月曜日、カノさん主催の
「サロン文化大学2周年記念『NHK鑑賞マニュアル「美の壷」的な世界(仮)」(←永久に「仮」がついたままなのだろうか。笑)にお呼ばれして、仏像について語ってきました。
サロン文化大学のHPは、こちら。
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http://salon-and-culture.blogspot.com/僕以外のスピーカーは、
「団地」の吉永さん「観覧車」の内池さんという、錚々たるメンバーで、そこに混じって、なんで僕が?というかんじだったのですが、なにはともあれ、喋ってきましたです〜。
吉永さんの団地ブログ
「高槻市の建築家 吉永健一全仕事」はこちら。
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http://yoshinagakenichi.blogspot.com/内池さんの観覧車ブログ
「Ferris Wheel Diary」は、こちら。
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http://ferrisw.exblog.jp/僕も神社仏閣歴、仏像歴は13年になるけれども、そこをテーマに人前でお話するのは初めてだったので、いやー、いっぱいいっぱいでした(笑)聞きにきていただいた方、早口&持ち時間大幅オーバーのお話で申し訳ない(笑)
吉永さんの団地愛は、もう、尋常じゃなかったです。
偶然にも僕の実家が登場して、しかも、高層のスター型という、その道の世界では垂涎の的らしい団地なのですが、そこで育った僕としては、なんじゃらほい?というかんじで(笑)
僕の実家は、大阪万博時、参加国の出展者スタッフたちが宿舎に使っていたところです。なので、天井が高かったり、床がフローリングだったりします。
そのあたりのことは、僕も長いこと住んでいたので、もちろん知ってました。でも、知らなかったことも教えていただきました。
当時、外国人向けの宿舎となっていたのは、僕の実家のエリアともうひとつあったのだけれども、資本主義陣営の国と共産圏の国とに分けられていたらしく、僕の実家のエリアは共産圏からの出展国のスタッフの宿舎となっていたんだそうです。そんなこと、まったく知らんかったです(笑)
内池さんの観覧車も、オモロかった!
観覧車は日本に異常に多くて、しかも、観覧車マニアというのは、世界に4人しかいなくて、そのうちの3人は内池さんを含む日本人なのだそうです。どんだけニッチなんだ(笑)
ハイスピードで回転する外国の観覧車や、ゴンドラが馬車になってるイギリスの観覧車、宇宙的なかっこよさの観覧車など、いろいろ紹介してくださったけれども、デパートの屋上や移動遊園地にあるような、小さなオモチャみたいな観覧車が意外とたくさんあって、個人的にはそのオモチャみたいな観覧車にぐっと来ましたです。あれ、いいわあ。
そうそう、当日に提供されていたカレーは、
ネリKitchenさんのカレー。身体によさそうな、マクロビオティックなカレーです。
ネリKitchenさんのブログ
「ネリKitchen」は、こちら。
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http://nerikitchen.blogspot.com/そして僕。
一応、話す内容の原稿を用意していたのだけれども、結局、いっこも見ずで、もう、一方的に喋り倒してきました(笑)
でも、あとで原稿を見たら、言い忘れてることもいくつかあって…。
というわけで、当日使用したスライドと用意した原稿を、ここに載っけておきます〜。
神社仏閣を楽しむためのツボということで、仏像、庭、それ以外の見どころ、と3つにわけてお話しようと思ってたんですけど、30分でそれはムリです!とカノさんにダメ出しをされ、今回は、仏像をメインにお話させていただこうと思ってます。
この写真は、何年か前に仕事で撮影したものなんですが、場所は、京都と奈良のあいだにある木津・加茂という場所の、浄瑠璃寺というお寺さんです。
奥に見えているのが、9体の阿弥陀如来さんが横一列に収まっている、九体阿弥陀堂という建物で、藤原時代のものが今も現存している、非常に珍しい建物です。日本中でここしかありません。
奥から、九体阿弥陀堂があって、手前に池があって、その手前にアコーディオンを奏でている女性がいます。
じつは、そのさらに手前、カメラの後ろになるんですが、そこには三重塔があって、その三重塔のなかには、薬師如来さんがいらっしゃいます。
図にすると、こういう配置。上が北です。
東から、薬師如来さんのいる三重塔、池、阿弥陀如来さんが9体いらっしゃる、という配置です。
薬師如来さんは過去から未来へ送り出してくれる仏さんで、過去の因縁や苦悩を超えて進むための薬を与えてくれる仏さんで、仏教では過去=東なので、東に安置されてます。
そこから庭を歩いて、西の九体阿弥陀堂へ向かいます。
西にいらっしゃる阿弥陀如来さんは、理想の未来にいる来世の仏さんです。仏教では、西=未来という考え方があって、西方浄土というんだけど、そこにいるのが阿弥陀如来さん。
9体いるのは、整然に行なった善行を9段階にわけるので、それぞれに該当する阿弥陀如来さんがいらっしゃる、というわけです。
ここでアコーディオンを奏でているのは、極楽へ向かう途中の庭がやはりキレイで、季節の花が咲き乱れているところなので、やっぱ、ウキウキしてくるんですね。
で、そういう写真を撮ったんです。
僕、お寺さんに魅せられて13年になるんですけど、この浄瑠璃寺が一番好きです。
美しいし、どの季節に行っても、冬に行っても、なにかしらの植物が咲いているし、仏像もいいし、建物もいいし、行きにくい場所にあることでいいハイキングコースになってるし、空いてるし、ほんまに一番好きです。
皆さんも、機会がありましたら、ぜひ。
さて、というふうに、仏像や伽藍(お寺さんの建物のこと)の意味を知っていると、訪れたときにまた違った楽しみかたができると思いますので、今日は、そういう話も交えながら、していきたいな、と。
ちなみに、こういうふうに池がある庭園を、池泉廻遊式庭園といいます。
自然を模倣するというか、自然を矮小化し、箱庭のようにしたものです。
庭というのは、あくまで人工物で、モチーフになっている大自然を模倣したり、矮小化したり、洗練させたり、抽象化していくのが、日本の庭の歴史です。
これは藤原時代の庭だけれども、このあと、平安時代の後期から、枯山水の庭という、白砂を使って水を表現したりする庭が登場し、主流になっていきます。
つまり、洗練、抽象化されていく。それが庭の歴史です。
なぜ、そういう方向に進んでいったのかというと、やっぱ、そういう文化が、ずーっと都であり続けた京都で育まれた文化だからだと、僕は思っています。
京都というところは、伝統の町というイメージがあるけれども、じつは1000年以上も都市だったところです。都市には新しいものを取り入れる進取の気風があるし、入ったものは洗練されていく文化があります。
伝統というものの正体は、じつはそういう文化だと僕は思っているのだけれども、庭を見ていると、そういうことを強く感じるときがあります。
さて、庭も伽藍も仏像も、もちろん建築物も、見るところがたくさんあるのがお寺さんですが、今回は仏像メインということで、早速、仏像に行きます。
まず、仏像は、フィギュアである、と。
興福寺の阿修羅さんが火を点けた感があるので、今は仏像がブームですね。
だから、むかしと違って、宗教がどうの、といった抵抗感なく、仏像に接する方も多いと思います。
でも、もし抵抗がある人がいらっしゃったら、これはフィギュアなんだ、と。萌えキャラをフィギュアにしてる今とさして変わらないんだ、というところから入っていただくと、とっつきやすいかも。
実際、釈迦は偶像崇拝を拒んだ人だったので、釈迦自身は、生前から、仏像をつくることを禁じてきた人です。
でも、なにも対象物のないところで、救いを求めたり、すがったり、自分を律したりできるほど人間は強くないので、そうした人間の弱さが、仏像というものを誕生させたんです。
手元に置いておきたい、と。
これ、今の人がフィギュアを求めるのと、そう変わらん感覚やと思います。
実際、仏像は、釈迦やその他の神さんをモデルとしたフィギュアですから。
だから、むかし、海洋堂のおまけであった仏像フィギュアというのは、フィギュアのフィギュアという、不思議な存在でしたな。これは余談だけど。
さて、ここに並んでるのは、釈迦をモデルにした仏像は一個もありません。
左の八部衆というのは、奈良の興福寺にいらっしゃるんだけど、仏教が流布する以前の古代インドの神さんで、仏教の隆盛とともに、仏教に取り入れられた異教
の神さんです。仏さんを守る、ガードマンのような役割をしてはります。鬼神、戦闘神、音楽神、動物神やら、いろいろいます。人気の阿修羅も、そのうちの一
人です。
右は十大弟子。これも興福寺にいらっしゃって、釈迦の弟子たちです。彼らもまた、仏を守る存在です。
というふうに、仏像にはいろいろなキャラがあって、それぞれ、性格やら役割を与えられているんですね。
まず、そこを理解しておくだけでも、見方がずいぶんと変わってきます。
こんなふうに、ピラミッド型の階級社会になってるのが、仏像界です。
トップに君臨しているのが、如来さん。
ブッダというのは、悟りをひらいた人、という意味なのだけれども、悟りを開いて、宇宙そのもの、森羅万象そのものになったのが、如来さんです。
宇宙の性質によって大日如来、阿弥陀如来、薬師如来などいろいろあるんですが、そこを話し出すとキリがないんで、とりあえずは、ざくっと、悟りをひらいた、一番エラい人、と。
次が菩薩さん。
僕もそうだけれども、たくさんの人が好きなのが菩薩さんです。
菩薩さんはまだ修行中の身の人なので、それこそ、釈迦が修行中の時代をモデルにしてます。
釈迦は王国の王子さんだったので、修業時代はわりと着飾ってるんですね。だから、菩薩さんも着飾ってはります。つまり、まだ煩悩を捨て切れていない状態。人々を救済するという修行をしている状態です。
だから、僕ら人間に近いし、そうした親近感もあって、人気あります。
アクセサリーが凝ってたり、いろんなバリエーションのものがあって、ちょっとエンターテイメント性もあって、とっつきやすいですね。
千手観音、十一面観音…、ああいう、わかりやすい派手さを持っているのも、菩薩さんです。
あと、人々を救済するという修業をしているのだから、菩薩さんに救いを求める人も多くて、仏像にするとき、母性を感じさせる意匠になることも多いし、ずばり、女性がモデルになってる菩薩さんもあります。
京都の東福寺の隣にある泉涌寺には、楊貴妃をモデルにした、楊貴妃観音菩薩像というのがあります。キンキラキン。
次の明王というのは、みんなを仏教に帰依させようと、大日如来さんが姿を変えたものです。
力づくで仏教に帰依させるところもあるんで、結構、勇ましい姿をしてはります。
戦闘ルックが多いんで、これまたメチャクチャ人気あります。
不動明王とか愛染明王とか、孔雀明王とか。動物を従えてる場合も多いんで、そのへんも見ていておもしろいです。
あ、閻魔大王も、ここにいらっしゃいます。
次が、天部。最初に登場した阿修羅を含む八部衆なんかは、ここに入ります。
異教から仏教に取り込まれて、仏を守る存在の神さんたち。
四天王もそうだし、梵天とか帝釈天とか、弁財天とか、ああいうのがそうです。
ゴレンジャーみたいなセットものが多くて、フィギュアとして見ると、楽しいし、コンプリートしたものを見るという楽しみもあります。
それ以外には、十大弟子、あるいは、高僧と呼ばれる、徳の高いお坊さんが仏像になることもあります。鑑真とか、行基とか。名前くらいは聞いたことがあるかと。
空海がつくった東寺にいらっしゃる、薬師如来さんです。
もう、王者の中の王者の如来さんで、威風堂々すぎます。
真ん中が薬師如来さんで、その背中の光背(オーラみたいなもん)に7体の仏さんを出現させてるほど、どえらい人です。
さらに、右に日光菩薩、左に月光菩薩、台座の下には十二神将がいらっしゃいます。十二神将は「天」に属している、仏さんのガードマン。
如来さんは、煩悩がない悟りを開いた人なので、布切れ一枚をまとってるだけでなんも身につけてないシンプルな姿です。それでいて、威厳がありまくるという。
両サイドの日光菩薩、月光菩薩は、昼も夜も薬師如来さんを照らして、皆に存在を知らしめる役割で配置されてます。手に持ってるのが、太陽と月ですわ。
で、如来さんを支えるようにして、如来さんを守っているのが、十二神将。完全に武将ですね。
というふうに、セットで並んでいることも多いんですが、その中心にいてるのが如来。
ここから、アクセサリーや持ち物、出で立ち、表情、光背、台座、もっといえば製作時の流行、製作技法、仏師、仏像が誕生した背景など、いるんなものを見ることができます。
見どころを整理すると、こんなかんじ。ディテールにこだわって見てると、いろんなことがわかっておもしろいです。
如来さんをもうひとつ。
これは、京都の神護寺というところにいらっしゃる、薬師如来さんです。平安初期のもの。
寄せ木造りというパーツをつくって組み合わせるプラモデルみたいな技法が開発される直前の、一木造りの傑作。
太ももの盛り上がりかたとか、全体のねじれ具合とか、おおらかというか大胆というか、凄みを感じます。
先ほどの東寺のは寄せ木造りだけど、寄せ木造りにはない凄みが、この如来さんにはありますね。大好きです。
こんなかんじで、マイフェイバリット・ブツも交えながら、紹介していきます。
というより、今日、スライドにしてある仏像は、好きなものばっかりですが。
顔は仏像の違いがよく出るところで、いろんな顔があります。
そこらへんの違いを楽しむのもいいかと。
あまねく人に手を差し伸べてくれるという菩薩の性格を、図像化したのが千手観音です。手に眼がついているので、千眼でもあります。
実際に千本の手がある仏像は珍しくて、唐招提寺、大阪の葛井寺ほか、あんまりないですね。
ただ、仏教というか、アジアは合理的にモノを考える文化があるので、1本の手で25本分の役割を果たすとして、40本の手をつくれば1000本になる、というふうにしてます。
だから、一般に千手観音と聞いて、見にいくと、大抵は40本です。
それもでいいんだけど、やっぱ、実際に1000本あるのを見ると、ド迫力ですね。
ちなみに、手を1000本嵌め込むのはなかなか繊細な仕組みなので、なにかの拍子に腕が1本2本と欠けていくのがほとんど。1000本全部が現存しているのは、3体しかないと聞いたことがあります。
これは、渡岸寺の有名な十一面観音です。
なんで有名なのかというと、背面をちゃんと見ることができるから。背面を見ることのできる十一面観音というのは、僕が知るかぎりでは、ここだけです。
なんで背面を見たいのかというと、十一面観音の背面には、爆笑している暴悪大笑面という顔が、必ず彫られているんですね。でも、見ることができない。それを見ることが出来るのは、ここだけです。
十一面というのは、人間の11種類の煩悩を断つ手伝いをしてくれるから。そういう役割を持った菩薩さんです。
如意輪観音菩薩2種です。
六臂(6本の手)でつくられることが多いのだけれども、中宮寺のそれは、めずらしく2本です。中宮寺のは如意輪観音かどうか、論争が絶えないですけどね。
というのも、如意輪観音というのは、通常、如意宝珠という珠を持っているのが特徴で、中宮寺のは持ってないので。
見ていただきたいのは、タイプは違えど、どちらも女性的だということ。これが菩薩の特徴です。
釈迦に似せたというよりも、仏師が、おかあさんや意中の女性に思いを馳せてつくる場合が多いのが、菩薩さんです。
大好きな菩薩さん。
鳳凰堂のなかには、中心に阿弥陀如来が座っていて、極楽浄土(天国)を表現してます。
阿弥陀如来さんは、たくさんの菩薩を従えてお迎えにくるのが通例なので。(来迎図などにも描かれている)。
天国なので、音楽を奏で、踊る人たちがいるわけで、それが雲中供養菩薩。全部で51体います。
タッチ(彫り方)は荒々しいけれども、優しい顔立ちをしてます。
見ているだけで、ウキウキしてきます。
ご存知、成田山の不動明王。
明王というのは怖い顔してはるんですけど、どっか愛嬌がありますね。
つまり、乱暴やし怖いけれども、悪人ではない。そーいうのが滲み出てるんで、僕は好きです。
あと、明王は現世利益をもたらしてくれる場合が多いんで、人気ありますね。
不動明王も、じつは交通安全の神さんやったりします。なんでかは知らないですけど。
奈良の白毫寺にいらっしゃる金色夜叉、軍茶利明王、降三世明王。
足許の蓮に乗っていたり、餓鬼を踏みつけていたりしてるところも見てくださいね。
とにかく、怖そうだけど、悪人じゃないのが滲み出てる。そこが僕は好きです。
それぞれの役割は、またべつの機会に。
明王や天部は、セットものが多くてですね、元祖ゴレンジャーですね。
左は、東寺にいらっしゃる五大明王。
右は、明王じゃなくて、天部の人たちですけど、新薬師寺の十二神将。
ちなみに、東寺はゴレンジャーの宝庫なので、お好きな方はぜひ。
もいっちょ、戦隊ものを。
やっぱね、セットで見ると、ドーンと来ますね。ド迫力というか。
男子はやっぱ、こっちに惹かれるかと。
もう、大好きな仏像。杉良太郎のような流し目がたまらん、水もしたたるいい男とは、彼のことです。
女性ファンも多いですね。
阿修羅を仏教に帰依させた人として有名です。
右の写真は、奈良の仏像や飛鳥の風景を写真に撮りまくった入江泰吉さんの写真。
心の奥底まで見透かされるような眼光の鋭さがよく表現されている写真だと思います。
広目天は、四天王一人で、西方を守ってる神で、シヴァ神の化身で、もともとが三目であったために、広目天と名付けられてます。つまりそれくらい眼力がある
のがこの神さんの特徴で、それがよく表現されてるのが、東大寺戒壇院にいる広目天。彫刻として素晴らしいですな。クールビューティの極致。
東大寺は大仏殿と二月堂は賑わっているけれども、戒壇院はひっそりしてるんで、じっくり見れます。
どちらも大好きな仏像。
法華寺の十一面観音菩薩は、十一面だけじゃなくて、千手でもあります。
でも、手のかたちをしてなくて、道具をそのまま周囲に並べているというか…、この処理の仕方、手から本質だけを抜き出した意匠が、好きです。
秋篠寺の伎芸天は…、好きすぎてもう。。音楽の神様で、じつは頭が塑像、首から下が木造という仏像で、首から上がなくなっていたものに、後年、首から上を新たにつくって据え付けたという仏像です。
でも、違和感を感じさせないくらいになじんでいるし、このなんとも言えない顔とプロポーション、品のつくりかたが、大好きです。
よく、グラビアの撮影をするとき、モデルの女の子の身体をくねらせて、S字をたくさんつくるようなポースにするとセクシーになるんですが、ふたつとも、まさにそれですね。
口から出ている仏は、南無阿弥陀仏の6文字を仏像にして、表現。
南無阿弥陀仏とは、阿弥陀仏さん、私(たち)を救ってください、の意。
口から出る言葉が仏さんになっているという、言霊のすごさを表現した仏像です。
もうね、ラップです、ラップ。
すごくファンキーな仏像だと思います。大好き。京都の六波羅蜜寺にいらっしゃいます。烏丸から歩いていけるので、行きやすいですよ。
新薬師寺さんには十二神将という12体の武将がいらっしゃいます。それぞれに干支が振ってあるんで、自分の干支にあたる武将を探すという楽しみもあります。
ごく彩色のほうは最近CG化されたもので、できた当初はこんなだったんだそうです。
仏像は今でこそ、色があせてしまって、それがかえってワビサビを生み出していていいんだけれども、大半の仏像は、こんなふうに極彩色で飾られていたり、金ぴかだったりします。
その眩しさが、カッコよさに繋がって、新しい文明、新しい思想として人々を引きつける役割も担ってきました。
最後に、仏像を離れて、お寺さんの楽しみかたを。
僕は、お寺さんで昼寝をするのが大好きで、仕事に煮詰まったときとか、どうしても仕事に向かう気にならないとき、ひょいと電車に飛び乗って、お寺さんにいくことがあります。
平日の昼間だと静かなので、縁側に座って庭を眺めたり、仏像と対峙したりして、あと寝っ転がって部屋を占領したりして、リフレッシュするのが好きです。完全に趣味ですけど。
そういうスポットがいくつかありまして、どれもあまり知られていないマニアックなところばかりなのだけれども、ここでご紹介。
大悲閣の本堂。嵐山でも、ほとんど人が来ないところだけど、いくまでの参道が素晴らしいです。
ずーっと青葉のトンネルで、桂川沿いを歩いていきます。で、ほどなくして左の亀山を登ると、大悲閣があります。
他、妙心寺の東林院や、あまり知られていない蓮花寺、粟生光明寺の参道、糺の森が人気の下鴨神社には、シエスタスポットではないけれども、尾形光琳が「紅白梅図屏風」を描いたときのモデルとされる光琳の梅があります。これ、あんまり知られてません。
仏像や庭、伽藍だけじゃなくて、お寺さんには、変なものがたくさんあって、たとえば、一休さんのお寺の一休寺にはアニメの一休さんのセル画があるし、達磨寺は、文字通りダルマのコレクションがあったり…。
最後。これは、僕が13年前にJR京都駅の観光案内所で100円で買った、京都市街地のmapです。お寺さん、網羅されてます。今もまだ使っていて、超便利☆
というかんじです〜。
上記スライドのでっかいサイズのものは、Facebookに置いておきます。
↓
http://www.facebook.com/album.php?aid=36181&id=141094042616410&l=da5009a6bb
「サロン文化大学2周年記念『NHK鑑賞マニュアル「美の壷」的な世界(仮)」日時 / 3月28日(月)20:00-23:00
場所 / Common Cafe
HP
http://salon-and-culture.blogspot.com/Common Cafe大阪市北区中崎西1-1-6 吉村ビルB1F
HP
http://www.talkin-about.com/cafelog/
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