江戸時代、手紙の封じ目に
「五大力」と書くことが流行りました。五大力菩薩とは『仁王般若波羅蜜経』受持品に見える五菩薩のことで、これらの請菩薩の力で結んだものは容易にその封が解けないという言葉ですな。
まじないの一種みたいなもんですが、文字には霊的な力があると信じられていた時代、こういうことは多々行われています。
おもに女性が恋文などの封じ目に記し、五大力菩薩の加護によって封が解けずに確かに相手に届くように願うまじないとして、全国的に流行したらしいです。
上方歌舞伎に、
「五大力恋緘(ごだいりきこいのふうじめ)」という有名な演目があります。
この演目、江戸時代に曽根崎新地で実際にあった殺人事件が元になってます。大坂曾根崎五人斬り事件という名で、世間を震撼を震撼させた事件らしいです。
事件の詳しいことは知らないけれども、演目の筋書きは、こんなかんじです。
薩摩藩大坂蔵屋敷に勤める源五兵衛は、薩摩藩の家宝である竜虎の呼子を探しています。
探しながら、茶屋に入り浸ってます。
その茶屋には、小万というホステスさんがいるんですが、彼女は、三五兵衛に口説かれてます。でもイヤでね。
で、口説きから逃れるために、源五兵衛と深い仲やと嘘をつくんですわ。
源五兵衛も一応は承知して、表向きは恋人を演じることを承諾し、三五兵衛に親密ぶりを見せつけるんです。
そうなると三五兵衛はおもろないですから、源五兵衛を政治的に貶める謀略をはかり、それがうまいこといって、源五兵衛は謹慎、さらに満座のなかで打擲されるという屈辱まで受けることになります。
でもその姿に小万があらためて惚れてしまい、指を切って誠を誓い、その小万の心意気に触れて、源五兵衛も惚れ、嘘から出た真で、ふたりは結ばれるわけです。
で、謹慎中も家宝の竜虎の呼び子を探している源五兵衛なんですが、ある日、三五兵衛こそが竜虎の呼子を盗んだ下手人と目をつけます。が、証拠がない。ないので、小万の手管で三五兵衛から証拠を聞出してほしいと頼むわけです。
小万は、三味線の裏へ「五大力」と書きます。「芸者の魂は三味線の封じ目、堅い心の誓いの五大力」と小万は秘密を口外しないことを誓うわけです。
小万のもとに、薩摩の国元から源五兵衛の兄と役人が訪ねてきます。先日の源五兵衛の不首尾に主君が激怒しており、国元に帰って許嫁と祝言すれば収まる、と言うわけです。
そこへ三五兵衛が現れます。小万はふたりの面前で泣く泣く切文を書きます。離縁ですね。
ところが、です。
源五兵衛の兄と役人を名乗るふたりは、じつは、三五兵衛が用意した替え玉。つまり、小万に話した、主君が激怒している、国元に帰って許嫁と祝言をあげねばならない…、というのは、ふたりをわかれさせるための、三五兵衛が仕組んだワナだったわけです。
一方で、小万は色仕掛けで三五兵衛から呼子の在処を聞き出そうとします。
三五兵衛は三味線の「五大力」を、小万の手を持ち添えて「三」「五大切」と書き加えたりします。「三五大切」となるわけだから、三五兵衛を大切に思ってます、となってしまうわけです。
そこへ、小万が書いた切文を見せられた源五兵衛がやってきてですな、三五兵衛から、小万と枕を交わしたと聞かされます。さらに、「三五大 切」の文字まで見せられ、愕然として、「人ではないわえ!」と言い捨てて去りますねん。
で、惨劇が起こります。
源五兵衛は小万を無言で刺殺。三五兵衛を求めて邪魔する者を次々と切り倒すんですが、こんときは、三五兵衛は難を逃れます。わりに悪運が強いんですね。
もちろんそれでは話は終わらんので、源五兵衛は三五兵衛を追いつめて最後は仕留め、竜虎の呼び子も取り戻すんですが、小万は帰ってきません。
小万の首を前垂れに包んだ源
五兵衛は、雨降るなか、傘をさして謡を謡いつつ悠然と去る…。
とまあ、こんなかんじの演目。
実際の事件をすぐに板にあげるのは歌舞伎の得意技だけれども、これは薩摩藩士が主役だったために、初めて舞台にのぼるまでに40年かかったらしいです。薩摩は、そもそもが徳川の敵ですからな。中央で、主役級で登場させるのには、いろいろと政治的な配慮が必要だったわけです。
で、その源五兵衛の、というか実際の殺人事件の犯人のですが、彼のお墓が堂山にあると聞いて、近くまで行ったついでに立ち寄ってきました。
西梅田の高層ビルが建ち並ぶなか、エアポケットみたいにして、お寺さんがありましたわ。
よくわからん石像なんかもあったりして、まあまあ楽しいお寺さんなんですが、あんまりキチンとはお世話されていないようで、雑草が生い茂ってたな。
ちゃんとしとかんと、化けて出まっせ!
なんせ、悲恋の主人公さんですからな。
それにしても、曾根崎周辺は、悲恋話が星屑ほどもありますな。。。
浄佑寺 五大力の墓大阪市北区堂島3-3-5
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