大阪市の北区をグルグル巡るブログ | 大阪市の北区メインでいろいろ仕事をしてます。仕事場も住んでるところも大阪市北区なので、北区をグルグル巡って、目にしたもん耳にしたもん感じたもんを、つらつらと書いています。

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天下一品のこってり&あっさりラーメンが200円割引☆2/18〜2/20の3日間だけ!
天下一品

深夜、仕事しながら何気にテレビをつけてたら、天下一品の社長が出てて、「こってり」と「あっさり」を200円割引します!と言ってはって、思わず、テレビに見入りましたです(笑)

「シルシルミシルを見た!」
と、注文時に言うと、こってりラーメンもしくはあっさりラーメン680円が480円になります! 大盛りももちろん、200円引きです。

期間は、2/18(木)〜2/20(土)の3日間のみ。全店で実施。

定食、セット、持ち帰りは適用外。他サービスとの併用不可。


早速行ってきましたですよ。
件の放送は偶然見てたけど、どんな番組かは知らない僕です…(笑)

北区には、天六店(国分寺)と東梅田店(野崎町)の2店あるんですが、今回は、天六店のほうへ。


天下一品のサイトを見ても、その件はアップされてません。
店に行ってみても、特に張り紙はしてませんでした。

なので、ちょっと不安だったんですが、「シルシルミシルを見た!」と店員に言ったら、あっさりと割引なりました〜。

しかもお会計のときに100円割引の束までもらってしまって、嬉しすぎて涙目に(笑)

天下一品


3日間だけなので、お好きな方は、お見逃しなく☆
たまたまかもしれないけれども、注文時に「シルシルミシルを見た!」って言ってる人って、僕だけでした…。あんまり知られてないみたい。






天下一品 天六店
大阪市北区国分寺1-3-1
tel. 06-6357-7716
11:00〜翌3:00
無休
HP http://tenkaippin.co.jp/

シルシルミシルを見た!で200円割引キャンペーン
2/18(木)〜2/20(土)

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天平時代の人間ブルドーザー・行基が造った(らしい)淀川天神社
淀川天神社

国分寺のすぐ近くに、神社らしきものがあって、近づいてみると、「淀川天神社」と書かれていたのでした。
ちなみに、「天神社」は、古い言いかたでは、「あまつかむのやしろ」と読みます。天(あまつ)神(かむ)の社(やしろ)、ってことですね。

都島橋だったか毛馬橋だったかを渡って都島区に入ったところに淀川神社というのがあるので、そこの系列化なにかかと思って調べてみると、全然違いました(笑)

このあたりは、今でこそ長柄東、中、西と東西に三分割されてますが、かつては南北にわかれ、そのすぐ南に国分寺村がありました。で、淀川天神社は、国分寺村の氏神さんです。
というわけで、この近辺には、長柄八幡宮、南長柄八幡宮、淀川天神社と、狭い地域なのにもかかわらず、ちゃんと村々に氏神さんが祀られている、なかなか文明の発達した地域だったということがわかります。

もちろん、この場合の淀川というのは、旧淀川、つまり、今の大川のことですね。

いつごろ建立された寺院なのかはよくわかってないのだけれども、江戸中期に発行された「浪華往古圓」によると、その時点ですでに古い神社であるという認識があったようです。

石碑には、天平10年、行基がこの地を訪れた際に開拓の守護神として天穂日命を祀り、天神社と称した、とあります。
行基といえば奈良時代の人間ブルドーザーというか奈良時代の田中角栄というか、とにかく、近畿一円におびただしい数の土木と建築にかかわっているので、ここも石碑にある通り、行基の発案で建てられたものかもしれません。
ただ、生き菩薩とまでいわれた行基なので、多分に伝説化されていることも多く、果たして、天平の時代に行基が建てたという縁起も、どこまで信用していいのやら、と、僕はにらんでます。
行基が歩んだルートとしては、奈良盆地から河内平野、大阪一円ですから、船でまわった可能性も高く、ここらもまた大川の水辺ですから、その伝でいくと、行基説も、そうそう無碍にはできないので、微妙なところです。
ただ、行基は仏教の私度僧なので、その人が天穂日命を祀り、神社を建てた、というところに違和感があります。いかに、神仏習合の日本とはいえ。
で、国分寺の守護ということならわからないでもないのですが、そういう記述はどこにもありません。

つまるところ、この神社の縁起は、よくわからん、というしかないです。

明治末期、行政主導による神社合祀、つまり統廃合の嵐が吹き荒れ、各地で村の氏神さんが失われていき、この淀川天神社も統廃合される運命にあったのですが、地元の人々の熱心な反対運動により、近隣の神社に合祀されることなく存続。それどころか、ずっと南の砂原屋敷の稲荷を取り込んで末社にしてしまったというので、当時の地元の人々の、この神社への執着はかなり強いみたいです。

なお、現在の神殿(瓦葺流造)は、明治43年に中島村(東淀川区)の神社神殿を買い受け建て替えたもので、享保年間の社殿と推察されています。
古い建造物としては、裏門の鳥居(明治末期まで表門)、明和・寛政年間の石燈籠、宝暦5年の木造彩色狛犬、文化8年の石狛犬などがある、と。

空襲で焼けなかったのだな。



本殿です。

淀川天神社


由緒が刻まれた石碑。

淀川天神社


鳥居のすぐ横に、立派なイチョウの木があります。ご神木とは書かれてなかったけれども、ほとんどご神木みたいな存在感ですね。
淀川天神社







淀川天神社
大阪市北区国分寺1-4-1
tel. 06-6353-6537

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北区の国分寺は、大化の改新時の長柄豊崎宮造営計画で生まれた長柄寺が起源
国分寺

日本全国に国分寺が置かれたのは、741年(天平13年)、聖武天皇が国情不安を抑えるために各国に命じたのが最初で、ここ、大阪市北区の長柄にある国分寺も、そのときに誕生してます。

ただ、全国に一斉に制定された国分寺は、新築したお寺さんばかりではなく、すでに建立されていたお寺さんを国分寺とした例もたくさんありまして、長柄の国分寺も、元は、長柄寺という名のお寺さんでした。

すでにあった施設を国が接収して国の出先機関にした、ということですな。WTCに庁舎を移転するかどうかで揉めてる大阪市、府のドタバタを見ていると、太古のむかしから同様の騒ぎをやってきたんだろうと思います。

さて、国分寺となる以前の長柄寺は、大化の改新が行なわれた645年(大化元年)、孝徳天皇が摂津に遷都を行ない、長柄豊崎宮の造営計画を立てた際の、中心的な施設として設立されたのでした。大阪市の北区にあるお寺さんは、ことごとく古い歴史を持つところが多いのですが、長柄寺(国分寺)も奈良時代以前の建立ですから、たいがい古いです。

ただ、長柄豊崎宮の計画規模が広大で改新が急だったこともあって、この都は完成せず、長柄寺の建立も宙ぶらりんになったのですが、最終的には、先帝である斉明天皇の菩提を祈るため、長柄豊崎宮の旧址に、幻の都の名前をとって、「長柄寺」が建立されたのでした。659年のことです。

で、その後、741年(天平13年)に、改めて「国分寺」となります。

それ以来、1250年にわたって、孝徳天皇、斉明天皇をはじめ14天皇の勅願道場として大本山の法灯を伝燈してきたといいますから、ほとんど皇族のためのお寺さん、つまり、門跡みたいなもんです。

そのせいもあって、本尊の薬師如来坐像、日光・月光菩薩、四天王、十二神将など、なかなかの仏像が安置されているらしいのですが、残念ながら、いずれも秘仏。ときどきご開帳があるみたいなので、ぜひ拝みたいもんですな。

もちろん、大阪の他のお寺さん同様、ここの国分寺も、何度か焼失してます。
1615年(元和元年)、豊臣氏滅亡と同時に戦火で全焼。
1718年(享保3年)、再建。
明治に入ってからの廃仏棄釈運動などにより寺領が大幅に縮減される。
1945年(昭和20年)、大阪大空襲で全焼。
1965年(昭和40年)、聖武天皇殿、金光明院護摩堂、昭和金堂などを再興し、現在に至ってます。

なので、現在ある堂宇は築40年余ということで、鮮やかな朱塗りを見ることができます。


立派な揮毫の「國分寺」碑。
国分寺


国分寺となったとき、真言宗に組み込まれてます。なので、弘法大師像があります。
国分寺


弘法大師、さすがになかなかの迫力です。
国分寺


国分寺の建立を全国に発布した聖武天皇の碑があります。
国分寺


朱塗りが鮮やかな鐘楼。1F部分には、天六近辺の地下鉄工事の折りに起こったガス爆発で亡くなられた方々の位牌が収められています。
国分寺


金光明院護摩堂です。両サイドで阿吽の金剛力士像が守護しています。
国分寺


ここにも、聖武天皇勅願所とあります。長柄の人たちはここに勅願するのだから、国分寺が国政の出先機関の役割を担っていたことが、この碑からよくわかります。
国分寺







国分寺

大阪市北区国分寺1-6-18
tel. 06-6351-5637

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