大阪天満宮から東にずーっとチャリを走らせると、結構、お寺さんがあります。
もともとが寺町でもあったので、その名残で今もお寺さんも多いのですが、檀家以外に拝観させてくれるお寺さんは少なく、しかも、何度かの建て替えを経た末に、コンクリート造りであったりビルになっていたりで、およそ一般的な寺社建築をしていないお寺さんも多いので、うっかりすると見逃してしまいます。まあ、用事がある人以外は、見逃したところで、なんの損もしないでしょうが(笑)
さて、そのなかで、ひと際異彩を放っているのが、天満別院。
なんか、ヤクザの親分の自宅みたいな…(笑)
昨日今日できたようなモダンなお寺さんに見えますが、創建は、天正13年(1585年)。まさに、太閤さんが天下をとっていた時代です。
それこそまさに太閤さんが寺地を寄進し、今の造幣局の近くに建てられたそうです。天満の川崎だったので、当初は、川崎本願寺と呼ばれたそうです。
さて、こっから、本願寺というか真宗は、受難の時代がはじまります。
本願寺といえば一向一揆のメッカ、特に石山本願寺の顕如とそのとりまきの僧兵が、時の権力者を相手にブイブイ言わしていたわけです。
1581年、織田軍を相手に10年以上戦った挙げ句に、紀州に退いたりしたのでした。ただ、その石山本願寺も一枚岩ではなく、顕如の長男の教如は紀州撤退を拒み、石山本願寺に立てこもり、各地に檄文を飛ばしたり…。ま、いろいろあったわけですが、最終的には石山本願寺は炎上、教如と、顕如・異母兄弟の准如は対立していくわけで、もう、グチャグチャですねん。
ほいで、1592年に顕如が亡くなると、教如があとを継ぐんですが、准如派が秀吉に働きかけ、教如は隠居させられ、准如が石山本願寺の一派のトップに就くわけです。
このあたり、政策よりも政局、今の日本の国政とよく似てます(笑)
まだ続きます。
関ヶ原の決戦後、1602年、徳川家康の時代がやって来るわけですが、徳川家康というのはつくづく知恵者で、隠居させられたはずの教如に本願寺の東側に寺領を寄進し、息を吹き返さらせるわけです。すでに本願寺のトップに就いている准如がいる一方で、隠居したはずの教如は家康によって本願寺の東半分を与えられ、本願寺は再び分裂ですよ。
結局、本願寺というのは、時の権力者が簡単にコントロールできる存在ではないので、一枚岩になって強力になるよりも、分裂させて、それぞれの力を半減させるよう、家康は企てたわけです。
この企てが見事にハマって、以後、本願寺は現在に至るまで2派に分裂、准如側を西本願寺(本願寺派)、教如側を東本願寺(大谷派・現在はさら分裂)と呼ぶようになった、と。
さて、天満の川崎本願寺ですが、もちろん、この、京都での分裂騒動の余波を受けるわけです。
天満では、東本願寺派の坊主衆や門徒衆が多かったので、その人たちが集まって、慶長6年(1601年)、川崎本願寺から東本願寺派の天満御坊に看板を掛けかえます。その後、慶長13年(1608年)、造幣局の近所から、今の東天満の地に移り、天満別院となります。これで、やーっと、看板が今の看板になります。
で、建物のほうはですね、これはもう、お祓いをしたほうがいいんじゃないの?ってくらいに(仏さんが神頼み!笑)呪われていて、享保9年(1724年)、安永6年(1777年)、天保8年(1837年)と、3回も焼失。その都度再建されたのはさすが真宗!というほかありませんが、第二次大戦でも戦災に遭うのですよ。
ほいで、現在のモダンな外観に生まれ変わったのは、昭和35年です。
ただ、惠心僧都の作と伝えられる本尊の阿弥陀如来像と寺宝は、何度も見舞われた火事をくぐり抜け、現在も、無事におわします。
なんか、資料を読んでいると、4,190平方メートルの敷地のうち約2,640平方メートルを、32年から60年間の契約で、読売テレビに貸与した、と、あるのですが、これ、どこの土地なのかなあ?
現在の読売テレビと天満別院の位置は離れているし、どこの土地をさしているのか、ちょっとわかりません。それでも、約2,640平方メートルといったら、広々とした土地ですが…。
ほか、「天満別院同胞会」「天満別院子ども会」「天満別院婦人会」と、講が組織されています。そのあたり、さすがは現在も教科活動に熱心な真宗!といったところです。熱心に活動しているからこそ、資金も潤沢です。本願寺をはじめとする京都の真宗のお寺さんは、拝観料を取らないところがほとんどですからね。拝観料をちまちま取らなくても、ちゃんと経営していけるだけの資金が、全国から寄進されてくるからね。
そんなわけで、東天満の一角にあるモダーンなお寺さんも、じつは、日本を代表する宗派の真ん中にいた歴史すら持つ、なかなか由緒正しいお寺さんなのでした。
あ、だからといって、見るべきものは、じつはそんなになかったりするお寺さんです(笑)
少なくとも、観光スポットではないな。
天満別院大阪市北区東天満1-8-26
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