大阪市の北区をグルグル巡るブログ | 大阪市の北区メインでいろいろ仕事をしてます。仕事場も住んでるところも大阪市北区なので、北区をグルグル巡って、目にしたもん耳にしたもん感じたもんを、つらつらと書いています。

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ギター少年☆
ギター少年


クリスマスの日、仕事で移動中、少年が道端でエレキ・ギターを弾いているのを見かけました。西天満のほうの公園なんだけれども、公園の名前は知りません。。

弾き語りでもバンドでもなく、立って、ひたすらエレキ・ギターを弾いていましたな。路上でなんだかんだとやっている人たちはたくさん見かけるけれども、これはなかなか珍しい光景。
このクソ寒いなか、ご苦労なことですわ。

と、一蹴することもできたのだけれども、これが妙に引き込まれるんですよ。

コピーなんだけれども、めっちゃ上手い。
クラッシュの曲を延々とやっていて、ふ〜ん、と思っていたら、あっ!と気がついた。この少年は、ギターの持ちかたからカッティングまで、クラッシュのジョー・ストラマーを真似てました。
きっと、大好きでリスペクトしまくってるんだろうな。

見ている人は、僕ひとりでね。でも、そんなことはまったく意に介さずに、寒い冬空のしたで、彼はずっと弾き続けていました。
お客さんのためでもない。自分の音楽を売り込むためでもない。もちろんおカネを入れる箱なんて置いてない。
ただ、大好きなアーティストのことだけを思いながら弾いているのが、伝わってきて、かなり新鮮だったですね。

こんな気持ち、あったなあ、と思ったです。
歌詞をノートにただ書き写したり、アルバムの感想をただひたすら友だちに話して聞かせたり、そうしないといてもたってもいられないような気持ち。
書いていた走り書きだらけのノートや徹夜で話し込んだこととかを、つい、思い出してしまいましたわ。

不意打ちのクリスマス・プレゼントをもらったみたいな気分。

この少年は、これからなにかを見つけるんだろうか?
僕は、いっぱい見つけたぞ。





ソウルフラワー・ユニオン『キャンプ・パンゲア』を聴いている
キャンプパンゲア

インタビューの仕事をしていて、最近つくづく思うのは、ジャンルや年齢とは関係なしに、自分と似たような境遇にある人、たとえばヒト山越して次の鉱脈を探そうとしている人や、自分が向かいたい方向の少し先にいる人を好んで、インタビューしているように思います。

人にお話を聞くというのは、もちろん仕事だから聞くんだけれども、それ以上に、自分のやっていることが間違っていないのかどうか、これでいいのかどうか、の、確認作業のようなもので、もはや師匠らしい師匠がこの世にいないような年齢になってしまった僕にとっては、つくづく、こういう仕事ができてよかったな、と思うのでした。

むかし、まだ若かったころ、とんがっていたころ、青くて固くてパンクばっかりだったころ、あっかんべーばっかりしていたころ、表現の仕方を知らなくて暗い情念を持て余していただけだったころ、オレはあんたたちとは違うねん!特別でっせ!ヘンタイでっせ!って、気分でしたな。

露悪趣味とでもいえばいいのかな、ほらほら!白い目で見てみろよ!って気分があって、でもそれは、マジョリティへの憧れというか、マジョリティに参加できないコンプレックスの裏返しみたいなもんでもあったわけです。
ただ、それだけ真面目に生きていたってことでもあるんで、なんか、誰よりも邁進していた気はするな。自分を追い込んだり、真面目に汗を流すことを厭わなかったですな。

やっぱ、旅に出たということが大きかったのかもしれないけど、怒りよりも、歓びや感動や泣いたり笑ったり肩組んだりすることを原動力にして頑張ることが気持ちよくなってきて、特別でっせ!ヘンタイでっせ!という気分も、いつのまにか、すんまへん!ヘンタイですねん!こんなんしかできまへんねん!ってふうに、変わっていったのでした。
オレとあんたは違う。だからオモロいんやん!って。

と、こんなふうにストンと書いてしまうと、あまりにも枝葉をバッサリと刈りすぎてしまっているためにキレイゴトみたいになっちゃってるけれども、ぶっとい幹を貫いている流れみたいなもんは、まあ、こんなかんじです。

なんでこんなことを書いているのかというと、長い長い付き合いになるソウルフラワーユニオンが出した新譜『キャンプ・パンゲア』が、今回もやっぱ最新作が最高傑作、最新作が代表作を地で行くアルバムで、今はこればっか聞いていて、つくづくおんなじような心持ちで歩いてきたなあ、と、今さらながらに思うからなのでした。

若かりしころは理念が先行していて肉体が追いついていないような、ちょっと頭でっかちなところのあるバンドだったけれども、それでも、世界の端っこからど真ん中を撃ち抜かんとする気概があって、そんときの僕の気分と、寸分違わずでびったり重なってましたわ。あんときの志の高さったら、なかったな。

そっから年月を経て(もう、25年近くなる…)、現場の風にさらされまくった精神はずいぶんとタフになって、共通言語を捨てて、どんな国の人とも、老いも若きとも、悪人とさえも、笑おうや、泣いたらえーやん、肩組もうや、って、酒を酌み交わして、音楽をどんどん豊かなものに、そしてタフなものにしていっている。

日本回帰でも演歌でもない、しみったれたフォークでもない、遠い目をしてレイドバックしているのでもない、甘ったれた情念でもない。
共通言語の外に出て、ジャンルをとっぱらって(ソウルフラワーの音楽には、もはやジャンルはない)、こんなんしかできへんのやけど、これはこれでえーやろ?と胸襟を開いて、悪人も罪人もなく、これ、一緒に歌わへんか、と、肩を組む。

いや、タフになったな。
ここには、がなり立てるだけのようなエセ政治的なモノ言いがあるわけではない。社会のさまざまな場面に遭遇し、飛び込み、織りのようにたまっていく風景のいくつかが発酵し、重層的に複雑に折り重なった心象となって、その心象が歌われたものばっかりだ。
だから、いかようにも接触することができる。
マインドがオープンだということは、こういうことやね。

僕も、近ごろは、自分の子供くらいの年齢の人と、ごくごく対等にしゃべって、笑ったり泣いたりしていることが多い。
マインドは、オープンなほうがいい。



ソウルフラワーユニオン『キャンプ・パンゲア』特設サイト



NHKよりももっと神聖かまってちゃん!
昨日エントリーした神聖かまってちゃんについて書いた「木蓮と爆音」の反応がすごいです。
僕のブログには不思議なくらいにコメントがつかんのですが、その代わり、メールが来る(笑) ダイレクトにメール送られると仕事に支障が出かねんので、なるべくならブログのコメント欄にお願いします(笑)

日曜深夜のNHKを見た人たちの衝撃は、やっぱ、すごかったみたいですな。

かまってちゃんもすごかったけれども、なによりもこのバンドを出演させ、収録だったのにもかかわらず、最後のMCまで放送したNHKは、やりおりますな、と。
ついでにいうと、歌詞の「TSUTAYA」を字幕付きでそのまま放送したのも、まあどーでもいいことだけれども、NHKはやりおりますな、と。

僕らは情報過多になっちゃってるから、音楽番組のかなりの部分が事務所の思惑に左右されているだろうことを、知ってる。
でも、大人の事情を抜きにして、素晴らしい音楽、素敵な音楽を流そう、紹介しようという良心は、現場の人間なら、ある程度は持っていると思うのですね。
僕だってさまざまな現場で働いていて、わけのわからん大人の事情をくぐり抜けて少しでも素敵な仕事を、と、普通に思って仕事してます。
現場という場所には、そういう思いを抱えた人は、一定程度いるはずです。どんな現場であってもね。
いわゆる、つくってる人たちの顔が見えるもの、というやつです。

だから、最近の音楽番組を見ていると、いい音楽聞かせるよ!との気構えを感じるものは、ひところよりは確実に増えてきていると思うのですね。

でも、わけのわからん音楽がTVに出てくるチャンスは、相変わらず皆無かも知れん。

むかしは、もちょっとありました。
たまがテレビに出てきたときは衝撃だったし、サザンがザ・ベストテンに出てきたときの衝撃も、今でも覚えてます。
エレカシのテレビ初出演も、わけわからん得体のしれんパワーが渦巻いていました。

テレビっちゅーのは、本来、予測できないもの、評価の定まっていないもの、どう捉えたらいいのかわからんもの、そういう新しいものを世に問う機能があったはずです。
でもテレビは生放送を捨てて、ハプニングや凸凹をぬぐい去った編集ものを流す道を選んで、つまんないものになりました。
そのテレビが捨ててしまったものを今はネットが担っているわけで、だから神聖かまってちゃんが主戦場にネットを選んだ理由は、とーってもよくわかります。

そこへ今回のNHK。
よくぞやった、と、もちろん思います。

みんなに受け入れられそうなものばっかり志向して、わけわからんけど新しいものは眼中にすらない、というテレビ界を取り巻く状況のなかで、今回、NHKはがんばったんでしょう。視聴率なんて気にしなくてもいいはずのNHKですら、テレビ界を取り巻く状況に絡めとられていると感じるだけに、今回の放送は、英断と言っていいかもしれない。

でも、それが主な感想でいいのか?
と、僕は思います。

僕らは、いつから評論家になった?

NHKの現場は、誰かの英断によって、神聖かまってちゃんをパッケージせずに流した。不穏なものを糖衣でコーティングせずに剥き出しのまま流した。

それを、そのまんまのかたちで受け取った人たちが、たくさんいた。
僕も、受け取った。
受け取った翌日から、その人のなかでなにかが変わって、動きが変わった。
なにが変えたんだろうか?

自分のなかのなんかのスイッチが入って、そのスイッチを押したものの正体はなんなのか?
それこそが、重要なんじゃないのか?
NHKやテレビの組織論なんて、僕みたいな、世間の有象無象にまみれたすれっからしのオッサンが、わけ知り顔でやればいいこと。
その僕ですら、NHKよりも神聖かまってちゃんに感動してる。

NHKは、よくやった、と思う。
でもそれは、受け取ったもののデカさや素敵さに比べたら、どーでもいいことだ。
NHKの組織論に目配せしてる暇があるんだったら、受け取ったものの正体について考えを巡らせることのほうが、はるかに素敵なことだと、僕は思うんですけれどもね。

パンクは、いつだって、世間に違和感を覚えた連中が叫ぶ、うめきです。
そのうめきは痛みを伴っていて、この痛みは滅多なことでは消えてくれないから、信じるに足る感覚です。自分が生きていくうえで、よりどころにできる、たしかな感覚です。
その痛みをひとりで抱えていて、どうしたらいいかわかんなくて悶々としているとき、ああ、この世には、自分とおなじような痛みを抱えて自分とおなじようにのたうちまわっている連中がいて、でもこんなふうにそれと向き合っている連中がいるのだ、という圧倒的な共感は、次の扉を開けるひと筋の光です。
気づき、なんて生やさしいものじゃなくて、目覚め、です。覚醒。


神聖かまってちゃんの音楽からは、それを感じとることができます。
言わなければならない言葉、それだけでできてるからな。



件のNHKの番組、YouTubeにアップされてるやつをもっかい貼っときます。
現時点でこれを削除させてないNHKは、なかなか太っ腹です(笑)
返す返すも残念なのは、NHKの大阪支局が北区ではなく中央区にあるということですな。ギリギリで北区の外なんですよ、これが(笑)




なんなら、こっちのPV、ライブ映像もどーぞ。






ブログを開設した日にキヨシローの訃報が飛び込んでくるとは…
忌野清志郎


いや、ブログを開設しようかという日に、まさか、キヨシローが亡くなるとは。。

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<訃報>忌野清志郎さん58歳=ロック歌手 がん治療続け

5月2日22時54分配信 毎日新聞
<訃報>忌野清志郎さん58歳=ロック歌手 がん治療続け


  「ベイベー!」や「愛し合ってるかーい!」などの決めぜりふ、奇抜な衣装と演出で知られるロック歌手、忌野清志郎(いまわの・きよしろう、本名・栗原清志 =くりはら・きよし)さんが2日、がん性リンパ管症のため死去した。58歳だった。葬儀は9日午後1時、東京都港区南青山の青山葬儀所。喪主は妻の栗原景 子(くりはら・けいこ)さん。

 東京生まれ。68年に中学校の同級生らと、忌野さんをリーダーとするバンド「RCサクセション」を結成、 70年に「宝くじは買わない」でデビューした。72年には「ぼくの好きな先生」が、80年には「雨あがりの夜空に」が大ヒット。82年には坂本龍一さんと 組んでリリースしたシングル「い・け・な・いルージュマジック」が社会現象を巻き起こし、日本の「ロックの神様」としてコンサートのほか、CMや映画など で活躍した。

 一方、「音楽は時代の刺激剤であるべきだ」との信念を持ち、政治的なメッセージを込めた歌も歌った。そのため、反原発を 扱ったアルバム「COVERS」やパンクロック風にアレンジした「君が代」が入ったアルバム「冬の十字架」が一時、発売中止になったり、コンサートで突然 「あこがれの北朝鮮」「君が代」を歌って、FM中継が中断したこともあった。

 06年7月に喉頭(こうとう)がんと診断され入院。治療を続けた後、08年2月に日本武道館で本格復帰した。しかし、同7月、左腸骨にがんが転移していたことが判明、再び活動を中止し放射線治療などを続けていた。

 ◇自分の道を貫いた

 ▽ 音楽評論家、田家秀樹さんの話 日本のロックバンドと日本語のロックの原形をつくった人だった。忌野さんがリーダーだったRCサクセションは、黒人音楽と 日本語を初めて結びつけ、またビジュアル系の元祖でもあった。反原発の曲をつくるなど、ロックが反骨であると証明し続けた。妥協もこびることもなく、音楽 一筋を貫き通したと言える。死は早すぎた。

 ◇聞く者に力与えた

 ▽音楽評論家、天辰保文さんの話 清志郎さんの根底に は黒人音楽への敬意があり、それをエンターテインメントの形で日本に定着させた功績は大きい。権威への反逆も一貫していたが、それをユーモアにくるみ、さ りげなく表現していた。実はシャイな人だったと思う。彼の音楽には「彼は常に信頼できる人であり、自分もしっかりしなければ」と、聞く者に思わせる力が あった。


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ブログを開設しようかという今日、キヨシローの訃報を耳にしました。

このブログは、大阪市北区について、見たもの聞いたもの感じたものをつらつらと書いていくブログなのだけれども、キヨシローの訃報に接して、そのことを書かないわけにはいきません。

といって、今、キヨシローについてなにかを書ける状態ではなく、でも、なにかを書いていないと心が落ち着かない気もして、すごく混乱しています。

この世から、キヨシローがいなくなったという事実、その喪失感は、僕にははかりしれません。

今、43歳のこの僕が、ここに辿り着くまでに、いろいろとあって、もちろん今もいろいろあるのだけれども、でも、今ここにいるこの僕の、多くの部分が、キヨシローと出会ったことでできている、と、今でも思っています。
中学3年生のころ、キヨシローと出会って、なにかを受け取って、その受け取ったなにかを胸に抱えて、その成れの果てが、今の僕です。

むかしばなしを書く気には、今はなりません。

なにを書くのが相応しいのかも、今はわかりません。

わからないながら、今、ふと思い出すのは、キヨシローにまつわる最新の記憶である、一昨年の夏のことです。

たしか、なにげにNHKを見ていたら、キヨシローのドキュメンタリーをやっていました。キヨシローを見たり聴いたりするのは、そのとき、とても久しぶりだったのでした。

それは、キヨシローが、彼のルーツでもあるアメリカはメンフィスに飛んで、ブッカー・Tやスティーブ・クロッパーらとつるんでアルバムをつくる過程を追ったドキュメンタリーでした。

その番組を見ていて、ナイフを、ズブズブと突き刺されたのでした。

番組そのものは、メンフィス・サウンドとキヨシローの相思相愛の関係にフォーカスをあてたものだったのだけれども、僕の心に突き刺さってきたのは、そこではなくて、そこで披露された、ある新曲。

それは、『激しい雨』というタイトルで、こんな曲です。

季節外れの、激しい雨が降ってる、

というフレーズではじまるこの曲は、
クロッパーらしいタイトなリズムを刻みながら、

あちこちで起こっている厄災や悲惨な出来事を嘆いたり悲しんだり怒ったりします。

そして、最後、やはり彼の詩の世界は個人的な出来事に帰結していきます。

お前を忘れられず、世界はこの有様、


そしてそして、
必殺のフレーズが、出てくるんですよ。

oh 何度でも夢を見せてやる
oh この世界が平和だったころの夢を
RCサクセションが聞こえる
RCサクセションが流れてる


という歌。
なんとそこでは、キヨシロー自身が、自身の歌のなかに、RCサクセションを登場させているのです。それも、必殺の切り札として、必殺のフレーズとして。

あ の時代、なにも20年まえのことを言ってるんじゃない。時代のことなんかじゃないですね。あの年齢のころ、若かったころ、ジタバタしてたし息苦しかった し、上手くいかないことのほうが多かったし、なんにもいいことなんてなかったけれども、それでも、今、いろんなことを諦めたり妥協してきたりして辿り着い た今に比べたら、なんぼかマシだ! それに、あんときは、RC があったじゃないか!

そういう曲です。

平和だったころのこの世界というのは、いうまでもなく、キヨシローが見ていた世界のことです。キヨシローが見せて、僕が見ていた世界のことです。

同時に、これは、時代に抗う歌でもあります。

平和というのは、政治的な定義を持ち出すと、「戦争が行なわれていない状態」でしかありません。飢餓が起ころうが大地震が来ようが、戦争が行なわれていない状態なら、それは、政治的な、「平和」と呼ぶ範疇に入る状態です。

歌が、ロックが、それに対抗するには、キヨシローのように歌うしかないんですね。
「夢を見せてやる」と。
それは、キヨシローが、あの声でもって、「RCサクセション!」と叫ぶことで現出する夢です。その夢を見る。それが、政治に対する、音楽の、歌の、ロックの、対抗手段です。

メッセージを言葉に乗せて歌う音楽ほどくだらなくてヤボなものはないけれども、キヨシローは、そんなことしません。
音楽を奏でることそのものがメッセージであるような、そういう音楽です。

だからこそ、夢を見せてくれるのが、アメリカでも日本でも自民党でも民主党でもなくて、「RCサクセション!」という、必殺のフレーズが、そこで叫ばれます。その叫びのなかに、キヨシローでしかありえないマジックが、生まれます。

キヨシローが、あの声で、「RCサクセション!」と叫ぶだけで、マジックが起こります。

そ こで叫ばれる「RCサクセション!」は、けっして懐メロなんかじゃなくて、今もって色褪せていない、というよりも、キヨシローが抗い続けることで、不断の 意思を持ち続けることで、今もまだキラキラと輝いている、僕や僕たちの夢です。毎日毎日更新されて、永遠にまっさらの状態でピカピカに輝いている、朝陽の ようです。

10代のころに持った初期衝動を、持ち続けること。

そのことを、テレビを見ていて、持ち続けているか?と、匕首を突きつけられたような気分になったのでした。


キヨシロー、僕はまだ、持っているつもりです。その気分で、今も生きてます。



今、キヨシローの訃報に接して、かつがつ書けることは、そんなことです。


今日は、キヨシローがうんと若かったころの、『スローバラード』を聴いています。



合掌。
ボスのご冥福をお祈りします。

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