笑)

こんだけまわったからねー。

河口クルーズ


中野船長さん、お疲れさまでした。
そうそう、いただいたmap、波形の切れ込みや、上部の街並にあわせてのカットが素敵です〜。

河口クルーズ



デッカい画像は、例によってfacebookに置いてあります〜。
→facebookアルバム「御舟かもめをチャーターして河口クルーズ(2012.5.30)」




御舟で大阪市中をGO!GO! vol.1 - 八軒家浜〜東横堀川〜道頓堀〜尻無川編
地域のあれやこれやで交わることの多い人たちから、船乗らへん?とお誘いいただきました。
というか、今になって思えば、僕以外のところで船に乗る計画が進んでいたのを、誘われているわけではなかった僕が勝手に乗っかっていた、と、そんなことではなかったかと思わないでもないのですが、まあ、それはよろし(笑)

とにかく、15:30に八軒家浜集合。おやつは1,000円まで。バナナは別!ってお達しにしたがって、八軒家浜の船着き場にいそいそと向かったわけです。
行き先とか、特に把握しておらず、航海の予定時間は3時間、外洋(大阪湾)に出る、御舟カモメで行く、と、事前に把握していた情報はそれくらいで(笑)
3時間って、クルーズにしては長いし、えらいことタフな航海になりそうなことと、小型の御舟カモメで外洋?と、疑問符はチラチラしていたのだけれども、ま、お構いなしで。

さてさて、御舟カモメです。
中之島の水辺盛り上げの一端を担っている、話題の船です。
HPがオサレ。http://www.ofune-camome.net/

乗り場は、おなじみ八軒家浜
http://nakanoshima-style.com/topic/2008/03/hakkenyahama.html

10人乗りのかわいい御舟。
中之島を中心としたクルーズが人気です。僕もこれまで何度か乗ったことがあります。
船長の中野さんのガイドが素敵な、いい船ですよ。

河口クルーズ


一般的なコースだと、大川を中心に航行してくれるのだけれども、今回はチャーターなので、独自のコースを行きます。
大川の中之島南側、土佐堀川を下り、天神橋を超えてすぐ、舵を左手に切って、東横堀川に入りました。道頓堀に行くのね☆

河口クルーズ

河口クルーズ


東横堀川に入るとすぐに、閘門があります。
こっから先は道頓堀川も含めて水位が一定しているけれども、大川は天候によって水位が上下するので、そこらへんの水位調整をするために、閘門が設けられています。あらかじめ航行予定を伝えておいて、閘門の開閉予約をするんだとか。
こんなふうに、届け出るんです。
http://www.city.osaka.lg.jp/kensetsu/page/0000002546.html

河口クルーズ


閘門が開くまでのあいだ、もちろん、船は待機です。ちゃーんと信号機がありますね。

河口クルーズ


正面のブルーが閘門。前後に2ヶ所あって、この写真に見えているのは、南側の閘門です。
左右から水がシャワーのように吹き出しているのは、道路でいうところの、遮断機。遮断機の代わりにシャワーのように水を放水して、まだ通れませんよ!と、合図しています。

河口クルーズ


閘門を上げ下げしているヒンジです。超巨大アームですね。なんか、ガンダムみたい☆

河口クルーズ


閘門が開きはじめました。まもなく通過できるようになります。

河口クルーズ


さあ、東横堀川を一直線に南下していきます。
頭上に高速道路が走り、橋桁が川面から水中に突き刺さっているこの風景は、東横堀川の風景の基本的なトーンですね。都市部の川ならではというか、とにかく、独特の風景です。
そして、このあたりは水面が穏やかなので、水面に景色が映り込んで、美しいシンメトリーの風景をつくりだしてくれます。
ちなみに、東横堀川は、現存する堀川としては、大阪最古☆

河口クルーズ

河口クルーズ

河口クルーズ

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こうやって橋をくぐるときは、都市の川を航行するときの楽しみのひとつですね。

河口クルーズ


さあ、道頓堀川の入口までやってきました。東横堀川の南側のどん突きは直角に折れ曲がっていて、そのまんま西へ曲がると、道頓堀川になります。
なんと、コーナー用のミラーが据え付けられていますね。航路と道路、違うようで似ていますね。

河口クルーズ

この、コーナーを曲がるところだけ動画を撮影したので、貼り付けときます。



道頓堀川突入☆

河口クルーズ

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とんぼりリバークルーズの船とすれ違いました。
ここ数年、大阪の川には本当にたくさんの船が周航するようになりました。
とんぼりリバークルーズはお手頃で楽しそうです。
http://www.ipponmatsu.co.jp/cruise/tombori.html

河口クルーズ


ドンキの観覧車☆ 乗ったことありませーん(笑)

河口クルーズ


えびす橋が見えてきました。
この橋、僕らの年代は「ひっかけ橋」と呼ぶけれども、リニューアルされて以降は、どーなんでしょうか?かつては、ナンパやキャッチセールスのメッカでした。このあたりの環境も整備されてきて、そーゆーのも激減してるとか。
ほいで、阪神タイガース優勝時名物、道頓堀川飛び込みもここらが舞台でしたが、今は川べりの遊歩道が整備されて、水が身近になったので、そーゆーのも激減したのだとか。

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では、えびす橋の下をくぐりまーす。この橋は幅が広いので、トンネル感覚ですね。

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トンネルを抜けると、グリコ☆

河口クルーズ


さらに西に進むと、仮設の橋が架かってました。そこももちろん、くぐります。

河口クルーズ


さらにさらに西へ進むと、見慣れない橋が。
浮庭橋って書かれています。まだ新しい橋のようです。ツタのような植物を垂らしてますね。
これですね。
http://www.city.osaka.lg.jp/kensetsu/page/0000025743.html

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くぐるときは、ちょっとしたアトラクションみたいです〜。

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そうこうするうちに、京セラドームが見えてきました☆
もう、大正区ですね。

河口クルーズ


京セラドームのすぐ南に、閘門があります。
ここを抜けると、尻無川。

河口クルーズ


水門が開くのを待ちまーす。
わかりにくいけれども、遮断機代わりのシャワーが水門の左右から吹き出ています。

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さあ、尻無川突入☆
JR環状線の鉄橋が見えてきました。
鉄道の鉄橋というのは、むかしは重量級の蒸気機関車が走っていたので、最初から丈夫に設計されていて、すごく長持ちするんだそうです。だから、この鉄橋も、相当に古い。

河口クルーズ


このあたりに来ると、川の風景が一変します。
生活感があるというか、海辺の風景というか、とにかく、川や水が生活に溶け込んでいるような風景になってきます。
ちなみに、このあたりの特に左側(南側)は、海抜0m地帯。いや、川よりも低いところに土地があるので、なんぞあったときは水害が深刻な問題となってくる場所でもあります。きっと、防災意識も高いと思いますわ。

河口クルーズ


レジャー用の船もたくさんありますね。
大阪で水辺を楽しむようになったのは最近のことだけれども、じつはこのあたりの人たちが、そのルーツです。

河口クルーズ


こういう、生活感のある風景が、尻無川の特徴。
今では、このあたりの風景を求めて、日曜画家さんたちやカメラマンたちがたくさん訪れるようになりました。

河口クルーズ


さあ、尻無川のハイライト、尻無川水門が近づいてきました。
初めてこれを目にしたとき、なんじゃこら?と思いましたですね。数年前、近くの陸からこれを見たとき、トンネルの内壁でもつくってるのか?と思ったもんです。

河口クルーズ


近づいてみると、ど迫力ですねー。
これ、台風などで押し寄せてくる大阪湾からの高潮などを堰き止めるためのものです。この半円の水門を90度に寝かして、津波の進入を防ぐわけです。
このタイプのものは、日本では大阪にしかありません。そのために、全国のマニアさんが、この水門を見るためにここを訪れます。
定期的に試験運転を行っていて、動く日なんてのは、見物に訪れる人がたくさん来ますです。

詳しくは、大阪市のHPを。
http://www.pref.osaka.jp/nishiosaka/river/shiri-gate.html

河口クルーズ

河口クルーズ


これは、渡船。
高速道路が発達し、長大橋が港湾を跨ごうとも、川の多い大阪では、まだいくつかの渡船が残っています。
渡船は道路の一部と考えられているので、乗船賃はなし。無料です。

渡船情報は、またまた大阪市HPを。
http://www.city.osaka.lg.jp/taisho/page/0000000498.html

河口クルーズ


さて、妙な形の船が見えてきました。
船名「雲助」と書かれた船で、川底の土をさらう船なんだそうです。東京都から買い受けた船だとか。
ベルトコンベアやキャタピラのようなものがたくさん据え付けられていて、なんともメカメカしています。宮崎駿あたりが、めっちゃ喜びそう(笑)

河口クルーズ


なみはや大橋が見えてきました。ということは、いよいよ大阪湾に出てきたということですね。内海とはいえ、ついに海です。
御舟かもめは小さな舟なので、ここまで来ると、けっこう揺れる(笑)

河口クルーズ


えーっと、天満橋の八軒家浜を出て、東横堀川を南下し、道頓堀川を一気通貫で抜けて、尻無川を下り、とうとう大阪湾に辿り着きました。ここまでで航路の半分ちょい手前。

続きは次回。


金環日蝕、ちょっと狂躁
金環日蝕。いたるところで写真やらブログやらがアップされているので、今更ですが、見に行ったんですよ、僕も。

朝、7時に起きて、扇町公園へ。
晴れてたんで、おっ!と思ったんだけど、だんだんと曇ってきましたですな。
でも、雲が遮光フィルターの役目を果たしてくれて、おかげで肉眼で見ることができました。

扇町公園にも、たくさんの人が集まってました。
通勤時間を早めて、出勤前の人もちらほら。

金環日蝕


この時間帯は、お犬さんの散歩をしてはる人も多いので、お犬仲間サンたちも集合してはりましたな。

金環日蝕


本気の人も、たくさんいてはりました。

金環日蝕


もちろん、ヘリコプターも出動。

金環日蝕


iPhoneで撮影したけど、これが限界(笑)

金環日蝕


ちょうど金環日蝕のときは黒い雲が邪魔していて、万事休す!ってかんじやったんですが、上手い具合に雲の切れ間から20秒くらいかな、ばっちり見えましたー。

その瞬間、
あたりは少し暗くなって、
あたりは少しひんやりしてきて、
鳥が騒ぎだして、
拍手が起こってましたです〜。
やっぱ、歓声上げたり拍手したり、思わずしてしまいますね。



日蝕観賞後、道のいたるところで、空を見上げている人たちが。
そのままいつもの喫茶店に行ってみたら、知らない顔のお客さんがわんさか。

金環日蝕



そういう日でしたな。

金環日蝕関係の記事は、このへんにまとまってました。

http://b.hatena.ne.jp/articles/201205/8862





「キタ歓楽街環境浄化パレード」で、梅田の繁華街を練り歩いてきました
キタ歓楽街環境浄化パレード


キタ歓楽街環境浄化パレードで、阪急東通商店街、お初天神通り商店街、太融寺町、兎我野町を約1.6km、練り歩いてきやした。
ご存知の通り、このあたりは、違法風俗営業、客引き、違法駐車、迷惑駐輪、通行妨害看板、エンコーなどなど、ややこしいのがいろいろあるところです。
まあ、それをあんまり書くと、地域の人たちが悪評を喧伝するな!と怒るんだけど、一方でせっかく浄化運動やってるんだから、前提となる現状は、ある程度表に出していったほうがいいと思うんですよね。

さて、僕は人数集めのために呼ばれているようなものですが、このパレード、さまざまな団体が集結して、年2回、行われます。もちろん、警察ともタッグを組みます。行政とも。25団体が集結して200人以上が参加する、なかなかのパレードです。これだけの大所帯で、しかもそれぞれの所属が違うのだから、主催者の調整作業のご苦労がしのばれます。

行政や警察と地域の仕事を一緒にやっていて思うのは、彼らは、つくづく「公僕」なのだな、ということです。
断っておくけれども、これは、ネガティブな意味で言っているのではなくて。(だいたい、「公僕」って言葉には、見下したり揶揄したりするニュアンスはない。あれは、マスコミがつくった色眼鏡やね)

たとえば、繁華街にビラが散乱していて、道が汚かったとします。
それを見て、役所の窓口に文句を言いにいく、あるいは電話で文句を言う。そういう人って、いてますわな。
でも、そんなことでは行政というところは、動かないですね。それは、単なる個人の意見として、有象無象に収斂されて終わりです。
そうではなくて、一定数の声をまとめて、地域の総意として持っていけば、行政は動きます。それが仕事だから。公僕、つまり、公のために奉仕するのが仕事の人たちだから。
個人のことだけで話を持っていっても、それは「公」ではないので、行政というのは、動きようがないですね。そういう行動規範では動いていないのだから。

その意味で、彼らは、どこまでいっても「公僕」です。
地域の人たちが、地域への思いを持って、こうしたい、ああしたい、と、当事者としてモノを考え、動きます。でも、地域って営利団体じゃないから、おカネなんて持ってないです。時間を自由に使える人がいるわけでもない。もちろん、権力も持ってない。たとえば、不法駐輪が目の前にあったとして、その自転車を動かす権限すら、持っていません。
そうした公権力、人件、おカネを駆使する、あるいは再分配するのが行政の役割なのだから、地域が総意としてある思いをぶつければ、行政は動きます。役割上、動かざるを得ません。

よく行政はサボってる、なんもしない、と、文句だけを言ってる人たちを見るけれども、そういう人たちは、自分が当事者として動いていない、思いをまとめて大きくして、公のレベルにまで引き上げていないからです。

もちろんね、行政と接していて、どーしようもないなと思うことは、いっぱいあります。遠くから見ていても、近くで接していても、そう思うことは、たくさんあります。
行政自身が、こうあったらいいんではなかろうか?と、机上で、ニーズらしきものを勝手に拾った気になって、自発的にモノゴトをはじめたとき、地域の現場にいる僕から見て、どーしようもない、頓珍漢なことになっているケースが多いように思います。

エラそーなモノ言いをすると、現場を知らない行政に自主的に施策を考えさせる暇など与えないくらいに、地域の総意を次々とぶつけていくほうがいいと、僕は思いますわ。


さて、そういう総意がたくさん集まって、行政も警察も一体となって、キタ歓楽街環境浄化パレードというのは行われています。

これ、地域を越えて、学生さんも参加してくれるのですね。大学生、専門学校生などなど。
そして、若い学生さんたちに音頭取りのリーダーになってもらって、シュプレヒコールをあげながら、パレードします。

私たちは、キタ歓楽街環境浄化推進協議会です。
ただいま、環境浄化パレードを実施中です。
私たちは、歓楽街をもっといい街にします。
違法な風俗営業は、「排除しよう!」
通行妨害・迷惑となる客引きは、「やめよう!」
違法駐車・迷惑駐輪・通行妨害看板は、「やめよう!」
援助交際の原因となる営業は、「やめよう!」
違法風俗店への案内は、「やめよう!」
暴力団との契約は、「やめよう!」
つくろう「もっといい街 キタい街」

って、シュプレヒコール。
学生さんたちが声を張り上げ、それ以外の人たちは「」内の言葉を唱和します。
老いも若きも集まって約200人が列を成すとどれくらいの長さになるのか知らないけれども、なかなかの行列です。
で、この行列が繁華街を声を張り上げて歩くのだから、目をシロクロさせて見ている人は、たくさんいますよ。
繁華街だから、店のまえには呼び込みの店員がたくさん立ってます。
行列、どこまで続くねん!はよ行ってくれんと商売にならんやん!と、思ってる人も、たくさんいるでしょうな。顔にそう書いてある人も、たくさんいます。携帯で誰かに知らせてる人も。
でもね、そうじゃないひとも、むしろそれ以上に、たくさんいるんですよ。手を振ってくれる人もたくさんいるし、お疲れさんですー!って、声かけてくれる若い人も、思っている以上にたくさんいるんですわ。
おもしろいのは、おねえちゃんのほうが、反応がいいんですよ(笑)
場所柄、ガールズバーもたくさんあるから、そういうおねえちゃんたちも、道にはたくさんいてます。タバコ吹かしながら道の脇から行列見てるおねえちゃんたちはたくさんいるんだけれども、そのおねえちゃんたち、おもしろがって、一緒にシュプレヒコールを叫んでる(笑)そういうおねえちゃん、たくさんいます。
あの光景は、なかなかいいもんですわ。

年2回、そんなパレードやったところで効果があるんかいな?って声をもちろんあるでしょうね。
意識づけはできるから、効果がないってことはないですね。もちろん、効率はべつ。
効率を問われると、果たして効率がいいのかどうかは、僕にはわかりません。また、効率よく、というのは、環境を激変させる可能性も孕んでいるのだから、効率一辺倒で考えることがいいのかどうかも、よくはわかりません。警察の一斉取り締まりが毎日のようにあるなんて世界は、僕はイヤですわ。

まあ、年2回くらい、みんなで集まってパレードすることには、久しぶりの人にも会えることだし、僕は楽しんでやってます。
次は、秋かな。

あ、この取り組みは、4/26(木)・27(金)両日、18:10〜のNHKニュースで紹介されるそうです。暴対法がらみの特集のなかに組み込まれているとのことです。


君が代斉唱時に起立するだのしないだのと、姦しいこったな。
 「君が代起立条例:施行後初卒業式 不起立8人、大阪府教委が処分へ」

http://mainichi.jp/life/edu/news/20120225ddm041100026000c.html


2月24日に府立高校32校で卒業式が行われ、そんとき、君が代斉唱時に起立しなかった教職員が6校で8人いたらしいです。
ちなみに、昨年は38人の教職員が起立せず、2人が戒告処分を受けたそうです。

府議会では、同じ職務命令に3回違反したら分限免職とする職員基本条例案が審議されてます。
猛々しい言葉を着こなした人たちが、やれ、歌を歌え!起立しろ!旗を上げろ!と、姦しいですな。

このブログで、僕は、政治的なことや思想的なことは原則語らないことにしているので、今回の君が代起立条例も、その方面から語る気はないです。さらに、おそらくは為政者から目の敵にされているのだろう日教組のことや教育現場の実態も、僕は、リアリティを伴ったイメージを持てていないので、そこもスルーします。

で、今回のニュースを受けての、大阪府知事、大阪市長のコメント。
起立しなかった8人の教職員は、市長、府知事の言によると、「子供たちの眼前でルールを破ったところを見せ、非常に悪影響を及ぼす」のだそうです。
ま、服務規定を厳格に守らせ、違反したという観点から見れば、そうなりますわな。
でも、
昨年までは座っていた人が、今年はシレっとした顔で立っている、という姿は、高校生たちにどう映るんでしょうかね?
「子供たちの眼前で保身に走ったズルい大人」とは、映らないのだろうか?そして、そのことは、高校生たちの将来に、非常なる悪影響を及ぼさないのだろうか?
子供は、大人たちのウソに、敏感ですけどね。
口パクでもいいから、立って歌っとけ?
それは、下衆な処世術でしょ。下衆な処世術を、公式の場で高校生に教えるは、いいのですかね?
そして、今年もまた起立しなかった教職員は、職を賭して信念を貫いた大人として、賞賛されるのでしょうか?

公務員の服務規程違反の判断基準に、君が代斉唱の際の規律の有無なんていうデリケートな事案を持ち出すから、こんなことになります。服務規程違反の判断基準なら、他に適当なものがナンボでもあるだろうに、わざわざこんな案件を持ち出すのは、他に意図があると思われても仕方がないのではないか、と、僕は思うのですね。

こんなことを目くじら立てて守らせるとか、守らないとか、あるいはそれを見せつけられる高校生だとか…。
もう、誰が得をするのか、さっぱりわかりませんわ。
茶番としか、思えないですね。

とても子どもっぽい、幼稚な所業に見えます。
まあまあ、という、大人の知恵はどこに行ったんでしょうかね?



そうそう、ソウルフラワー・ユニオンの歌に、こんな一節があります。

猛々しい言葉を着こなした卑怯者たちが、やれ歌を歌え、起立しろ、旗を揚げろと姦しい。
おべっか使いの恥知らずの臆病者たちが、やれ自己保身の事なかれ、虎の威を借る正義面。

たかだか歌。なのに、大騒ぎする。
歌は、もっともっと自由でね、無理矢理立って聞かされるものでもなければ、歌うことを強いられるものでもなくてね。
もっともっと、自由です。





「大阪人」休刊の報に触れて、思うこと
大阪人


少しまえから心配されていたことだけれども、「大阪人」の休刊が正式に発表されました。

http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20120218-OYO1T00252.htm?from=main2

4月2日発売号で休刊だとのことです。
橋下市長の就任後、外郭団体の全廃や補助金見直しの方針を受けて、発行元である大阪市都市工学情報センターに助成金が下りなくなり、金銭的なメドが立たなくなりました。

編集会社である「140B」が編集の委託を受ける以前、2010年度は、約2900万円の赤字でした。当時の編集スタッフの仕事の杜撰さを耳にしていただけに、僕は、さもありなん、と思っていました。
その後、当然のことながら、事業仕分けされ、編集は公募により外部委託され、販路拡大に取り組むよう、巻き返しが図られました。そのような経緯を経て、2011年の夏以降、大阪市都市工学情報センターは発行のみに専念し、140Bが編集を行う現体制が確立されました。

140Bが編集を行うようになって、昨年の6月にリニューアルされて、判型も発行スパンもなにもかもが変わって再スタートを切り、少なくとも、発行部数は倍増したとのことです。でも、広告収入はV字回復とはならなかったようです。で、今回の市長方針の元、1年足らずで休刊です。

ちなみに、リニューアル後は、隔月発行+あいだの月に増刊号を挟むという形態でした。

最終号は、
3/16発売の5月号「大阪人は昔も今も『名所』好き」
4/2発売の5月号増刊「古地図で知る大阪歴史の『名場面』」
です。

140Bが編集を行う以前の「大阪人」。
もちろん愛着もあったけれども、マンネリ化しているなあ、という印象もあったのですね。少なくとも、僕は、そう感じていました。
見てくれのクオリティは一見高そうだったけれども、企画が深くまで掘り下げられていなかったり、陳腐な切り口であったり…、ワクワクするような待ち遠しさはなくなっていたな、と、僕は、いち読者として感じていました。

事実、「大阪人」という雑誌は、本屋さんに並ぶ最新号よりも、古本屋さんに並んでいるバックナンバーのほうが人気があったように思います。

だから、140Bが編集すると聞いて、久しぶりに新鮮な喜びで発売をワクワクしながら待つという愉楽を楽める、そう思っていたのでした。
でも…、
リニューアル後の「大阪人」もまた、べつの意味で、僕にとっては、心から満足できる誌面ではありませんでした。
なんちゅーか、すごく陳腐なモノ言いになってしまうけれども、「Meets」+従来の「大阪人」という印象だったのですね。まったく新しい切り口を期待していただけに、ちょっとモノ足りなかったかなぁ。
特集されたテーマでは、以前よりも格段に深く掘り下げているように思えたし、毎号毎号力作で、キチンと誠実につくられているとも感じていたし、挑戦もしていたようにも思うのだけれども、どうしても感じてしまう違和感を、僕は拭えませんでした。
テーマもね、玩物喪志的というか、マニアのツボをくすぐるようなチョイスが多く、真正面からがっぷり四つに取り組むようなテーマで誌面がつくられるようなことは、なかったと思っています。そのあたりの違和感、デカかったですね。
でも、リニューアル後は、そんな僕の感想はともかくとして、長らくなかったような活気が漲っていたのは、事実です。少なくとも、僕の周辺では、そのようにもてはやされていました。

そうしたリニューアル当初の喧噪をすぎて、ようやく、おっ!と思うようになったのは、最新号である「司馬遼太郎」特集。
この巨人だけでなく、大阪に縁のある文学者を「大阪人」はなかなか取り上げてこなかっただけに、やーっと、新しい!と感じることができたのですね。
しかも、ここで語られる司馬遼太郎は縦横無尽で、「大阪」を軸に全キャリアを網羅しており、これは一級品の仕事になってるわ!と、小躍りするように貪り読んだのでした。
司馬遼太郎といえば、いわゆる司馬史観を中心に思想家・歴史家としての司馬遼太郎が語られることが多いけれども、この号では、純粋に小説家としての司馬遼太郎にスポットを当てているし、そこにこそ、春の伊吹のような新鮮さを感じたものです。司馬遼太郎については僕も人後に落ちないくらいにマニアックに語ることもできるけれども、それでも、知らなかった事実をたくさん発見することもできました。

もうひとつ、これまた最新号である4月号増刊の「ザ・大阪のデザイン」も、最新号にして、ようやく、グイッと飛躍した印象を感じさせる誌面です。
建築だけではない、店だけでもない、デザイン情報発信拠点だけでもない、グッドデザインな商品や作品だけでもない、大阪のあらゆる事象を、「デザイン」という切り口で紹介していく方法は、縦糸的な手法ではない横糸的な切り口として、とても新鮮!かつ、「大阪人」らしい、縦糸的な深い掘り下げもなされています。これこそ、増刊号ならではの仕事ではないですかっ!



そんな「大阪人」も、次号、次増刊号をもって、休刊となります。
どうすればいいんだろうか?
赤字が理由だというのなら、デジタルブック化してコストを下げるというやりかたもあるでしょうね。
どうやら文化には公金を投入しないらしい人物のように見える新市長のもとで、たとえ黒字化するようなプレゼンをしても復活が叶わないのなら、僕は、大阪市から離れて、新たな版元を探すのがいいのではないか、と、思っています。

公器と呼ばれる新聞やテレビと違って、雑誌というものは、もともとが、「好きなコト、伝えたいコトを伝える」ためだけにはじまったもんです。そうした、個人の、根源的な欲求が出発点だったのが、雑誌というメディアです。そこにはもちろん、ときとして、権力への挑戦や既成体制への挑戦といった思いもあります。雑誌とは、元来が、そういうもんです。
雑誌は、公器である新聞やテレビとは役割を異にする、オルタナティブな存在のものです。

僕は、「大阪人」には、その精神が、むかしから一貫してあったように思っています。だから、大阪市(の外郭団体)が発行していながら、この雑誌は、大阪市のPR雑誌という枠を飛び越えて、メセナ的な役割すらを自ら担っていたように思うのですね。
もっといえば、「大阪人」の編集に携わる人たちにとって、発行元が大阪市(の外郭団体)というのは、単なる、雑誌を発行するための体裁に過ぎなかったのではないか、とも思います。他人さんのおカネ(公金)を使って、大阪を舞台にオモロいことを発信していこうや、というような、清々しいふてぶてしさを、僕は、特にリニューアル後の「大阪人」からは感じていました。

橋下市長就任後、最初に発刊された3月号(2月16日発売)の「司馬遼太郎特集」号では、巻頭、ずーっと連載しているとはいえ、市長選で橋下さんの敵方として戦った内田樹さんが、(名指しこそしていないけれども)橋下市長のモノの考えかたや世論と真っ向から対立するかのようなテキストを、寄せていました。
このテキストが市長の逆鱗に触れたのかな、だとか、前市長の残り香をさっさと消したいがための助成金廃止?だとか、下衆な勘ぐりをすることはいくらでもできるけれども、そんなつまらないことを云々する以前に、このテキストをこのタイミングで掲載したという事実からは、編集人の気骨やプライドや闘う姿勢が、伝わってくるのですね。雑誌は雑誌、行政や政治とはべつもの、といった気骨。

雑誌は、ときとして、現体制や既成のものと、ぶつかることがあります。また、そうなったとき、ぶつかることを怖れないこともまた、雑誌というメディアの重要な特性だと、僕は思っています。
そんなことをツラツラと考えていると、僕は、もう、「大阪人」は、税金から離れるときが来たのだという結論を手繰り寄せます。
どうしても続けたいのなら、まだまだ遊んでいたいのなら、本気になって、新たな版元を探せばいい。ここから先は、現在の編集者である140Bや、存続を望む人たちの、腹と胆が試されるときです。

公募に応募し、編集権を勝ち取った140Bの人たちにとって、携わって1年足らずのうちに休刊に追い込まれるなんてことは、どれほどの無念かと、察して余りあります。
でも、その無念を再び歓喜に変えるのであれば、今こそが、腹と胆を試されているときだと、僕は檄を飛ばします。鬨の声を上げるのは、今です。

もう、大阪市から離れるときが、来たんです。
「大阪人」は、とっくのむかしから、大阪を愛する人たちのものなのです。そこまでに成長させた大阪市の功績は大きいけれども、その器に収まり切らなくなった今、「発行元・大阪市」から巣立つべきだと、僕は考えます。
そして、新たな発行元を、探しましょう。

そうやって生き延びてきた雑誌は、古今東西、数多あるのだから。
そして、願わくば、「大阪人」が、装いを変え、新たな顔で僕たちの前に再び姿を現したとき、僕はまた、これまで通り、毎号をチェックしながら、相も変わらず、買っていきたいと思っています。

「大阪人」には、苦難を乗り越えて現在もしぶとく発刊を続けている「大阪春秋」という、素晴らしいお手本もあります。
現在の大阪城も、中之島に数多架かる橋も、そう。大阪は、民、草の力で成り立ってきたまちです。
「大阪人」もまた、大阪の民や草とともにある雑誌に生まれ変わらんことを、願っています。






あれから17年。今年もまた、震災の日、誕生日に思うこと。(断片として)
また今年も、1月17日がやってきました。

去年の1月17日は、深夜から未明にかけて、大阪から神戸を目指して歩いていました。
寒空のなかをね、足を棒にして歩いてましたわ。
twitterをつらつら見ていたら、歩く!って人がたくさんいて、僕の性格からしてそんな悪魔の囁きには絶対に乗らないはずなのだけれども(笑)なーんかね、歩いてみようかな、と、そんな気になったのでした。
歩いてみてビックリしたのは、歩いている人がね、意外なほど多いのですよ。2号線を、結構な人が歩いているのです。

17年前の震災のとき、否応なく歩かされた人はたくさんいました。
あれから17年、毎年歩いている人も、きっと、たくさんいるのでしょうね。それは否応ではないだろうけれども、でもね、なにかを忘れないために、なにかを思い出すために、心の澱と対話するために、心が、歩け歩け!と迫るような否応のなさに突き動かされて歩いている人は、きっとたくさんいるのだと思います。
未曾有の体験を個人史に刻み続けるために、歩いているのだと思います。

去年は、NHKで「その街のこども」が放映されたんだよな。

こんな作品です。

「その街のこども」公式HP



佐藤江梨子と森山未来が主演したこの映画は、実際に震災を体験したキャスト&スタッフがたくさん参加していて、ドキュメンタリーのような趣で製作された映画です。
2010年にNHKが放映し、大反響を呼んで、NHKドラマ前代未聞の劇場版が再編され、全国公開で上映されました。劇場版は何度も何度も上映期間が延長され、その後、再びNHKで放映されたのでした。昨年6月にDVDも発売されました。
この作品の秀逸なところは、
子どものころに体験した震災というものに、あらためて向き合おうとする、現在進行形の若者にスポットが当たっていたことです。
傷と共存し、なおかつ前を向いていこうとする、その格闘の姿が、淡々とではあるけれども、描かれていたのでした。
ラスト、追悼のキャンドルナイトが行われている東遊園地に辿り着いたところから流れる音楽も含めて、音楽を担当した大友良英は、彼のキャリアでもっとも美しい音楽をつくりあげています。

夜の三宮と御影を往復するだけのこのロードムービーは、言うまでもなく、夜の神戸の町並みをそのまんま映し出しています。
夜の神戸。
そう、僕にとっても、震災からこっち、神戸といえば、夜のイメージが主旋律になってます。

かつての相方と、知り合いの人たちを迎えに行ったとき、昼すぎに大阪を出たのに、神戸に着いたのは真っ暗な夜でした。
そこで知り合った長田の人たち、ウチナンチューや在日コリアンの人たちと仮設を掃除したり家具を運び込んだりしたのも、夜でした。
ソウルフラワーの別働隊、モノノケサミットが長田神社で演奏会をやったのも、篝火を焚いた夜でした。
月が出ていたり、雪が舞っていたり…。
そのあと、オジィやオバァを連れてルミナリエに行くようになったけれども、これももちろん、夜。

そういう刷り込みがあって、阪神大震災と夜に歩くイメージは、僕のなかで分かちがたく結びついていて、たぶん、歩いたんだろうな。
ザッ、ザッ、
と、スニーカーが地面を擦るたび毎に、大地の冷気が足許から立ち上がってきて、それがスイッチとなって、いろんな風景が立ち上がってきて、目のまえの風景と重なっていきます。
昨年のこの時期は、そういう夜を過ごしたのでした。


毎年、この時期のブログに書くことは、決まってます。


また今年も、1月17日がやって来ました。
もう、17年になる。あの年に生まれ、「望」や「希」と名付けられ祝福されたお子らは、今、高校生ですね。

そして今年は、言うまでもなく、例年の1月17日とは、ちょっと違います。
東北で、未曾有の大震災が発生して、最初の1月17日。
重なる景色もあるし、思い出す景色もあるし、もちろん、違うものもあります。
僕にとっては、両者の物理的な距離も精神的な距離も違います。

17年前の今日、1995年1月17日の朝5時46分、ドーンという、地の底から巨大で不条理ななにかが突き上げてくる衝撃があって、大阪から神戸の一帯は、グチャグチャにされたのでした。


その日は、僕の誕生日でね。
でも、この日を素直に誕生日だと思うことは、もう、ないですね。


当時、僕は、大阪の北摂は豊中というベッドタウンに住んでいて、建物の倒壊こそなかったですが、家のなかはグッチャグチャ、皿やらビンやらの大半が割れ、CDは散乱し、CDのプラケースは割れまくり、2台あったテレビの1台がひっくり返ってブラウン管が割れ、食卓のテーブルは部屋の端まで吹っ飛び、エアコンの室外機がぶっ飛んで壊れました。

普通の地震とはまったく違っていて、ドーン!と、下から突き上げるような衝撃だったので、最初は、爆弾かと思ったもんです。
南米のペルーに住んでいたときは、過激派の連中がよく爆弾を爆発させていて、そんときの衝撃とよく似ていたのですね。でももちろんテロなんて日本ではそうそうあるもんじゃないから(相前後してオウム真理教がやらかしてくれたことも、個人的には澱のように、心の底をずっしりと覆っています)、慌ててテレビをつけたら、神戸が瓦礫の山です。

あまりの出来事で、部屋中が散乱して足の踏み場もない状態で、片付けなきゃいけないのはわかっているんだけれども、しばらくは、なーんもできなかったです。
なんかね、恐怖感だけがあったな。
余震が怖くてね、余震があるたびに、ビクッとしてました。そっから数ヶ月はエレベータに乗れなかったほどで。図太さにかけてはよっぽどの自信はあるけれども、それでも、何ヶ月も、エレベータには怖くて乗れませんでした。エレベータに乗ってるときに地震が来たらと思うと、怖くてね。PSTDって言葉を耳にするようになったのはこの時期からだと思うけれども、PSTDってこういうことか、と、知ったもんです。それでも、僕のなんて、引っ掻き傷みたいなもんだけれども。

僕の住んでいた場所では建物の倒壊もなく、ライフラインもすべて通じていたので、翌日だったか翌々日だったかには、神戸に向けて走ってました。
幸いにして僕の知り合いはほとんどが無事だったのだけれども、神戸には、当時の相方の知り合いの外国人がたくさんいて、彼らや彼女らが、かなり深刻な被害に遭っていて、迎えにいこう!ってことになって。
電話がなかなか通じなくて、でも国際電話がわりあいと通じやすかったので、香港の知り合いをベースにして、そこに伝言をあずけるかたちで連絡とってました。まだ、ネットもメールもなかった時代のことです。

高速道路が波打って倒壊していて、あんな風景、あとにも先にも見たことがないです。
垂直に建っているはずのものが大きく歪んで建っているのを見ると、平衡感覚がおかしくなりますね。三半規管って、視覚からの情報があって初めて機能するんだな、ということを、そのときに実感したのでした。

東日本大震災では、大型船が陸に打ち上げられている風景が映し出されていたけれども、あの風景もまた、現場にいる人たちの三半規管を機能不全にしたのだと思います。

迎えにいった外国人は10人以上で、皆、家をなくしてるから、僕の家に寝泊まりしてました。
最大で、11人が僕の家で寝泊まりしてました。広い家じゃないから、もちろん雑魚寝で、それこそ足の踏み場もないくらいだったけれども、なんだか楽しかったですね。
いろんな国の言葉が飛び交ってね。公用語を決めよう!ってなったんだけれども、英語とスペイン語とアラビア語以上に絞りようがなくて、誰かがスペイン語を英語に翻訳して、その英語をまた誰かがアラビア語に翻訳して伝えてって、伝言ゲームみたいになってました。話がね、よく食い違うんだよ(笑)今日の晩ゴハン当番は○○!って単純な話ですら、最終的には食い違う始末で(笑)
んでね、いろんな人が家にいたから、肝心の僕と相方のプライベートがまったくないのですよ。10人も引き受けていると、出費もそれなりにかさむわけで、今月のおカネ大丈夫か?なんて話も、家のなかではできず…。
ただ、こういうとき、筋金入りのバックパッカーだった経験が生きましたですね。旅先ではほどんどが相部屋や大部屋だったし、こういう合宿生活はまったく苦にならず、むしろ楽しかったです。

知り合いの外国人も、知り合いの知り合いの外国人も、何人もピストン輸送して、そうしているなかで、僕は、長田のオバァやオジィ連中と知り合うことになったのでした。

長田は、在日コリアンやらウチナンチューやら、いわゆる故郷を離れた人たちが住んでいる土地です。それも、住んでいたというよりは、そこに押し込められた、そこにしか住むことができなかった、という土地です。
水はけが悪くて、ようするに、下層の土地。

大規模災害というのは、皆が一様に被害を受けているように見えて、じつは、如実に格差が出るものでも、ありますね。
持たざる人たち、ギリギリの生活を余儀なくされてきた人たちが、ひとたび災害に遭うと、悲惨です。欠けてしまったものを、自力で埋め合わせる余力は、もう、どこにも残っていません。
復興に尽力した市民派の小田実は、彼らは政府によって捨てられた「棄民」だ!と、看破しました。そして、その死を、「難死」と名付けました。
黒田門下の大谷昭宏は、最初の5分は天災だったかもしれないが、それ以降は「人災」だ!と、咆哮しました。

こっから先、思うことはさまざまにあるのだけれども、すでに一昨年のブログに書いたので、もし、興味をお持ちの方がいらっしゃったなら、こちらをご覧ください。

「あれから15年。震災の日、誕生日に思う。」


あの日からこっち、生きかたを変えさせられてしまったなあ、という思いは、僕にはありますね。

あの年からはじまった長田のオジィやオバァとの付き合いは今も続いていて、こちらが励ましているつもりが、いつの間にか励まされていたり…。もうね、ミカンを持っていったら帰りにメロンを持たしてもらってるような塩梅で(笑)
毎年、櫛の歯が抜けるように誰かが鬼籍に入っていくのだけれども、それでも、あの人たちは旺盛に生きてはります。ほんと、旺盛な生命力です。
悲しいことや辛いことを人数で割ることができたり、楽しいことや嬉しいことは人数分だけ倍々ゲームで膨らんでいくといった、人と人とは繋がることで、日々をかつがつ凌いでいけるんだよな、というようなことを、僕は、あの人たちと付き合うことで素直に受け入れられるようになったように、思うのです。
この年になった今でも、僕には、群れることがキライだったり、簡単に理解されてたまるか!といった十代のような気分があるのだけれども、それでもね、あの人たちと付き合うようになって、人と人とが繋がることの心地よさを、少しずつでも、受け入れられるようになってきましたですね。



この時期、ソウルフラワー・ユニオンは、僕にとっては欠かすことのできないヘビー・ローテーションです。
もっとも、この1年は、ずーっとヘビー・ローテーションです。

このバンドとの付き合いは、もう、25年以上になりますね。
若いころは、目を見開いて真っすぐに聴衆を射抜くような面構えで歌ってました。パンクの精神をそのまんま体現したようなバンドでね、触れただけで切れてしまうような、鋭いジャックナイフのようなバンドでした。

そのバンドが、震災を経て、非電化を試み、自分たちの表現したい音楽よりもその場で求められている音楽を演奏する機会を、どんどん増やしていった。
でもそれはなにも媚を売るといったことなどではなくて、ひとときであっても祝祭の空間を現出させるのだという、彼らなりのコミュニケーションの模索です。

そうやって、このバンドは、ずいぶんとタフなバンドになってきました。

音楽こそが国境を越え、人々の絆と連帯をもらたす、なんて物言いはあまりにも牧歌的で、音楽ほど国威発揚や戦意昂揚に利用され、加担してきたものは、他にありません。
それでもね、そうした乾いた認識に立ったうえで、それでも、と、鳴らされる音楽がずいぶんと増えてきたように思うし、ソウルフラワー・ユニオンの音楽は、まさにね、先頭を切ってそのような音楽をやっているように思います。

音楽なんてのは、どんなことを歌った、なにを託した、なんてことが大切なのではなくて、誰がいつ、どのような状況でなにを歌ったのかのほうが、はるかに大切。

あの震災を機に生まれた『満月の夕』は、阪神間の民、草の口の端から、どれほど流れたことか。



エレキギターを三線に持ち替え、オルガンをアコーディオンに持ち替え、ドラムをチンドンに持ち替え、電気が復旧していなかったころから、長田の公園で、オジィやオバァを励ますために、流行歌の演奏会を、何度も何度もやってました。
そうやって、聴く者すべてを飲み友だちにして、一緒に泣いて笑って、酔っぱらおうや、生きていこうや!って、仲間の輪をひろげていきました。
彼らのいいところは、理念なんかよりも先に、具体的なアクションを起こしてるとこだな。

音楽というのは、パンにも塩にもならないけれども、人の心の、欠けてしまったなにかを埋めますね。そして、言うまでもないことだけれども、そうすることで、彼らこそが、どれほどの元気をもらってきたことか。

今年は、東日本大震災が起こってから初めての1.17。
やっぱ、例年の1.17とは、少し感じかたが違います。

宮城県石巻市だとカキの養殖が盛んだったことからお節にはカキフライが入るのだけれども、今年はありませんでした。身内が亡くなっているので、お正月の飾りつけも、ありません。
そういうニュースを耳にすると、あれから何ヶ月も経つけれども、やるせない気分になります。
そんななかでも、
『満月の夕』は、東北でも、人々の口の端から零れ、再生の現場の通底音になっていると聞きます。

阪神大震災を経験したとはいえ、東日本大震災は、遠く離れた僕たちにとっても茫然とする事態で、暗澹たる気分が続くのみで、なにをすることもできませんでした。
でも、やっぱりね、阪神での経験があったからだと思うのです。
ソウルフラワー・ユニオンの言葉を借りれば、
不暁不屈のオンボロが、互いに明日を酌み交わすことで、それぞれの場所で、それなりに、どうにか、糊口をしのごうとしています。

かつがつとでも今を生きているかぎり、いいことがあるじゃないですか。

ソウルフラワー・ユニオンの面々は、震災直後、いち早く、宮城県の女川町に入ったのでした。そんななか、波止場の瓦礫に埋もれる一台のターンテーブルを見つけ、それをtwitterにアップした。
すると、です。
なんとそのターンテーブルの持ち主が判明し、さらになんと、その持ち主はソウルフラワー・ユニオンの20年来のファンで、阪神大震災のときに、彼は、ボランティアとして、ソウルフラワー・ユニオンが主催した被災地の宴の手伝いをしていた人でもあったのでした。
そこから、津波で家も祖父も失った彼との交流がはじまり、5月には被災地での出前ライブが実現したのでした。

そうしたエピソードをモチーフとして生まれた『キセキの渚』は、独りよがりなセンチメンタルを吹き飛ばすかのような、ソウル・フラワー節全開の賑やかで軽快なロックンロールです。

キセキの渚



だよな、と思う。

やれることはまだまだある。新たに繋げられることがある。大丈夫、なんとかなる。なんとかできる。なんとかやれる!
そんな、清々しい風を感じる、タフなロックンロールを、今、聴いています。
「満月の夕」から「キセキの渚」へ。

僕もまた、
昨年4月に立ち上げたニットで繋いで被災地を支援するプロジェクトThink Of JAPAN While Knittingを通じて、キセキの渚へと繋がる道を、かつがつ、歩いていきたいと思っています。

2012年の一発目、1/21(土)-22(日)11:00-19:00
西天満は大阪地方裁判所のスグ南にあるトルコ・キリムの専門店「SUFi(スーフィ)」にて、ブランケット&ショールの新作お披露目&販売会を実施します。

身近なニットの技術を使って被災地を支援できないだろうかとはじまったこのプロジェクトは、多くのニッターを巻き込み、渦をつくっています。
無数の人の手が入り、優に100類以上の毛糸が使われた作品の数々は、その意義や意味だけでなく、作品そのものが大変な価値を持つクオリティのものばかりです。
さらに、お買い上げいただいた全額は、「あしなが育英会」に寄付され、東日本大震災で震災遺児となったお子らの支援のために使われます。

阪神大震災を思い、東北を思い、世界は繋がっているのだということを実感できるこのイベントに、ぜひ、お越し下さい。





黙祷。








大阪市内の各区長さんが一斉にtwitterをはじめるらしい(まだ8区だけやけど)
年が明けてから大阪市下の各区長が相次いでtwitterを開設したんで、市長さんが号令かけたのかな?なんて思っていたら、案の定、そうだったようです。
でも、24区あるなかで、今んところ8区の長だけみたいですね。

橋下市長、区長に「ツイッターのススメ」…開設まだ8人
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20120114-OYO1T00488.htm?from=main1


とりあえず検索かけて引っかかったのは、以下の8つです。


城東区長
https://twitter.com/#!/furusato_JOTO

港区長
https://twitter.com/#!/minatokuyakusyo

鶴見区長
https://twitter.com/#!/tsurunowa

東淀川区+東淀川区長
https://twitter.com/#!/kobushinominori

旭区長
https://twitter.com/#!/asahi_daisuki

住吉区長
https://twitter.com/#!/Hideki918

大正区役所
https://twitter.com/#!/taishododeshow

西淀川区長
https://twitter.com/#!/fortitude2000


他の区は、これから開設するのかな?
区長ともなるとそれなりにお年も召してらっしゃるので、twitterやSNSと縁のない人が多いだろうことは、容易に想像できます。きっとね、「3日でわかるtwitter」とか、その手の本を急いで読んではるかと(笑)

ちなみに、僕がロックオンしている北区では、北区役所も北区長もtwitterを開設してはりません。。

大阪市行政は、これまで、わりと意味も意義もあるイベントをたくさんやってきたと思っているし、それこそ前市長が提唱していた「行政と地元住民が一緒になって、いろいろやりましょ」というコンセプトも、とっても素敵なもんだと思っています。

でもね、大阪市というところは広報が恐ろしく下手で、せっかくこんなことやってるのに!ってことも、誰の眼にも触れないままでいることが多いのですよ。
イベントや事業の製作には専門の人を入れておカネかけるくせに、広報になると、専門のスキルを持った人材を加えるような予算を確保していないと思うのですね。そこが重要だと認識していないんだと。

さて、そんななかで、いろんな区長さんがtwitterをはじめたわけです。
でもこれ、○○さん、ではなくて、○○区の区長の○○さん、って立場でつぶやくのだとしたら、おもろいことなんていっこも出てこないような気がしますわ。
いろんな縛りをかけて、自主規制して、誰からも突っ込まれないように、なんて防衛意識が働くのだとしたら、区のHPに載ってることとおんなじようなことしかつぶやかれないような気がします。

なにも、どっかの市長さんのように、本音を書いたりとか、内部事情を暴露したりだとか、そういうことではなくて、情報の中身が事実だけだったとしても、その語り口から当人の人柄が透けて見えるような、そういうものでなければ、ソッコーでフォロー外されるでしょうね。

そっから少し頑張ってもらって、個人的な考えだとか意思だとか、そういうものが少しでもあれば、引っかかっていくように思います。ようするに、血が通うかどうか、ですよ。
大いに危惧することではあるけれども、一方的につぶやくだけで、やりとりはしない!なんて縛りを自ら課しているようだと、やらないほうがましでしょうね。

個人的におススメなのは、住吉区の区長さん。
この人は、ずーっと以前からtittewをされていて、完全にご当人のキャラが確立されてます。
どの区長さんも、ここを最低ラインとしてもらいたいもんです。
彼のアカウントを見ればわかるけれども、区長である個人の発言に責任を持つ気構えが、見てとれますわな。
SNSは、どんな組織に属しているのであれ、その組織の枠内でやるのであれ、当人個人の顔が見えてこないのであれば、つまらないものです。

そういう区長さんのtweetなら、フォローしようかな、と。
で、北区はやるのかな?




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