大阪市の北区をグルグル巡るブログ | 大阪市の北区メインでいろいろ仕事をしてます。仕事場も住んでるところも大阪市北区なので、北区をグルグル巡って、目にしたもん耳にしたもん感じたもんを、つらつらと書いています。

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オシャレな中之島ガーデンブリッジのジャズフェスが盛況ななかで、僕はひとり音楽とかロックとかについて考える
昨日、相方さんと、ロックってなんや?みたいな話を今さらながらにしていて、まあ、ある人は、大音量でならしたら近所から文句言われる音楽がロックや!みたいなことを言ったらしいのだけれども、それはもう、ずいぶんとむかしの話であって、今は、そこまで牧歌的な状況ではない、と、僕は思う。

たとえばフィッシュマンズ、たとえばアントニー&ザ・ジョンソンズの音楽は、大音量で鳴らしても小さな音量で流していても、気づかない人には、ああキレイな音だね、だけで終わってしまうだろう。でも、じゃあ彼らの奏でている音はロックではないのか、と、問われれば、そんなことはない。フィッシュマンズやアントニー&ザ・ジョンソンズを知る人たちは、あたりまえのように、彼らの音楽をロックとして聴いている。

そもそも、世界を二元論で語れない時代にあって、ロック、あるいは非ロックという区分け自体がナンセンスなのだけれども、あえてこの話を続けると…、

不協和音でもハーモニーでもいいけれども、いろいろと選択肢はあったはずなのに、そのようにしかできないのだろうな、というようなことが、グサリと突き刺さってくるのなら、そういう表現とは向き合っていこう、と、僕は思っている。
や、向き合っていこう、ではなくて、向き合わざるを得ない、と言ったほうが正確かもしれない。
そのやりかたが一般的なのかそうでないのか、受け入れられやすいのかそうではないのか、といったこととはまったく関係ないところで、ある方法でしかやりようがない、というような生きかたをしている人間にとって、おなじような方法で奏でられている音楽と出会うことは、やっぱり、生きのびる力になる。

ロックとはなにか、と問われたら、そういう音楽、そういう関係を指すとしか言いようがないのだけれども、べつにそれがロックであろうがなかろうが、そこは僕にはどうでもよくて、要は、そういうものだけが僕の心に響いてくる、ということだ。

ふーむ、こうやって書いてみると、ロックの定義なんぞは、するもんではないな。
心に突き刺さってくる音楽はまちがいなく決まっていて、突き刺さってこない音楽、すり抜けて音楽もまちがいなく決まっていて、それはいちいち説明するまでもなくて、また、説明しようとすればするほど、本質から遠ざかっていってしまうような気もする。

さて、中之島ガーデンブリッジのジャズフェス
行ってきました。

これは、中之島ガーデンブリッジのあたりというのは、普段から少し淋しいので、防犯の観点からもよろしくなく、人が集まるようなことをやって明るくしようよ、みたいなことが発端となって、昨年からはじまりました。

中之島ガーデンブリッジ・ジャズフェス

中之島ガーデンブリッジ・ジャズフェス

中之島ガーデンブリッジ・ジャズフェス


橋のたもとや京阪大江橋駅構内でジャズ演奏があり、近隣ホテルに協力してもらってケータリングのサービスがあり、橋そのものをイルミネーションでライトアップしたり…、そういうイベント。
集客のためのイベントは個人的には興味がないのだけれども、知っている人たちもたくさんかかわっているので、行ってきました。
なによりも、こういうイベントを通じて、普段はバラバラに活動している地域の人たちが一緒になって力をあわせるのは、有効な方法だと思います。
扇町総合高校の吹奏楽部の生徒さんたちが演奏するのも、ちょっと楽しみだったしね。

中之島ガーデンブリッジ・ジャズフェス


去年はたしか大寒波襲来にぶつかってしまって、ブルブル震えながらだったけれども、今年は穏やかな天気で、人もたくさん集まってましたな。去年よりも全然賑やかで、よかったんじゃないですかね。
ANAクラウンのケータリングのカレーパンも美味かった。

中之島ガーデンブリッジ・ジャズフェス


場所柄ということもあってか、オシャレなイベントでした。
僕は遭遇しなかったけれども、平松市長が来て、ハッピーバースディを歌われたんだとか。
まちおこしのツールにジャズフェスを使うのは、今一番旬なやりかただけど、旬なことを旬のうちにやるのは、僕はいいことだと思います。

中之島ガーデンブリッジ・ジャズフェス


仕事の帰りに、熱いコーヒーでも飲みながらちょっとジャズでも聴いていこうか、っていうのは、中之島や堂島で働いている人たちや、新地を行き交っている人たちにとっては、ちょっと浮き浮きすることなんだろうな。
生活に彩りを添えるような音楽があるというのは、いいことなんだろうな。
んで、そういう人たちにとって、このようなイベントで奏でられるジャズという音楽は、ちょっとオシャレでカッコいい音楽なんだろうな、きっと。

でも、この音楽は、僕が聴く音楽じゃない。
そういうふうに音楽と接するのも、僕のやりかたじゃない。
そのようにしかやりようがない、そのようなものしか聴けない、という種類の音楽ではなくて、これじゃなくてもいいんだけどね、でも、ちょっとカッコいいでしょ、生活に潤いがあっていいでしょ、って音楽からは、1万光年も2万光年も離れたところで生きている僕にとって、このイベントは、居場所がなかったな。


「中之島ガーデンブリッジ・ジャズフェス」
中之島ガーデンブリッジ
大阪市北区堂島浜1

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悲恋の末の惨殺事件、大坂曾根崎五人斬り事件の主役が眠る浄佑寺
浄佑寺 五大力の墓


江戸時代、手紙の封じ目に「五大力」と書くことが流行りました。五大力菩薩とは『仁王般若波羅蜜経』受持品に見える五菩薩のことで、これらの請菩薩の力で結んだものは容易にその封が解けないという言葉ですな。
まじないの一種みたいなもんですが、文字には霊的な力があると信じられていた時代、こういうことは多々行われています。
おもに女性が恋文などの封じ目に記し、五大力菩薩の加護によって封が解けずに確かに相手に届くように願うまじないとして、全国的に流行したらしいです。

上方歌舞伎に、「五大力恋緘(ごだいりきこいのふうじめ)」という有名な演目があります。

この演目、江戸時代に曽根崎新地で実際にあった殺人事件が元になってます。大坂曾根崎五人斬り事件という名で、世間を震撼を震撼させた事件らしいです。
事件の詳しいことは知らないけれども、演目の筋書きは、こんなかんじです。


薩摩藩大坂蔵屋敷に勤める源五兵衛は、薩摩藩の家宝である竜虎の呼子を探しています。
探しながら、茶屋に入り浸ってます。
その茶屋には、小万というホステスさんがいるんですが、彼女は、三五兵衛に口説かれてます。でもイヤでね。
で、口説きから逃れるために、源五兵衛と深い仲やと嘘をつくんですわ。
源五兵衛も一応は承知して、表向きは恋人を演じることを承諾し、三五兵衛に親密ぶりを見せつけるんです。
そうなると三五兵衛はおもろないですから、源五兵衛を政治的に貶める謀略をはかり、それがうまいこといって、源五兵衛は謹慎、さらに満座のなかで打擲されるという屈辱まで受けることになります。
でもその姿に小万があらためて惚れてしまい、指を切って誠を誓い、その小万の心意気に触れて、源五兵衛も惚れ、嘘から出た真で、ふたりは結ばれるわけです。

で、謹慎中も家宝の竜虎の呼び子を探している源五兵衛なんですが、ある日、三五兵衛こそが竜虎の呼子を盗んだ下手人と目をつけます。が、証拠がない。ないので、小万の手管で三五兵衛から証拠を聞出してほしいと頼むわけです。
小万は、三味線の裏へ「五大力」と書きます。「芸者の魂は三味線の封じ目、堅い心の誓いの五大力」と小万は秘密を口外しないことを誓うわけです。

小万のもとに、薩摩の国元から源五兵衛の兄と役人が訪ねてきます。先日の源五兵衛の不首尾に主君が激怒しており、国元に帰って許嫁と祝言すれば収まる、と言うわけです。
そこへ三五兵衛が現れます。小万はふたりの面前で泣く泣く切文を書きます。離縁ですね。

ところが、です。
源五兵衛の兄と役人を名乗るふたりは、じつは、三五兵衛が用意した替え玉。つまり、小万に話した、主君が激怒している、国元に帰って許嫁と祝言をあげねばならない…、というのは、ふたりをわかれさせるための、三五兵衛が仕組んだワナだったわけです。

一方で、小万は色仕掛けで三五兵衛から呼子の在処を聞き出そうとします。
三五兵衛は三味線の「五大力」を、小万の手を持ち添えて「三」「五大切」と書き加えたりします。「三五大切」となるわけだから、三五兵衛を大切に思ってます、となってしまうわけです。
そこへ、小万が書いた切文を見せられた源五兵衛がやってきてですな、三五兵衛から、小万と枕を交わしたと聞かされます。さらに、「三五大 切」の文字まで見せられ、愕然として、「人ではないわえ!」と言い捨てて去りますねん。
で、惨劇が起こります。
源五兵衛は小万を無言で刺殺。三五兵衛を求めて邪魔する者を次々と切り倒すんですが、こんときは、三五兵衛は難を逃れます。わりに悪運が強いんですね。
もちろんそれでは話は終わらんので、源五兵衛は三五兵衛を追いつめて最後は仕留め、竜虎の呼び子も取り戻すんですが、小万は帰ってきません。
小万の首を前垂れに包んだ源
五兵衛は、雨降るなか、傘をさして謡を謡いつつ悠然と去る…。


とまあ、こんなかんじの演目。
実際の事件をすぐに板にあげるのは歌舞伎の得意技だけれども、これは薩摩藩士が主役だったために、初めて舞台にのぼるまでに40年かかったらしいです。薩摩は、そもそもが徳川の敵ですからな。中央で、主役級で登場させるのには、いろいろと政治的な配慮が必要だったわけです。

で、その源五兵衛の、というか実際の殺人事件の犯人のですが、彼のお墓が堂山にあると聞いて、近くまで行ったついでに立ち寄ってきました。
西梅田の高層ビルが建ち並ぶなか、エアポケットみたいにして、お寺さんがありましたわ。
よくわからん石像なんかもあったりして、まあまあ楽しいお寺さんなんですが、あんまりキチンとはお世話されていないようで、雑草が生い茂ってたな。

浄佑寺 五大力の墓

浄佑寺 五大力の墓

浄佑寺 五大力の墓


ちゃんとしとかんと、化けて出まっせ!
なんせ、悲恋の主人公さんですからな。



それにしても、曾根崎周辺は、悲恋話が星屑ほどもありますな。。。





浄佑寺 五大力の墓
大阪市北区堂島3-3-5
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オートバックス創業者の銅像、発見…。
梅田から福島に向かう途中の出入橋んところにあるオートバックスの店の横に、な、な、なんと、創業者の銅像がありますな! 発見したときは、ちょっと目を疑いました(笑)

オートバックス社長銅像

オートバックス社長銅像


せっかくの自社ビルなんだし、往来に面したところに建てるんじゃなくて、ビルのなかに建てるくらいの奥ゆかしさはなかったのか?(笑)
しかも、銅像の横は資材置き場みたいだぞ(笑)


オートバックス社長銅像

いろいろ書いてあって、読んでみると、
オートバックスは車用品の専門ショップとしては日本で最初の業態で、この地で創業して、創業者は銅像の主であるに住野敏郎さん。

こんなもん、そーですか、としか言いようがないです(笑)

そりゃ、ここが発祥の地だということは知ってるけどさ…。
どーせなら、シャコタンの車に乗ってる創業者とか、そーゆーのにしてくれたら観光名所にもなったろうに。。。
ダブルのスーツってところが、バブル時代を彷彿とさせるんですけど…(笑)
一本指立てて、なにを表現してるんでしょうか???

M-1に賞金1,000万円出してるってところは、尊敬に値するのにね。


オートバックス社長銅像






オートバックス 出入り橋店にある創業者の銅像

大阪市北区堂島3-4-2
tel. 06-6451-5751
10:00-20:00(日・祝 / 10:00-19:00)
HP http://www.autobacs.com/
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で、五代友厚の最大の功績って、なに?
五代友厚精藍西朝陽館跡 明治天皇聖躅碑

五代友厚精藍西朝陽館跡 明治天皇聖躅碑


堂島のNTTテレパークのビルのふもとに、「五代友厚精藍所西朝陽館跡」って碑と「明治天皇聖躅」って碑が仲良く並んでます。

五代友厚って人は、知ってるようでよく知らないんですが、知ってる功績としては、造幣局を大阪に誘致したり、薩摩出身なので薩長閥の明治政府と結びついた政商として活躍したり、大阪証券取引所を設立してそこに銅像が建ってたりと、そんなもんです。一応、「大阪の恩人」「東の渋沢栄一、西の五代友厚」なんて呼ばれてるんですが、そのあたりのいきさつは、知りません。。。

調べてみたら、明治政府の官職にも就いていて主に外交問題を処理していたり、大阪商工会議所を設立して初代会頭に就いたり、大阪市大、天王寺商高、共同運輸、大阪商船、南海電車の設立にかかわったりしていて、それ以外にも、金銀分析所、堂島米商会所、大阪鉄鋼、大阪製銅にもかかわってるみたいです。
彼がかかわった事業を列記してみると、貿易・商品取引所・鉱山・紡績・学校・運輸など産業全般にわたっており、こうなると、何屋さんなのかさっぱりわからんのですが、要するに、実業家だったってことですね。どれもこれもインフラにかかわることだから、まさに大阪における近代産業の骨幹の建設にかかわった人、ということになります。
商工業の組織化が得意だったんでしょうな。ある意味、今、NHKでやってる大河ドラマの語り部(主人公?)の岩崎弥太郎に似てるのかな? 三菱も政商だし、いろんなジャンルに手を出してるしね。

さて、そんな五代友厚がかかわった事業のひとつに「五代友厚精藍西朝陽館(godai-tomoatsu-seiai-nishichoyokan)」というのがあって、その跡碑が、堂島のNTTテレパークの敷地内にあります。
製藍ってくらいだから藍、つまりインディゴをつくってたんでしょうが、大阪にそんなもんがあったとは、まーったく知りませんでした。あれは今もむかしも岡山あたりが主だと思ってたもんで。

西朝陽館と名付けられたこの製藍所は、300人以上の従業員が働き、蒸気機関を導入した、当時としては最先端の大規模な工場だったそうです。インドからの輸入に頼っていた藍の国産化を図ったもので、明治10年から数年間、全盛を誇ったんだとか。殖産興業のシンボル的な存在だったのかもしれないですな。


で、この「五代友厚精藍西朝陽館跡碑」の横には、「明治天皇聖躅碑(meiji-tenno-seichoku-hi)」が建てられてます。
「明治天皇聖躅碑」は市の大正天皇御成婚25年奉祝事業として建立されたもので、1928年(昭和3年)から3年間かけて大阪市内の30ヶ所に建てられてます。
テレパーク敷地内の碑は、明治天皇が西朝陽館を天覧した記念の碑として、建てられたんでしょうな。聖躅ってのは、「来られた」ってほどの意味ですから。
ここ以外にも、リーガロイヤルホテル大阪や大阪城なんかにも建てられてます。

こーゆーのが建てられるくらいだから、五代友厚も彼が設立にかかわった西朝暘館もすごかったんでしょうが、どーもね、五代友厚という人はいろいろなことを幅広くやってくれたせいで、なんの人なのか、うまく実像がつかめません。彼の代表作というか、最大の功績って、いったいなに?






五代友厚精藍西朝陽館跡&明治天皇聖躅碑
大阪市北区堂島3-1-2 NTTテレパーク堂島第2ビル敷地内
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堂島の地に国産ビール発祥の地(ただし、なにが発祥かはややこしい!)
国産ビール発祥の地

国産ビール発祥の地


新地でチャリを走らせていたとき、ふと目に止まったのが、「国産ビール発祥の地」の碑。
ん? たしか、僕の記憶に間違いがなければ、国産ビールの発祥は横浜だったはず。むかし、横浜に行った折り、そういう碑を見かけた記憶があります。

なんでかなー、と頭にクエスチョンマークを浮かべながら曽根崎の碑文を見てみると、
「我が国におけるビールの醸造は幕末に横浜で外国人が行なっていたが、日本人の手によるものとしては、渋谷庄三郎がこの地で醸造したのが最初といわれている。
当初は大阪通商会社で、1871年(明治4年)に計画された。これは、外国から醸造技師を招いた本格的なものだったが、実現には至らなかった。この計画を通商会社の役員のひとりであり、綿問屋や清酒の醸造を営んでいた天満の渋谷庄三郎が引き継ぎ、1872年(明治5年)3月から、このあたりに醸造所を設け、ビールの製造・販売を開始した。銘柄は「渋谷ビール」といい、犬のマークのついたラベルであった。年間約32〜45キロリットルを製造し、中之島近辺や川口の居留地の外国人らに販売した。」
と、大阪市教育委員会が書いたテキストがありました。

なるほど。日本人の手によって醸造された最初のビールが、ここでつくられ、販売されていたということですね。

ちなみに、この渋谷ビールは、今でも、堂島麦酒醸造所が「北新地ビール」として提供してるらしいです。僕はビールを飲まないのでよく知らないのですが、これは名の知れた地ビールなんでしょうか?



ところで、ビール発祥を名乗る地は、ここ以外にも、冒頭で書いた横浜、さらには東京の品川も名乗っているらしいです。

「日本で最初のビール醸造所」は、1869年(明治2年)に、現在の横浜市中区にある外国人居留地で外国人が建てた「ジャパン・ヨコハマ・ブルワリー」であることが定説になっているみたいです。

そこから500mほど東には、「日本におけるビール醸造の開源」の碑があり、こちらは「ジャパン・ヨコハマ・ブルワリー」に遅れること1年後の1870年(明治3年)にアメリカ人が「スプリング・バレー・ブルワリー」を設立した場所で、現在のキリンビールのルーツですわ。

ほいで、品川ですが、こちらは、「ジャパン・ヨコハマ・ブルワリー」とおなじ1869年(明治2年)に、当時の品川県が、県民の雇用を確保する名目でビール製造所を開設したことから、ビール発祥の地に名乗りをあげているとのこと。

ただ、横浜には詳しい資料が証拠とともに残っているのに対して、品川説は、まだまだ資料不足で完全な証明にいたってない、と。

もっともですな、いろいろと調べていくと、さまざまな事実が浮かび上がってきましてですね、、、、

醸造所といった規模ではないものなら、江戸時代の1812年(文化9年)に、長崎の出島でオランダ商館長のヘンドリック・ドゥーフが自家醸造したという記録があり、これが、「日本で初めて醸造されたビール」ということになるようです。

また、1853年(嘉永6年)には、江戸で、蘭学者の川本幸民がオランダの本を参考にしてビールの醸造に挑んでいます。化学実験的な要素が強かったみたいですが、「日本人による初めて醸造されたビール」ということなら、これが初です。

ということで、整理すると、

1812年(文化9年) 日本で初めてのビールが長崎でオランダ人によって醸造される。
1853年(嘉永6年) 江戸で川本幸民が、日本人として初めてビールの醸造を成功させる。
1869年(明治2年) 横浜で、外国人による日本最初のビール醸造所が設立される。(同年、品川でもビール醸造所が設立されたとの説がある)
1872年(明治5年) 大阪堂島で、渋谷庄三郎によって、「渋谷ビール」という、日本人によって初めて産業的にビールが醸造・販売される。


ということになります。
ああ、ややこしいっ!







国産ビール発祥の地
大阪市北区堂島1-4-30

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核シェルターチックで超モダンなお寺さん、堂島薬師堂
堂島方面は近頃滅多に行かないのですが、久しぶりに用事ができて、アバンサ堂島に行きました。

行けば、本屋好きのオレはジュンク堂にも行くわけですが、ここは広すぎて、なにがどこにあるのかわからん(笑)
僕が根城にしている紀伊国屋書店の梅田本店もたいがい広いですが、根城にしているだけあって、どこになにがあるのかほぼすべて把握してあるので、苦になりません。慣れない本屋さん、かつ広い本屋さんというのは、やっぱ行くもんではないですな。

それはさておき、アバンサ堂島を出て、ビルの裏にチャリを走らせていると、おもしろいものを見つけました。

なんか、むかしのサッカーボールみたいに多角形の矩形を貼り付けたドーム状の建物で、しかも全面鏡張り。

堂島薬師堂




近づいてみると、なんと! お寺さんなのでした。

堂島薬師堂



べつにひっそりと建っているわけではないので、この界隈を活動エリアにしている人たちにとっては見慣れたものなのかもしれないけれども、滅多に来ない僕にとっては、かーなりビックリ!なお寺さん☆

慌てて碑を見にいくと、堂島薬師堂ですか〜。

堂島薬師堂




核シェルターかと思いましたわ(笑)


そーいえば、まだ堂島が開拓される前から薬師堂があったという話は、聞いたことがあります。
そもそも、堂島の名も、ここにお堂があったから、というのが由来になっているという説もあります。
そのお堂がですね、開発やら再開発やらを経て、今、未来チックな意匠を纏って、この地に安住されているのですね。

調べてみたら、1400年前から、この薬師さんはいらっしゃるらしいですな。ということは、聖徳太子とか推古天皇とか、そういう時代じゃないですか。
その時代から管轄が変わっていないとすれば、法相宗か華厳宗ということになるのですが、そこに当たりをつけて調べてみたら、やっぱりそうで、法相宗の総本山である奈良の薬師寺さんを本山とするお寺さんなのでした。

法相宗というのはなかなかおもしろい考えかたをする教えでして、世界は普遍的にひとつだけあるのではなく、10人いれば10の世界があって、つまりは、人が認識している世界はすべて人がつくり出したものである、とする考えです。
人はみんな共通の世界に住んでいると思っているのだけれども、じつはそんなことは全然なくて、モノの見方、感じかたが千差万別であるように、人の数だけ世界があるのだ、と。
難しい言葉で「人人唯識」というのですが、これは、20世紀になって西洋哲学の世界でハイデッガーが示した「存在と時間」や「認識論」とピッタリ重なってくる考えかたですな。
三蔵法師がインドから持って帰ってきて、それが日本に伝わったモノの考えかたですわ。

ま、教義はともかくとして、ここに今、薬師さんがいらっしゃるわけです。
薬師さんは、手に薬壷を持っていることでもわかる通り、病気を治してくれる如来さんなのですが、病気が転じて、現世利益を期待する向きに人気のある如来さんです。死んでから天国に行けるとかはともかくとして、今、なんとかしてくれ!と願ってる人に人気のスターです。

堂島といえば長らく米相場の立ったところですから、ゼニ、ゼニ、ゼニ、の、それこそ唯物論の権化のような場所、今でいえばウォール街みたいなもんですから、薬師さんが人気者で、大切にされてきたことも、さもありなんです。


かつて、この地に毎日新聞社があったころ、戦後、毎日新聞社が増築した際に、敷地内に祀られていた薬師堂を敷地東向かいの社有地に移し、その後、堂島アバンサを建設するにあたり、奈良の薬師寺と地元の堂島薬師堂奉賛会からの要請もあって、元の場所に戻ったのだそうです。

そのとき、ミラーガラスを使ったドーム型のモダンなデザインのお堂に生まれ変わりました。ミラーガラス127枚を組み合わせた直径7メートルのドームです。

ここの薬師さんは、正式には薬師瑠璃光如来といいまして、瑠璃光を纏っているそうで、ならば、ということで、瑠璃光の意味するところの神々しい光というか、そういうものをイメージして、ミラーガラスのお堂になったんでしょう。
奈良にある新薬師寺のお堂にも、今ではステンドガラスが嵌め込まれてるし、そう突飛な発想だとも、僕は思いません。

日本における仏教は、一般的にイメージする宗教というよりも、民主主義や社会主義といった、世のなかのシステムを構築するためのものの考えかた、文明などが総体として伝わってきているので、お寺さんの伽藍等も、最新の建築技法や土木が導入されてきました。そうした技法も含めて仏教だったので、日本の仏教のお寺さんは、いつだってモダンだったはずだし、その伝でいくと、この核シェルターのような超モダンなお堂は、しっかりとその伝統を継承しているのだと、僕は思います。


そうそう、お堂の周辺は池になっていて、ちゃんと蓮もありました。さすが☆

堂島薬師堂








堂島薬師堂
大阪市北区堂島1-6-20

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日本一と言われる親子丼を、新地に食べにいく
親子丼の美味い店が新地にあると聞いて、丼ものといえば親子丼!な僕としては、行かぬわけにはいきません。

新地は長いこと行ってないエリアで、久々でした。
相変わらず、昼間は仕入れの車が連なってますな。

地図を片手に行ってみると、なんと、めはり寿司が1階に入ってるビルじゃないですか。むかし、ここのめはり寿司を買って、ホステスさんのご機嫌うかがいを、よくしていたのでした(笑) そのビル、というか、めはり寿司のお店の奥だったとは! でんでん、知らなかったです。

ビルの入口のところに、看板と幟が出てました。
看板には、親子丼 800円 はづき。
幟には、 日本一 親子丼 はづき。
親子丼しかやってないお店なのか?

はづき

はづき

中に入ってみると、10席でいっぱいになりそうなL字形のカウンターだけの、小さなお店です。カウンターのなかには、かんじのよさそうな妙齢の女性が2人で切り盛りされてました

お昼は、ほんまに親子丼だけしかやってないみたいです。
夜は、ちょっとした小料理屋さんに変身するみたい。というよりか、夜の営業が先にあって、要望があって、お昼も開けました、ってかんじです。

一応、親子丼下さい!と注文してみたものの、他のお客さんは座るだけで、特に注文を言ったり聞かれたりするわけでもないので、ミナミの天丼の店みたいに、それ一品で勝負しているお店ですね。

お店の当たり外れは、暖簾をくぐった瞬間に80%くらいの確率で当てる自信がありますが、ここは、「あたり」です☆

掃除が行き届いていて、接客の距離感がよくて、お店に漂っている雰囲気がね、あたり!の空気を醸し出してますわ。狭いので、夜は、一見で行くとしんどいかもですね。常連さんたちが幅を利かせていそうです。

ほどなくして、お茶とお漬けものが出てきたのですが、お茶がね、ちゃんと、その場でお茶っぱを出して、いれてくれます。だから、少し時間がかかるのですが、緑茶の香りが立ってるし、良質かつ丁寧なお茶ですわ。それだけで、期待が持ててしまいますな。

待つことしばし、鶏のスープが出てきて、親子丼の登場です。

はづき


筋を丁寧にとったササミとモモ肉に、ほのかに甘く薄めのダシ。そして、絡めた卵のうえに、さらに生の卵の黄身がもうひとつ。
むかしながらの、親子丼ですね。

そうそう、むかし、生の黄身が1個トッピングされた親子丼って、ときどきありました。近頃、とんと見かけなくなったけれども、まだ生きてたんですね。ちょっと懐かしい気分になりました。

黄身は早々に崩してはならず、食べてるうちになにかの拍子で勝手につぶれてくれるので、自然の流れに任せます。そのあいだに、生の黄身にほんのり熱が加わるので、トロリとなって、格段に美味くなります。
ふわふわでとーっても美味しいです。

はづき

はづき


親子丼というのは、それだけでやさしい味だし、とても静的な料理だと思うのですが、いい材料を使って、丁寧な仕事をすると、そのよさが増幅されますな。



ただ、日本一かと問われると、それはどーかな、と。
美味いものを食べて、稀に、感動することがあります。脳天を貫かれるような衝撃だったり、えも言われぬ快感に襲われたり、涙が出るような心の揺さぶりを感じたりするときが、稀にあります。


美味いことは美味いですよ。どうしようもなく食べたくなるときが、きっとあると思います。ほっこりさせられるし、愛情を感じることもできます。
でも、感動することがなかった。
なので、日本一かと問われると、NO、と、言います。
たぶんね、三つ葉が乗っかってなかったのが、ね。





はづき
大阪市北区堂島1-3-9 日宝堂島センター1F
tel. 06-6348-0313
11:30-13:30 18:00-23:00
土日祝休

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