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本庄西の楠のご神木を見ながら、神域やら妖精やらミイサン伝説やらについて考える
本庄西の楠のご神木

本庄西の楠のご神木


沖縄に行くと、御嶽(utaki)という不思議な空間があります。
沖縄に行ったとき、いくつかの場所で、御嶽を見てきました。
そこは要するに、霊力の滞留する場所で、遥拝所で、聖域です。精霊が宿ると信じられていて、厚い信仰の対象となっていると同時に、民衆のアジール(避難場所)でもあるわけです。

原始宗教のかたちで残っているものなので、祠などない場合が多く、いわれなければ、一見、そこが御嶽だとはわからん場合も多いです。というか、ほとんどの御嶽はそうではなかろうか。

でも、知らずとも、そこに立ってみると、得体のしれんパワーがそこに充満しているような、不思議な気分になります。

断っておくけれども、僕は霊的なものとはまったく無縁で、幽霊を見たこともなければ、霊感も皆無です。きわめて現世の世俗にまみれて生きてます。
生きてるけれども、ある種の場所に立つと、不思議な気分になるというか、得体の知れんもんに包まれているような感覚に襲われるとか、寒気がするような怖い気分になるときは、あります。
京都の鞍馬にある貴船神社の奥宮に行ったときは、そこはUFOの発着場に違いない!と、断定的に思ったこともあります(笑)

えーっと、繰り返すけれども、霊感とか、他人に見えんもんが自分にだけ見えるとか、そーゆーのは、これっぽっちもないですから(笑)

で、矛盾するかもしれないけれども、妖精のようなものの存在は信じてます。
特に、沖縄のように、豊かな自然が残っている場所には、妖精がまだ生き残っていると信じてます。沖縄には、キジムナーといういたずらっ子のような妖精がいますな。

アイルランドも妖精の宝庫ですが、でも、アイルランドは中世、樹木を伐り尽くしてからは、妖精がいなくなったといいます。
妖精というのは、豊かすぎて底が知れん自然のなかでのみ存在するので、自然がなくなると、妖精もどっかに行ってしまう。
現実的な、つまらない話をすると、妖精というのは、人間が自然に対して抱く畏怖の念が生み出す、人間と自然のあいだをつなぐ物語、ということになります。
そう言ってしまうとつまらないので、妖精は妖精のままでいいんですけどね。

えーっと、なんの話を書くんやったっけ?(笑)


淀川ベリをチャリで走らせていると、豊崎一之橋の少し西あたりに、ものすごく立派でものすごく風格のある大木がありまして、近づいてみると、楠。

注連縄が張り巡らせてあるんで、ご神木ですね。
でも、ご神木の近くには案内板もなく、帰ってから文献を引っくり返しても、このご神木のことは見つからずで、しばらくお蔵に入れてました。

ところが最近、ひょんなことから、ある人に、この本庄西の楠のご神木のことを教えてもらいました。本庄の近くの長柄のご老人から。

なんでも、この楠のご神木は、このあたりの庄屋さんの屋敷内で、ご神木としてずーっと祀られてきたんやそうです。
ところが、明治の終わりの新淀川(現在の淀川)が開削されます。
この新淀川の開削にあたり、旧中津川の一部を利用して、毛馬から此花の伝法まで一直線の放水路が造られたんだけれども、土砂の運搬やら工業用水の供給やらの問題があって、このご神木のある本庄に、新淀川に沿って長柄運河が開削されたんです。
ただ、運河の開削ルートにこの楠があって、さすがにご神木を根こそぎ、というわけにはいかなくて、ご神木を避けるかたちで、ここだけ川幅を狭めたんやそうです。そのせいで船の渋滞が起こってケンカがいくつも勃発したとか、おもろい話もあるんですが、とにもかくにも、運河ができようが、ご神木は残った、と。

神山町の交差点近くにある白龍大神の楠のご神木もそうですが、道路をつくる際、ご神木を伐り倒すことはせずに、わざわざ残しとく例はいくらでもあります。ありますが、運河にまでそれをあてはめるのって、なかなかすごいことやと思いますわ。

ご神木には白ヘビが棲みついていて、伐ろうとするとたたりが降り掛かるというミイサン(巳さん)伝説がつきもんですが、この、本庄の楠のご神木にも、ミイサン伝説があるんですかね。そこまではわからんのですが。

さて、その長柄運河も1967年(昭和42年)にはその役目を終えて、埋め立てられてます。
なので、楠のご神木は、ずーっと変わらずにそこにあるわけですが、周辺は、ずいぶんと景色が変わったことになります。

変わっては、イカンのですね。変わってはイカンので、注連縄が、張り巡らされているんですよ、きっと。
注連縄は、囲われた内側を神域とし、俗世との結界なので、神聖ニシテ冒スベカラズ、の場です。

なんでそうしたのか。そう感じざるを得ない磁場を、土地の人が感じたからでしょうね。
僕のような俗世の有象無象にまみれまくって生きてる人間ですら、ある種の磁場や妖精の存在を感じることがあります。このあたりの自然がもっと豊かやったころ、土地の人々は、そうしたものを、今以上に感じていたんだと思うのですよ。

案内板などなくても、この楠のそばを通ると、タダモンではない樹やということは、誰でも感じることができると思います。それくらいのパワーは、放ってますわ。だからこそ、ご神木にもなったんでしょうね。なんせ、樹齢700年とか800年とかの楠です。


本庄西の楠のご神木
大阪市北区本庄西3-5-12

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JR東海道線で淀川を渡るときに電車から見える、あの目玉(チョルテン)が描かれたお寺さんです!
JR東海線の大阪駅と新大阪駅のあいだ、淀川の橋をわたるとき、南側の堤防に寄り添うようにして、お寺さんがあるのが見えます。

壁面にお釈迦さんの目鼻を描いた絵が電車を見ているので、あの寺か!と、ご存知の方もいらっしゃるかと。

これです。

教恩寺(さつき寺)

教恩寺(さつき寺)


あの、目鼻というか迫力のある目玉は、チョルテンといって、ネパールやチベットに行けばいくらでも見られるのですが、役割としては仏塔、つまり五重塔や五輪塔とおなじで、簡単に言ってしまうと、お釈迦さんの墓、お釈迦さんそのものです。塔もそうだけれども、チョルテンもできるだけ高いところに描かれていて、なんでかというと、遠くからでも見ることができて、拝むことができるように、ということです。

役割としては塔とおなじなので、日本にあっても全然おかしくないし、べつにチベットやネパールの専売特許というわけでもないのだけれども、でもでも、日本でチョルテンにお目にかかれることなど滅多にないですな。

なので、なんで、ここ、淀川の川縁に、チョルテンの描かれたお寺さんがあるのか?

調べてみると、このお寺さんは教恩寺というお寺さんで、別名、さつき寺。幼稚園を経営されてます。
でも、それ以上の情報がまったくない。ちなみに、浄土真宗本願寺派で、謎はかえって深まるばかりです(笑)文献をあたってみても、詳しいことが書かれたものを見つけることはできませんでした。

なら、行くしかないじゃないですか!
拝観させてくれる雰囲気は皆無だったのだけれども、とりあえず、突撃ですわ。




拝観させてくださーい! たのもー!

どーぞ☆

あら、意外とあっさりと拝観の許可が。
と思ったら、どーやら配管の工事の人と間違えられたらしく、住職さん、ちょっと戸惑っておりましたが、ま、これもなにかの縁というものじゃないですか(笑)

本堂に入れていただき、お参りしてみると、阿弥陀如来さんがいらっしゃいました。
教恩寺のご本尊さんです。
両脇には、浄土真宗本願寺派の高僧の蓮如さん、聖徳太子がいらっしゃいました。

真宗の本願寺派ということは、豊臣の時代に石山本願寺ができて真宗の布教をはじめたころに一緒に建立されたのだなということは、このあたりの歴史を知っていれば、容易に想像することはできます。

実際、その流れらしく、お寺さんそのものは700年ほどまえに創建されているのだけれども、450年ほど前、真宗の仲間入りをして初めて、歴史に登場します。
で、本願寺11世の顕如上人が大阪に籠城した際(本願寺の跡目争いがあったのですよ)、ここの住職門徒がこぞって味方したことによる論功行賞で、聖徳太子の御影をいただいた、と。その御影が、本堂に飾られています。

本堂の壁面は鮮やかな黄色に塗られ、「無量寿如来」の文字が書かれていることから、ここのご本尊さんが、阿弥陀如来さんだということがわかります。無量寿如来というのは、無限の寿命を持つ者=阿弥陀如来さんというほどの意味なので。サンスクリット語「アミターバ」の漢訳。

教恩寺(さつき寺)


ここら界隈のお寺さんはどこもそうなのですが、最盛期には20,000坪の境内だったといいますから、かなり広いというか、寺勢を誇っていたようです。
で、まだ淀川が改修されるまえ、このあたりにはサツキ山と呼ばれる小山があって、サツキが咲き乱れていて、春の花見スポットとして賑わっていて、そこから、別名・さつき寺という呼び名がついてます。
併設している幼稚園の名前が「さつき幼稚園」なのは、そこからとってるんでしょうね。

第二次大戦で堂塔すべて焼けちゃったんですが、ご本尊さんの阿弥陀如来さんや過去帳なんかはすべて無事だったそうです。戦災から必死で守られたんでしょうな。堂塔は再建できるけれども、ご本尊や過去帳は、焼失したらそれまでですからね。

でも、その後、淀川が改修され、移植したサツキは全滅したとのことです。サツキの名残も、今や、「春深し 浪速の北のさつき寺」と詩に残されるのみ。

教恩寺(さつき寺)


区画整理などもあって、もはや住宅街の一角にわずかな境内を残すのみで、かつての寺勢は面影もないです。真宗は、墓地経営や拝観で維持費を稼ぐよりも、老人ホームや幼稚園、学校などを経営することで寺の維持を行なっていくことが多いのですが、教恩寺でも、幼稚園経営で、お寺さんを維持されているみたいです。この保育園も、半世紀以上の歴史を誇っている名門ですわ。


さてさて、冒頭にも書きましたが、ハイライトはなんといってもチョルテン。
真宗のお寺さんだし、なーんで、チョルテンが描かれているんでしょうかね?
住職さんにお聞きしてみると、先代の住職さんがネパールへお寺さんを訪ねた折り、チョルテンのことを知り、ぜひ教恩寺にも!ってことで、帰国後、描きはったらしいです。

真宗も元を辿れば天台宗経由でチベット密教やネパール仏教に辿り着くし、大きな枠のなかではチョルテンがあってもいいんでしょうが、なかなか柔軟な考えの持ち主だったようですな、先代の住職さんは。

チョルテンが描かれているお堂の中に入ってみると、千手観音さんがいらっしゃいました。千手の数はかなり合理化されてますが、すべての手に、なんらかの仏物をお持ちですな。
つくられた年代もこの地にやって来た経緯もわかりませんが、すべての手に仏物を欠けることなく持っておられる千手観音さんは、なかなか貴重です。



教恩寺(さつき寺)


千手観音さんの足下で、童子たちが拝んでます。千手観音さんの偉大さを際立たせる演出だと思うのですが、これは初めて見るアイテム。




鐘楼もなかなか立派です。
教恩寺(さつき寺)


北門に、往時の立派さが残ってますね。







教恩寺(さつき寺)

大阪市北区本庄西3-13-5

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担々麺はコクがなくちゃ!と、つくづく思わせる「一品香」の担々麺
最近、本庄界隈に行くことなど滅多になくて、すっかり忘れていたのだけれども、こないだ、お隣の中崎町に行く用事があって、しかも昼飯どきで、あっそうや!あの店があったやないかいな!と思い出して、チャリを左にカーブを切って行ってきたのでした。

下町の実力派中華料理屋さんの「一品香」。

日本語でそのまま読むと「いっぴんか」、中国語読みやと「イーピンシャ」ですな。むかし、お店の人に、どっちでっか?と聞いたことがあるんですが、中国語の読みかたなんてよう知ってるなあ、と、言われただけで、ちゃんとした返事はもらえまへんでした(笑) どっちでもえーらしいです。。。。

さてここは、アクセスが超悪いくせに、結構、混んでるんですよね。なので、行くときはいっつもまともなお昼の時間をはずして、昼の2時くらいに行くことにしてます。さすがにその時間やと、空いてます。

「徐園」でコックをやってはったオッサンが腕を振るってるんで、味は間違いないです。というか、そういう肩書きはなくても、ちゃーんと、美味いです。

フカヒレの姿煮やらフカヒレラーメンが絶品なんですが、んなもんを昼飯で食べてると財布がいくつあっても足らんので(といっても、そんなに高くはないんですがね)、今日は、担々麺を。

このお店、なにを食べても美味いですが、お昼だと、いつもいつもB定食に鎮座している担々麺+焼き飯のセットも、美味いです。美味いかつ、大人気。お昼やと、これを注文する人が9割くらいではないかと思われるほどです。

僕も、今日はBセット。
一品香


担々麺はですな、辛い、というよりも、ゴマの香ばしい風味とトンコツベースの濃厚スープに(辛味のなかに酸味あり甘みありの、かーなり複雑なスープです)、甘辛く味付けされた肉味噌がたっぷりと乗っかっていて、あわせて食べると、コクがありまくりの、絶品スープとなります。

一品香

一品香


辛さよりもコクに特徴のある担々麺ですな。
でもほら、担々麺って、もともとはスープ状のものではなく、どちらかというと辛い「アン」なので、どちらかというと、少し、そっちに寄ってるかんじのものです。
まるっきりのアンの完全中華風にしてしまうと日本人の舌には馴染まんでしょうから、日本人向けにアレンジするんですけれども、そのときに担々麺本来が持っている本質的なものをちゃんと残していて、そのあたりのバランス感覚が、ここの担々麺は素晴らしいと思いますわ。

で、もう一品の焼き飯が、チャーシュー、卵、ネギだけのシンプルな焼き飯なんですが、言うまでもなくパラパラとした離れ具合もよろしく、あっさりした味付けで、コクのある担々麺によく合いますねん。ザーサイのみじん切りが添えられていて、一緒に混ぜて食べるとなおよろし。ええ塩梅になります。

担々麺の量がなかなか良心的な量でして、これと焼き飯だと、並の女性だったら残すのでは?と言いたくなるほどの量です。大飯ぐらいの僕がお昼に食べて、腹九分目くらいの量ですから、なかなかの量です。

それで780円ですから、間違いなく安いです☆

辺鄙な場所にあるんであんまりメディアに登場することはないし(あ、いつだったかmeetsに載ってましたが…)、店構えだけを見てると、美味そうには見えまへん(笑)
入口には笹竹の鉢が、ジャングルか?と言いたくなるくらいに置かれてます。。。

一品香


中に入ったら、なんや知らんけれども、熱帯魚の水槽がいくつも置いてあります(笑)
一品香


こんな店なんで、スルーする人も多いかと思うんですが、それでもおそらくは地元の人たちであろう人たちで、よく混んでますねん。なので、できることなら、スルーする人はこれからもスルーしていただければ、と思うのです(笑)





北京料理 一品香
大阪市北区本庄西1-12-23
tel. 06-6373-0198
11:00-14:30 15:00-21:00 (月曜 / 11:00-14:00)
第1、3、5土曜休み

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