大阪市の北区をグルグル巡るブログ | 大阪市の北区メインでいろいろ仕事をしてます。仕事場も住んでるところも大阪市北区なので、北区をグルグル巡って、目にしたもん耳にしたもん感じたもんを、つらつらと書いています。

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傷アートメイク×防災イベント@関大アトリエ
傷アート

傷アート

傷アート

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傷アート

傷アート

傷アート

天神橋筋商店街の3丁目で、防災のイベントがありました。
といっても、メインは、傷メイク(笑)
ECCアーティスト専門学校の特殊メイクの生徒さんたちが来て、手や顔に傷や火傷のメイクをしてくれはります。
で、そんときに防災意識についてのアンケートをとったり、三角巾の使い方を学んだり。
昨秋に続いて、2回目。 

僕もべつの場所で防災の取り組みをやってますが、防災イベントは、こんなふうに工夫を凝らさないといけないところに来ていると思いますな。

ひと目で場所がわかるハッピ!
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天神橋筋商店街で徳島の物産展やっていて(今日まで)、
それはいいのだけれども、このハッピ!
徳島(南阿波)といえば、関西だと場所がわかる人も多いだろうけれども、きっと、東京あたりまで行くと、四国のどのへんだっけ?ってことにもなるんでしょうね。僕ら関西人が東北6県のそれぞれの位置をちゃんと示すことができないのとおんなじで。
というマーケティングの結果を受けての、このハッピだと思うのですね。
考えたなー、と。

天三に大提灯がやってきた☆
天神橋筋商店街の2丁目。天満宮のすぐ隣のあたりですが、そこに、アーケードから吊るされたでっかい提灯があります。
僕のブログのタイトル周りのコラージュ写真のど真ん中に鎮座しているやつですな。

これ、天満を代表する伝統工芸職人である提灯舗かわいさんの作品です。
提灯舗かわいさんのHPはこちら。

http://www.chochin-kawai.com/shohinframe.html


で、僕が普段からよくお世話になっている関西大学リサーチアトリエがですな、このたび、アトリエ前のアーケードの天井から、おんなじサイズの提灯を製作してもらって、ここに吊るす!と、そんな話を耳にしたのが、4月か5月。
それが、このたび完成して、6月23日、大提灯吊り下げのセレモニーが朝から行われたので、行ってきましたです〜。

こんなのが、今日、吊るされました☆
関大アトリエに来れれる人は、この提灯を目印に来られるのがいいかと。

関大STEP 提灯


提灯の製作過程は、関西大学RAのブログ「楽歳天三の日々」にも数回にわたって掲載されてます。

http://kustep.exblog.jp/

僕も以前に取材してこのブログで紹介したことがあるのですが、もっかい、おさらいしときます。

提灯の製作手順は、張り型に骨を沿わせる→和紙を貼る→型を抜く→文字や絵を入れる、という製作手順でできあがっていて、多くの職人の手が入ってます。なので、担当する工程でミスがあるとかかわっている職人全員に迷惑が及ぶので、それを考えると、気の抜けない集中力が要求されますな。

ところで、提灯というのは、室町時代に中国から入ってきたものなんやそうです。でも、折りたたみ式ではなく、折り畳める提灯は、日本独自のものですわ。そういえば、中国では、「灯籠」と書いて、携帯用の提灯も据え置き用の行灯も一緒くたにしてるんで、折りたたむという発想自体がないですな。

ちなみに提灯には、一本の長い骨を螺旋状に巻いていく巻式の提灯と、一本一本骨をかけて留めていく地張りの提灯がありまして、地張りの提灯は製作に時間も手間もかかって効率的ではないけれども、大きな提灯、しっかりした提灯、用途に適した提灯をつくることができます。

こんときの実演では、地張りの提灯の製作を見せてもらいました。


まず最初は、竹を割って提灯の骨をつくる竹割の作業から。
縦に半分に割った竹をさらに半分に割いて、それをまた割いて、最終的に、物差しくらいの幅になるまで割きます。

関大STEP 提灯

物差しくらいの幅になった竹の先端に、おなじピッチで8〜10個程度の切り込みを入れていきます。今度は、竹ヒゴ程度の幅に割いていく作業です。

関大STEP 提灯

刃を据え付けた台に竹を乗せて、切り込みに沿って刃を入れていき、竹を細かく割いていきます。

関大STEP 提灯

でも、刃を入れるのは竹の節のところだけで、それ以外のところは、竹をしごくことで勝手に割けていき、バラけていきます。勝手に、といっても、しごきかたに熟練のコツがあるのはもちろんで、キレイに割けるようになるのには、やっぱ時間がかかります。山上さんは、入門から1年間は、来る日も来る日もこればっかりやらされてました。

関大STEP 提灯

こうして骨ができたら、張り型に骨を沿わしていきます。張り型の周りにクルッと骨を沿わせて、骨の両端を、糊を塗った和紙でクルクルッと接着して、固定します。
職人技のキモは、正確に、手早く、美しく、だと思うのですが、この、和紙でクルクルッと骨の両端を巻いていくさまは、正確、かつ手早く、かつ美しい姿で、惚れ惚れしてしまいました☆

関大STEP 提灯

関大STEP 提灯

骨をすべて張り型に沿わせたら、次は、和紙を貼っていきます。大きな刷毛で骨に糊付けして和紙を貼っていくんですが、糊を塗るというよりも、刷毛で骨を叩いて、糊を乗せていくという感覚です。糊が多くてもダメだし少なくてもダメだし、このへんも難しいところで、塗る感覚でやると、どうしても糊が多くなってしまって、失敗するんだそうです。だから、叩いて、糊を骨に置く感覚で。

関大STEP 提灯

糊を塗ったら、骨に和紙を貼っていきます。提灯舗かわいさんで使用する和紙は、島根県の石州和紙。ユネスコの無形文化遺産に登録されている和紙です。たしか、障子紙によく使われる和紙だったと思うんですが、もしかしたら違うかも…(笑)

関大STEP 提灯

ピンとキレイに貼れたら、ヘラを使って骨の上に筋を入れて、和紙を完全に骨に貼っていきます。ちなみに、糊は、壁紙を貼る糊とおなじものを使っているんだそうです。虫が来ないので、これがいいんだとか。文具で使う糊よりも固めの糊で、霧吹きで水を吹いて、伸ばしていきます。

関大STEP 提灯

貼り終わったら、カミソリを使って、余分なマージンを切り落としていきます。これも簡単そうに見えて、きっと、難しい(笑)かーなり集中力を要すると思いますわ。
このあと、半乾きの状態で、張り型をばらして、提灯が完成。次は、絵入れと字入れにバトンタッチ。

関大STEP 提灯

こーんな格好で、筆を走らせていきます。平たい紙や木じゃなく、立体の表面に筆を走らせていくので、安定させるのが大変でしょうな。

関大STEP 提灯

関大STEP 提灯

何種類もの筆や刷毛を使い分けて、かすれを出したりにじみを出したり…。

関大STEP 提灯

囲い字といって、字のアウトラインを書いてから、なかを塗っていきます。塗り絵に近い手法ですね。ちなみに、提灯に使う文字には決まったフォントはないそうですが、見やすくて、訴える字を書けと言われてきた、と、河合さんはおっしゃってはりました。

関大STEP 提灯

描くのは、一発勝負。書道家は何十枚も何百枚もおなじ字を書いて一番いいものを展示するけれども、提灯の絵入れや字入れは一発勝負で失敗が許されまへん。このプレッシャーのなかで、納得のいく仕事をしなければならないのだから、大変やと思いますわ。

関大STEP 提灯

無事完成☆
これ、お寿司屋さんの店先に提げられていると、似合いますな。いくらぐらいするのかな?

関大STEP 提灯


ってなかんじです。

でも今回は、こんなサイズではなく、直径1.7m、高さ2m、重量約10kgの大提灯ですよ。
当然、それだけのサイズの提灯をつくるにはそれなりのサイズの作業場が必要なわけで、提灯舗かわいさんのところでつくることのできる、最大サイズの提灯なのだそうです。

ただ、高さ2mの提灯をつくるとなると、単純に考えて、最後に張り型をバラして提灯から抜き取るときに、提灯の倍のサイズの4mの高さが必要なわけで、でも、通常の作業場の高さが4mもあるはずもなく、バラしたはり型の抜き取り作業も、これまた職人技が発揮されたそうです。

なんせ、こんなサイズですからね〜。
運ぶだけでも大変です。

関大STEP 提灯


ナミハヤノーツさんのUstチャンネルに、アーカイブがあります。
しかし今回は、知り合いがわんさと来てました(笑)


Video streaming by Ustream


Video streaming by Ustream

ところで、こうやって畳んでいるとき、上下の金具が提灯の和紙の一部を挟んでいるかたちになるので、和紙が傷みます。下手すると、破けちゃいます。それを防止するために、金具と和紙があたるところには、厚紙を敷いて、養生してあります。
そういう、細かいtipsもたくさんあって、職人技というのは、見ていて本当に飽きません。

さて今回は、商店街や各所から偉いさんが出席され、大阪天満宮からもお祓いが来られてました。

関大STEP 提灯


で、いよいよ吊るします。
ここは動画を撮ったので、ぜひ、動画で☆



吊り上げているとき、関大吹奏楽部の学生さんたちが、場を賑やかにしてくれはりました。

関大STEP 提灯


さあ、吊り上がりました!
片面は「天三 楽歳 楽市楽座」の文字。
もう片面は「関西大学」の文字と校章。
側面には「関大STEP」の文字が描かれてます。

関大STEP 提灯

 関大STEP 提灯

関大STEP 提灯

関大STEP 提灯


これ、プリントじゃなくて、もちろん手描きです。

「関西大学」の文字が少しいびつに見えると思うのですが、これ、遠目から見てちゃんとまっすぐに見えるように、描かれているのです。

これ、ほら、遠目から見ると、まっすぐに見えます!

関大STEP 提灯


大阪天満宮の花娘さんたちも来られてました。
彼女たちは、毎年公募され、例年、7月7日の星合祭でデビューするのですが、今年は、この大提灯吊り下げにてプレデビューです。

こんな人たちです。

http://umeda.areablog.jp/page.asp?idx=1000000468

関大STEP 提灯


さて、このあと、お昼を挟んで、書家の今柄紫峯先生と京子BANDの音楽がコラボするイベントが。

今柄紫峯先生のHPはこちら。

http://www.shihou-an.jp/

関大STEP 提灯


紫峯先生の書のパフォーマンスが大胆で、これは見ていて楽しいのですよ。

関大STEP 提灯

関大STEP 提灯

関大STEP 提灯

関大STEP 提灯

関大STEP 提灯

関大STEP 提灯

関大STEP 提灯

関大STEP 提灯



というわけで、盛りだくさんの一日でございました。



そして来週、7月1日(日)10:00-17:00は、この関西大学リサーチアトリエで、TJWKのモチーフサーキットです☆
ニット好きの人もそうでない人も、みんなで集まって、楽しく、被災地を支援しましょう☆

「今年もTJWKモチーフサーキットやります!一発目は7月1日関大リサーチアトリエ(天神橋)☆ またみんなでつながりましょう!」








天満の路上人「ハニィ」
天神橋筋商店街の3丁目、土居陶器さんのすぐ南側の角のところに、忘れたころに、彼女は現れて、歌うのですね。
路上人、ハニィ。
まあ、掃いて捨てるほどいてる、路上の弾き語りですよ。
僕は、この手の人たちに目を遣ることはまずないのだけれども、彼女だけは、ちょっと心に引っかかってるのですね。
なんちゅーか、自意識に支配されていないというか、甘ったるい情緒に流されていかないというか、なんといえばいいのかな…、ちゃんと、遠く人にまで届くように歌っているのが伝わって、そこが、いいなと。
りよがりではない、簡単にがなり立てるでもない、ちゃんと、遠くの人の琴線に触れるように、彼女は歌を紡いでいるように思うのですね。
そこが、ちょっと気に入っていて、かれこれ、5年くらい、道で彼女と出会っては、聞いています。
今日は、3ヶ月ぶりくらいかな。
伸びやかな歌声は、この冬を越えても、健在。
ようやく春を感じさせる空になって、ちょっとしたプレゼントをもらった気分。

「ハニィ」で検索したら、YouTubeにいくつか引っかかるので、興味がある方は、どうぞ。

天神橋筋商店街をロボットが駆け抜けたのでした☆
学会シーズンとかで忙しいらしく、天神橋筋商店街にある関西大学リサーチアトリエの皆さんや先生たちが、僕と全然遊んでくれません(笑)
と、淋しい思いをしていたところ、10月8日(土)、なんと天神橋筋商店街にてロボットを走らせるというではありませんか! 大阪マラソンのPRイベントの一環で、関大システム理工学部の倉田純一研究室ロボットが走るとのことです。

もちろん、行ってきましたですよ!

倉田先生とは…、この夏、関大のご厚意で、千里山キャンパスのオープンキャンパスにて、Think Of JAPAN While Knittingの活動PRとブランケットの展示をさせていただいたとき、お会いしたのでした。

あ、そのときの展示の模様は、こちらを。倉田先生は、そこには登場していないけれども(笑)

「今年最後のモチーフ・サーキットを関西大学リサーチアトリエで開催しました☆

んで、その展示の設営の際に、たまたま倉田先生を紹介していただいたのでした。そんときはロボットの話なんて全然出なくて、被災地の中学校に理科の授業をしにいくのだ!と、頼もしくもおもしろくもある試みを、僕は聞かされていました。

なんちゅーか、関西人らしい茶目っ気のある魅力的な先生で、リサーチアトリエを運営するSTEPの与謝野先生をはじめ、関大の先生というのは、僕が持っている、学者さん=世間知らずでコミュニケーション不能な人たちのイメージを気持ちよく裏切ってくれる、素敵な人たちばかりです。

倉田先生は、この夏、被災地で暮らす中学生に理科の授業をしに行かれ、そのときのお話は、現場に行かれた人でしか持ちえないナマの、示唆に富んだお話なのだけれども、その話を書きはじめるとブログがそれだけで終わってしまいそうなので、そこは次の機会に譲るとして、今回はロボットです。

今回、商店街を駆け抜けたロボットは2体、トボックくんとデレコちゃんです。

トボックくんは、倉田先生が15年前にこの世に誕生させたロボットで、無論、PCで制御するわけですが、モニターを覗いてみたら、DOS-Vでした(笑)アップデートしてないのか!(笑)
して、その出で立ちはというと、ロボコンみたいな、20世紀の晩年に僕たちがイメージしていたロボット然としたもので、愛嬌があります☆
さらに、商店街を走るのだから商人だろう!ってことで、ねじり鉢巻に前掛け、手にはソロバンを提げてます。これまた古典的なイメージ(笑)

トボックくん

前方のボードを見ているのがわかると思うのだけれども、このトボックくんは前部に取りつけられたカメラで色認識をし、その色の方向に進んでいくよう、プログラムされているのですね。
前方のボードは一面が緑になっています。そしてトボックくんは、緑を識別するようにプログラムされ、緑のボードをめがけて走行する、という仕組みです。
ちなみに、電源は車で使用するようなバッテリー。ま、15才というなかなかな年齢のロボットなので、そういう電源になりますわな。なかなかレトロチックなロボットでいいかんじです。

スタート時を映像に収めたので、動画でどーぞ☆



続いて、もう一体のロボット、デレコちゃんも出動です。
デレコちゃんは卵形をしてリボンをつけたかわいらしいかんじのロボットです。制御しているPCを見ると、OSがDOS-Vじゃなくてwindowsだったな。それだけ新式(笑)
ロボットっちゅーのは、若いほど性能がすごいのが定番なので、きっと、デレコちゃんのほうがハイスペックのはずです。

走ってみると、やっぱ、デレコちゃんのほうが速くて、人間が普通に歩くよりは速い速度で走ってます。ちなみにこちらも前部のカメラで色識別して、色ボードを目指して走るようになっています。

トボックくんよりも遅れて出発したのにもかかわらず、デレコちゃん、すぐにトボックくんに追いついちゃいました。

関西大学リサーチアトリエ

ただ、デレコちゃんが速いというよりも、トボックくんの動きが挙動不審というか、イマイチ、ちゃんと走ってくれないかんじなのですね。なんか、機嫌悪そう…。

途中、扇町総合高校の吹奏楽部「オーギーズ」(祝!全国大会出場☆)の生徒さんたちも応援に駆けつけてくれ、大阪マラソンのPRイベントらしく、盛り上げに一役買ってくれたりもしてくれていました。僕、オーギーズの大ファンで、追っかけのようなこともしているのだけれども、オーギーズは、とにかく、地域のイベントに無数に顔を出してくれますね。現場の場数、ムチャクチャ踏んでますから。

オーギーズ

さて、アトリエを出発したトボックくんとデレコちゃん、商店街を南下し、南森町の1号線を越え、天満宮を横目で見、商店街のアーケードが切れるところに設定されたゴールまで駆け抜けたのでした。
その間、オーギーズは、コースを何度往復してマーチを演奏してくれたことか!

デレコちゃんの圧勝だったので、僕は途中からずっとデレコちゃんに張りついてました。
デレコちゃんのゴールシーンは、こちらを☆

デレコちゃん




ゴールまで1時間弱くらいかかったかな。
これが早いのか遅いのかわかんないけれども、人通りの多い商店街なので、そうそうスピードを出すこともできないし、結構、声援も受けていたし、写真撮ってる人も多かったし、んなことしながら人混みを縫っての走行だったので、まずは事故がなかったことが一番じゃないですか。

さて、デレコちゃんがゴールテープを切ったあと、トボックくんが来るのを待っていたのだけれども、待てど暮らせど来ないので、見にいってみると、トボックくんは、力走むなしく、あえなくリタイアとあいなったのでした。

なんでも、商人になりきるために前掛けを着たわけですが、その前掛けと対人センサーがかぶってしまい、対人センサーが反応しまくって、止まったり動いたりという、挙動不振な動作を繰り返していたことが、途中わかりました。そのせいで、バッテリーを大量に食ってしまい、あえなくリタイアという結果になってしまったのだとか。

最先端工学部といえど、そのような試行錯誤を繰り返して成功を導き出すのだと思うのだけれども、やっぱ、商人は一日にして成らず!トボックくんも丁稚を経ていないので、こういうアクシデントにも見舞われるわけですね。

とまれ、そんなことも含めて、おもろいイベントと相成りました。おもしろかったですわ☆
倉田先生、お疲れさまでした☆


関西大学リサーチアトリエ
大阪市北区天神橋3-9-9

HP http://www.kansai-u.ac.jp/rakusai/


大正モダンの一瞬の煌めき、プラトン社の「苦楽」の挿絵原画を見る
「苦楽」


「プラトン社」という出版社をご存知か?
大阪に6年間だけ存在していた、幻の出版社です。

1922年(大正11年)で設立され、彗星のようにして現れた出版社です。

このプラトン社は、化粧品会社の中山太陽堂を後ろ盾にし、女性を読者層に狙った斬新な文芸誌を引っさげて登場したのですよ。
1922年(大正11年)5月に「女性」、1923年(大正14年)12月に「苦楽」が創刊されました。産声を上げた場所は、大阪の谷町5丁目。

執筆者がすごくてですね、泉鏡花、大佛次郎、谷崎潤一郎、武者小路実篤、与謝野晶子ら、耽美派から自然派まで、大正モダンを代表する人たちが執筆しているのですね。
会社の運営には、当時の演劇界に新風を吹き込んでいた小山内薫、編集には直木三十五、川口松太郎らが携わっていました。デザインは、山六郎、山名文夫、岩田専太郎…、いわゆる大正モダニズム、阪神間モダニズムを引っぱった逸材ばっかりです。

最初からこんなすごいメンツが集まったわけではなくて、きっかけは、関東大震災です。
プラトン社設立2年目の1923年(大正12年)、関東大震災が起こり、東京の文士たちが大阪に流れ込んできたのですね。
そんときに、中山太陽堂の社長にしてプラトン社の後ろ盾でもあった中山豊三が、タニマチ精神を発揮して、莫大なおカネを突っ込んで彼らの作品を買い、生活の面倒を見ていたといいます。
その流れで、プラトン社に、多くの文化人、文士が流入していきます。
おかげで、当時、大阪が日本文壇の中心になっていたようですね。

創刊された「苦楽」という雑誌は、雑誌名がすごすぎますが、これ、小山内薫が「life」を和訳したものです。
直木三十五は「苦楽」で自身最初の小説を発表しているし、それが菊池寛の目にとまって「文藝春秋」で執筆するようになり、最後には自身の名を冠した直木賞が創設されるまでになります。

さて、東京の復興が急速に進むと、多くの文士は東京に戻り、大手出版社が大部数の大衆向け雑誌を刊行しはじめたこともあって、プラトン社の経営は次第に逼迫していきます。
出版活動を停止したのは、設立から6年後の1928年(昭和3年)。

一瞬の煌めきのような出来事だったのでした。


天神橋筋商店街3丁目の関西大学リサーチアトリエにて、雑誌「苦楽」の総絵原画が展示されていたので、間隙を縫って、サクッと見に行ってきました☆

「苦楽」

「苦楽」

「苦楽」

「苦楽」

「苦楽」

「苦楽」

「苦楽」

「苦楽」

「苦楽」




プラトン社 雑誌「苦楽」総絵原画展
7月2日〜3日 10:00-17:00
関西大学リサーチアトリエ
大阪市北区天神橋3丁目9-9


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関西大学リサーチアトリエ

HP http://www.kansai-u.ac.jp/rakusai/




「被災地からの紙芝居メッセージ」
ご存知、僕の最近の遊び場である関西大学リサーチアトリエ@天神橋筋商店街3丁目は日曜日は閉まっているのだけれども、たまに開いているときがあって、それはイベントがあるときですね。

こないだの日曜日、6月26日、防災紙芝居セミナーなるものが開催されたのでした。もちろん、行ってきました。防災関係はちょっと食傷気味ではあるのだけれども、紙芝居は好きなので。

今回は、関西大学リサーチアトリエでお馴染みのヤッサン一座の口演もあったのだけれども、ゲストに、東京から紙芝居師の金谷邦彦さんが「被災地からの紙芝居メッセージ」と題して、被災地に行ってこられた経験を話してくださるのでした。これが楽しみでね☆

金谷さんは、被災地に入って、避難所で何度も紙芝居を行なってこられました。

避難所には、お子たちだけじゃなくて、オジィもオバァもたくさんいてるし、そういう人たちにも楽しんでもらえるように、あんぱんマンじゃなくて、黄金バットの紙芝居を持っていったそうです。

金谷さんが持っているのは、純正の黄金バットじゃなくて、当時流行した海賊版です。
だから、タイトルも「ジャングルボーイ」ってなってますね。コピーがない時代、あちこちに点在した紙芝居師さんたちが、ホンモノの黄金バットを参考にして、思い思いに描いたものが、たくさん出まわったそうです。これは、そのうちのひとつ。でも、これだって文化的風俗的価値があるし、なによりも手描きならではの迫力があります。

防災紙芝居セミナー


黄金バットの登場です☆
しっかし、この姿で正義のヒーローだったのだから、むかしはやっぱ、自由度が高かったんでしょうね。
既成概念や固定観念に絡めとられていない造型は、今よりもよほど豊かです。
そして、金谷さんの素敵な声がね、またよく通るんですよ。

防災紙芝居セミナー


こういう、オジィやオバァが懐かしんで喜んでくれるような紙芝居を持って、金谷さんは被災地をまわってきたのだそうです。

現地の写真も、たくさん見せていただきました。

防災紙芝居セミナー


お子たちがね、関東大震災みたい!と、言っていたのが、印象的だったな。
まだそういう言葉を知らない小学生なのだけれども、地震をキッカケに、たくさんの不似合いな知識を得たのだと思われます。


あと、金谷さんは厚紙とクレヨンをたくさん持っていって、避難所にいるお子たちに、気晴らしに紙芝居をつくってみない?と、たくさん、声をかけられたそうです。

そうやって、お子たちがつくった紙芝居も見せてもらいました。
3ヶ月も避難所に閉じ込められていると、ストレスも頂点に達しているだろうけれども、お子たちの世界は、わりと繋がりができているようです。

防災紙芝居セミナー


この紙芝居も、誰か絵の上手いお子が代表して描いたものではなく、みんなが協力して描いたのだそうです。東北の避難所のお子らは、そういうことが自然にできるようになっているのだとか。このへんの繋がりかたというのは、少なくとも大阪とはちょっと違っていて、なかなか素敵だなあ、と思いましたですね。

地震が起きてよかった、と、お子らのうちの誰かが言ったそうです。
地震が起こったおかげで、みんなが仲よくなったからよかった、と。

これは関大の草郷先生が先の新潟中越地震の復興過程をリサーチするなかで見つけてこられた事例ととてもよく似ているけれども、逆境に立たされた集団は、どうやら、より強固な繋がりができる事例があるようです。
でもこんなこと、テレビでリポーターが言ったら、紹介したら、袋だたきですね。
こういう、小さな紙芝居の現場だから伝えることができる事実でもあります。

あと、避難所のお子ら数人で、長編の紙芝居を1日でつくってきてくれた、なんてのもありました。
何枚もの紙にクレヨンでギッシリと絵が描かれていて、話す言葉も用意されていて…、それらは、たった1日で完成されたものなのだそうです。

防災紙芝居セミナー


避難所の、ライフラインが満足に行き渡っていない場所で、夜になると電気が消される場所で、何人もの人がぎゅうぎゅう詰めにされている場所で、大作の紙芝居を、たった1日でつくってきたんだとか。

言いたいこと、伝えたいことが明確にあるから、そういうことができたんでしょうね。
事実、この紙芝居には、余計なものや欠落しているものがまったくなくて、じつにシャープに表現されているのですよ。

防災紙芝居セミナー

防災紙芝居セミナー


最後にね、またべつの場所で、7歳と9歳の兄弟に、金谷さんは紙芝居を描くことを勧めたのだそうです。
7歳のお子が描いたのが、コレ。

真っ白な紙に弟が怪獣を描き、おにいちゃんは、なんで怪獣なんか描くんだよ!と、言ったそうです。
でも弟は、黙々と続きを描いた。逆さまになった車が描かれ、怪獣に襲われる人が描かれ、最後に青の海が描かれ、ようやく、この怪獣の正体が津波だということがわかりました。

防災紙芝居セミナー


7歳の少年が描いたものは、圧倒的な悲劇をなんとか飲み込もうとした果ての、心象風景なのでした。
この兄弟は、津波で、おかあさんを亡くしたのだそうです。
そして、この怪獣を描いた弟は、神も仏もいるもんか!と、叫んでいます。
そういう現実もまた、被災地のお子らが描いた紙芝居からは伝わってくるのです。


防災紙芝居セミナーと名付けられた紙芝居イベントだったけれども、心に残ったのは、やはり、金谷さんが伝えてくれた、被災地からの息づかいが感じられる、このような作品です。

これはマスコミを通じてはなかなか伝わってこないものですね。
1時間ちょいしか見ることができなかったのだけれども、実りの多い時間を過ごさせてもらいました。



あ、下の写真は、6/27、読売新聞の朝刊に載った記事。
記事はそこそこ詳しく書かれてあるけれども、この写真、やらせですから!
イベントの途中、読売新聞の記者が勝手に仕切りだして、自分がほしいシーンを再現させて、写真撮ってはりましたわ(笑)
お子らに、こっちに座って、あっちに座って、紙芝居はこのあたりで〜、なんてね。
イベントを勝手に中断させて、お子ら、このシーンの撮影のために、一回見た紙芝居をもっかい見せられていました。かわいそうにな。
あれよあれよと進められたので途中で止める隙もなかったけれども、主催者は、即刻、厳重注意されてました。件の記者、馬耳東風どこ吹く風ってかんじで、受け流してたから、完全に確信犯ですね。
主催者に無断で勝手に仕切るって、どんなジャーナリストだよ(笑)
ニュースって、こうやって勝手につくられていくのね。バカだね。せっかくの読売新聞の金看板も、こうして泥にまみれていくのだな。

防災紙芝居セミナー





第2回防災紙芝居セミナー

6月26日 13:00-15:00
関西大学リサーチアトリエ
大阪市北区天神橋3丁目9-9


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関西大学リサーチアトリエ

HP http://www.kansai-u.ac.jp/rakusai/

国際紙芝居協会
HP http://1000kamishibai.net/






天神橋筋3丁目の「とっつぁん」がやってるランチがすごいです!
なにを今さら、というかんじもしないでもないけれども、本日は天神橋筋商店街で破竹の勢いの「とっつぁん」を。

天満界隈は今、ビニールシートで囲ったビニシー系の店舗が目白押しなのは、たくさんの人がご承知の通り。
で、火を点けたのが、「とっつぁん」ですね。
なんせ安いし、ボリュームはあるし、この造作だからこの価格で出せるのね、と、低価格の理由もハッキリと伝わってくるので、その潔さも好きですわ。

立ち飲みを主戦場にしているような上等の酒飲みさんにとってはどってことないんだろうけれども、そうではない僕みたいなのにとっては、ここは、バールですね。ラテン・ヨーロッパ全域に点在している、ざっかけない、庶民の味方のバール。

これでもかっ!って、てんこ盛りのボリュームでお皿を出してくるのは、目の肥えた人ならカラクリもわかりそうなものだけれども、でも、この手の演出は嬉しいですね。というか、とっつぁんのいいところは、酒飲み、美味いもん好きの心をくすぐるツボをよく知ってることですわ。

天神橋筋には、今、10店舗くらいありますね。居酒屋だけじゃなくて、お寿司屋さんの店舗もあるし、ちょっとずつ業態を広げていってるみたい。
最近では、天神橋筋商店街を飛び出して、京橋にも進出してはりますな。
急ピッチで店舗を広げだすとあんまりいいことはないので、その点は心配しているのだけれども、まあ、上手くいくことを祈ってます。

さて、そんなとっつぁんですが、天神橋筋商店街の3丁目、夫婦橋のミスドから100mほど南に下ったところで西に伸びる小道を入ったところにも、店舗があります。商店街に面してるところにもあるのだけれども、そこじゃなくて、小道に入ったところの店舗。

そこはですねー、ランチやってるんですよ。

とっつぁん


とっつぁんは基本的には夜の店で、昼はやってないのだけれども(最近、京橋のお店がお昼やってるみたいだけれども…)、ここはお昼もやってくれるのですよ。で、ランチメニューがね、やっぱ、僕みたいなのにとっては嬉しすぎるメニューになってます。

ランチメニューはたくさんあるわけじゃないので、僕、全メニュー制覇してしまいました(笑)

とっつぁん


では、以下、ランチメニューです☆


まずこれが、造り定食850円也☆。
造り定食なのに、野菜天ぷらがドーンとあって、一見して、何定食かわからないくらいです(笑)
で、ゴハン、アラ汁はおかわり自由☆

とっつぁん


造りは、たぶん毎日微妙に違うんだろうけれども、こんなかんじです。
トロサーモン、マグロの漬け、甘エビ、ハマチ、マグロ…。

とっつぁん


続いて、煮魚定食850円也
ちなみにコレが一番人気で、遅い時間に行くと、売り切れてるときもあります〜。
サブのお皿は造りか天ぷらをチョイスできるようになっていて、これまた煮魚定食+αとしか言いようのない品数(笑)
んで、定食はすべて、ゴハンとアラ汁のお代わり自由。
ただし、アラ汁の具のアラは、煮魚か?といいたくなるほど、たーくさん入ってますから(笑)

とっつぁん


煮魚の種類は、毎日変わります。
で、お店に入るやいなや、今日の煮魚は○○です〜!って、デッカい声で案内してくれます。
こんときは…、なんだっけな?
それにしても、煮魚が2枚。普通は1枚でしょーに(笑)

とっつぁん


続いて、天ぷら定食〜。天ぷら定食については「並」「上」「特上」と3段階ありまして、これは特上天ぷら定食950円也
エビがデッカイです(笑)
そして例に漏れずに、サブのお皿には造りが。イカ、サーモン、トロ☆
ゴハン、アラ汁お代わり自由です。アラ汁の中身が満タンなのも見てとれるかと。

とっつぁん


ゲソ天、イワシ天、タマネギ、茄子、シシトウ…、そんなかんじかな。
結構、食べごたえあります〜。
「並」「上」だと、天ぷらの品数が減ったり、お造りが減ったりするんだと思います。
だから、美味いもん順に、というよりも、ボリュームによって段階が分けられているとしか思えません(笑)
「上」850円也☆
「並」750円也☆

とっつぁん


続いて、海鮮丼850円也

とっつぁん


ドンブリの上に乗っかってる海鮮たちの量が尋常ではありません。
もう、なにがなんだか…。カオスですね。何種類乗っかってたのか、覚えてないわ(笑)

とっつぁん


最後は、マグロの中落ち漬け丼500円也
これを500円で出すとは驚愕以外のなにものでもないですが、これだけは、僕的には不要かな〜。
じつはですね、こいつだけは、味がモノクロなのですね。しかもボリュームが多いから、食べても食べても、マグロの漬け…。飽きます(笑)
それでもやっぱり、この価格でこのボリュームは、特筆に値しますな☆

とっつぁん

とっつぁん



というわけで、ランチ全メニュー制覇☆

あとですね、このお店の店長さん、接客がめっちゃ気持ちいいです。
雨降ってるときとか、帰り際、雨降ってるんで風邪引かんように気をつけて下さい!なんてふうに、いいかんじで声をかけてくれます。僕、ここの店長さんと顔見知りじゃないけど、そういうふうに、いろんなお客さんに声をかけてはりますね。
それがね、仕事でそうしているとか、マニュアルに沿っているとか、そういう印象をまったく与えずに、普通にそういう気遣いをしているふうにして、声をかけてくれます。

なかなかできることではないですね。




とっつぁん 扇町店
大阪市北区天神橋3丁目7-18
tel. 06-6358-3773
11:30-13:30 17:30-22:30
月休み(ランチは日月休み)


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天神橋3丁目内の公園にある顕彰碑を見て、このあたりの学校名に「済美」の名が使われていたことに思いを馳せる
えーっと、我ながら、なかなか小ネタのエントリーです。

天神橋筋商店街の3丁目、南森町とミスドのあいだのエリアなのだけれども、商店街から一本東へ入ったあたりに、児童公園があるのですよ。
ごちゃごちゃしたところに突如現れる、エアポケットみたいな空間です。

中野岩蔵先生顕彰碑

ジャングルジムとかブランコとか置いてある、ごくごく普通の公園ね。今、すぐ隣にマンションが建設中。
一応、堀川児童遊園地って名前がついてます。地蔵盆のとき、この地域ではこの公園が会場になりますわ。

そちらにですね、ちっこい公園に似つかわしくない、石碑が建てられているのですよ。

見ると、
「中野岩蔵先生 顕彰碑」
と、刻まれています。

中野岩蔵先生顕彰碑

中野岩蔵先生顕彰碑

石碑に刻まれた功績を基にしていろいろ調べてみると、
昭和初期、与力町(この公園があるあたりですわ)に済美幼稚園を経営してたのが中野岩蔵氏で、昭和8年、これを大阪市に寄進したのだそうです。
そのとき、天満幼稚園と改称されました。
ただ、1945年(昭和20年)に、戦災により、天満幼稚園は焼失し、そのまま閉園となってしまったそうです。
で、それでは偲びないと、この地の有志が奔走されてですな、現在のこの児童公園に土地が換地されたとのことです。
そして、めでたく、顕彰碑が建てられた、と。石碑建立は、1961年(昭和36年)のことです。

済美、という名前は、今では中崎町あたりで使われている地名です。
だから、一見すると、なんで天神橋にその名前が?と、なります。

ただ、済美という地名は、明治に発布された教育勅語に依っていて、「世々厥の美を済し…」というところからとられているといいます。
家代々の家業を受け継ぎ、よいことを成し遂げる、というほどの意味ですかね。

で、1872年(明治5年)あたりから各地に小学校が設立されていくわけなのだけれども、その際、もちろん町名から小学校名を名付けたものがあると同時に、漢籍から、立派な言葉を採用した例もあったと言います。やっぱ、学校だし、それなりの威厳を持たせたかったんだと思います。

そういう理由から、「済美」という名前が、このあたりの学校名に付けられ、済美第一小学校、第二小学校…、と、番号がついていきます。

この石碑にまつわる済美幼稚園も、おそらくは、その伝にならって命名された幼稚園なのだと思います。

大阪の商売人は子弟教育の重要性を強く認識していたというので、きっと、この幼稚園が担った期待や役割も大きかったんでしょうな。

ちなみに、中野岩蔵氏については、石碑に刻まれている以上のことは、調べてもわからず。

宿題としますか。。。。。


中野岩蔵先生顕彰碑
堀川児童遊園地内
大阪市北区天神橋3丁目4


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「天神橋筋・中崎町界隈 古書店マップ」製作秘話を聞いてきた!
天神橋筋・中崎町界隈 古書店マップ

みなさん、「天神橋筋・中崎町界隈 古書店マップ」というものを、ご存知か?

天神橋筋商店街の3丁目にある「関西大学リサーチアトリエ」に遊びにいくようになって、そこに積まれていたのですね。
B4版の紙に、オール手描きのmapと、裏面は古書店リスト。これも手描き。
天神橋筋と中崎町をメインに、30店舗の古書店がマッピングされています。しかもよく見ると、現在のものは第2版。版を重ねてるのか!

でも、そこで見たのが初めてじゃなくて、どこだか覚えてないけれども、いくつかの場所で見かけたことがあって、そんときは、古本屋さん業界かなにかの団体がつくったのだろうな、くらいで、さして興味はなかったのですね。まあ、天満界隈は古本屋さんが多いし、そういう地図があってもいいわな、くらいで。
古本屋さんは嫌いじゃないけど、むしろ新刊派なので。

でも、その地図が関西大学リサーチアトリエに山積みにされていて、でも、それってちょっと変じゃないですか。
なので、聞いてみたのですよ。
すると、です。すると、関大社会学部院生にしてアトリエに常駐しているスタッフの松岡慧祐クンらの発案で企画され、ひとつずつ書店を訪ね歩いてつくったのだそうです。
社会学部も扱う領域は広大無辺にあるだろうけれども、まさか地図をつくっていたとは。
というか、聞けば、松岡クンは地図マニアで、研究対象も、ズバリ、「地図」です。


きっかけは、アトリエの近くにある古書店の店長さんが、お客さんに古書店マップのようなものはないか、と問い合わせがよくあると聞き、ないんだったら、つくろう!と。そういうことらしい。地図オタク…、基、地図研究学者さんの研究対象とまちのニーズの幸福な出会いが、そこにはあったわけです。

昨年8月に企画し、10月に動きはじめ、1ヶ月で製作。
僕も仕事が早いほうだけれども、これもなかなかのペースです。

僕もね、何度か地図をつくったことがあるけれども、めんどくさいんですよ、あれは。特にリストがない場合はね。
古書店マップも、30年か40年ほどむかしに関西の古本屋mapというのがあったらしく、それを取り寄せてリストをつくったり、大阪古書組合のHPをあたって、加盟店をリストアップしたり…、つまるところ、いくつかのリストをツギハギしてリストをつくっていくわけだけれども、積み上げ方式だと、漏れがあるのかないのかすらわからない状態で進めていかねばならんので、精神的にもしんどいですね。
紹介してもらったり、足で歩いて散策してみたりと、最後は、自分の目を信じるしかない、というところに行ってしまいますから。

そのあたりの苦労は僕もわかるだけに、これはなかなかの労作業だっただろうと推測します。

紹介してもらったりするためには話を聞く必要があるわけで、そうなると、飛び込むしかないわけです。
でも、古本屋さんのオヤジさんって、頑固でヘンコそうなイメージがあるじゃないですか。そこを、営業経験のない大学院生の松岡クンたちが、勇気を振り絞って飛び込むわけです。
会ってみればね、気さくで人のいい大将もたくさんいるだろうけれども、会うまでがね、なかなか勇気が要ります。ま、そのあたりはオフレコの話も含めて、楽しい話がいろいろあるので、お聞きになりたい方は、松岡クンに直接聞かれるのがいいかと。

ちなみに松岡クンは、こんな人です。
顔出しはヤダ!とダダをこねるので、足だけのご登場。でも、この足であっちこっちを歩き倒して、古書店地図は完成したのでした。

天神橋筋・中崎町界隈 古書店マップ


そんなかんじで、リストを作成するまでの苦労はなんとなく想像がつくのだけれども、実際の製作における苦労などは、どんな点があったんでしょうかね?

聞いてみると、地図でカバーする範囲の設定が難しかった、と。
当初は天神橋筋商店街だけを中心に考えていたところ、商店街は直線なので、地図も恐ろしく縦長のものになってしまうし、そうなってしまうと、地図特有の面的な広がりがなくなってしまい、おもしろくない。。。
そこで、もう少し広域にして、全体の広がりを持たせるよう、範囲設定したのだそうです。

なるほど〜。面的な広がりね。たしかに、地図の特性って、そういうところにありますね。言われてみて初めて気がついたけれども、納得☆

さて、オタクではなく社会学者が地図をつくるのだから、地図の持つ意味や意義といったところを、松岡クンにおうかがいしました。
地図が果たす役割とは、なんぞや?と。

まず挙げられるのは、
地域のイメージの再構築のキッカケになる、と。

これも、あ、と思いましたな。
地図をつくるということは、そのエリアを編集するというか、デザインするというか、要するに、タグ付けした情報を抜き出して、現実を矮小化させる行為です。言い換えると、洗練、デザイン、リ・デザイン、再構築…、そういう概念が、しっくりきます。

エリア内に存在する有象無象にタグをつけて、抜き出し、ビジュアルにすることで、有象無象に埋もれてしまっている、あるイメージを浮かび上がらせることができますね。
実際、この界隈には古本屋さんが多いな、と、なんとなくわかっていても、こうして地図化することで、ビジュアルとして捉えることができるし、数値化することもできるので、曇っていたものがクリアになって、より把握しやすくなります。
その意味では、グラフに似てるかもしれない。でも、グラフよりも、地図のほうが楽しいのは、盛り込まれているビジュアル要素がバラエティに富んでいるからでしょうな。

さらに、地域の共同性を高める役割を地図は果たす、と。
これについては、この古書店地図がまさにケーススタディになっていて、こうして地図を作製することで、これまで付き合いの希薄だった古書店同士の交流が生まれたのだそうです。
地図ができるまでは、自分のまちにどれだけの同業店舗があるのか知らなかった古書店さんがたくさんいたのだそうです。
でも、できあがってきた地図を見て、あんなところに店があったのか、知らんかったな、といったことがたくさんあり、実際に訪ねていったりする古書店さんもあり、さらにはそうしたネットワークが商売に繋がった例もあったのだとか。

地図にそのような役割があったとは、もう、ビックリで、こうなってくると、地図をつくるという行為そのものが、意味も意義もあるものになってきますね。
だって、そうなると、地図をつくる行為が、そのまんま、地域への愛着をますことに繋がっていくのだから。

このあたりのお話はなかなかスリリングで、僕のように、仕事で地図をつくったりするような人間には、まったくない視点です。
仕事で地図をつくる場合は、その地図を手にとる人、つまりユーザーさん、観光地でいえば観光客側に立って、その人たちが使いやすい、その人たちに撮って有益な情報が載っている、そういうことに力点を置きながら、製作していきます。

でも、社会学者さんの視点は、それだけではなくて、地域のため、という目線が入ってきます。つまり、観光地でいえば、観光客のみならず、観光地の人たちにとっても意義のあるもの、という目線。
これ、すごく新鮮でした。

実際、古書店地図の裏面にリストされている古書店さんのスペックには、PR文が添えられていて、それらは、古書店さんご自身が書かれているのだそうです。
さらに、掲載されている史跡や観光スポットのなかには、古書店さんからの提案もあったとのことで、地図づくりに古書店さんもかかわっている、と。
つまり、松岡クンをはじめとするアトリエのスタッフたちだけでなく、地域の人たちが製作にかかわっているんですね。だからこれは、地域(古書店さんたち)の集合知でもあるわけです。

そのようにして、まちおこしのツール、地域を繋ぐメディアとしての役割を、地図製作というプロジェクトは担えるのですね。
それも、だ。
初版3,000枚+現在まで増刷が8,500枚のすべてが大学の印刷機をまわしてつくられているので、コストは紙代数万円のみ。人件はアトリエスタッフだけなので、実質のコストは紙代だけです。
わずかそれだけのおカネで、こんだけのことができてしまうという。。。

いやー、地図って奥が深いな。

「天神橋筋・中崎町界隈 古書店マップ」は関西大学リサーチアトリエほか、界隈の古書店など、いろんなところに置いてあります。

PDF版は、こちらからダウンロードできます。

http://www.kansai-u.ac.jp/rakusai/rakusai/rakusai_koshomap.html
http://www.kansai-u.ac.jp/rakusai/img/rakusai/kosho/map.pdf


そんなふうにして古書店地図をつくってしまった松岡クンなのだけれども、なぜ古書店だったのかというと、昨年の7月にアトリエがオープンして、商店街に一人放り込まれて、唯一、気楽に立ち寄れたのが、古書店だった、とのことです。

あの界隈には、古書店然としていない、わりとオープンな古書店もあるので、そうしたお店にフラッと入り、気がつけば店主と仲よくなり、そんななかで前段に書いたような幸福な出会いがあり、そこからコトははじまったのでした。

松岡クン自身も、ご自身の研究のために古本屋を巡るのみならず、古本や古着のような、店主のこだわりで、厳しくも楽しそうに商売をやってはる、あの佇まいが好きなようで、きっと、そのあたりの相性もよかったのでしょうね。
また、若い人たちが古本に興味を持って地図をつくるということも、年配の人が多い古本店主たちには嬉しかったのかもしれませんな。

松岡クンは、最後に、こう語ってくれました。
これだけ古本屋が集積しているのなら、これは立派なまちのアイデンティティのひとつになると思うし、地図には、複雑な空間や社会の情報を縮減・一覧化して、まちのイメージやアイデンティティ(地域性)を生成する機能があると思っているので、地図をひとつつくることで、人びとの認識も少しは変わるのではないかと思っています、と。

なるほどね。
アイデンティティの確立まで目指せるのだとしたら、地図もなかなか奥が深いですな。


松岡クンは現在、リサーチアトリエのスタッフを任期満了で終え、通常の大学院生に戻られています。なので、アトリエにはいてないけれども、アトリエを訪ねてスタッフに問い合わせしていただければ、きっと、松岡クンとコンタクトがとれるはずなので、地図にまつわるあれやこれやのお話を聞いてみたい人は、ぜひ☆




「天神橋筋・中崎町界隈 古書店マップ」
関西大学リサーチアトリエ
大阪市北区天神橋3丁目9-9
http://www.kansai-u.ac.jp/rakusai/index.html


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