どーも、こじゃれたカフェとか行かないように思われているみたいなんですが、ええ、行きません(笑)
高いし、能書き多いわりには能書きほど美味くないし、接客が未熟だし…。
老舗の暖簾にあぐらをかいてるところも好きじゃないですが、まだ老舗のほうが、あたる確率は高いかな。
まあ、でも、ときどきは行くんですよ、こじゃれたカフェにも。
家の近くをウロウロしていて、たまには行ったことがないエリアに足を踏み入れてみようと、中崎町の商店街のすぐ北あたりの小径をズイズイッとチャリで入っていったのですね。完全に普段の活動エリアの範囲内なのですが、このあたりは、ホワイトアウトみたいなかんじで、まーったく足を踏み入れたことがなく、僕的には完全に抜け落ちている空間なのでした。
入ってみると、流行りの中崎町と雰囲気が似てます。
古い民家をリサイクルして、小資本でカフェや雑貨屋さんやヘアサロンや、その他諸々のお店をやるという形態。
放置されていた長家を改装して、木のぬくもりがあって、中庭もあって…。
こんなお店です。ここは続き長家になっているので、隣近所も、やはりおなじように、カフェやサロンが並んでいます。
これから悪口を書くつもりなので、あえて店名は出しません。写真だけ、出します。
このお店の売りは、サンドイッチです。
ボリューム、あります。美味いです。
これは、エビカツサンド。
ちゃんとしたエビカツですね。
この他にも、鶏とキンピラゴボウのサンドイッチや、鶏とチョリソーのサンドイッチなど、いろいろあります。
でも、高いです。
そして、美味いけれども、能書きほどには美味くないです。
スローライフというか、要するにちゃんとした材料を使ってちゃんとしたものをつくるということをわざわざ声高に叫んでいるお店は、僕は、商売としてはどうかと思うのですね。
ちゃんとした材料を使ってちゃんとしたものをつくるのは、飲食を商売にする以上、あたりまえのことでしょうに。心地いい空間を提供するのも、これまたあたりまえのことで。それを、わざわざ言わないとダメなお店って、なんなんでしょうか?
美味ければ、どこ産の鶏であっても関係ないはずです。
食ってみて、美味い!というのが先にあって、この鶏は美味いですね!って問いかけがあって、じつは○○産の鶏で…、って、順序が、あたりまえだと、僕は思うのですよ。
それが、だ。こーゆーお店は、○○産が、真っ先に来る。
大阪の商売は、そういうことを言うのは下品だから言わない、という文化があるので、商売人としての教育をキチンと受けた人がやっているお店は、そういうことを言わないし、居心地のいい空間づくりは、店をオープンさせてからの絶え間ない持続によって、黙って努力してます。でないと、お客が離れていくからね。
さらに言えば、ちゃんとした材料を手に入れるのは難しいのはわかるのですが、だからといって、仕入れの実力をつけてないから、原価がかさんで、そのぶんを価格に乗っけようとします。
だから、高い。
価格は、商売をする人にとっては、大切なメッセージだと思うのですが、なぜか、原価から計算して、経費を乗せて、自動的に売価を弾き出し、なんの疑問もなしに、まあまあ高い売価で売ってます。
ちゃんとした材料を、ちゃんとした調理法で、心地いい空間を、いろいろとメッセージを出したがるくせに、肝心の、設定されている価格から、その人の思いが伝わってくることは、ほとんどありません。
サンドイッチと飲みもので1,000円超えるというのは、利益を乗せすぎているか、仕入れの努力をしていないか、スケールメリットを追求していないかの、どれかです。思いを込めた価格がまずあって、その価格で商売を成り立たせるための工夫が、感じられないのですね。
さらにいえば、店主の思い云々以前に、その価格で、このエリアでやっていくには、図々しすぎます。
いい材料をそれなりの値段で仕入れて提供するのは、誰でもできることです。それだったら、おんなじものを市場で買ってきて家でつくって食べたほうが、安くすみます。
そうじゃなくて、仕入れの努力をしていい材料を安く仕入れて、プロにしかできない技で調理して、プロにしかできない接客をして、それでいて、これは安いわ!と思わせなければ、商売でもなんでもないでしょうに。
件のお店は、放置されていた長屋を自分たちで改装して…、というのをウリにしていました。
日用大工の延長で家のリフォームをやるから、僕が座った場所は、店のスタッフが横を通るたびに床が揺れて、何度も椅子から転げ落ちそうになるほどでした。
それも味だ、というなら、商売としては失格だと思います。