久しぶりの
北天満サイエンスカフェです。
僕の周囲では、震災の影響を鑑み…、という理由でイベントが中止や延期される例が、ほとんどないです。義援金を募る場を提供するなど中身の変更は若干あるけれども、延期も中止もなし。
今、関西がやるべきことは、経済をまわしていくことと被災地に勇気と元気の風を送り続けることと、個人個人がやるべき日常のタスクを粛々とこなしていくことだと思うので、こうやって、決められたプログラムをこなしていくことは、いいことだと思っています。
無関心になれ、ということではなく、平常心を保とう、ということ。木鶏でありたい、と、近ごろ特に思うようになってきましたわ。
さて今回は、
「社会的信頼学と天満・天神での試み」というお題で、
関西大学社会学部教授の与謝野有紀さんのお話です。今回は、久々の文系ネタです。
かわいいお名前で、そのむかし、エンコー募集のなりすましが出現して大迷惑を被ったらしいです(笑)や、ホンモノのご本人は、ソフトで気さくで、それでいて熱血漢の、素敵な先生です。ご専門は、社会階層論と数理社会学。
僕も個人的に親しくさせていただいている先生なので、今日のブログのエントリー、めちゃくちゃプレッシャーかかってます(笑)
最初、会場に到着してみてビックリしたのが、なんと、紙芝居セットが一式、どーんと置かれているではありませんか。与謝野先生、気合入りまくりというか、ノリノリ(笑)や、こーゆー遊びの仕掛けは全力でやらないとシラケるだけなので、大好きです☆
さらに紙芝居の横にはプロジェクター(アシスタント役だった林先生、お疲れさまです!)まで鎮座し、ハイテク+ローテクの2本立てという、北天満サイエンスカフェ史上、最強の装備での講義と相成りました。凄すぎ☆
というわけで、本題、行きます!
まず、社会学の分野で、今、一番ホットな話題は、
「信頼とはなにか?」というテーマと、
「不確実な世の中で生きる」というキーワードらしいです。
おおむかしにガルブレイスの「不確実性の時代」を読んだ記憶はあるのだけれども、まあ、それはきっと関係ないだろうな。
キチンとしたシステム、社会的な制度があれば大丈夫、社会を完全に制御してしまうことはできる、という長らく存在した命題というか理想というか考えが、じつはそんなことはないんじゃないか、というところに来ているのが、今の社会学なのだそうです。
ここで、
オストロゴルスキー・パラドックスという、おもしろい例を紹介してもらいました。
たとえば、赤党と黒党という2大政党があったとして、それぞれの政治的なスタンスが次のとおりだったとします。
○が推進、●が反対とします。
原 発 TPP 子供手当
赤党 ○ ○ ○
黒党 ● ● ●
上記のような状況があって、5人の人に、党を選んでもらうことにしましょう。
5人の人は、それぞれ上記のイシューに対して、下図のような考え方を持っているとします。
自分の考えがすべて合致する政党がない場合は、3つのイシューのうちの2個以上が合致する政党を選ぶとします。
すると、こうなる。
1)● ○ ○ →赤党
2)● ● ● →黒党
3)○ ○ ● →赤党
4)○ ● ○ →赤党
5)● ● ● →黒党
↓ ↓ ↓
● ● ●
5人の考えと行動を多数決の視点から眺めてみると、投票結果は赤党が勝つが、それぞれ個別のイシューを集約して多数決をとってみると、すべてのイシューで反対意見の人が多い、と。
つまり、すべてのイシューで投票者の多数決は否決という結果が出ているのに、すべてを推進するとしている赤党が選挙では勝ってしまうというパラドックス…。
ちょっとびっくりしました。でも、そうなってますね。いや、なんちゅーバラドックス。。。
これ見ると、世論調査や住民感情と議会の議決がズレるのはあたりまえやん!って思ってしまいます。
これが代議制ってやつです。代議制を採用していると、必ずこのような現象が起こりうる、と。これ、5000人でやろうが50000人でやろうが、おんなじなんだそう。
代議制が完全な制度なんてもちろん思っていないけれども、こんな危険が潜んでいるとは…。。
つまり、投票ルールをはじめとする集合的意思決定ルールの設計にはとてつもない困難が伴うということですね。
どんな選びかたでも独裁者が出現する可能性はあるし、よく工夫された制度でもパーフェクトにはならないし、どんな民主制も完全にはならない。。。
これ、
アローの一般不可能性定理です。
裏を返すと、
人間の社会には、必ず不確実なものが残る、と。
そこを前提にして、僕らは生きていかねばならないし、そこを前提にした地点からコトを進めていこうとするのが、今の社会学の現状なのだそうです。
ここで初めて、与謝野先生が専門とされている、今回のサイエンスカフェのテーマでもある「信頼」が登場します。
不確実なのだから、相手のことを推測しないといけない、と。
社会学における「信頼」とは、相手の能力と意図を推測する、というほどの意味だそうです。
たとえば、ここで先生が例に出されたのが、B・ビュッフェの「空中ブランコ」の絵。
寺山修司は、その絵を取り上げて、空中ブランコは信頼を見せものにしている、と、書きました。
空中ブランコには、ブランコから勢いよく飛び放つ人と、飛び放たれた彼を受け止める人がいるわけですが、「信頼」とは、彼を受け止める機能、のことを指します。
「信頼性」は、受け止める人の意図と能力、を指します。
「信頼感」は、彼は受け止めてくれる能力があるだろう、受け止めてくれる意図があるだろうと感じること、を指します。
このような言葉の定義付けがなされたうえで、社会的信頼学とは、能力と意図を推測することをテーマに研究が進められている学問のようです。
もう少し言葉を継いでみると、
「信頼性」は、対象が期待された機能を果たすこと。「信頼感」は、ある対象への信頼性の推定値、だと言えます。キチンとやってくれると期待すること、ということですね。そういうふうに感じる度合いのことを、「信頼感」と呼びます。
そして、この、信頼を上手く利用してシステムを設計し構築していくと、不確実な世の中にあっては、システムはシンプルに築けるのではないか、と、最終的にはそこまで話が及んでいきます。
たしかに、対象物に信頼感を持つことができたら、自分と対象とのあいだの関係は、複雑なルールを設けなくても良好な関係を結ぶことができて、上手い具合にコトを運んでいくことができるように思います。
信頼をキーにした調査の実例を、いくつか挙げていただけました。
たとえば、社会のなかで信頼が欠如すると、死亡率が上がってくる、というデータが得られています。
いつの時点での調査なのかは聞き漏らしたけれども、アメリカの州別のデータで、「人々がつけこんでくる!と感じる度合い」と「死亡率」は右肩上がりの正比例の分布を示していて、ルイジアナがつけこんでくると感じる度合い、死亡率ともにトップでした。たぶん、巨大台風のカトリーヌがルイジアナを襲ったあとに調査されたものの結果だと思うのだけれども、社会のなかで信頼が欠如すると死亡率が上がる、という実例です。
また、ジニ係数を使ったデータも見せていただきました。
ジニ係数とは、銀行系のシンクタンクが作成するレポートなんかでよく見る数字だけれども、所得をベースにして不平等度がどれだけあるかを計算した数字、というほどの意味だったはず。違ったかな?(笑)
ま、それはいいとして、縦軸に「人は信頼できる」という感覚の度合い、横軸に「不平等感」を据えて調査結果をグラフにしてみると、右肩下がりのグラフが出現します。
つまり、不平等感(要するに、格差ですね)が大きい社会は、信頼感が欠如している社会、ということを示すグラフです。調査結果から、そういうことがわかっています。
もちょっとくだけた言いかたをすると、所得格差が大きい地域ほど、他人や地域への信頼感が低下している社会である、ということ。
僕は…、というか、多くの人は、そのことを直感的感覚的にわかると思うんだけれども、こうやってアカデミックな世界の人が実地にリサーチして、数値化されたデータとして示してくれると、自分の捉え方はそんなに間違っていないのだな、と確信を得ることにもなり…。あ、これって、僕が覚える、社会学への信頼感ってことになるのかな?(笑)
話はさらに、自殺へと及んでいきます。
日本は、世界でも際立って自殺が多い国ですね。
いちいち細かいデータは挙げないけれども、交通事故、殺人、青少年犯罪、幼児虐待は、日本国内にいてると多いと感じるけれども、世界的な相対評価のなかで見ると、極めて少ないとのことです。でも、自殺率だけは違う。世界でも際立って、日本では自殺が多い。
この「自殺率」について、回帰分析を使っての説明をしていただきました。
回帰分析自体は、僕ら広告屋もマーケティングのときに使います。もちろん、僕はそんな難しいことしないですよ!専門チームに依頼しますよ!(笑)
えーっと、僕自身がちゃんと咀嚼していないので上手く説明することができないのですが、たとえば、説明したいものが「自殺率」だったとして、それを説明するのに「アルコール消費」や「貯蓄高」といったものの変数を用いて説明するというか分析するというのが、回帰分析だと認識しています。
得られたデータを見ると、アルコール消費や共働き世帯の割合は、自殺率を比較的高めるほうにリンクしているというデータが得られているようです。あ、これ都道府県別に見たデータです。
アルコール消費はなんとなくわかるけれども、共働き世帯というのは意外でした。意外だったけれども、よくよくお話を聞いてみると、共働き世帯の実態は、共働きで収入がよその家庭よりも倍になっているのではなく、夫婦それぞれの収入が低いから共働きでようやく、よその家庭並みの収入を得られている、ということなのだそうです。
一方で、「一般的な信頼」や「スポーツ行動」「貯蓄現在高」は自殺率を引き下げるほうにリンクしているようです。
ここでも、信頼が出てきます。
僕が書くと論理的な飛躍がありすぎるけれども、どうやら、「信頼」というのは、人間が生きるライフチャンスに、大きな影響を与えているという結論が、導き出されるようです。
でも、これも、直感的な感覚で、ストンと腑に落ちる結論。
社会学の世界では、ひとつの推論として、
お祭りが盛んな地域では、災害が起こったときに生き残る人が多い、ということが言われているそうなのだけれども、これも肌感覚ですごくわかります。
天神祭を見ていても、これはもう人々の強い結びつきや、たくさんの結びつき、つまり信頼がなければ成り立たない種類のものだから、そういうものが存在している社会では、災害が起こったとき、そうした信頼が力を発揮します。結果、生き残る人が多い。すごく納得できる話です。
というふうに、不確実不完全なシステムしか構築できない社会であっても、社会のなかにたくさんの信頼を築いていくことで、信頼性と信頼感を増すことで、社会システムはシンプルに、かつ安価に構築できるのではないか、というのが、今、社会学が見据えている方向なのだと。
なるほど〜。
ということは、お話にもじつは出てくるのですが、見知らぬ他人をどんだけ信頼できるか、ということですね。信頼という推測を、顔も名前もわからない人にまで広げていけるかどうか…。
このへんの可能性というのは、どうなんでしょうかね?
たとえば、僕は今、仕事のなかで行政とお付き合いすることが多いけれども、お付き合いのなかった以前と比べて、行政への信頼感というのは、明らかに違ってきています。
顔が見えない、付き合いのなかった以前は、味噌もクソも一緒くたに、あいつらはどーせバカだから、と吐き捨てる飲み屋談義の定番を、僕もやっていました。なんでもかんでも行政が悪い。そう言っていれば、とりあえずは場は収まったもんです。
でも、お付き合いをするようになって、ここは信頼できる、でもここはダメ、と、腑分けすることができるようになったし、是々非々で見ることができるようになりました。つまり、行政の信頼性をある程度見極めることができるようになったし、信頼感が増した、と言えます。
そのおかげで、たとえば行政のある言動がメディアで叩かれまくっていたとして、そこに単純に同調することもないですね。もっとも僕はメディアの内実も知っているので、メディアに対しても是々非々でつきあってますが(笑)
でも、付き合いになかった以前、やはり、信頼感というものはなかったですね。
というふうに、信頼感というのは、やっぱ、顔や名前が見える相手とそうでない相手とでは、違います。その差は、そう簡単に埋められるものではない、というのが、僕の肌感覚。
僕はかつて、ハンガリーの動乱から逃げてきたロマのストリップダンサーと、パリで短い時間を共に過ごしたことがあるのだけれども、そのときに彼女に言われた言葉を、今も胸に刻んでいます。
それは、
「いろんなことを見て、聞いて、感じなさい。いろんなことを知りなさい。そして、知り得たことのすべてを、他人の立場や環境をリアルに想像するための手助けにしなさい。他人の立場をディテールまでリアルに想像することができたら、戦争や諍いはなくなるわ」
というものです。
この言葉を僕は今でも胸に持っていて、そんな僕が考える「信頼」とは、やはり、知ることからはじまり、そのことによって想像を精緻にし、それが信頼(感)に繋がっていく、ということです。
であるならば、やはり、顔が見えない、名前を持たない相手に信頼感を覚える、というのは、絶望的に遠い地点にある理想のような気がしてなりません。
でも、社会学が「信頼」をキーにしてさまざまことにトライしているのだということを知り、社会学における「信頼」ってなんやねん、という、自分のなかで曖昧模糊としていたことが、かなりクリアになりましたです。
そこには、文学的な曖昧さはなく、キチンと科学的な分析のうえで成り立っている、文字通りの社会「科学」たる学問なのだということも。
ほいでまた、紙芝居を使ったお話だったので、クイズやらおまけやら、水飴やら型抜きやら、小道具と演出がこれでも用意されていてですね、エンタテイメント溢れる時間というか…、与謝野先生、どんだけww ってくらいに、おもしろかったです☆
↑
きっとこのエントリーをご覧になるであろう与謝野先生、僕、お世辞は言わない人間なので、そのまんま受け取ってくださいませ〜(笑)
というよりも、シロートの書いた駄文に、なんも理解しとらん!とか、厳しいツッコミも、ナシで!
今回のお話を聞いていて、思うのは、やはり原発行政のことです。
今回の事故対応もそうだし、原発建設予定地で毎度毎度起こるいざこざを見ていても、そう。
安全だ!エコだ!と、政府や電力会社が一体になって叫んだところで、信頼性も信頼感もまったく生まれてこない。。。
そうした信頼関係を築かないかわりに、おカネがジャブジャブ投下されてきたのが、原発じゃないですか。
おカネではなく、信頼関係を築くことを第一に考えて、そのためにも誠実な振る舞いを続けることで信頼性や信頼感を醸成してきていたなら、もうちょっと違った展開があったのでは、と思います。
少なくとも今、僕たちは、政府に対しても電力会社に対しても信頼感をまったく覚えていない、という前提で、コトの判断を行なっているじゃないですか。そんな社会で、上手くいくはずがない。
東日本、東北地方は、これから復興をはじめて行くのだろうけれども、震災以前の状態に戻すなんてバカなことを考えるのではなく、それこそ信頼性と信頼感で結ばれた線を無数に張り巡らせたような社会システムの構築を目指してほしいし、それをするチャンスじゃないか、と、先生の今回の講義を聞いていて、僕は思ったのでした。
さて、そんな与謝野先生は、じつは天神橋筋商店街の3丁目にて「関西大学リサーチアトリエ」を構え、この地で、研究と地域連携を展開されてはります。
こんなところです。
↓
関西大学リサーチアトリエ「楽歳天三・天満天神楽市楽座」HP
http://www.kansai-u.ac.jp/rakusai/index.htmlもちろん、そこでの事例も紹介されました。
そのひとつが、
古書店map。
これは、リサーチアトリエのスタッフでもある関大院生が作成した、天満天神の古書店mapです。(Mくんの力作☆)
このmapをつくることで、どういうことがわかり、どういうことが起こったか。
じつは、天満天神には古書店がたくさんあるのですが、mapをつくる過程で、それぞれの店同士の交流や付き合いが少ないことがわかりました。
でも、mapをつくり、古書店やそれ以外の場所にもmapを配布するわけですが、そうすることで、古書店さんがmapを見て、べつの古書店を訪ねたり、と、新しい交流が生まれたそうです。さらには、古書店間での商売にすら発展した例もあるのだとか。
ちなみに、map作成にかかった費用は、学内にある印刷機を使ったので、数万円。人件費、地図製作費などは、スタッフ間で賄うために、実質の持ち出しはゼロです。
それだけのわずかな経費で、交流が生まれ、交流が生まれることで信頼が醸成されます。
そういう試みを、この場所でいくつもされている。
じつは、2月の末に行なわれた北区の職人展のイベント「
職人×学生 ワークショップ at キタ」でも、さまざまなリサーチを行ない、興味深いデータや仮説を導き出してくれたのでした。
そんときのエントリーは、こちら。
↓
「職人×学生 ワークショップ at キタ」こんときは、Ust中継もしたので、アーカイブから与謝野先生のお話を聞くこともできます☆
ということで、今回のサイエンスカフェ、終了☆
テーマが文系の僕にもとっつきやすいものだったこともあって、また与謝野先生のお話もおもしろくてわかりやすいもので、久しぶりに充実した時間だったのでした。
惜しむらくは、寒すぎたことかな。
空っ風が抜けまくる商店街で、激寒のなかで座ってお話を聞くのは、どんなにおもしろい話であっても、修業か!と言いたくなるほどの厳しさがありますわ。マジ、カンベンしてほしい。。。。
与謝野先生、そしてアシストされていた林先生、お風邪を召されたとか。お大事に☆
北天満サイエンスカフェ天五中崎通り商店街
大阪市北区黒崎町
HP
http://kitatenma-cafe.com→
mapを見る 【過去の北天満サイエンスカフェ】■「天五中崎通り商店街で北天満サイエンスカフェ開催☆ 路上の紙芝居風講義がおもろすぎます!」■「寺子屋風にサイエンスを学ぶ
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