久しぶりに太融寺に行ってきました。
太融寺については、このブログではまだエントリーしたことがないので、これからおいおいと書いていきたいのですが、今回は、庭について。
そのまえに、一応、縁起だけを簡単に。
南は四天王寺、北は太融寺。
そんなふうに称されるほど、かつての太融寺はでっかい寺院で、梅田、扇町、老松町、堂山がそのまんま境内に入っていたらしいですな。
扇町公園がそっくりそのまま太融寺の庭で、お堂があったところは堂山町で、松が生えていたところが若松町…、町名がそのまま太融寺さんの境内に由来しているのを見ても、どんだけでっかかったのかが想像できます。
821年(弘仁12年)、弘法大師がこの地を訪れたとき、樹々のあいだから香りを放つ霊木を見つけ、これを伐ってお地蔵さんと毘沙門天の2体を刻み、弘法大師のスポンサーでもあった嵯峨天皇の勅願寺としたのがはじまりやそうです。
僕、てっきり、太融寺の寺名の由来になってる源融(光源氏のモデルですね)の壮健だとばっかり思っていたのですが、源融のお父さんである嵯峨天皇のために空海が建て、源融がこのお寺の勢力を拡大したらしいですな。
なので、宗派を考えたことがなかったのだけれども、空海創建なので、もちろん、真言宗。
空海創建と知らなかったからもちろん真言宗だと思ったこともなく、それなのになーんで禅宗の枯山水の庭なのですかいな、と、ずーっと思っていたので、今回久しぶりに行ってみて、目からウロコが落ちたかんじでした。
禅宗が入ってくる以前のお寺さん、たとえば京都の宇治平等院などは、池泉回遊式庭園がほとんどで、実際に水を張った池があり、その周囲を草花が咲き誇り、極楽浄土を表現した庭が多いのですが、禅宗になると、そこが洗練されるというか、抽象化されて、枯山水の石庭となります。
白砂を海や池と見立て、岩を島と見立てるわけです。洗練や抽象であると同時に、ストイシズムを目指したのが、禅宗であり、禅宗の表現である枯山水の庭ですわ。
そういう庭が、じつは太融寺にあります。
本堂と南門を繋ぐ参道の東側に、あります。
ひと際高い岩が鶴島で、それと対になるかたちの平べったい岩が亀島のはずなのですが、岩がありすぎて、どれが亀島かちょっとわかりませんでした。でも、数えてみると、九山八海の庭ですな。
珍しいのは、置き石がたくさん配置されていて、庭の中心部まで入ることができることです。
庭というのは、眺めるべきポジションが決められているのが通常なのですが、これだと、どっから眺めたらいいのかわからない、というよりも、どっからでも眺めてください、とでも言いたげな、ちょっとゆる〜い庭です。
そのゆるさは、垣根や塀がないことにも表れていて、ここの庭は、どっからが庭でどっからが庭の外なのかが、さっぱりわかりません。そういう境界が、ない。
これまた珍しいことで、通常、庭というのは、ある空間を区切って、外界と隔離して初めて成り立つ仕組みになってます。ある枠組みの中でひとつの世界観を表現するのが日本のお寺さんの庭で、枠組みがなければ成り立たない種類のもののはずなのだけれども、太融寺の庭には、その、枠組みがないです。
こんな庭、見たことありません。
あくまで推測ですが、禅宗が空海や最澄によって日本に輸入され、それに沿った庭が完成されていく過程で、まだ試行錯誤していた段階に、太融寺の庭はできたのかな、と、思わないでもないです。
おかげで、ここの庭の周辺では、読書をしたり、ひなたぼっこをしたりしている人が、想像以上にたくさんいます。
龍安寺の石庭を思い浮かべてみるとわかりますが、通常、枯山水の庭を眺めるという行為は、庭と対峙することで自分と向き合うといった、ストイックな行為を促します。でも、ここには、そういうストイシズムはなく、ゆる〜い雰囲気を醸し出してます。
その意味では、なかなか珍しい庭だといえますな。
でも、好きです。
太融寺大阪市北区太融寺町3-7
tel. 06-6311-5480
拝観無料
HP
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