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長柄橋南詰めの観音さんが教えてくれるのは、「口は災いの元」
長柄橋南端の2体の観世音菩薩

長柄橋南端の2体の観世音菩薩



長柄橋
の北区側、つまり南側の橋のたもとに、観音さんが祀られております。
しかも、1体ではありません。中央に立派な観音さんと、右側に、表面が剥落した石仏の観音さんの2体が、おわします。

通常、観世音菩薩が祀られている仏堂を大悲閣と呼びます。ここは仏堂や楼閣というほどのサイズではないけれども、それでも、これはこれで大悲閣でしょうな。
大悲とは、大いなる慈悲というほどの意味です。

京都の嵐山、大堰川西側の鳥ヶ岳のてっぺんに、大悲閣というお寺さんがあります。眼下の大堰川開削に際して多数の犠牲者が出たことから彼らを弔うために建てられたお寺さんで、やはり観世音菩薩を祀っています。

長柄橋のこの観音さんを見たとき、すぐさま大悲閣を思い浮かべました。
こちらの観音さんも、きっと、淀川の開削や長柄橋架橋の際に亡くなった人たちの弔いのために祀られた観音さんに違いないと思ったからです。

調べてみると、なかなか壮絶な逸話が出てきました。

かつて、このあたりに橋を架けようとしたのだけれども、工事は困難を極め、人柱を立てることとなったのでした。
ところが、です。当然のことながら、誰を人柱にするかで紛糾します。そこで、地元の長者のひとりであった巌氏(iwauji)に相談したところ、「袴に継ぎのある人を」と言ったのだとか。
そこで袴に継ぎのある人を探したところ、なんと、それを言った当の巌氏の袴にこそ、継ぎがあったのでした。
句が残っていて、「物いわじ 父は長柄の橋柱 鳴かず雉子も 射られざらまし」と嘆き悲しんだ一人娘の光照前が詠んでいます。
「物いわじ」は「巌氏」に、掛けてるんだろうか?
ちなみにこれ、推古天皇時代の古事です。

句を見るかぎり、巌氏が自ら人柱となるように仕組んだご宣託ではなく、要らんことを言ったために人柱になってしまったことを悔やみ嘆いているので、この話は英雄譚ではなく、なんともいえん、間抜けではすまされないけれども、やっぱり間抜けな話です。口は災いの元、というやつですな。

いずれにしても、どうやら、このとき、巌氏だけではないでしょうが、架橋に際して犠牲になった人々を弔うために、ここに観音さんが祀られたようです。


観音さんの横には、「旧長柄橋弾痕」と書かれた旧橋脚の一部と、顔から胸にかけての表面が剥落した痛ましい姿の、もう一体の観音さんがいらっしゃいます。

その観音さんの横に、縁起が刻まれた石碑がありました。

そこに書かれていたのは、第2次大戦時の大阪空襲での犠牲者を弔うために、とありました。
1945年(昭和20年)6月7日、第3次大阪大空襲の際、都島区から豊中市にかけて、淀川の両岸は焼き尽くされたそうです。長柄橋の橋の下に避難したものの、400人以上が亡くなったのでした。

中央の観音さんは、その人たちの供養のため、建立されたものなのだそうです。見ると、大慈大悲観世音菩薩、とあります。

1951年(昭和26年)、橋の大修理が行われた際、「旧長柄橋の空襲跡の保存を求める連絡会」の奔走により、ふたつの観音さんは今もしっかりとこの地に安置され、大きな慈悲で包んでいる、ということです。

架橋工事がいかに難事な工事であったか、大空襲がいかに凄惨であったか、そうしたことを、ここの仏堂は今も伝えてます。





長柄橋南端の2体の観世音菩薩
大阪市北区天神橋8丁目




World End
天神橋8丁目商店街 北詰


日本一長い商店街で有名な天神橋筋商店街は、天神橋の北詰の1丁目から北に向かってはじまるわけですが、反対側の端がどこまでだかは、あまり知られていません。
商店会や連合組合的な区分を持ち出すと、どこまでが商店街なのかは断言できなくもないのですが、それはユーザーにとってはあまり意味のあることとも思えません。

6丁目まではアーケードがあるのでそこまでが商店街かと思いきや、天六の交差点を北にわたった先に7丁目の商店街があって、その先に、8丁目の商店街もあり、それらは全部、繋がってます。

大阪天満宮の参道を中心に、旧淀川(大川)と新淀川(現淀川)のあいだを走る南北の通りに商店が集まってで来たのが天神橋筋商店街ですから、一方の端を天神橋の北詰からはじまる1丁目だとしたら、もう一方の端は、現在の淀川に架かる長柄橋の南詰、8丁目だと言えるかもしれません。

このエリアは長柄といったほうが通りがいいのでしょうが、それでも、長柄のエリアに食い込むかたちで、町名はれっきとした天神橋8丁目。

いわゆる一般的な商店街のイメージはまったくなく、修理工場が並んでいたりアーケードがなかったりと、かなりイメージはかけ離れるのだけれども、それでも商店街を名乗っていて、しかも天神橋筋と一直線で繋がっているので、ここまでを天神橋筋商店街とすることには、それほど違和感がありません。

一番北側にあるのは、ラブホ(笑)

商店街の外から中を臨むと、こんなかんじになりますから。
天神橋8丁目商店街 北詰



で、このあたりで写真を撮っていたら、なんかしらんけれども警官に職質されて、どこの署の警官かを聞いたら、大淀署でした。
長い商店街なので、場所によって、所轄がわかれてます。
そんなわけで、曽根崎署、天満署、そして大淀署が手分けして天神橋筋商店街の治安を守っているということも、たまたま知りましたわ。



それにしても、僕はよく職質されるな(笑)

年の瀬のひとコマ。。。。





天神橋8丁目商店街の北詰
大阪市北区天神橋8丁目14


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