大阪市の北区をグルグル巡るブログ | 大阪市の北区メインでいろいろ仕事をしてます。仕事場も住んでるところも大阪市北区なので、北区をグルグル巡って、目にしたもん耳にしたもん感じたもんを、つらつらと書いています。

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僕は負けました。 アメリカに、喫茶Yに負けました。 ごめんなさい。
僕、なぜか縁遠かったのだけれども、このたびですね、意を決して、めでたく「喫茶Y」に行ってきました。
まあ、有名、というよりも伝説のお店だし、いちいち説明するまでもないですな。ひとことで済みます。

出てくる量が、ハンパない!とかで済むレベルですらない!

これ以上、なにを書くことがあるのか(笑)

ちなみに僕、大食いです。
若いころは、ドンブリで4杯くらいの米を夜に食べてました。
歳をとってさすがに食が細くなってきたのだけれども、今でも一膳メシ屋のゴハン食べ放題なんてところに行くと、お茶碗にテンコ盛りにして3杯は行きます☆

だから、量のことはすでに耳にしてはいたけれども、メニュー見た瞬間、「アメリカンスタイル」にチャレンジしてしまいました。これが、間違いの元(笑)

だって、「小モーニング」か「アメリカンスタイル」の二択になってるんだから、小は注文できんではないですか!
もっとも、朝メニューなのに、カレーライスとかドンブリとか、不思議なラインナップが並んでるんですが、ま、そのあたりは今回スルーとして。。。

ちなみに、朝8時すぎに行って、差し出されたメニューは、これです。

喫茶Y


お連れさんは小狡く「小モーニング」ですと。
となると、流れ上、大食いを自称している以上、「アメリカンスタイル」に挑まねばならんではないですか!

まず、「小モーニング」から。
えーっと、いったいどこが「小」なのか?というシロモノです(笑)

まず、このトースト。
まあ、これは厚切りのさらに少し分厚めくらいのトーストですわ。
通常、「大」ですね(笑)

喫茶Y


で、問題のプレート。

喫茶Y

これ、ベーコンの陰に隠れてですな、まん丸の黄身が…、4個見つかりました。
卵4個分のベーコンエッグ!
これ、繰り返しますが、「小」ですからっ!

この時点でバカみたいなことになっているんだけれども、でもまだ人間が食べられる量だよ、これは。

問題は、ワタクシめが注文した「アメリカンスタイル」ですよ!

まず、トースト登場。。

喫茶Y

わはははは。
これ、トーストと呼んでいいのでしょうか?(笑)

えーっと、1斤あります☆1斤!!
朝から、とかいうレベルではなくて、なんで1斤ものトーストを(笑)

そして、プレート。。。もう、この時点で怖いです(笑)

喫茶Y


これです。。。これ。
えーっと、卵6個分のスクランブルエッグにベーコンが10枚以上?

喫茶Y


…これを食えというのか?(笑)
なにがアメリカンなのか知らないけれども…、というか、1回の食事で卵6個なんて摂取してもいいのか?(笑)

パンとプレートが並んだ時点で、すでに気持ち悪いです。。。

一応ね、パンは1斤完食した。
でも、食えども食えども減らないスクランブルエッグは…、もう、巨大すぎる壁で、アメリカ征服は見果てぬ夢でした。。。。
怯みながらも完食目指したし、残すの嫌いだし、第一大食いの名折れだし…、でもこれはムリです!

ごめんなさい!
ごめんなさい!
ごめんなさい!

だって、修行僧みたいになって食べてる最中、厨房から卵の殻を割る音が聞こえてくるんですよ。
クシャ!って。
その、クシャ!が、全然止まらないの(笑)
この店、朝だけで何個の卵を使ってるんだろうか????

というか、どーやって元を取ってるのか????
だって、アメリカンスタイルって、600円ですから。もちろん、コーヒーついてます。しかもおかわりし放題☆

僕は、大食いコンテストに出るような大食いではないけれども、一般の基準からすると、大幅な大食いの部類に入ります。
だから、完食できなかったことなど、記憶にないくらいです。

でも、ムリでした。。。
途中から、卵を見るのもイヤになりました。もう、飽きて飽きて…。
動けません。
お昼はもちろん抜きました。
そして夜も、食欲がまったくないので、食べません。。。



僕は負けました。
アメリカに、喫茶Yに負けました。
ごめんなさい。
アメリカには二度と逆らいません。
次は、極小モーニングで。。。








喫茶Y
大阪市北区豊崎1-3-1
7:30〜20:00
日曜定休


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茶屋町のタワー群のすぐそばにあるエアポケットみたいなお寺さん「源光寺」は、由緒正しいお寺さんだぞ
梅田の茶屋町あたりのタワー系のビル、ザ・タワーとかインターナショナル阪急とかMBSとかロフトとか、近代的なカッコいいビルが建ち並ぶすぐ近くに、なかなか威厳のあるお寺さんがあることは、じつはあまり知られていません。

新御堂筋からちょこっと東に入った、JRの高架のすぐ脇にあるんですけどね。
なかなかシブいお寺さんなのに、どーゆーわけかまったく注目されていません。

一応、いつも山門が閉まっているので拝観は許していないのかなと思っていたのだけれども、こないだ、前を通りがかったときに勝手口が開いていて、たのもー!と声をかけてみると、拝観いつでもオッケーですと☆
それだったらもっと早くに行けばよかった。。。

「源光寺」というお寺さんです。
所在地は豊崎だけど、中崎町のハズレと言ったほうが通りがいいような場所にあります。

ほらん、バックにインターナショナル阪急をしたがえた、素敵なロケーションに、このお寺さんはあるのですよ。

源光寺


古いですよ。
聖武天皇の時代、行基が活躍した時代ですから。天平時代ですわ。
行基というお坊さんは、奈良時代の田中角栄みたいなオッサン(ただし、カネ関係は清貧)で、仏教徒として全国に布教活動を続ける傍ら、心の救済のみならず、橋を架けたり、道路を造ったり…と、公共の役に立つ土木事業を無限にやった人ですな。
ちなみに、この時代のお坊さんは皆、公務員的な身分保障がなされていたのだけれども、行基さんはそっから抜けて、アウトローの私度僧です。
それなのに大掛かりな土木事業を信じられない件数やってきた人なので、集団を率いるリーダーシップがすごかったんでしょうな。

大阪市の北区だと、そんな行基さんの代表例として有名なのが、浜の墓です。

浜の墓については、過去、エントリーしました。

「「大坂七墓」のひとつ「浜の墓」にて、葬式仏教について考える」

北区に残っているこの古い墓地は、ホンマに古くて、日本最初の三昧火坑(火葬場)が設置された場所でもあります。

さて、源光寺。
浜の墓に三昧火坑が設置されたのを機に、そのそばに精舎を草創し、土・木・石の三仏を造って安置するとなって、このお寺さんが建立されたのでした。
ご本尊は、阿弥陀如来。未来へ誘ってくれる仏さんですな。ま、火葬場だからな。
行基の後見人的ポジションにあった聖武天皇が勅願して建立された、ということになっとります。
なので、太融寺よりも古いし、綱敷天神や露天神(お初天神)並に古い、北区随一の歴史を誇るお寺さんです。
そんときは、無本寺、と命名されたとのこと。747年(天平19年)の創建。

これが、本堂。阿弥陀さんが祀られているので、阿弥陀堂ですね。

源光寺


まあ、古い古いお寺さんですから、その後、どっかで廃れたりはします。栄枯盛衰ですからね。

復活するのは、1206年(建永元年)、法然上人が、立て直してはります。
法然さんが勝尾寺から四天王寺へ日想観の修業のために赴く途中、行基縁のお寺さんであるのにもかかわらず荒廃していたのを見るにつけ、再興に尽力したとのこと。
法然上人と言えば、日本仏教史上最高の天才と謳われ、彼が布教した念仏は国家によって禁止されたのにもかかわらずひろがり続けたほどなので、この荒廃したお寺さんが彼の目に留まったのはラッキーだったと思います。
やがて、復興。
法然は、
「源をはづねてぞ知るこの寺の 光あまねき法のともしび」
と詠み、法然教である浄土宗に改めることで面倒を見るわけですが、そのとき、源光寺とし、装いも新たにスタートしました。

なので、寺名から光源氏繋がりで、光源氏のモデルである源融の菩提寺である太融寺との関係を類推すると、まるっきりの見当ハズレになります。

現在も浄土宗のお寺さんなので、そっからこっちは、宗派替えはないようです。


では少し、お寺のなかを散策。

本堂の前にあるのは、仏塔。お釈迦さんのお墓で、五重塔なんかとおんなじ役割のもんです。遠くからでも拝めるように塔になっているのだけれども、このあたりだと周囲の建物のほうが高いです(笑)
バックにチラと見えるのは、MBS社屋です。

源光寺


あと、このお寺さんには、どういうわけか石灯籠がたくさんあります。
石灯籠は…、わりとコレクターが跋扈する世界で、どういう基準かは知らないけれども、ピンキリの値段で取引されているといいます。たくさんあるし、このお寺さんの代々の住職さんの誰かがコレクターだったのかなと睨んでいるのですが、どーでしょうか?

源光寺

源光寺


灯籠に挟まれて、観音さんが鎮座しております。

源光寺


こちらはお地蔵さんが前後に仲よく☆
左側には不動明王、右側には雲中菩薩という、個人的には初めて見る配置です。
この世界観は…、よくわかりません(笑)
ちなみにこのお地蔵さん、ちゃんと北を向いている、北向き地蔵です。間違って南向きに配置されているお地蔵さんが多いなか、これは正解☆

源光寺


たぶん法然が再興した時代、このあたりは賑わったんだと思います。
参道であったろう「源光寺道」の碑がありました。

源光寺


三十三度石も、お百度石とおなじ役割です。

源光寺


立派な鐘楼もありました。

源光寺



というかんじなのだけれども、と眞のど真ん中にあって、エアポケットみたいに静かで、かつ、由緒も威厳もある、端正なお寺さんです。
季節の花も、控えめだけれども要所要所に植えられていて、しかもちゃんと手入れされているので、居心地のいい空間です。

また機会があれば、行ってみます。
次は、お寺の方からお話を聞きたいですな。



源光寺(浄土宗知恩院派 清淨瑠璃山)
大阪市北区豊崎2-3-23


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ラマダホテル大阪のロビーに、巨大なお菓子の家が出現☆
ラマダホテル

ラマダホテル

 
ラマダホテル大阪のロビーに巨大なお菓子の家ができたってのを聞いて、今日たまたま近くを通ったんで、ちょいと立ち寄ってきました。

ホテルのなかに入った瞬間、ほわ〜んと甘い香りが飛び込んできて、あ、お菓子!ってかんじで、普通のデコレーションにはない仕掛けになってますな。これ、クリスマスの盛り上げ仕掛けには、いいかも知んない。

キャナリー製菓調理大阪校の生徒さんの作品なんだそうです。

高さ2.5m、幅3.6m、奥行き2.7m。そのまんま、お菓子の店舗になってます☆
店舗にしたら小規模だけれども、お菓子の作品にしたら、でっかい!

ジンジャークッキーでつくった屋根や壁のレンガ、マカロンでつくった壁の飾りつけ、チョコレートでつくったプレートなど、いろいろあって、じつに楽しいです。そして、食べたい(笑)

レンガ部分のクッキーだけで2500枚以上焼いた!って話なんで、組み立てもさることながら、つくるパーツの数が尋常じゃないです。

見ていると、通っていく人のほとんどが、立ち止まっていくし、恐る恐る触ってみる人もたくさんいます。
生菓子じゃないんで、触っても大丈夫。でも、ところどころ欠けたりしちゃってたから、触るのもゆっくりゆっくり。

展示は、来年の2月14日、バレンタインの日まで、やってるとのこと。
クリスマスのこの時期、ありそうでなかった仕掛けなんで、近くまで来られた方は、ぜひ☆


ラマダホテル

ラマダホテル

ラマダホテル

ラマダホテル

ラマダホテル



ラマダホテル大阪
大阪市北区豊崎3-16-19
tel. 06-6372-8181
HP http://www.ramada-osaka.com/
mapを見る



難波宮はここにあったひとつの証拠になってる豊崎神社
豊崎神社

豊崎神社


豊崎神社はこれまで一度も訪れたことがなかったのだけれども、北区内では、上から数えたほうが早いくらいの由緒ある神社なので、先週、時間を見つけていってきました。

地図で見たら、ほとんど淀川沿いですな。
城北公園通りよりも北側ってあんまり行かないんで、初めて見る風景も多かったけれども、梅田の北側の豊崎というよりも、長柄の西隣の豊崎と捉えたほうがいいかんじの雰囲気ですね。

工場と住宅地が混在していて、長距離トラックの運ちゃんがトラックを停めて休憩してるような、工業用のでっかい道路に囲まれて密集した区画がいくつもある、といった風情。

いわゆる梅田や天神橋を中心とする文化圏とはまるで違っていて、この一帯は長柄と地続きの文化圏やなというのは、強く感じましたわ。おなじ豊崎でも新御堂沿いのほうは、梅田の匂いがあるだけに、豊崎というのはなかなか広いエリアです。

さて、豊崎神社ですが、行ってみて、ビックリしました。デカいですね。
大阪天満宮のデカさは別格として、その次くらいにデカいです。境内には樹々が鬱蒼と茂っていて、鎮守の森であることが、ひと目でわかります。

伝えられているところでは、この地は、難波長柄豊崎宮の跡地で、平城京から平安京に遷都するあいだ、一瞬、この地に宮が置かれたといいます。
大阪城の横に難波宮跡がありますから一応は、正式にはあっちということになってるんだけれども、長柄から豊崎にかけての地にはそういう伝承がゴロゴロあって、宮が前期と後期にわかれていたとか、じつはこっちがほんまもんとか、まあ、いろいろあります。弥生式土器が出たという話があれば、奈良時代前期はこのあたりは海やん!という説もあって、なにがなにやら、というかんじです。
いろいろあるんですが、北区在住の僕としては、とりあえずここに難波長柄豊崎宮があったということでえーやん!と思うので、それを前提にします(笑)
豊崎神社がここにあるのが、その証拠!(笑)


なんにせよ、平安時代になって都は京都に移り、このあたり一帯は荒れ地になるんですが、松がたくさん茂っていたため、「八本松」と称されるようになったらしいです。

ほいで、10世紀末、藤原貴族のひとり、藤原重治という人がこの地を与えられ開墾することになった際、難波長柄豊碕宮の跡地が埋没してしまうことを怖れて、樹林のなかに小祠を建立して、孝徳天皇を祀ったとのことです。孝徳天皇というのは、難波長柄豊碕宮へ遷都したときの天皇です。これが、豊崎神社のはじまり。

その後、孝徳天皇だけでなく神さんも祀ってほしいという地の人たちのリクエストもあって、須佐男命(susanoo-no-mikoto)が合祀されたといいます。
須佐男命は、イザナギとイザナミのあいだにできたお子で、ヤマタノオロチを退治したことで有名ですな。英雄やし、繁栄を叶える神さんでもあるんですが、日本の神さんは多面的なので、このお方も例に漏れず、凶暴な一面もあって、あちこちで暴れまわってます。…えーっと、あかんあかん豊崎神社からどんどん離れていく(笑)

縁起を見てると、創建のころからずいぶんと長いあいだ、歴史がスッポリと抜け落ちてます。

時代は戦国時代まで下ります。
1614年(慶長19年)、大阪冬の陣のときのこと。徳川家康が休憩するために豊崎の足立市兵衛というオッサンの家に立ち寄ります。その際、市兵衛が差し出した麦メシの美味さにエラいこと感動した家康は、紋章などを市兵衛に賜ったそうです。
そのことにちなんで、1776年(安永5年)、足立家邸宅内に、鎮守として東照宮が勧請されたとのことです。家康を祀ったわけですな。で、さらに時代は下って、1907年(明治40年)、この東照宮が、豊崎神社境内に、末社として遷されます。


これが、東照宮。厳島神社と合祀されてます。

豊崎神社


境内にはほかに、恵美須神社、稲荷神社、摂社の鹿島神社(相殿として豊受大社を合祀)が祀られてます。



稲荷神社。鳥居がいくつも連なっているので、すぐにわかります。

豊崎神社



恵美須神社。瓦を葺いた屋根に風格が漲ってますな。

豊崎神社



鹿島神社です。鬱蒼としてます。

豊崎神社


鹿島神社の祠です。両サイドの狛犬の造形が素晴らしい!

豊崎神社


本殿も摂社も、鬱蒼とした樹々に覆われていて、まさに鎮守の森といった趣です。左端はご神木。でも、松じゃなかったですね。

豊崎神社



本殿と鹿島神社のアールです。
この時代の美意識は、アールに結構な角度がついているところにあって、平安時代を下るに連れ、アールの美意識はなだらかなものになっていきます。この時代のが、個人的には一番好きかな。


豊崎神社

豊崎神社



大鳥居の脇に佇む狛犬。でっかくて、超カッコいいです☆
顔つき、足の太さなど、なんともいえん美が!

豊崎神社





豊崎神社
大阪市北区豊崎6-6-4
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「大坂七墓」のひとつ「浜の墓」にて、葬式仏教について考える
その昔、大阪の町の周辺に「大坂七墓」と呼ばれる古い墓地がありまして、「濱」「梅田」「葭原」「千日」「蒲生」「鳶田」「小橋」の7つだといわれています。梅田墓はなくなっちゃってるみたいだし、北区で現存しているところといえば、豊崎の「濱墓所」があります。俗に、浜の墓といわれている、南浜墓地ですな。

行ってみると、墓地の入口脇に、お地蔵さんが安置された祠があり、「行基菩薩開基南濱墓所」「道引之地蔵」と刻まれた石碑があります。

浜の墓(南浜墓地)


また、行基ですか。。。
えーっと、行基については、淀川天神社について書いたときに少し触れたので、そちらを。

「天平時代の人間ブルドーザー・行基が造った(らしい)淀川天神社」


天平時代のお坊さんなのですが、民衆のなかに分け入り、近畿一円におびただしい数の土木と建築を行なった人で、まさに天平時代の田中角栄というか人間ブルドーザーというか、そういう人です。北区内でも、行基が残した仕事は、たくさんあります。

で、この墓地もまた、行基によって整備されたようです。

浜の墓(南浜墓地)

導引き地蔵


お地蔵さんの祠に、以下のような縁起がありました。

南浜墓地は、行基菩薩(約1300年前)によって整地され、我が国最初の墓所であって、天平19年7月阿弥陀如来六観音六地蔵尊を安置し、荼毘開闢の供養が行われた。
その後、世相の変遷により次第に荒退し、大正14年豊崎町より大阪市に移管された。
天満の住人秋田羅以(らい)は、日頃、嫡子を望み、神仏に祈願していたところ、ある日、ひとりの行者が訪れ「南浜墓地の南浜地蔵尊を信仰せよ。必ず願いは叶えられる」と言って立ち去った。早速、地蔵尊を祈願したところ、霊験新たか、明治24年1月9日、男子が授けられた。その御恩報謝として同年9月に現存の地蔵尊石仏並びにお堂が建立され、今日に至った。

昭和60年1月20日 導引き地蔵講世話人


縁起には書かれてなかったですが、ここは日本最初の火葬場が設置された場所でもあるらしいです。

かつては豊崎町が管理していたんですが、今は、大阪市が管理してます。でも、雑草も目立つし、細かく手入れされているわけではないみたいですね。
年代を感じさせる墓が多いのは、新規でお墓を建てることは禁止されているからだそうです。もちろん、現代の墓地のように区画がキチンと整備されているわけではなく、なんとなくランダムに並んでます。

浜の墓(南浜墓地)

浜の墓(南浜墓地)


ここで肝試しやったら、相当怖そうですね。。。
というよりも、ちょっと妙な気を感じて、あんまり長居することができませんでした。胸騒ぎめいたものもあったし、僕とは相性がもひとつよろしくないみたいです。ゆる〜い時間が流れてる、素敵な場所やとは思うんですけどね。


さて、火葬もそうですが、仏教は、いつごろから葬式に手を染めるようになったんかということを、ツラツラと振り返ってみたいと思います。断片的にいろんな知識を詰め込んでるんで、ここで自分の頭を整理したいな、と。

法隆寺の釈迦三尊や天寿国繍帳が聖徳太子の追善を目的としたものと考えられるので、少なくとも飛鳥時代には、仏教界に死者追善の考えがあったことになります。
ただ、記録を見るかぎりでは、葬儀そのものに仏教がかかわるのは、奈良時代、聖武天皇の埋葬や持統天皇の火葬があるので、そのあたりが正式な儀式としての葬儀を、仏教が執り行ったんではなかろうかと思います。持統天皇の葬儀は703年(大宝3年)ですから、飛鳥時代末期、奈良時代の幕開け直前ですね。

その後、仏教式の葬儀や死後の供養は、平安時代の貴族社会に広く見られるようになります。特に浄土教の普及によって、死後の世界としての極楽浄土の観念が一般化し、どうしたら極楽に往生できるか、また死者を極楽で安楽に過ごさせることができるかが大きな関心事になります。宇治の平等院なんて、まさにその考えの具現化ですな。

平安中期になると、源信らに指導された叡山僧の結社である二十五三昧会が(比叡山は念仏の総本山でもあるので、このような念仏中心の修業を行なう集団がいくつか出てきます)、いろいろと様式を整備していきます。
光明真言、つまり念仏とも呪文とも呼ばれるもんですが、それを唱えて吹きかけた土砂を亡骸に撒く、安養廟をつくり卒塔婆を立てて墓所とする、などの様式を整えていきます。
光明真言によって加持された土砂を遺骸や墓地に撒くと、罪業を除き、成仏して極楽に行けるという考えは、当時、広く普及されたようです。

さて、こうした貴族や出家者の場合ではなく、一般の庶民のあいだではどうだったのか。
一般の庶民に仏教を布教したのは、聖と呼ばれる人たちです。
日本の仏教はそもそもが国家事業として輸入されたもので、新たな世界観を輸入すると同時に、そこに付随するさまざまな文明、文字や土木や建築や律令といったものまでを含めての仏教なのですが、遣隋使や遣唐使などを派遣して国家事業としてそれをやってきたわけですから、これらをもたらす人たちは、国費の留学生や国費で招いた渡来人たちです。
僧はそのなかに含まれるので、今でいうところの、国家公務員です。イメージとしては、国立大学の教授というのが一番近いかと思いますわ。当時の僧というのは、国家権力をバックにした資格、つまり得度が必要で、オレは今日から出家して僧になる!とは、勝手にはできん存在なのでした。

ただ、そういう人たちはエリートだし、下々のことにまで目配せするのはムリというもんで、彼らの恩恵の及ばない一般の民のために、オレは僧の免許はないけれども、人々の救済のために立ち上がる!と、覚醒した人は、まあ、今でいうところの無免許医師の赤ひげ先生、新しいところやと、NGO団体の代表みたいなもんですな。
国家公務員として給料もらいながらやってる正式な僧と違って、彼らはボランティアですから、民衆からは聖として崇め奉られ、生き菩薩と呼ばれます。難しい言葉では、私度僧と言います。公に得度(正式な僧としての免状を与えられる儀式)してないので、私度の僧、というほどの意味です。

天平時代の行基や、平安時代の、つぶやいた念仏が人形になってる(言霊ですな)像でおなじみの空也上人などが、私度僧、聖の代表的な人です。

こういう人たちが、生き倒れた人の埋葬などにも携わり、民間への念仏の普及にも大きな役割を果たします。

15世紀頃になると、僧の仕事の大半は葬儀関係が占めるようになってます。

江戸時代になると、寺壇制度が確立されます。
これは、葬式仏教の最後の総仕上げともいうべきものなんですが、寺院と檀家との関係を固定させるこの制度は、そもそもは、キリシタン禁制の徹底という目的を持ってはじめられます。
同時に、寺院が行政の末端となって、民衆の把握と統制に利用される時代のはじまりでもあるわけです。このあたり、江戸幕府の考えた統治システムはようできてるなあ、と思いますわ。民衆に抵抗がなく、空気のように、統制システムを浸透させていくのだから、ようできた制度です。

そのなかで、葬儀と祖先供養は、寺院と檀家を結びつけるもっとも大きな柱となります。この時代、祖師忌、仏忌、盆、彼岸、先祖命日の供養にはじまり、戒名、宗門寺の住持など、こと細かい決めごとが決められてます。今に続く葬式の様式の完成形は、この時代にできたと言ってもいいくらいで。

明治以後、政治的な強制がなくなっても、寺院と檀家の関係は残り、さらには今日のように古い家の制度が崩壊しても、なお葬式仏教の機能は変化することなく続いてます。もうね、江戸幕府が考えた統治システムが、どれほど日本人の心をつかんでいたか、ということの証明になってますね、これは。

さて問題は、このような葬式仏教が、仏教思想のなかで、なにを根拠にして発展してきたか、ということです。そもそもが仏教は、自らの悟りを求める宗教で、死者供養は少なくともその中核には位置しないですからね。

釈迦だって、涅槃するにあたって、自らの遺体の処理は在家信者に任せ、出家者には修業に専念することを求めてます。それが、のちにはインドでも死者の追善のためにストゥーパ(仏塔。転じて「卒塔婆」の語源ですな)などに寄進することも行なわれるようになってます。なんでか…。

ひとつには、廻向(eikou)という考えかたがあるんやと思います。廻向とは、もともと善行をある目的のために振り向けることで、悟りのための修業はその最たるものですわ。
ところが、大乗仏教が形成され、菩薩(利他の精神)という考えが出現し、自らの善行を他者の利益のために振り向けることが認められるようになってきます。
死者のように、すでに善行を成すことのできない者のために代わって善行を成し、その功徳を死者に振り向ける追善ということが、ここで可能になるわけです。
このとき、自分自身の業はあくまで自らが背負うのが原則であるはずの自業自得の考えから、大きく転換します。これ、コペルニクス的転換で、ちょっとでかすぎる転換でついていけるんかいな?と思わんでもないんですが、どれほどかの時間をかけて、そういう転換が行なわれたのでした。

この考えが中国に入り、さらに発展します。

中国は根本的に様式美の国なので、いろいろと仏事が整備されていくわけです。
四十九日まで七日ごとに七回の仏事に加えて、百ヶ日、一周忌、三回忌が修されるようになり、全部で10回の仏事があるので十仏事と呼ばれ、これが十王信仰と結びつけられます。十王信仰は閻魔信仰の発展したもので、四十九日までに裁判が行われたり、最後の裁判官が閻魔大王であったりするのは、十王信仰が十仏事と結びついて仏教入りしたもんですわ。
日本では、これに彼岸と盆を加えて、十三仏事となりますな。

民俗学的な目で見ると、日本人の死生観は、死とはタマ(魂)が身体から離脱すること、となります。
まだ新しい死者のタマはアラタマと呼ばれ、荒々しく、人に危害を加える危険な存在です。特に若くして死んだり不慮の事故で死んだ人のタマには、その傾向が著しい。そこでそのアラタマを祀り、鎮める必要があります。死者供養が必要な所以ですね。
こうして供養され、時間が経過するにつれ、次第にタマはその荒々しい性質を失い、穏やかなニギタマへと変化します。やがて年数を経るとまたは個性を失い、祖霊とひとつになり、これがカミ(祖先神)です。
タマがカミになるのにだいたい33年かかるので、年忌の最後が三十三回忌になっているのは、そのため。



…とまあ、断片的に溜めてきた知識を少し整理してみたけれども、まだまだとっ散らかったもんにしかなってませんな。。。。またどこかで、さらに深めていきたいと思ってます。



浜の墓(南浜墓地)と導引き地蔵
大阪市北区豊崎1-2

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9月+ラマダホテルの屋上ビアガーデンは超穴場☆
ラマダホテル 屋上ビアガーデン


ラマダホテルのビアガーデンに行ってきました! もとい、偉いさんとこの宴会にお呼ばれして、連れていってもらったのでした☆

ラマダホテルって、地下鉄中津駅直結で、むかしの東洋ホテルだったところですよね、たしか? あそこは、ANAのフライト・アテンダントの宿泊場所になっていて、むかし、スッチーの知り合いがいたころに、そこで待ち合わせをして梅田に繰り出したりしてました。ええ、15年くらい前の話ですけど。
いつ、東洋ホテルからラマダホテルに変わったのかよく覚えてないんですが、なにはともあれ、ホテルもすっかり様変わりして、ずいぶんと月日が流れたことを実感しましたです、はい。

ちなみに、地下鉄中津駅直結なのに、所在地は中津じゃなくて、豊崎になるのですな。知らんかったです。

もうビアガーデンって季節じゃないかもですけど、夜、過ごしやすいし、過ごしやすいときに宴会をやるのは、暑いときにやるよりよっぽどいいと思うんでしょうが、どうでしょうか?
9月30日までやっていて、8月中の混み具合とか知らないんですが、今、空いてるみたいですね。

ソフトドリンクも含んでくれているのが僕的には嬉しい飲み放題が2,000円の税・サ込み。料理は別途で、ソファー席だとテーブルごとのチャージが500円かかります。
これ、高いのか安いのか飲まない僕にはサッパリわからんのですが、どうなんでしょうか? ホテルの料金にしたら、安いように思いますが。。。

それにしても、ここは景色がいいです☆

ラマダホテル 屋上ビアガーデン

ラマダホテル 屋上ビアガーデン


スカイタワーから淀川、新阪急インターナショナルと、360度パノラマの夜景がひろがっていて、街のてっぺんにいる気分になりますな。9月だと、気持ちのいい風が吹いて、相当、いいかんじです☆
普通の椅子もしょぼいパイプ椅子じゃないので座り心地は他のビアガーデンより全然いいですが、ソファ席ってのがいいですね。ゆったりできます。

ラマダホテルってのも穴場ですが、9月のビアガーデンってのも、穴場です☆
しかも、大パノラマ+ソファ席。
ひとつ手持ちのカードが加わりました☆





ラマダホテル 屋上ビアガーデン
大阪市北区豊崎3-16-19
tel. 06-6372-8181
※ビアガーデンは2時間制
月-木・日・祝 / 18:00-21:30
金・土・祝前日 / 18:00-22:30
〜9/30まで
HP http://www.ramada-osaka.com/

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たけうちうどん店の夏季限定メニューはトムヤンクンうどん☆
大阪で一番美味い讃岐うどんのお店、感動的なまでの至福の体験を味わえる「たけうちうどん店」の夏季限定メニューが今、売り出し中と聞いて、早速行ってきました☆

今回は夏季限定メニューですが、通常メニューについてのエントリーはこちら。

豊崎界隈の激ウマ讃岐うどん 前編


で、季節限定のメニューというのが、なんと、トムヤンクンうどんなのですよ〜(笑)

讃岐うどん+トムヤンクンて…。。。。
チャレンジ精神旺盛というか、大丈夫かいな?(笑)

いくら天下無双のたけうちうどんとはいえ…、と、ちょっと半信半疑で行ってみたのでした。

お昼前に行ったので、珍しく外で並ぶこともなく、席も1席空いていて、なんとまあ、ラッキー☆ 幸先、いいです。
ほいで、1日限定10食と聞いていたのですが、見渡してみたところ、誰も、トムヤンクンうどんを食べておらず、例によって、鳥天ぶっかけのオンパレードです。
もう、売り切れたのか?と思い、おそるおそる聞いてみると、まだある、と。まだ売り切れてないのに誰も食べてないということは、もしかして人気がないのか?とちょっと不安になりながらもですな、勇気を振り絞って、トムヤンクンうどんを注文してみたのでした。

並、900円也。限定ゆえか、ちと高い。

待つことしばし。

到着しましたです☆

たけうちうどん店 トムヤンクンうどん


おおっ! パクチー☆ これは、僕みたいなパクチー好きにはたまらん画ですが、きっと、この時点で好き嫌いがはっきりとわかれそうです。

太めの剣にした大根、エビ、パクチー、そして、スープはまごうことなくトムヤンクン。
それほど辛くないですね。ほいで、暑いこの季節には、ちょうどいい酸味と辛味かと。トムヤンクンが冷たいのがね、これ、大ヒットです☆
これ、いいですわ!

冷たいトムヤンクンっていうのは、じつは、どこかで食べたことが一度だけあるのですが、こうやって、冷たくしてうどんと合わせると、意外なほど美味いです☆

えーっとですね、まず、ちゃんとエビの殻でスープをとってます。レモングラス、ナンプラー、入ってます。たぶん、ライムも入ってます。でも、ココナッツミルクは、きっと入ってません。
そういうトムヤンクンのスープを冷やして、弾力のあるたけうちうどんの麺と合わせると、スープの味の複雑さゆえに讃岐うどんとはまったく別物になるのですが、それでも、意外と、というか、かなりいけます!

でも、考えてみれば、ライスヌードル+トムヤンクンという組み合わせはあるし、その延長で、うどん、というのは、アリでしょうね。
きっと、ライスヌードルでやったほうが美味いんでしょうけれども、たけうちうどん店は讃岐うどんのお店だからな(笑)

なんにしても、美味いです☆ 見た目にも、いいです。
1日限定10食、毎日どの時点でなくなるのかわかんないのですが、これは、限定にせず、普通に定番にしてもらいたいくらいです。

話のネタに一度はどーぞ、なんてレベルじゃなくて、普通に、全人類にお勧めします。あ、パクチーがダメな人にはつらいですが(笑)

まあ、でも、定番にはならんのだろうな。
いくらなんでも、讃岐うどんの専門店で、トムヤンクンうどんは…、ないわな(笑)




ちなみに、今回の夏季限定メニューは9/12まで。
ほいで、例によって、情熱うどん讃州、弥七、輝とたけうちうどん店の4店で結成している、豊崎麺ず倶楽部の企画です。


たけうちうどん店 トムヤンクンうどん








たけうちうどん店
大阪市北区豊崎5‐2‐19
tel. 06-6375-0324
営業時間 11:30-14:30 18:00-21:00
日祝休
※昼なら13:30、夜なら20:00くらいまでが、麺が残っているギリギリの時間です。それ以降は、たいてい売り切れ。

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豊崎界隈の激ウマ讃岐うどん 前編
そもそものはじまりは、豊崎で、「たけうちうどん店」といううどん屋さんを知ったことに端を発するのでした。

讃岐うどんの店で、カウンターに10人強程度の小さな店なのですが、ここのうどんが、最強に美味い。きっと、大阪で一番美味いです。…や、よう知りませんが(笑)
麺がね、ツヤッツヤに光っていて、宝石みたいなうどんです。



僕、大阪駅前第3ビルの地下にある、雑誌とかで定番みたいにもてはやされてる例のお店は、まーったく認めてませんから。むかしは美味かったけれども、絶対に、味が落ちましたね。味が落ちたうえに、あそこの大将のエラそー能書きを聞かされるのかと思うと、ウンザリします。

で、どっかないもんかー、讃岐まで行くのも大仰だし…、と、思っていたところへ、3年くらい前かな、たけうちうどん店の存在を知ったのでした。

こんなお店です。うどん屋さんらしかぬ外観。

たけうちうどん店


麺が早い時間になくなっちゃって、売り切れ御免で、かーなり早い時間に閉店になっちゃうのが玉に傷なのですが、確実にありつける時間というものもあるので、そこがわかってしまえば、食いっぱぐれることは、まずありません。

まずね、麺が激ウマです。
僕は、手打ちうどんの打ちかたとかこねかたとか、麺は生きてるとか呼吸してるとか、水分量とか塩加減とか、茹で時間がどうとか、そーゆー能書きは知りません。
でもね、食べたらわかります。もうね、ノドに麺を流し込んだ瞬間に、タハッ!って、満面の笑みを浮かべてしまうというか、自然と顔がほころんできます。
悲しみも孤独も、憎しみも苦々しさも、振り上げた拳も溢れた涙も、ぜーんぶ、吹っ飛んでしまうだけのポジティブな快感が、この麺からは得られます。

モノを食べて、感動を覚えたり快感を覚えたりすることがあります。あるのですが、それは本当に稀で、でも、このたけうちうどん店のうどんからは、稀にしかないはずの快感があるんですね。これは、他では得られないものです。

それだけでもありがたいのに、麺の量がね、半端ないのですよ。
僕は食いしん坊なので大盛りを注文しますが、大盛りなんて、3玉以上あるんじゃないかと言いたくなるくらいの量です。食べても食べても、減っていくかんじが一向にしません。並盛りでもいい加減多いですが、開店当初、あまりの量の多さにクレームがついて、並については、これでも量を減らした、とのこと。もっとも、大盛りはガッツリ食べたい人用なので、量はそのまま。つまり、食べても食べても減らない(笑)

さらにさらにですな、人気の鳥天ぶっかけは、なんとフリットした鶏の天ぷらが、というよりもかぎりなく唐揚げに近いハードな鶏の天ぷらが5個、どんぶりから飛び出さんばかりの勢いで、ゴロっと乗っかってます。はっきりいって、そこらへんで食べる鳥の唐揚げ定食とかコンビニで買う鳥の唐揚げ弁当に入ってるものよりも、量が多い(笑)

たけうちうどん店




ときどきは、マイタケとゲソ天のぶっかけを注文するのですが、こっちも負けず劣らずの量です。

たけうちうどん店



他にもメニューはあるんですが、鳥天ぶっかけがやっぱ激ウマなので、どーしてもそれを注文してしまい、なかなか他のうどんにありつけません(笑) 二人前とか、絶対に無理だし…。

カレーうどん、肉おろしぶっかけ、温玉わかめなど、他にそそるメニューがあるのですよ〜。


食べたくなるときは、朝からどうしても食べたくなる気分で、昼ゴハンもしくは晩ゴハンまで、一日中、今日はたけうちのうどん!ってお腹にして、かつがつその日をうっちゃります。これ、どう考えてもジャンキーの症状じゃないですか(笑) そういう、ドラッギーな魔力が、ここのうどんにはあるのですよ。

そんなわけで、僕は今日も、たけうちうどん店に通うのでした。
値段、いくらだっけな? 鳥天ぶっかけの大盛りで、たしか800円ちょい。



問題は、不幸にして、麺が売り切れていたとき、このお店のうどんにありつけなかったとき…。
後編、明日に続きます☆






たけうちうどん店
大阪市北区豊崎5‐2‐19
tel. 06-6375-0324
営業時間 11:30-14:30 18:00-21:00
日祝休
※昼なら13:30、夜なら20:00くらいまでが、麺が残っているギリギリの時間です。それ以降は、たいてい売り切れ。

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「弥七」の醤油ラーメンがカップ麺になった…
弥七

そもそものはじまりは、豊崎で、「たけうちうどん店」といううどん屋さんを知ったことに端を発するのでした。

讃岐うどんの店で、カウンターに10人強程度の小さな店なのですが、ここのうどんが、最強に美味い。きっと、大阪で一番美味いです。…や、よう知りませんが(笑)
麺がね、ツヤッツヤに光っていて、宝石みたいなうどんです。

鳥天ぶっかけが人気メニューでして、なんとフリットした鳥の天ぷら、というよりもかぎりなく唐揚げに近いハードな鳥の天ぷらが5個、どんぶりから飛び出さん勢いで、ゴロっと乗っかってます。はっきりいって、そこらへんで食べる鳥の唐揚げ定食とかコンビニで買う鳥の唐揚げ弁当に入ってるものよりも、量が多い(笑)

鳥天だけじゃなくて、麺の量も、どういうわけか半端ないです。
特盛りだと、3玉はあるんじゃなかろうか。並盛りでもいい加減多いですが、開店当初、あまりの量の多さにクレームがついて、並については、これでも量を減らした、とのこと。でも、特盛りは、ガッツリ食べる人用なので、量はそのまま。食べても食べても、麺が減っていく気がしません(笑)

美味いもんは大好きだけれども、どちらかというとグルマンにシンパシーを覚える僕としては、嬉しいかぎりなのです。美味いだけじゃなく、それを腹一杯食べられる! 幸せなことじゃないですか。

ソバ同様、うどんもまたノド越しで味わうといいますが、あれはきっと、食べものに感動を求めるのではなくて、快感を求める食べかたですな。と、思うのです。ノド越しで味わっているかどうかはともかくとして、実際のところ、たけうちのうどんを食べて得られるものは、感動ではなくて、快感です。心ではなくて、身体に、ものっすごいポジティブなものが浸透していきます。
それは、ハウスともチルアウトともアブストラクトとも違っていて、ドカン!と、ブレイクが入ったような、ごっきげんなリフが飛び込んできたような、鋭利な鋭利なジャックナイフ的快感。あーっ!って叫びたくなるような、拳を挙げたくなるような。あ、サッカー見てて、ロスタイムに決勝ゴールが生まれたときみたいな快感です。

ぶっかけのダシも鳥天も美味いけれども、麺がね、ここの麺を口にしたときの快感というのは、ちょっと麻薬的です。とてもドラッギーな麺。うどんの褒め言葉としては、およそ似つかわしくないけれども。

食べたくなるときは、朝からどうしても食べたくなる気分で、昼ゴハンもしくは晩ゴハンまで、一日中、今日はたけうちのうどん!ってお腹にして、かつがつその日をうっちゃります。これ、どう考えてもジャンキーの症状じゃないですか(笑)
で、もちろん自家製麺ですから、数にかぎりがあって、ほぼ間違いなく閉店定時までに売り切れ御免となるのですが、朝からお腹をうどん腹にしてチャリを飛ばしていそいそ駆けつけて、売り切れ御免の札が出ていた日には…。。。

えーっと、今回、書こうとしているのは、たけうちうどん店ではないのでした。

じつは、たけうちうどん店がある豊崎は、ラーメン店とうどん店が軒を連ねる、ちょっとした麺エリアになってまして、そのなかの4店が「豊崎麺ず倶楽部」というユニオンを結成して、合同でイベントをやったり、コラボを企画したりしてます。

たけうちうどん店に通うようになって、そうしたユニオンの存在を知ったのですがね。

で、その4店というのが、
讃岐うどんの「たけうちうどん店」。
やはり讃岐うどんの「情熱うどん讃州」
ラーメンの「弥七」
つけ麺の「麺や 輝」。

たけうちうどん店のあまりの美味さに、残りの3店もきっと美味いに違いないと睨んで、片っ端から順番に行きましたですよ。

結論。
つけ麺が好きではないということをさっ引いても、「麺や 輝」は、要らん。というか、なんの印象も残ってません。。。
「情熱うどん讃州」は、そこそこ美味い。そこそこ美味いけれども、幸か不幸か「たけうちうどん店」がすぐそばにあるために、このエリアにいて「たけうちうどん店」をスルーして「情熱うどん讃州」にいく理由はない。「たけうちうどん店」に売り切れ御免の札がかかっていたときのための、保険のような店。
で、
「弥七」。

ああ、やっと「弥七」にまで辿り着いた。でもまだ、厳密には本題ではないです(笑)

じつは、豊崎麺ず倶楽部の4店のなかで、「たけうちうどん店」と「弥七」には行列ができます。で、「弥七」の場合は、その行列が半端ない。
行列に並ぶのは大ッキライなので、出来るだけ行列ができていない時間を見計らっていきます。といって、行列がない=売り切れ、という憂き目に遭う確率も高いのだけれども、僕の場合、朝からうどん腹になることはあってもラーメン腹になることはないので、それはそれで諦めもつきます。

ま、行列はともかくとして、中に入って食券買って、待つこと数分。じつは「弥七」にもオレの大嫌いなつけ麺がメニューにあるのですが、それには目もくれずに、塩ラーメン。僕が好きなのは、どこに行っても、塩です、塩。
塩ラーメンがラーメンの基本だとか、塩ラーメンを食べればその店の実力のほどがわかるとか、そーゆー蘊蓄とはまったく関係なく、僕は、塩派ですねん。あ、チャーシューは多めに、ヘタがあればヘタも、煮玉子は必須、そのへんが、僕の基本ラインです。

「弥七」のは鶏ベースのスープで、こってり系です。
天下一品も大好きな僕としては、こってりは、嬉しいかぎりですわ。ただ、おなじこってりでも、「弥七」のスープは、クリーミーとでもいったほうがいいような、なんちゅーか、牛乳入れてるのか?ってかんじの、まろやかなスープです。色だけ見てると、もんのすごいこってり系なんですけどね。でも、食べてみると、案外とそうでもない。

弥七

あ、今、ふと思い出したけれども、むかし、家で、深夜に日清の塩ラーメンをつくって食べて、そんときに賞味期限が迫っていたので、ラーメンと一緒に牛乳を飲んでたんですが、塩ラーメンと牛乳って、最悪の組み合わせです。どっちも好きだけれども、組み合わせて一緒に胃袋に入れると、ゲロ吐きそうになります(笑)

閑話休題。
話がなかなか本題に辿り着かないうえに、すぐに横道に逸れる。。。

えーっと、「弥七」のスープの話をしているのでした。
見た目はかなりこってりなんだけれども、食してみるとクリーミーでまろやかな味わいで、完食しても胸焼けしたりとか、そーゆーのが全然ない。もちろん、上品で洗練されたというわけではないのだけれども、この、そこそこさ加減が、僕的にはかなりストライクです。

具もね、最後にバーナーで焼き焦げ付けて香ばしくしたチャーシューのヘタ、しゃきしゃきの白ネギ、タマネギのみじん切り、とろっとした煮玉子。どれもこれもまともな材料を真っ当に調理した、素敵な具です。

麺は、ちょい中太で、平べったい、もちもちっとした麺。細麺好きの僕なのですが、これはこれで好きです。というか、このスープにはこの麺があうと思いますわ。このスープで細麺だと、麺がスープに負けます。

さて、「弥七」のスープが見た目ほどこってりしているわけではない理由は、紫蘇が入っているからだと思うのですね。
細く細く針のように刻まれた紫蘇が、こってりのスープに、春の風のような爽やかさをもたらしています。これがね、どストライクでしたね☆

で、ラーメンというのは、美味いうどんがもたらしてくれる快感とは違って、じわっとくる感動をもたらしてくれる食べものですな。
激辛ラーメンとか食べないからわかんないけれども、ラーメンというのは、麺を食というよりもスープを食するほうに重きを置いているせいか、稲妻のような快感が身体を貫いていくうどんと違って、なにか、みっしりとしたものが身体に充填されていくような、そんなかんじです。

「弥七」のスープには、ほどよいこってり感と、おろしたてのシーツのような爽やかな涼風が吹くせいで、冬に向かいつつある秋に訪れた小春日和のような、ゆる〜い心地よさがあります。そんなに好きな感覚ではないけれども、安心できるような、癒されるような感覚がありますな。

で、ここからがやーっと本題ですが(笑)、その「弥七」のラーメンがですな、な、な、なんと、昨日、タバコを買いに立ち寄った梅田のサークルKに、カップラーメンとなって鎮座しているではないですか!

僕の好きな塩ラーメンじゃなくて、醤油ラーメン。なんで醤油ラーメンだけカップラーメン化されたのか知んないけれども、ともかくも、カップ麺になってます。

そーいや、有名店のラーメンがカップ麺化された例って、今までにもいろいろあったような気がするのですが、そもそも元のラーメン屋に行ったことがないところばっかりだったので、特に気にも留めてなかったのですが、自分がひいきにしているラーメン屋さんのメニューがカップ麺化されるって、なんか、ビミョ〜な気分ですな。。。。

買ってみました。

商品名、「大阪豊崎弥七 醤油ラーメン」。エースコックとサークルKサンクスと弥七のコラボですと。258円。ちょい高。
太いノンフライ麺(70g)で、鶏白湯をベースにした醤油スープ。粉末と液体スープの2種のスープが入っていて、熱湯で5分調理してから2種のスープを投入します。
出来上がってみると、こんなんです。
わりに美味そうですね。

弥七

でも、これがねえ。。
そりゃ、そこらへんのカップ麺よりは美味いですよ。そのぶん、ちょい高いし。
でもさ、やっぱ、所詮はカップ麺ですよ。
そこには、紫蘇の風味もなければ、小春日和も春の涼風もありません。まあ、お店で醤油ラーメンを食べたことがないから、本チャンの醤油ラーメンとこのカップ麺がどの程度かけ離れているのか知らないですけど、ついでにいえば本チャンのスープに紫蘇が入っているのかどうかも知んないですけど、でも、間違いなく、比較対照するようなシロモノではないことは、塩ラーメンひと筋でやってきた僕にもわかります。

どんだけ高級なカップ麺をつくったところで、所詮はカップ麺で、そこに「弥七」のラーメンが存在する意義が、まーったくわかりません。

豊崎麺ず倶楽部のコラボって、こういうことなのか?
そーいえば、カップ麺の蓋の裏には、こんなもんが印刷されてました。

弥七


去年だったかな、「弥七」は1ヶ月ほど、お店を閉めたことがありました。
そんときはお店の軒先に貼紙が出ていて、
「従業員が広島で独立して、新しい人員の補充が間に合わず、ご満足いただけるものを提供することが出来ないので、体制が整うまでお休みさせていただきます」
みたいな内容のことが書かれていたのでした。

つまり、
暖簾が信用で出来ていて、その信用を守っていくことがお店を繁盛させるための条件だということを、わかってらっしゃるお店なのです、「弥七」は。

そういうお店が、自社商品の廉価版とすら言えない、カップ麺を出す。
暖簾の信用を落とすだけじゃないですか。

なにを狙っているのか、見えません。

見えないけれども、見えないなりにつらつらと考えていると、思い当たることも、すこーしだけあります。
たとえば、上に書いた、独立した従業員さんは、「弥七」の味を、広島で再現していると言います。今、「弥七」のサイトからは削除されているけれども、独立された当初は、「弥七」の店主が、広島に行かれた際にはぜひ!と、案内&応援のページをアップしていました。

さらに、サイトには、なーんと、「弥七流ラーメンの作り方」なるページがあって、「弥七」のラーメンのレシピが公開されているのですね。

専売特許でも独占でもなんでもない、と、言わんばかりです。
現実には、レシピが公開されようが、大阪から遠く離れた広島で暖簾わけが行なわれようが、当の「弥七」の客足に影響するとは思えません。
でも、料理屋にとって、レシピは、最重要な経営資源のはずです。
それを惜しげもなく公開する気前のよさ!

少しだけ思うのは、その気前のよさと、今回のカップ麺発売は、どこか、地続きで繋がっているのかな、と、いうことです。

こうなってくると、暖簾とはなんなのか、ということを考えさせられますな。




ラーメン 弥七
大阪市北区豊崎3-4-8
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