大阪市の北区をグルグル巡るブログ | 大阪市の北区メインでいろいろ仕事をしてます。仕事場も住んでるところも大阪市北区なので、北区をグルグル巡って、目にしたもん耳にしたもん感じたもんを、つらつらと書いています。

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天神橋筋商店街から離れた場所にある、穴場的&とっても素敵な寿司屋さんで贅沢ランチ
店情報サイトを中心にステルスマーケティング問題が話題になっているけれども、口コミ情報を参考にしてお店選びしている人って、どれくらいいるんだろうか?
そういうお店選びを、僕は、まずしません。

どんな店が好きかって、好みがあるもん。
辛いのが好きな人もいれば、静かな店が好きな人もいるだろうし、店の大将と気軽に話せる店がいいって人もいれば、少々高くてもいいから座り心地のいいイスがある店がいいとか…、まあ、それはさまざまですよ。
んで、そのあたりのことは微妙なニュアンスの違いもあって、見知らぬ人の無差別に放たれる情報からでは、まったくわかりません。
最低限でも、情報を発信する人の、その人が持っている基準のようなものがわからないと、その手の情報は意味をなさないと思うのですね。もちろん、僕がこうやって書いているブログにしたって、おんなじこと。

そんなわけで、僕はやっぱ、知っている人からの、信用の置ける人からの、好みがわかっている人からの情報を、大切にします。
あとは、自分の嗅覚ね。暖簾の汚れ具合だとか、醸し出している空気感のようなものから、その店が(僕にとって)アタリなのかどうかは、ほぼわかります。

さて、いつもの行きつけの喫茶店で、地元のオバァ連中と談笑していたとき、天神橋筋商店街からは少し離れた場所なのだけれども、なかなか素敵なお寿司屋さんがあるよ、と、教えてもらったのでした。
教えてくれたその人は、地元の古くからの地主さんで、おカネ、持ってはります。
だから、安くて美味い店一辺倒ではないけれども、かといって、高い店まっしぐらというわけでもなくて、それなりに値が張ったとしても、値ごろ感という外せない一線は持ってはります。
今回教えてもらった寿司屋さんも、そういうお店。

天満の住宅街というか、ようするに飲食店そのものがあんまりない場所に、そのお寿司屋さんはあります。
で、値段もそこそこするので、まずはランチで様子を見にいこう、と。

鮨 むら尾


お昼は、2種類のセットがあるんです。

鮨 むら尾


値段、お昼にしたら、けして安くはないです。
ほいで、今回の僕のチョイスは、迷わず「ねぎとろ小丼セット」1,300円也☆ やっぱ、量はガッツリほしいタイプなので(笑)

まず、丼が出てきました。

鮨 むら尾

盛りつけが、めっちゃキレイです〜。そして、小丼となっているけれども、じゅうぶんに大きな器で、ボリュームあります。
「醤油がかかっているので、このままなにもかけずにかき混ぜて召し上がってください」と、お店の大将。
大将は、恰幅があって、一見、強面。でも、話してみると、すんごく柔らかな雰囲気で接してくれます。とてもいいかんじ。

さて、ねぎとろ丼。
めっちゃ美味いです!脂の乗った甘いマグロに浅葱が絶妙です。これ、相当にレベルが高いです。いやー、これだけで、じゅーぶんに、ランチのメインになっちゃってるんですけど…。

そんなねぎとろ丼を食べていると、握りの盛り合わせが出てきます。

鮨 むら尾

ねぎとろ丼と握り盛り合わせのセットなんて、まず聞いたことないです。めっちゃ贅沢☆
そして、この握りには、すでに塩がかかっているので、醤油をつけることなく、いただきます。
昼から、塩で食べる握り
しかも、ランチタイムの寿司ネタとは思えないほど、分厚くカットされています。

このセットとはべつに「握り盛り合わせ」のセットがあるわけですが、そのセットの握りとこちらのセットの握りとは、当然違うわけです。
ネタも違うけれども、「握り盛り合わせ」の握りは、醤油をつけて食べるようになっています。
一方で、「ねぎとろ丼」セットの握りは、塩で。
聞くと、
「ねぎとろ丼を醤油で召し上がっていただくので、握りは塩で」
ということです。
いやー、こういう心配りがなされたランチメニューは、特に寿司屋さんのランチメニューでは、なかなかないですよっ!
これで赤出しがついて1,300円は、かなり安いと思いますわ。

鮨 むら尾

この赤出しも、なっかなかの逸品で、旨味が詰まってます。そして、具には肉厚の白身。

カウンター越しからは、大将がネタをさばいている姿がよく見えて、見ていると、とても丁寧に丁寧に包丁を動かしてはります。すごく好感持てます。職人さん!ってかんじで。

もうね、大満足です。
ちょっと贅沢ランチしたい日は、ここで決まりですわ。

さて、器に敷かれたランチョンシートに目を落とすと、そこには、メニューのようなそうでないような、料理を中心としたイラストが。
これ、大将が自ら描かれたそうです。眺めていると、なかなかほのぼのするタッチで。
そして、じつは、左下隅のところ、写真ではあえてフレームから外して写さなかったんだけれども、ちょっとしたダジャレ、クスッと笑えることが載っています。

ダジャレ好きに悪人なし、とは、僕の持論だけど、まさにそんなかんじで(笑)

鮨 むら尾




鮨 むら尾
大阪市北区同心1-4-16
tel. 06-6358-3488
11:30-13:30 17:00-23:00
火休(ランチは火、日休)
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緒方洪庵菩提寺の龍海寺にて、洪庵の妻・八重に思いを馳せる
龍海寺 緒方洪庵墓所  

緒方洪庵といえば適塾。
幕末には、爛熟の元禄期を経たあとにやってくる憂いというか、ある種の閉塞感があって、そのせいで未来を憂う気分があちこちにあったように思います。なんとなく、今の時代に似ているような気もするのですね。
そのせいで、あちこちで私塾ができています。
松下村塾とかもそうだし、大阪では大塩平八郎も私塾をつくってましたな。

適塾を巡るお話は、過去にエントリーしたので、そちらをご覧あれ。

「第8回北天満サイエンスカフェは、初の遠征!適塾を見学してきました☆」


今回は、緒方洪庵のお墓です。
墓所は、北区内のお寺さんストリート、かつての寺町、現・同心町にある「龍海寺」

龍海寺 緒方洪庵墓所


近くに、こんなのがありました。これで、このあたりがかつて寺町だったことがわかりますね。

龍海寺 緒方洪庵墓所


洪庵は、晩年、幕府の要請により、江戸で奥医師をしていて、そこで亡くなっているので、じつは東京にもお墓があります。
まあ、有名人は、あちこちにお墓がありますからな。
大阪の龍海寺は、元々が緒方家の菩提寺で、奥さんの八重さんのお墓もこちらにあります。

お寺さんの門前には、「緒方洪庵墓所」とだけ刻まれた碑が建てられてるんですが、むしろ、八重さん、せめて洪庵と併記にするべきやと思いますわ。
それくらい、八重さんの功績もデカい。
八重さんは、それこそ内助の功で洪庵を陰から支えた人です。
七男六女をもうけて育児に追われる一方で、洪庵の事業のために実家から仕送りの工面をしたり、熟成の面倒もちゃーんと見てはったお方です。
適塾の大部屋にある刀傷を見てたら想像できるけど、塾生って、みんな血気盛んなんですよ。まあ、福沢諭吉みたいなガンコで短気な人がいてたことからも、それは容易に想像できるけど。
そーゆー人たちを上手いことコントロールしながら、洪庵の事業のために金の工面をし、育児から家事からやってのけるって、並大抵のことではないと思いますけどね。

姉御肌でね、福沢諭吉は、彼女のことを、私のおっかさんのような人で、非常に豪気な人と評してます。
佐野常民は、適塾で受けた恩義が忘れられずに、八重さんの墓碑銘を書いてます。

その八重さんが亡くなったのは、洪庵が亡くなってから何年も経ってのことだけれども、彼女の葬儀には、門下生から政府関係者から在野の名士から一般人まで2000人が参列したといいます。
普通、ダンナの威光なんて、旦那が亡くなって数年で消えてしまうもんです。でも、彼女は違った。彼女自身が、慕われていたからこそ、です。
葬列の先頭が日本橋に差し掛かっても、彼女の棺は、2.5km離れた北浜の自宅からまだ出てなかったといいますから、とんでもないです。

話は変わって、もひとつおもしろいのは、ここには大村益次郎の墓もあります。
墓といっても、足塚。要するに、大村益次郎の切断された右足が、洪庵夫妻の墓の隣に眠っているそうです。
足をね、洪庵の墓の傍に埋葬してほしいという、大村益次郎たっての遺言やったそうです。

司馬遼太郎が、軍神といわれた大村益次郎を題材に「花神」を書いてます。
そこには、
この足塚は、政治的狂人が墓を暴くかもしれないという危惧から、ずっと内密にされてきた。昭和12年に記録が発見されるまで、寺の住職さえ知らなかった。
昭和15年ようやく碑がたてられるにいたったというのは、見方によっては、思想というこの有毒なものが無毒になるにはそれだけの歳月を必要とした、ということもいえるかもしれない。
と、書かれています。
司馬らしい記述ですね。

訪れたときは、お寺の方がどなたもいらっしゃらなかったので、境内に入ることはできなかったけれども、またいつか、機会を見つけて詣ってみたいもんです。


横へまわってみると、まあまあデカいお寺さんです。

龍海寺 緒方洪庵墓所





龍海寺 緒方洪庵夫妻墓所
大阪市北区同心1-3-1
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同心町に大好きなナポリ・ピッツァのお店ができたので、早速行ってみて、かーなりよかった件
むかし、南イタリアをウロウロしていたとき、まあ、あそこは美味いもんが多いですが、やっぱ、ピッツァはファストフードで安いし、手頃だし、片手に持ったまま食べ歩きもできるので、ハマったもんでした。

イタリアも北に行くと小麦じゃなくて米、つまりリゾットを食べますから、ピッツァが姿を消してしまうんで、僕は、あんまり好きじゃありません。それに北イタリアは物価が高いからな。

そんなわけで、イタリアなら南イタリア、わけてもナポリがね、僕が好きですね。
だいたいナポリは、治安が悪くて、テキトーで、ごちゃごちゃしていて、それでいて人情があって、メシが美味くて、世話焼きが多くて、いっちょ噛みが多くて、すぐに話に噛んでくるくせに、最後には、よう知らんけど…、と、保険をかけるようにして発言の責任から逃れようとする…、あら、大阪とそっくりですね(笑) 大阪人のオレがシンパシーを覚えるのもムリはないというもんです☆



さて、ナポリを代表するものといえば、ナポリ・ピッツァです。


で、ナポリ・ピッツァといえば、マルゲリータです☆

1889年、イタリア統一を果たした王女マルゲリータのナポリ訪問を歓迎してピッツァ職人エスポースィトが献上したのが最初…、と、蘊蓄はともかくとしてですな、トマトとモッツァレラチーズとオリーブオイルとバジリコだけ、という潔さが好きというよりも、それだけでじゅうぶんに美味いことこのうえないのがね、よっぽど材料がいいか、材料の組み合わせが素晴らしいのか、なんにせよ美味いのでした。

このシンプルさって、うどんに通じるというのは、粉もん大好き大阪人のひいきの引き倒しすぎますかね。

アメリカンタイプのピザ(ピッツァとは言わんですね)は生地が分厚すぎて、文字通りアメリカンで、腹はふくれるけれども、美味いってわけじゃないですね。生まれてはじめてピザを口にしたときはこれで満足していたもんですが、人間、贅沢を覚えると、あとには引き返せません。。。。


いわゆるイタリアのピッツァは、生地が薄くてパリパリしていて、こっちは滅法美味いけれども、生地を味わうというよりも、トッピングの妙を楽しむといった趣のほうが強いかと。ジェノベーゼとか、その典型ですね。僕、生ハムとかアンチョビとか、大好きですけどね。




で、ナポリ・ピッツァの登場なのだけれども、まず、周囲の縁の部分だけが分厚くて、そこはモチモチ&ふっくらしていて、美味くて食べごたえもあります。ほいで、生地そのものが美味いです☆ このへんが、釜揚げのうどんに通じるような気もするのですが、とにかく、生地が滅法美味いのが、ナポリ・ピッツァの特徴だと思うのですね。

そこへ、トマトとモッツァレラチーズとバジルですから、これはもう、黄金の組み合わせと言っていいかと。
ブリに大根、鰻にキュウリの酢のもの、焼き餅に大根おろし、大阪に阪神タイガース、ナポリ・ピッツァにはトマトとモッツァレラチーズとバジル☆

言うことなしです。




と、前置きはともかくとして、大阪でも徐々にナポリ・ピッツァの店が登場するようになりました。


いろいろと調べていたら、なんと、こんなものまでありました(笑)

真のナポリピッツァ協会



真のナポリピッツァって…。偽があるのかどうか知らんのですが、誇り高さを感じますな。
このサイトの認定店リストが使い勝手がよくないんで、大阪にどれだけのお店があるのかすらわからんのですが、とにかく、少しずつ増えてきているのはたしかなようで。


近年のトピックだと、まだ食べたことはないですが、ナポリ・ピッツァ・グランプリで世界一になったサルバドーレ・クオモも、北区の曽根崎に進出してきてます。

ここは一回行かないとダメなのですが、なんせ、Mサイズのピッツァが2,300円ですからな(笑)
この値段はすでに、ピッツァの値段ではないしな。。。



サルバドーレ・クオモは一回は攻めるつもりしてますが、お手軽なところで、近所に、ナポリ・ピッツァのお店を見つけましてね。ここがね、アタリでした☆


同心町にある、大衆イタリア食堂・アレグロ。

アレグロ=alegro。
スペイン語だと「幸せ」って意味だったはずですが、イタリア語でもきっとおんなじかと。
me alegro! サイコー☆ ってかんじですかね。
人の名前でもあるんで、どっちだかわかんないですけど。

ピンクの外壁が、周囲から浮きまくってますが、これはまさしくナポリ・タッチの色☆

大衆イタリア食堂・アレグロ


とりあえず、ランチに行ってきました。

お昼の「石窯ナポリピッツァランチ」がね、1,300円。グルナビのクーポン持ってくと、食後のドルチェがついてきます☆ さあ、1,300円は高いか安いか。


まずね、喫煙席か禁煙席か、聞かれますね。
僕、ヘビースモーカーですから、当然、喫煙席。
最近の喫煙席は、隅っこのほうとかトイレの前の席とか、もう、メチャクチャに虐げられてますが、このお店は、喫煙席もわりかしいい場所にとってあって、それでいて禁煙席の扱いがヒドいってことでもなくて、そのへん、どちらにも気を配った扱いになってます。これ、高感度高いですね☆


で、ランチです。

生パスタランチ 1,000円
パスタランチ 700円
石窯ナポリピッツァランチ 1,300円

お目当てはナポリピッツァですから、もちろん、石窯ナポリピッツァランチ1,300円を注文します。アンティパスタ+ナポリピッツァ+飲みもの+グルナビのクーポンでついてくるドルチェで1,300円。

ドリンクリストには、コーヒー、紅茶、カフェオレ。

ドリンクはアフターですから、ちゃんと冷やしたミネラルをですね、ビンに入れて持ってきてくれましたね。

アンティパスタは、こんなの。

大衆イタリア食堂・アレグロ


えーっと、ちゃんと説明してくれたんですけど、なんだっけな?(笑) や、美味かったんですが、覚えてない(笑) でも、ちゃんと美味かったのだけは、覚えてます☆

そして待つこと数分。
いよいよ、石窯で焼いたナポリピッツァの登場です☆

こんなのです。大きさがわかりにくいですが、直径25cmくらいかな。

大衆イタリア食堂・アレグロ

大衆イタリア食堂・アレグロ


白+赤+緑の彩りが食欲をそそりますな。
周囲の縁の膨らんだところの焦げがまた香ばしくて、いいかんじです。
昼のランチでは、さすがに水牛モッツァレラではなかったのですが、それは次回の夜にとっておくとして、それでもこのピッツァは、タダモノではなかったですよ。

モッツァレラもトマトもバジルも美味いし、その組み合わせも素晴らしく合うんですが、それよりもなによりも、やっぱ、生地ですわ、生地☆ この生地がね、タダモンじゃないですから! 間違いなく、美味いです。

これで1,300円は、はっきり言って、安いですね。
毎日食べる値段じゃないけど、ちょっとしたときのランチだと、上出来☆

少しまえにエントリーした、浮田の中途半端な町屋カフェのサンドイッチランチの1,000円ちょいより、全然コストパフォーマンスがいいです☆

灰皿も、しょっちゅう変えにくるしね。
お会計のとき、次回の10%割引券くれるしね。
お会計のとき、厨房からも、ありがとうございました!の声が聞こえてくるしね。
お店を出るとき、ホールの女の子2人がお見送りしてくれるしね。

美味くて、サービスがちゃんとしていて、とーっても、心地いい空間でしたわ。それでいて、なかなかリーズナブルなお値段ですから、ここはちょっと、ヘビーローテーションに入りそうです☆

少なくとも、このお店は、プロです。
まだ若い人たちがやっているけれども、プロの香りを感じさせるし、志の高さ(べつに最高の食材を最高の調理法で提供して最高の値段をつけるといったことではなく)も感じます。



あ、グルナビのクーポンで食べたドルチェ、写真撮るの忘れてました(笑)

というか、美味いもんにあたったときって、そのお店に行くのが初回だったら、僕、ほぼ例外なく、写真を撮るのを忘れるんですよ〜。もう、食べるほうに夢中になってて。。。

でも、ドルチェも、皿に3種盛ってあって、どれもレベル高いです。


久しぶりに、手持ちのカードに新しいカードが加わったかんじです☆





大衆イタリア食堂・アレグロ
大阪市北区同心2-5-20 森下ビル1F
tel. 06-6354-8710
ランチ / 11:30-16:00 夜 / 17:30-23:00 無休
http://r.gnavi.co.jp/c741700/

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日羅の碑から、明日香〜難波〜百済を見渡す
僕は日本史が好きで、国内のどっかに行くときも、ガイドブックよりも網野喜彦や司馬遼太郎の本で予習するような感じなのですが、網野史観や司馬史観、折口史観、梅原史観に触れるよりもはるかむかし、山岸涼子の『日出処の天子』を貪るようにして読んで、聖徳太子や天平時代に思いを馳せていたもんです。

その、『日出処の天子』の最初のほうに、聖徳太子、つまり厩戸皇子が、女装してまで会いにいったという日羅という、百済から来た高僧の異様な存在感に、なかなか興奮したものでした。

この漫画では、厩戸皇子は、常人では持ち得ないような怪しい能力を駆使する存在として、周囲から怖れられていた人物として描かれているのですが、その厩戸皇子に向かって、「そこにいる童は人にあらず」と、厩戸皇子の本質を正確に見抜く慧眼を発揮したのが、日羅でした。

『日出処の天子』は厩戸皇子やら蘇我蝦夷が主人公で、日羅なんて脇役中の脇役なのだけれども、それでも、僕の心には、魚の小骨のようにして、なんとなく日羅が
心に引っ掛かっていたのでした。名前の響きも、ちょっと神秘的というか、謎めいているというか、そんなかんじで。
後年、奈良の明日香を訪れた際に、西国巡礼の札所にもなっている橘寺に立ち寄った際、日羅の木像があるのを発見したのでした。

日羅立像


これが一木造りの立派な仏像でして。
奈良時代になると、プラモデルタイプの寄木造りの仏像が出現するんですが、飛鳥時代のそれは一木造りが大半で、原木の持っている捩じれやらクセやらが生かされていて、精緻を極めた寄木造り仏像とはまた違った、荒々しさや神々しさがあって、僕は好きです。

寄木造りは、図面を引き、家内制手工業によって営まれた工房で、仏師が各パーツを分担してつくるので、どうしても洗練されてきます。翻って、一木造りは、一人の仏師が原木と対峙しながら、仏像を仕上げていく。モノヅクリは最終的には素材との対話になりますから、この木はなにになりたがっているのだろうか、と、素材と対話を重ねながら、造形していきます。そこには、作者のナルシズムが入り込む余地がありません。そういう仏像が、僕は好きですな。

この日羅像も、全身の矩形の微妙な捩じれ具合や太腿の膨らみ具合に、原木が持っていただろう荒々しさが生かされていて、グッと来ます☆

さて、
その日羅は、もちろん実在の人物で、達率(だちそち)という、百済では2番目に高い位に就いた高僧です。で、てっきり、仏教、つまり、当時の最先端の文明を伝える伝道師の役割を帯びて日本にやってきた人物だと思っていたのですが、どうやらそれは僕の思い違いだったということが、最近、発覚しました。

日羅は、もともとは肥後の人で、かつては日本の領土だった朝鮮半島の任那を新羅から取り返すために、百済に派遣された人やった、というのが、日本書紀その他に書かれています。

いろいろと異説はあるんですが、当時の情勢についての代表的な説を書いておくと、
西暦400年代のどっか、大和朝廷は朝鮮半島の南の一部を実効支配していて、そこは任那と呼ばれていました。大和朝廷といっても、これは連邦国家の総称みたいなもんですから、実際に統治していたのは、狗邪韓国(くやかんこく)です。

ま、これが、豊臣秀吉の朝鮮出兵や西郷隆盛の征韓論が企てられたときの、そこはかつて日本の領土だったから奪還するんや!という根拠になるんですが、このへんは、民族主義的、政治的な思惑もあって、異論噴出、なにがほんまのところかは、謎といえば謎です。なんせ、かーなりむかしの話しやし、日本書紀も魏志倭人伝も政治的な思惑で書かれている記述の塊ですから、なにをどう信用していいのかは、わからんところです。

とにもかくにも、朝鮮半島の南部には、日本が実効支配していたらしい任那という国があり、でもそこは、当時の一大勢力だった新羅に持っていかれるわけです。同時に、朝鮮半島では、百済と新羅が対立しており、新羅と敵対している日本は、敵の敵は味方の理屈で、百済と仲よくやるようになり、百済と人的・経済的な交流を深めていくわけです。
その交流を通じて、日本に仏教、この場合、仏教というのは、仏教に付随する一切合切を含めた文明そのものを指していて、それこそ、寺院建立のための建築技術から治水、灌漑なんかの土木技術、そしてもちろん文字、陶器、冶金技術、果ては政治手腕としての律令(税制と法体制ですな)なんかも含めての文明としての仏教を、吸収していくわけです。
吸収の方法として、人的交流というか、たくさんの偉いさんが、百済からやってきます。これが渡来人ですな。秦氏一族が土木技術を持ち込んで京都を地ならししたり、鳥氏が木造建築技術を導入して寺院建立や仏像製作を伝えたり…、なんてのが、そうです。
明治のころに学者を大量に雇って文明開化を押し進めた維新政府の、古代版みたいなもんです。
百済サイドにしても、自分たちとおなじ文明、つまりおなじ価値観を有する地域がひろがることは、お付き合いしやすい隣人が増えることと同義なので、もちろん積極的にそういう外交を押し進めます。アメリカが民主主義を世界中にバラまいて、世界中をアメリカの持つ価値観と同質のものにしてしまおうとするのと、おなじことですな。

という時代背景のなかで、日羅は、百済から派遣された、日本に仏教を定着される指導的な役割を帯びた高僧だとばっかり僕は思っていたのですが、どうやら歴史とは、そう単純ではないようで。

日羅は、任那奪回を悲願とする時の権力者が、朝鮮半島情勢の詳細を把握するために百済に送り込んだ人物なのでした。外交的な役割も政治的な役割も帯びていなかったようなので、スパイでも外交官でもなく、ただただ、文明を学びに派遣された、公費による留学生のようなもんです。

で、大変に優れた人物だったので、百済で第2位の達率にまで昇りつめます。

悲願であった任那奪回というか再興のために、日羅の知恵を借りようとなり、当時の帝である敏達帝は日羅を呼び戻そうとするのですが、日羅が優秀だったゆえに、百済でも彼を離したがらず、いろいろと綱引きもあったようです。
あったようですが、最終的には、日羅は、敏達帝の詔を受けて、帰国。これが、583年の出来事です。
そんときに、百済王は、日羅の行動を監視するとともに、日羅を百済へと連れて帰る目的で、数人の百済人を同行させます。
これが、のちに、アダになった。

大和朝廷は、政治問題の一環として、日羅に、任那奪回の知恵を請います。
そこで日羅が進言した答えは、
まず、百済を攻めよ、というものでした。
百済を攻め、要塞を築き、そこを任那奪還の拠点とせよ、と。
じつはこのとき、百済が九州を侵略する計画を持っており、日羅がそれを大和朝廷に漏らした、という話もあります。

これが、同行していた百済人の耳に入り、百済に対する重大な裏切りとして、日羅を暗殺する、と。


『日出処の天子』での日羅は、もちょっとキャラが生々しく造形されているのですが、史書を読みあさるかぎりでは、彼のキャラにまで踏み込んだものは、見つけられませんでした。
人物像については、橘寺の仏像から想像するしかないですな。


さて、
その、日羅の碑が、北区同心の、源八橋西詰めの近くにあります。
日羅が暗殺されたのは、難波の津、つまり大阪港(今の大阪港じゃなくて、海岸線はもっともっと東側にあったはずなので、きっと、大川のあたりなんでしょうな)で、暗殺を嘆いた敏達帝が、その近くに遺体を埋葬するよう、差配したとのことです。

日羅公之碑


史実では、日羅は、聖徳太子の仏教上の師ということになっています。
明日香の橘寺に日羅の木造があり、埋葬されたのは、天満の大川のほとり。聖徳太子も、大阪に四天王寺を建立し、奈良には法隆寺を建立しています。
古代、大阪と奈良が一直線で結ばれていた証が、ここにはあります。そして、その直線は、日羅を通して、はるか朝鮮半島にまで続いていることを、今の僕たちは、この碑ひとつからでも見渡すことが出来ます。

そんなわけで、ここに日羅の碑があります。碑そのものは、昭和30年に、建てられました。アパホテルの近所なんで、アパホテルの豪華昼食バイキングを食べたあとの腹ごなしにでも、どうぞ。


日羅公之碑
北区同心2-15
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浪速のアミューズメント型マンションのパイオニア
自宅から歩いて15分くらいのところに、突っ込みどころ満載のマンションがあります。
昨今、複合施設を併設させたアミューズメント型のマンションが流行りですが、ここは、40年も前からアミューズメント型マンションです。アミューズメント・マンションのパイオニア(笑)


あんまりおもろいんで、写真とってきました。

共用部分の通路の両サイドに、壁画あります(笑)
左が赤富士で、右が彦根城(笑)
しかも、彦根城なんて、石垣を実際につくってあります…。
なんでやねん!(笑)

そのまえには、アンティークな和家具が。

なんでも、先々代が近江の出で、近江商人やった人で、ここにマンションを建てたときに、実家の蔵に置いてあった古家具を持ってきて、ここに展示したんだとか(笑)

なにも展示せんでもいいとは思うんですが、みんなに見てもらいたい!と(笑)
ちなみに、彦根城は、先々代の奥さんが大好きで、大阪に出てきて彦根に帰ることもなくなったから、せめて壁画を、ということで、描いたんやそうです。
なんでやねん!(笑)

ということは、みんなに見てもらいたいというのは口実で、自分らが見たいだけなんじゃ…(笑)
だって、普通、石垣までつくらんでしょ。
それに、通路にモノを置くな!って札まで張ってるのに、自分らだけは置きまくりやし(笑)

ほか、水車やら乳母車やら行李やら井戸のポンプやら…、珍しいもんがたくさん展示してあって、とてもマンションのエントランスには見えません(笑)

でもね、中庭があって、そこが日本庭園になってるんですよ!
マンションの中庭が日本庭園ですよ!

でも、よく見ると、お地蔵さんなんかに混じって、地球儀の石像やらゴジラの石像やらも(笑)
もうね、このセンスが、まーったくわかりません。
なんでやねん!(笑)

でもおもろいから、これからも、ちょこちょこ見に行こうと思ってます☆

さすがに、住む気にはなりませんが。


昨今流行のアミューズメント・マンション。
大阪のは、ちと違います。
ちなみに、築40年。
藤森コーポ

藤森コーポ

藤森コーポ


道に面しているのは6号棟。
ってことは、奥に向かって、合計6棟あるってことです。意外とデカいです。
で、通路というか、奥へ入っていくための連絡道なんですが、両サイドに、な、なんと、壁画(笑)
で、壁画の前には、なぜか古家具が(笑)
なんでやねん!(笑)

藤森コーポ

藤森コーポ

藤森コーポ




中へ進むと、日本庭園があります。
えべっさんの石像があります。
見ざる聞かざる言わざるの三猿もいます。
なんでやねん!(笑)

藤森コーポ

藤森コーポ

藤森コーポ




どさくさにまぎれて、石でつくった地球儀もあります。
なぜか、ゴジラの石像もあります(笑)
なんでやねん!(笑)

藤森コーポ

藤森コーポ





先々代がこのマンションを建てたのだそうですが、出身は、近江商人。
近江の実家の蔵から、いろんなものを持ってきては、このオープンスペースに飾って、みんなに見てもらっているそうです。
水車、水瓶、乳母車なんてものまでありました。
なんでやねん!(笑)

藤森コーポ

藤森コーポ

藤森コーポ




アンティークの箪笥も。
今となっては、結構な高値で売れるんじゃないですかね?

藤森コーポ

藤森コーポ

藤森コーポ





なんかね、あちらこちらに、珍しい不思議なもんがさりげなく置かれているんですよ(笑)
なんでやねん!(笑)

藤森コーポ

藤森コーポ

藤森コーポ




オーナーが率先して、禁を破ってます(笑)
なんでやねん!(笑)

藤森コーポ





藤森コーポ
北区同心2-13-6

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