大阪市の北区をグルグル巡るブログ | 大阪市の北区メインでいろいろ仕事をしてます。仕事場も住んでるところも大阪市北区なので、北区をグルグル巡って、目にしたもん耳にしたもん感じたもんを、つらつらと書いています。

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OAPに飾られているクリスマスツリーは、天満切子がモチーフになっています☆
OAPで、天満切子をモチーフにしたクリスマスのオブジェが展示されているらしい、とのタレコミ(笑)があったので、早速行ってきましたー☆

中之島&御堂筋のOSAKA光のルネサンスはまだ行く予定が全然ないのだけれども、こーゆーのは、すぐにチャリを飛ばしていくのでした。

サイトにも、もちろん載ってました。

http://www.oap.jp/xmas/2011/

さて、早速行ってみますると、正面のロビーのところに、でーんと鎮座してまする。

TENMA KIRIKO クリスマスタワー

TENMA KIRIKO クリスマスタワー

「TENMA KIRIKO クリスマスタワー」と命名されています。この時期、あちこちのホテルやら大型施設やらにクリスマスツリーが飾られてるけれども、ここまでスッとしたツリーは、あんまり見ないですね。

でもこれ、天満切子のグラスがモチーフになっているので、スッとしているのが似合ってます。
直線的でありながらも丸みのあるデザインは、天満切子独特のカットデザインです。

近づいてみると、ツリーの内部の天井に、キラキラするような仕掛けが施されています。
これが、光を乱反射させて、キラキラっとするんですわ。万華鏡みたいで、これがね、天満切子っぽい!

TENMA KIRIKO クリスマスタワー


床面には、天満切子のグラスを上から見た姿がデザインされて、描かれています。

TENMA KIRIKO クリスマスタワー


あちこちのクリスマスツリーは、人がごった返したりしているところが多いけれども、ここは都心から離れているせいもあってか、ゆーっくり堪能できます。

さらにですね、天満切子の実物も展示されています。

TENMA KIRIKO クリスマスタワー

TENMA KIRIKO クリスマスタワー

TENMA KIRIKO クリスマスタワー


モダンとクラシックが同居する、素敵なグラスです〜。
1個ほしいんだけど、高いんだな、これが(笑)

ちなみに、OAPの隣にある帝国ホテル大阪のバーでは、天満切子、売ってます。また、天満切子のグラスでお酒をグイッと飲ませてもくれます。

んで、帝国ホテル大阪やOAPが、なぜ、天満切子をフューチャーしているのかというと、ここ天満が、大阪ガラス発祥の地であるからですね。大阪天満宮には、大阪ガラス発祥の地の石碑も建てられています。
切子といえば薩摩切子が有名だけれども、江戸時代に一度は途絶えた薩摩切子の復刻を手がけたのは、大阪天満のガラス職人なのでした。

そういう由縁もあって、今回の天満切子をモチーフとしたクリスマスツリーですね。
12月25日までやってます☆




TENMA KIRIKO クリスマスタワー
〜12月25日(日) 16:30-22:30点灯
OAP 桜広場
大阪市北区天満橋1-8-30
HP http://www.oap.jp/xmas/2011/



OAPにある近代大阪の貨幣鋳造と精錬のモニュメントの光と影
旧三菱金属大阪製錬所跡地

旧三菱金属大阪製錬所跡地


知らんかったのですが、帝国ホテルのあるOAPは、旧三菱金属大阪製錬所跡地だったのですね。

そういや、造幣局の近くだし、製錬所があったのもうなずける話です。

調べてみると、かつては、ここで精錬された銅が造幣局に送られ、貨幣の原料とされていました。

1891年(明治24年)、宮内省御料局生野支庁付属大阪製錬所として発足し、1896年(明治29年)、三菱合資会社が払い下げを受け、1989年(平成元年)にいたるまで、約100年間、金、銀、銅などの非鉄金属の精錬を中心に操業を続けてきた、と。

この門柱は、明治時代に精錬所が建設された当時から正門として立ち続けてきたもんなのだそうです。

と、近代大阪における貨幣鋳造と精錬のモニュメントとしてここに存在しているわけですが、よく考えたら、跡地にOAPを開発するとき、三菱マテリアルと三菱地所が、OAP敷地内の地下水から環境基準を超える重金属が検出されながら事実を公表していなかったってことがあったような…。

というわけで、この輝かしきモニュメントも、気がつけば光と影の両方を担ってしまっていることになり、なにやら微妙な位置づけになってしまってますな(笑)










旧三菱金属大阪製錬所跡地
大阪市北区天満橋1 OAP内
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ご縁がありますように
小雀弥(こがらや)


郵便受けに入っていたチラシ。
郵便受けに入ってるチラシは、その場で見て、ほぼすべてはチラシ捨てBOXに投げ入れるんだけれども、さすがにこれは、そんなことはできませんでしたな。

現金ついてるし!

黒門で営業してる「小雀弥(こがらや)」ってうどん屋さんの出前チラシです。
天満橋にお店を出さはったようで、出前チラシがポスティングされたみたいです。

うどんの出前って…、麺はのびないのか?
という大いなる疑問が湧かないでもないんですが、5円玉がくくりつけられてるんで、さすがにやすやすと捨てるわけにはいきません。。。。

なんせ、5円(ご縁)がありますように!ってことでしょ。
粋なチラシですな。

ちなみに、
25円だと、重々ご縁がありますように!
45円だと、始終ご縁がありますように!
なーんてことを、むかしの人は言ったもんです。

粋ついでに、小雀。
これは、シジュウカラのこと。シジュウカラを四十雀と書かずに小雀をチョイスしてるのは、これまた粋なセンスだと思います。俳句を嗜んでるってことだからね。


最近、こんな粋なチラシは見たことないけど、むかしは、出前を注文したら、お届けの際には、電話代です!と、10円玉を持ってきてくれたもんです。
近ごろはとんと出前を頼まないからわかんないけど、今でもそういう風習は残ってるんでしょうかね?



小雀弥(こがらや) 天満店
大阪市北区天満橋1-3-3
tel. 06-4801-7271
11:00〜翌6:00
無休
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泉布観に行ってきた☆(画像47枚付き)
大阪に現存する最古の洋風建築といえば、天満にある泉布観
耐久の問題があって普段は閉鎖されてますが、3月20日(土)〜22日(月)の3連休だけ一般公開されたんで、行ってきました。

もっとも、一度に入れるのは30人までで(年々少なくなってますな…)、入場が30人に達すると、誰かが出てくるまで入れません。。。そのせいで、30分近く並びましたが、そのぶん、なかには30人しかいてないんで、ゆっくり見ることができました。

泉布観は、1871年(明治4年)、造幣局の応接所として建てられてます。
設計は、造幣局を建てたイギリス人技師ウォールトス。
この人は、東京の銀座煉瓦街も設計してる、明治初期の日本を代表する建築技師ですな。
ところでこの人、イギリス人と紹介されてますが、アイルランド人と紹介している文献もあります。当時の英連邦がどうなってたのかは知らんのですが、このへんは国が時代によって変わってるから、ややこしいですな。ちなみに、ウォールトスという名前は、どーみても、アイルランド系です…。

完成の翌年、1872年(明治5年)に天皇が行幸し、そんときに「泉布観」の名称を天皇自身が命名してます。「泉布」は「貨幣」を意味し、「観」は「大きな館」を意味する、と。…そういわれても、なんやピンと来ませんが、そーゆーことになってます(笑)

造幣局が日本の殖産興業を代表する施設やったこともあるとは思うんですが、明治天皇は、この場所がえらくお気に入りやったらしく、3度、ここに来てはります。それ以外にも、皇族やら外国の要人やら、数々のエラいさんが、ここを訪れてます。

西洋建築屋のに屋根に瓦を葺いているという和洋折衷がすごいですが、不思議と調和がとれてますね。このあたりのまとめかたは、素晴らしいと思いますわ。
まだ西洋建築のノウハウがない時代ですから、設計がイギリス系やとはいえ、日本の大工さんは苦労したでしょうな。

構造は煉瓦造りの2階建て。建物の周りにベランダを配した、「ベランダ・コロニアル」という洋式やそうです。たしかに、コロニアル風ですね。
耐火煉瓦を除く構造用の煉瓦はすべて国産品で、兵庫や堺など大阪周辺のほか広島でも製造されてます。造幣局を建築するときに各地に煉瓦製造の炉が造られてますから、それらを使ってるんでしょうな。

1893年(明治26年)に、第四師団長北白川宮能久親王が住居の一部として使用し、その前後に改築してます。
1917年(大正6年)、大阪市の管轄に移り、実科女学校の校舎の一部として利用されたこともあります。

1956年(昭和31年)、洋風建築物としては全国に先駆けて国の重要文化財に指定されてます。

なんちゅーか、文明開化の華、ですな。
こんなところに住みたいけど、掃除が大変やろな(笑)


写真、いっぱい撮ってきました。
下のサムネイルをクリックすると、でっかい写真が見られます。

スライドショーで見る場合は、以下をクリック。
スライドショーのページでは、右上の「options」をクリックすると、フルスクリーンにしたり、キャプションを表示したり、スライドスピードを変えたりすることができます。

泉布観スライドショー



泉布観 泉布観 泉布観 泉布観 泉布観 泉布観 泉布観 泉布観 泉布観 泉布観 泉布観 泉布観 泉布観 泉布観 泉布観 泉布観 泉布観 泉布観 泉布観 泉布観 泉布観 泉布観 泉布観 泉布観 泉布観 泉布観 泉布観 泉布観 泉布観 泉布観 泉布観 泉布観 泉布観 泉布観 泉布観 泉布観 泉布観 泉布観 泉布観 泉布観 泉布観 泉布観 泉布観 泉布観 泉布観 泉布観 泉布観





泉布観
大阪市北区天満橋1-1-1
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「北区まちづくり講演会」に行って、梅田エリアがどうなっていくのかを探ってきました☆
北区まちづくり講演会


大阪市北区の商店街を束ねている団体として、大阪市北区商店会総連合会というのがあるのですが、そちらの主催で、「北区まちづくり講演会」というのが帝国ホテルで開催されて、お呼ばれいただいたので、行ってきました☆

講演は、
1)大阪市北区町の福塚秀彰氏
2)大阪ターミナルビル株式会社常務取締役企画部長の江本達哉氏
3)株式会社大丸大阪・梅田店長兼梅田新店計画室長の村田荘一氏

このお3方が、順番に講演されました。

以下、講演のダイジェストです。



最初は、福塚秀彰大阪市北区長です。

福塚北区長は、これまでご自身が携わってきたお仕事を振り返りながら、主に、これからの役所と地元の商店街の関係のありかたについて語ってはりました。

福塚北区長は、下水道局勤務で役人人生をスタートさせ、労務管理を長くやってこられたそうです。その後、建設局で放置自転車対策やホームレスのテント除去問題などにあたられるなど、わりと泥臭い仕事をされてはります。
以後、フェスティバルゲート建設時に金融機関と丁々発止を繰り広げたあと、環境局に移って廃棄物行政に携わります。
ゴミ袋の半透明化と有料化、議会と連携して路上喫煙の近視にかかる法案の成立に尽力し、路上喫煙禁止地区を制定したほか、罰則規定の運用を、全国に先駆けて実施することにも尽力されたそうです。

そうしたキャリアを経て、わかったことは、金融機関と話を進めることで資本は動いていき、まちづくりと資本が連動するような仕組みを考えていかないと実際ところは動いていかない、ということだそうです。
そして、地べたの局を歩いてきた役人らしく、現場には知恵があるので、それを利用しない手はない、と。

さらに、区長として初めて北区役所に赴任したとき、北区といえば大阪駅・梅田駅を中心に大都会を形成しているイメージだけだったのが、実際のところは、そんな無機質なものではなく、たくさんの生身の人が助け合って生きているのだということを知ったのは、大きな驚きだったと語ってはりました。

地域の盆踊りや桜祭などに呼ばれ、行ってみると、企業住人だけではない、この地を愛し、この地に根ざし、それぞれで助け合いながら生活している人が驚くほどたくさんいるのだと、認識を新たにされたそうです。

以後、まちづくりの視点は、抽象的な「人」ではなく、生き生きとした生身の「人」がいることを肝に命じているのだと。

そんなふうにご自身のキャリアを振り返りながら、今後のまちづくりを考えると、区役所はこれまでお世話するだけの立場だったが、これからは、区役所と商店街が一体となって汗をかくような、一緒に知恵を出し合うような関係にしていかなければならない、と、おっしゃってはりました。

まちは、ハードをつくって終わりではなく、そこから進歩し、発展し、生活がある、持続可能な都市を目指して頑張りましょう、と。




次は、大阪ターミナルビル株式会社常務取締役企画部長の江本達哉氏

1月に上棟式があったばかりの大阪駅北ビルや新装なる大阪駅についての講演でした。

大阪駅というのは、今、1日に約250万人の乗降客があって、これは、全国で3位の多さだそうです。その意味でもキタの中心に位置するスポットなのだけれども、そのわりには、エアポケットのようになっているとか真空地帯のようになっているというか、ようするに賑わいから取り残されたエリアだった、という認識があったようです。

そこで、駅の新装を機に目指しているのは、
1)北ヤード再開発や中央郵便局跡、阪急百貨店など各エリアの相乗効果を高める周辺回遊性の向上。
2)鉄道ネットワークの基点としての整備。
3)にぎわいづくり。
の、3点。

駅という点の開発ではなく、エリアとしての賑わいをつくり、鉄道を使って遠くからでも人が来る「来街者」を増やすのが目的で、難しい言葉では、「線区価値の向上」を目指しているのだそうです。

駅の具体的な構造や導線などについては、CGで見せてもらいました。ま、そこは細かいところまですでにメディアに発表されているので、ここでは割愛。

ざくっと書くと、ヤードや阪急を含む大阪駅から北側の半径500mの半円の基点に大阪駅が位置するわけですが、その立地から、南北の導線を整備し、そのぶっとい南北の導線を軸に東西の導線とポイントとなる広場を設けて、回遊性を高めていく、と。

で、なぜそのような試みにトライするのかというと、目指すところは、
駅ビル→駅ナカと発展してきた駅の役割をさらに発展させて、「駅まち」を目指すんだ、と。
この「駅まち」は、駅ビル+駅ナカ(改良駅)+街路、広場を一体で整備するものだと、おっしゃってはりました。
このエリアの新名称は、「OSAKA STATION CITY」とつい先日発表されたばかりですが、この名称には、そういう意味が含まれているわけですね。

最後に、小ネタ情報。
現在の大阪駅は駅の両サイドに延びる線路に比べて駅の幅が大きく膨らんでいるために、入線時に大きく減速したり大きくカーブを切ったりしなければならないのですが、新駅では駅全体の幅が少し狭まるために、入線時の減速やカーブの度合いが緩やかになって、より心地よくなるそうです。




続いて、講演の最後は、株式会社大丸大阪・梅田店長兼梅田新店計画室長の村田荘一氏

大阪駅が新装なる来年春には、このエリアに、阪急・阪神、三越・伊勢丹、大丸の3社、計4つの百貨店ができることになり、駅の集客は新宿よりも劣るのに百貨店の総面積は新宿を上回るという、オーバーストア状態に突入するわけです。

なので、どの百貨店も危機感を持って今後の戦略を立案しているわけですが、大丸は、どのような戦略でやっていくのか、というお話です。

まず、百貨店を取り巻く脅威の認識から。
1)格差社会の到来により、メインの顧客だった中流階級意識を持った層の分解。
2)カジュアル化の進展。ハレの日を重視しない傾向。
3)有職主婦層の増加で平日昼間の集客が減少。
4)消費のソフト化(モノからサービスへ)
などなど。

一方で期待は、
梅田エリア自体が関西の玄関口としての存在感を増す。

そのうえで他の百貨店との差別化ですが、
現状の大丸梅田店の認識では、
阪急・阪神百貨店には、同質化、包み込みの戦略があり、なんでも揃うアドバンテージがある、と。
三越・伊勢丹には、ファッションをリードする戦略と力があります。

一方で、大丸梅田店の特徴は、
1)立地がいい
2)ローコストのノウハウがある
3)コンテンポラリーのイメージが(まだ)ある
4)中価格帯の充実
5)ミュージアムを持ち、文化施設がある

以上の5点。

逆に大丸梅田店の弱点は、
1)1フロアが狭く、多層化構成になっているため、不便
2)低層階が狭い(これは、増床後も解消されない)
3)超高級ラインを持っていない
4)食品が弱い

以上を踏まえたうえで、

大阪駅の改装と大丸梅田店の増床後の展望として、
1)営業面積が1.4倍になる
2)駅まち化により、来街者が増える
3)マルチエントランス化(B2F、B1F、1F、2F、3F、6Fに出入り口ができる)
4)ローコスト運営のノウハウを発揮して、調達チャネルの拡大を図る
を挙げてはりました。

その展望のなかで脅威に感じている点としては、
1)オーバーストア状態
2)百貨店としての存在意義の希薄化
3)コンテンポラリーイメージの希薄化
4)買上率の低下(来場者数は横ばいなのに、買上率は下がっている)

以上を鑑みて、大丸梅田店が考える方向性は、
梅田来街者を取り込み、買上客数を増加させることを目指す、と。

やはり梅田という立地を考え、職を持った主婦層にターゲットを定め、
高感度商品とデイリー商品の両立を目指すことで、利便性とコンテンポラリーイメージを追求していくとのことです。

高層階では集客をはかり、中層階では百貨店らしさを出し、低層階では買上率をアップさせる、そういう構造で全体を構成するらしいです。

最後に、大丸梅田店はミュージアムを持っていますが、これは、増床後も引き続き運営していくのだそうです。そうした施設を持っている魅力はじゅうぶんに認識していて、メディアとしての店舗の魅力化は、一層進めていく、と。ただし、これまでのファインアート中心の展示だけではなく、アメニティ性を高めていく展示に変化していくそうです。


以上、ダイジェストでした〜。
ああ、書くの疲れた(笑)






北区まちづくり講演会
主催:大阪市北区商店会総連合会
2月16日(火)4:00〜

帝国ホテル大阪
大阪市北区天満橋1-8-50

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天満界隈に音楽が溢れた日
沖縄とアイルランドは南国と北国であまりにも違うのだけれども、似ているところもたくさんあって、この両国の共通項を見つけるのは、僕の秘かな楽しみでもあります。

まずもって、どちらも僕が大好きという共通項(笑)
ま、それはともかくとして、
・どちらも辺境に位置して、中央集権から迫害された歴史を持つ点。
・にもかかわらず、辺境の地から強い発進力を持っていて、分厚い存在感を示している点。
・国外(海外)に出る人が多い。世界のさまざまな地域に移民を出している点。
・独自の文化を持つのは当然のことながら、どちらにも、妖精や妖怪など、人間に害を加えない愛らしい生きものを、民族文化のなかに共有している点。
・両国とも、酒が大好きで、かつ、酒に溺れている人も多い点。
・両国とも独自の酒、それもスピリッツを持っている点。

そしてそして、
両国とも、音楽の女神に愛された土地であるということを抜きにすることはできませんな。
バラッドとダンスミュージックの双方を、どちらの民族も固有の音楽として持っており、しかも、音階がひどく似通っているのは、きちんと学術的に研究するだけの価値があると、僕は思っています。

音楽の女神に愛された土地とはどういうことかといいますとですな、
世界に影響を与えるような音楽を輩出しまくっているということはもちろんなのだけれども、そういう偏差値の高そうなことだけではなく、町のいたるところから、生演奏の音楽が聞こえてくる、ということです。

目抜き通りで、路地裏で、パブの奥で、パブの入口で、結婚式で、誰かを弔う場で、酒のある場所で、さまざまな場所で、楽器を奏で、歌声を空に放つ人たちが、星のように、そこかしこで光を放っています。

生活のなかに音楽があるといってしまうとそれまでなのだけれども、要するに、パンや生活の塩とともに、音楽があり、音楽とともに、生活や思い出がある、ということですな。

そういう風景が、僕は大好きです。

頭のなかにいつでも圧縮されていない生の音像を再生できる人たちにとって、WalkmanやiPodはまったく必要ないのだけれども、そうなるためには、生活のなかの折々の場面に、音楽が奏でられていることが必要不可欠になります。

できれば、そういう生活でありたい、と、僕は個人的に思うのですね。

さて、天満音楽祭。
10/11、天満界隈というか、北区のあっちこっちを会場にして、一斉にコンサートを行うというイベントで、もう10回目になります。
今年は、総勢192バンド、1299名のミュージシャンが、帝国ホテルのエントランスで、商店街のなかで、ライブハウスで、教会で、お寺さんの講堂で、野外で、演奏を行なったのでした。
プロからアマまで、上手い人もいれば下手っぴいな人もいて、でもそういうことじゃなくて、思い思いの音楽を奏で、聴き、楽しむというのがいいですな。

天満音楽祭


会場のなかには、普段は拝観できないお寺さんの講堂なんかもあって、そういうところに入れるだけでも楽しかったです。

願わくば、1日だけじゃなく、こういうことがきっかけとなって、生活なさまざまな場で音楽が奏でられ、音楽が奏でられたり効いたり楽しんだりすることが特別なことではなくなればいいのになあ、と、あっちこっちの会場をチャリで巡りながら、日長一日楽しんだのでした。

オールジャンルの音楽があっちこっちから聞こえてくるというのが、とてもいい!

天満音楽祭

天満音楽祭


ここは普段は拝観できない専念寺の講堂。
天満音楽祭


扇町高校の講堂。
天満音楽祭


ほとんどストリートライブと変わらない、天神橋筋商店街3丁目のリソナ銀行前。
天満音楽祭


泉布館前でもステージ。
天満音楽祭


SDA大阪センター教会の礼拝堂。中央にはパイプオルガンがあります。
天満音楽祭


ここも普段は拝観できない宝珠院の講堂。
天満音楽祭










第10回天満音楽祭
メイン会場 / OAPタワー
大阪市北区天満橋1-8-30
http://www.ten-on.jp/

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