今年も天神祭の季節がやってきました。
ちなみに大阪の三大祭は、開催時期の早い順に、愛染祭、天神祭、住吉祭です。
ほいで、天神祭は、日本の三大祭のひとつにも数えられてますな。これも早い順に、祇園祭、天神祭、神田祭となっとります。
天神祭のクライマックスは7月24日、25日なのですが、祭の行事そのものは、6月の下旬からすでにはじまってます。
そういう、日本を代表する祭なので、まずはその中心的な役割を果たしている大阪天満宮の歴史からざっと俯瞰しておかなければならないのですが、今回はそこまでの根性もなく(来年のこの時期、リベンジします!)、とりあえずは天神祭の詳細だけでも俯瞰しておこうかと。
ちなみに天神祭の公式サイトは、こちらです。
↓
http://www.naniwa-bunka.com/天神祭は、年に一度、神さまがこの地を見にこられるんで、神さまのお出ましを奉祝して繁盛と豊作を祈願しようとはじまったお祭りです。
天神祭の行事は、大きく分けて、
1)鉾流神事
2)陸渡御
3)船渡御
4)奉納花火
に、分けられます。
まずは、鉾流神事から。
これは、7月24日の早朝、鉾流橋のたもとで、注連縄を張った船に神道、神職、楽人、それに白丁姿の船頭さんが乗り込んで、船が川中に出たところで神鉾を流す神事です。
天歴5年(951年)にはじまったといいますから、平安時代ですね。
鉾に託して穢れを祓い(要するに、心理的な汚れをはらってもらうわけです)、同時に、鉾の流れ着いたところをお旅所、つまり、翌日の25日の船渡御の到着する場所と決めました。
どこに流れ着くのかは神のご意志なのだけれども、大川の流れの関係で、大抵は、今の玉江橋の下流の右岸に流れ着いたらしいです。
もっとも、1644年の秀吉の時代に、常設のお旅所が設けられたために、鉾を流す必要がなくなってですな、それからほどなくして、この神事は途絶えてしまったのですよ。復活したのは、1930年(昭和5年)ですから、意外と新しいというか、今の神事はルネサンス後というか、とにかく、そういうものです。
この神事そのものは、僕は一回も見たことがないので、今年こそは見てみたいもんです。
次、陸渡御です。
神さまにこの地の平安を見ていただこうと、この界隈の氏子たちがお迎えの行列を組んだのが、陸渡御と船渡御のはじまりです。
陸渡御列の中心は、神さんを奉安する御鳳輦(ごほうれん)、つまり神さんが乗る車というか、特別な神輿で、この前後を、催太鼓やら神輿、牛車、旗、鉾などが供奉してこの地を練り歩き、天神橋の北詰の乗船場まで進んでいくわけです。
その、一連の行列に合わせて、各町では、地車(だんじり)を曵いて神さんの渡御を祝うわけです。
1780年(安永9年)には84両の地車が宮入した記録が残っていて、このころが最盛期だったそうです。天神祭が日本の三大祭に数えられるほどの、日本を代表する祭となったのも、このころです。
陸渡御のコースは、明治時代に現在のコースに固定され、それ以来、コースはあんまり変わっていなくて、大体、天満宮から御堂筋を経由して天神橋に至るU字型コースの約4kmを、約3000人の長い行列が続きます。ギャル神輿も、ここで登場します☆
行列は先頭が催し太鼓で、続いて猿田彦や采女、花傘、猩々の人形を乗せた山車、牛曳童児などの第一陣、御羽車や神霊を移した御鳳輦のある第二陣、玉神輿と鳳神輿の第三陣で構成されています。
この行列の構成も、ここ100年くらいは大きな変化がないみたいですね。
そしていよいよクライマックスの船渡御。
陸渡御に続いてのメインイベントのひとつで、天神橋のたもとから奉安船や供奉船が出航して大川を遡り、反転して下ります。
船は4種に分けられていて、神さんの霊である御神霊を乗せた御鳳輦奉安船、祭を盛り上げ、神さんのご降臨を祝う催太鼓船や地車囃子船や神さんに仕える講社の供奉船、協賛団体や市民船などの神をお迎えする奉拝船、どんどこ船や御迎人形船、落語船など祭を盛り上げるため自由に航行できる列外船があります。
協賛団体による奉拝船は飛翔橋より下り、天神橋で反転し遡るのですが、船同士が行き交うときには大阪締めが交換されます。大阪締めというのは、「打ちましょ(パン、パン)もひとつ(もうひとつ)せぇ(パン、パン)いおうて(祝うて)三度(パ、パン、パン)」ってかんじの手打ちです。
御鳳輦奉安船が通過するときは沈黙するのが慣しで、渡御せずに定着して神楽などを奉納します。御神霊を乗せた御鳳輦奉安船を見下ろすことがないように、御鳳輦奉安船の通過する橋の中央には、正中の覆いがされてます。そういうところがおごそかで、神事をベースにした祭のいいところですね。
ここでおもしろいのは、どんどこ船です。
どんどこ船は陸渡御には参加せずに大川を下り祭の開催を知らせる役目を担っていて、他のすべての船はコースが決まっていて勝手な航路をとることができないのだけれども、どんどこ船だけは自由自在に航路をとることができ、他の船とはまったく違った動きをします。
どんどこ船の起源は御迎人形を飾った船から来ている。元々は伝馬船を使っていたために、伝馬ともてんまとも呼ばれています。名前の由来は、単純に、どんどこと音をかき鳴らしながら進む姿から来ているんでしょうな。
鉦太鼓にあわせて28人の漕ぎ手が一斉に櫂を漕いで進む姿は、なかなか勇壮です。
船渡御の歴史はなかなか険しくて、たとえば、1938年(昭和13年)から1948年(昭和23年)までの日中戦争と第二次世界大戦下では、船渡御や祭事そのものが中止されました。
で、1949年(昭和24年)に船渡御が復活するのですが、今度は地盤沈下の影響で船が橋の下をくぐって御旅所に到着することが困難になったために再び中止。で、昭和28年に上流に遡るかたちになります。
1974年(昭和49年)のオイルショックのときも、それの影響で船渡御が中止されました。
直近の歴史だけでも、なかなか険しい歴史です。
このあとが、祭の締め、お楽しみの花火です。
1991年(平成3年)から、水都祭と天神祭の奉納花火が合併し、スケールアップした奉納花火になりました。
僕はいつも源八橋の上から見るのですが、どこで見ても、すんごい人ですね。
ちょっと遠くてもいいのなら、JR天満駅のガード下に、地面に座ってると、ビルとビルのあいだのわずかに見える夜空に、かろうじて花火が上がるのが見えます。
あとは、毛馬の公園から眺めるのも、穴場ですな。ちょっと遠いの花火が小さいですけど、ここまで離れると、それほど人がいてなくて、ゆったりと眺められます。
ふう。以上が、ごくごく粗くなのですが、天神祭をざーっと俯瞰したものです。
すごいのはですね、こんだけ盛り上がったお祭りも、翌朝、人々が動き出すころには、ちゃーんとゴミが片付けられているのですね。このあたりがね、このお祭りが、地元を挙げて盛り上げようとしている姿の一面だと思うのですよ。
さてさて、今年はどんな天神祭になりますかね。
もう、あちこちで、本番に向けたお囃子や太鼓の練習が聞こえてます。
明日のエントリーは、昨年の天神祭の写真を一挙公開☆
天神祭